第三十七話



「アスナさん! 広い所で迎え撃ちます!!」

「OKネギ!!」

颯爽と竹薮から颯爽と飛び出した二つの陰は、ネギとアスナだった。
石段の上に降り立った二人の手には、各々の得物が握られている。

魔法使いの少年は、父が残していった杖を。

従者である少女は、剣……に見えなくも無いハリセンを。

それぞれ構えて、敵手の来訪を待ち受ける。

その猛々しいまでの戦意を感知したのだろうか。
千本鳥居の奥より、竹と竹とが擦れ合う不気味な鳴き声が高速で接近して来た。

「!」

「来るわよ!」

ネギは、押し込めていた筈の緊張感が足元から毒蛇の如く這い登って来るのを感じた。
無論、戦うに当たって作戦は用意してある。
だが正直な所、それが成功する確率は五分五分……あるいはそれを下回るかも知れない。

激の語った通り、自分等と敵の実力の差は明白なのだ。
それを鍛錬も無しに俄仕込みの策略のみで撥ね返そうと言うのだから、無謀も甚だしい。

「(だけど……)」

何もかもが足りない今、それに縋るしか無いのである。
その作戦に対して、現在雹と共に後方で控えている激は肯定も否定もしなかった。
恐らく、完全に自分達に任せる事にしたのだろう―――そう望んだのだから。

そんな彼の期待を裏切る訳には行かない。
父と同じ場所に立つためにも。

「(父さん、見ててください!)」

右手に作った剣指を振る。
それを追い掛けるが如く、魔力の光が帯を引いた。

「ラス・テルマ・スキル・マギステル。風精召喚・剣を執る戦友!!」

広げた右手を前方に突き出す。

「迎え撃て!!」

そこに顕現したのは、ネギのシルエットを有する七体の光輝。
杖を駆り、手に手に武器を持った精霊群が、流星となって鳥居の上に向けて飛来する。

それらの収束点は、同じく鳥居の上を器用に飛び移りながら移動する人影―――小太郎だ。

「ハハッ、よーやく本気か!? チビ助!?」

歓喜の声を引き摺りながら高速移動する小太郎は、ネギの攻撃魔法を目の当たりにしてもその速度を緩めはしない。
それどころか、その闘気と比例して更に加速する。

「こんなもん!!」

打ち振るった鉄拳が左右から迫撃する二体を砕く。
鋭く風裂く前蹴りが前方の一体を叩き潰し、後方から襲った精霊は槍の穂先が届く前に裏拳を受けて消滅した。
残りの三体を貫いたのは少年の放った三本の棒手裏剣だ。

