第九話



「現郎ーーーーーーーッ!!」

ツェルブワールドのとある野原。
そこで、雹の怒声にも似た叫びが轟いた。

「……んだようっせーなあ。せっかくいい気持ちで昼寝してたってのに……」

木の根を枕にしながら寝ていた青年が、安眠を乱されてぶつぶつと文句を言いながら目蓋を開けた。

「ひさしぶりにこの星に来たんだ。ゆっくり寝かせろよ……」

癖のある茶髪を掻き掻き、青年――現郎はとろんとした目を雹に向けた。

雹はいやいやする様に頭を振ると、目からダーッと号泣して喚きたてる。

「それどころじゃ無いんだァーーー!!爆くんがどこにもいないんだよぉ〜〜!!」

「あいつが一箇所に留まるわけねーだろ……」

現郎が気の無い答えを返す。

「ツェルブワールド中飛び回っても!誰も見てないって言うんだぁ!!!」

「(コレに来られた奴は迷惑だったろうな……)」

雹に訪問された者達(おそらく元GCの連中)の心情を察し、珍しく同情の念を覚える。

「お前は知らないか!?」

「俺は一昨日来たばかりなんだぜ。知るかよ……」

そうは言うものの、彼としても爆の所在は気になるところだった。

雹の言うとおり本当に何処にもいないのならば、共に来ている筈の、自分が何より敬愛する王、炎が、爆に会う事が出来ないではないか。
そうなったら―――炎も血眼になって爆の捜索に当たるだろう。

そう、ちょうど今の雹の様に。

そうなると色々面倒な事になる。
現郎は短く溜め息をついて、ぐっと体を起こした。

「仕方ねえな………」

とは言っても、特に探す当てがあるわけではない。

「(どうしたもんかね……)」

爆の幻覚でも見ているのか、地面に膝をつきながら両手を広げて、顔中の体液をだらだらと流している雹を尻目に、現郎は何とか対策を練ろうとする。

「……そうだ」

アレがあるじゃないか。

一か八かと、現郎はズボンのポケットに手を入れる。

そうして取り出したのは、腕時計だった。


麻帆良学園、休み時間。
庭園にあるベンチで―――。

「そんな事があったんですか!?」

刹那が心底驚愕した顔で叫んだ。
その隣に腕を組んで座っている爆が、やれやれという表情で続ける。

「そうだ……おかげで寝不足だ」

その言葉通り、言い終わってから長い欠伸をした。

結局、昨日寝付いたのは午前四時。
しかもあの後から楓の様子がどこかおかしい。

特に気に障る事をした覚えは無いし、いくら考えても思考の迷路で迷うだけだった。

そんな爆を嘲笑うかのように、ジバクくんは既に彼のカウボーイハットの上でがーがーといびきを掻いている。

そして爆は横目で刹那を睨むと、呆れた気味に、

「―――だというのに、護衛であるはずのお前がぐーすか寝ているとは。まったく情けない……」

「(いや、あなたにも結構責任が……)」

爆の言うとおり、昨晩彼と楓が忍者軍団と戦っていた頃、刹那は部屋で眠っていたのである。

しかし、それで彼女を一概に責めるのは間違いだ。

彼女はとても疲労していたのだ。

で、その理由と言うのが、昨日の爆と木乃香の接触だった。

その時の爆の奇行のせいで、刹那は色々と気を揉まなくてはならず、それがかなりのストレスになったらしい。

日頃の疲れも溜まっていたのだろう。

だから布団に入ったその瞬間、舌なめずりして待ち構えていた睡魔に即効で夢の彼方に吹っ飛ばされたのである。

まあ、それはともかく。

爆は突然よっこらせと、重たげに腰を上げた。

「どうしたんですか?」

「……ジジイに呼びだされてたんだった……」

憂鬱そうに爆は額に指を当てた。
しかし、一番憂鬱なのは呼び出した本人だろう。
そう、きっと、胃に穴が開くくらいに。


「―――何っでそう穴をボコボコボコボコ空けるんじゃあああッ!!!」

絶叫で、決して狭く無い学園長室中の調度品がかたかたと振動する。

「まあ、そうたぎるなジジイ。血圧が上がるぞ」

爆のその憎たらしいまでの無表情に、その淡々とした言葉に、学園長の額に走る青筋が増えた。
その怒りの原因というのが、昨晩の戦闘での被害である。

爆の攻撃により、戦場となった場所に新たにいくつものクレーターが作成されてしまったのだ。
建物も傷つき、何やら人型の血のりまで付着している。

まだ先日バクシンハで空いた大穴も直っていないというのに。

「何じゃあ!! その態度はぁ!! ケンカか? ケンカ売ってんのかコラァ!!」

興奮の極みにある学園長とは対照的に、爆は何の痛痒も無いように無表情を通している。

ノンブレスで、よくそんなに喋れるなと胸中で感心までする始末。

ひとしきり絶叫を終えると、学園長ははあはあと肩で息をして、椅子の背もたれに重心を預けた。

「はあ……もういいわい……仕事は果たしてるんじゃしな……」

自分を納得させようとする。
その言葉の裏には諦めが見え隠れしている。

説教が終わったところを見計らって、爆が口を開いた。
その表情こそ変わらないが、何処となく緊張している様に見えた。

「―――聞きたい事がある」

「何じゃ?」

「木乃香の事についてだ」

その言葉に、学園長の表情が真剣なものになる。

「昨日の奴らは、随分と手練のように見えた。女一人を攫うには、異常とも言える程な」

「……」

口を閉じたまま、長い白髭を撫でる。

「何故だ?あいつは貴様だけでなく、他の人間にとってもそんなに重要なのか?」

少しの逡巡の後、学園長は重く口を開いた。

「……あの娘には、強大な魔力が宿っておる。この日本でも最大の、な」

「!」

爆はそれで全てを察した。
強大な力に対して、人間がする事と言えば決まっている。

すなわち、畏怖か利用だ。

例えば、鳥人族の戦士ハヤテ。

爆が針の塔への旅をしていた頃、人々の彼への待遇は酷いものだった。

命を賭して戦う彼に、村人は労わりの声すら掛けず、その目を逸らすばかり。

ただ背に羽があるだけで、その力が強いだけで。

そして、同じく鳥人族、雹の弟の瑠璃。

彼とは、顔は知っているが直接面識があるわけではない。

何せ、何百年も前に殺されていたのだから。

ある時、生物をモンスターに変える0の木の毒素のせいで、雹の守っていた世界テンパに凶悪な病が広がってしまった。

そこで、村人達はその血清を作るため、幼くまだ力も弱い瑠璃を殺し、その血を一滴の残らず絞り取ったのだ。

爆は、自分が冷や汗を流している事に気付いた。

もしも木乃香が攫われれば、何らかの方法で、その力が利用されるだろう。

そして、最後には――――考えたくも無い。

「………」

お互いに黙りこんで、部屋に重圧なまでの沈黙が流れる。

「おいジジイ入るぞ」

乱暴にドアが開けられ、金髪の少女が入ってきたのはその時だった。

爆は振り返ると、うろんげな目をして、

「何だこのちみっ子は?」

爆の初対面の人物への礼節に欠けた台詞に、少女の片眉がぴくりと動いた。
それを見て、学園長が慌てて説明に入る。

「かっ彼女はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。ここの生徒であり、一応警備員じゃ」

「ほう、あいかわらず労働基準法を知らん学校だなここは」

痛い所を突かれて学園長が首を絞められた鶏の様にウッと唸る。

ネギを始めとして、この麻帆良学園は多くの未成年者を働かせている。
よくPTAに叩かれないものだ。

もしかしたら、そこら辺の根回しをしているのかも知れないが。

「……お前こそ誰なんだ」

何気なく子供扱いされたエヴァンジェリンが、爆を睨みつけながら訊ねる。

「俺は爆だ。警備員をやっている」

「警備員? はっこんな奴が役に立つのか?」

先程のお返しとばかりにエヴァンジェリンが鼻で笑った。

それに、爆はむっとしかめっ面をする。

「ふん、貴様こそ戦えるのか?」

まさに売り言葉に買い言葉。
大人気ない爆であった。

「「……」」

爆とエヴァンジェリンが睨み合い、先刻までとは一風違った気まず〜〜い沈黙が流れる。

「(うう……一体わしが何をしたと言うんじゃ……教えてくださいゴットよ……)」

二人の殺気に胃がきりきりと痛み出した。

エヴァンジェリンから漏れた魔力が卓上のカップを粉砕する。

封印はどうした、封印は?

かと思えば、爆の闘気でコンクリートの壁がみしみしとひび割れていく。

「(ヒィイイイ……ある意味修羅場じゃあ……)」

まずい。

この状況は非常にまずい。

このままでは部屋が破壊される。
のみならず、自分の命も危うい。

それを回避するには、どうすればいいか?

学園長は一生分ほど(体感時間)思案する。
そして数秒後、命を捨てる覚悟でおずおずと口を開いた。

「まあ、待て」

「「何だッ!?」」

睨み合っていた二匹の修羅が、ばっと学園長に首を向けた。

会った事は無いが、きっと地獄の魔王よりも恐ろしい。

殺気の奔流でくじけそう……というより心臓が停止しそうになるが、学園長は勇敢にも気力を振り絞って、

「実力が知りたいんじゃったら、今夜にでも実際に戦ってみればいい。そうすればお互いに納得するじゃろ」

「ふん、ジジイもたまには良いことを言うじゃないか。おい、爆とやら! 今夜九時に、大橋に来い! そこで勝負だ!」

「上等だ、覚悟しておけちみっ子!」

最後に睨み合うと、二人は肩を怒らせながら学園長室から飛び出していった。
ばたんと扉が閉められるのを見届けると、学園長の体にどっと疲れが押し寄せる。

それに押し潰されるかの如く、彼は机にうつ伏せになった。

「ううぅ……だ、誰か胃薬……胃薬を……」

息も絶え絶えな学園長の呻き声は、誰にも届く事無く虚空に霧散していった。


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