瞬く間に精霊群を蹴散らした小太郎だったが、息をつく間は与えられない。

視界の端が紫電を映した時には、彼の手は学生服の中に滑り込んでいた。

「魔法の射手・連弾・雷の十七矢!!」

横合いから迫り来るのは、その名の通り十七つの雷の弾丸である。

「うおっ!」

大気を焦がし、鳥居を削る魔弾の群れを、小太郎は間一髪翳した呪符で防御する事に成功した。
しかしその時には、ネギは新たな魔法の詠唱を開始している。

「ラス・テルマ・スキル・マギステル。闇夜切り裂く一条の光・我が手に宿りて敵を喰らえ……」

「!?」

閃光が、薄暗い千本鳥居の中を照らした。

「―――白き雷!!」

ネギの掌より放たれたのは、目も眩む白光の奔流だ。
地から走った稲妻が、龍の如く鳥居の上の小太郎に喰らい付く。

「うがああッ!?」

身を焼かれる激痛に、少年の喉奥から凄まじいの絶叫が迸る。
電撃の残滓を纏いながら、小太郎は背中から魔法発動の際に盛大に巻き上がった土煙の中に落下した。

「ちょっと何よ! スゴイじゃん!!」

有無を言わさぬ猛攻に、隣で見守っていたアスナが驚嘆に叫んだ。
魔法が直撃しては、さしもの小太郎も無事ではいられないだろう。

だが、勝利を確信した彼女の耳朶を抉ったのは、雹の発した警告だった。

「いや、まだだ!」

瞬間、粉塵が破裂する。

その中から、黒い影が砲弾の如くネギ達に突進してきた。
言うまでも無く小太郎である。

「なかなかやるやないかチビ助!! 今のはまともに喰らったらヤバかったわ!!」

彼の左手には、無残に千切れた呪符の残骸が握り締められていた。
多少の余波は受けたものの、その加護により辛うじて直撃は免れたのである。

「こ、このおっ! 来なさいよ!」

狼狽しつつも、アスナは勇敢にネギの前に出てハマノツルギを構えた。

「同じ戦士同士、相手になるわよ!!」

その気迫は、嘲笑で報われた。

「へっ」

アスナが振り下ろしたハリセンが残像を捉えた時には、小太郎は彼女の背後で呪文を詠唱していた魔法使いの少年に向かっている。

鈍い音を立てて、ネギの鳩尾に突き上げる様な拳が打ち込まれる。

「ネギ!!」

振り返ったアスナが、二人の間に飛び込もうとする。
宙に浮いたネギを後頭部に叩き込んだ一撃で石段の上に転がすと、小太郎もまたアスナを振り返った。

「それと姉ちゃん! 俺は戦士とちゃうで!!」

突如、彼の足元の影が半紙の上に垂れた墨汁の様に広がった。
その中から這い出てきたのは、漆黒の犬の群れだ。

「『狗神使い』言うんや! 覚えとき!」

小太郎の一声を合図に、狗神達はアスナ達に向けて跳躍する。

「げ!?」

思わず呻くアスナを瞬く間に組み伏せると、長い鼻を押し付けて彼女の全身を舐め回し始めた。

「いやーーーーっ! 何よこの犬!」

「ア……アスナさ……」

パートナーの危機に痛む体を叱咤して立ち上がろうとするネギだったが、それは成せなかった。
容赦無く降り注いだ小太郎の鉄拳の雨が、ネギを砕けた石畳みの中に沈ませる。

「ネ、ネギ……きゃははは!!」

明らかなる危機に助けに向かいたいアスナだったが、狗神達はそれを許してくれなかった。
執拗に身体を舐め回してくる舌がくすぐったくて、とても身動きが取れない。

『ま、まずいぜこりゃ……』

絶望感を孕んだ呟きを漏らしたのは、狗神の一匹に踏まれているカモだった。

小太郎の高い身体能力は『気』によって生み出された物だ。
強化された膂力が生み出す破壊力は、先程アスナがした様に岩をも容易く砕く。
その攻撃を受けているネギが生きていられるのは、張られている魔法障壁の賜物だった。

しかしそれも小太郎の猛攻により、今にも消え掛けている。
もしも障壁が消えてしまえば直撃を受け、原型を留めるのも難しいだろう。

「そ、そんな……」

遠く無い未来を幻視してしまったアスナは、助けを求める様に視線を動かす。
そして彼女の瞳に留まったのは、黒衣と銀髪だった。
狗神を退けていた激と雹は、ただネギと小太郎の戦いを見守っていたのだ。

「激さん! 雹さん! お願い、ネギを助けて!!」

それは、血を吐くような慟哭だったが―――二人の青年は動かない。

そうしている間にも、殴り飛ばされたネギは後方に突き出ていた岩に背中から叩き付けられていた。
肺から、一切の空気が搾り出される。
そこに一瞬にして肉迫した小太郎は彼の栗色の髪を掴むと、顔、胸、腹と所構わず熾烈な拳打を浴びせ掛けた。
その度に乱舞するのは、血の飛沫だ。

「ハハハハッ! 護衛のパートナーが戦闘不能なら、西洋魔術師なんてカスみたいなもんや!!」

小太郎は哄笑を上げながら、連打の反動で岩から背中を浮かせたネギを、鋭く撓った回し蹴りで再び岩に貼り付けた。
痛む肺が、それでも酸素の供給を望んで少年に地獄を強要する。

「あ……う……」

全身に噛み付く激痛に、ネギは叫ぶ事も出来ず呻き声を漏らした。
それに勝機を見たのか小太郎は一度距離を取ると、『気』を集約した右拳を大きく振り被った。

「勝ったで!!」

地を揺るがすかの様な踏み込みと共に、今までで最高速度の正拳が風を切る。
構成が崩れかかり、脆くなっているネギの魔法障壁では、この必殺の一撃を受け止める事は出来まい。

「ネギッ!!」

アスナが悲鳴にも似た絶叫を上げ、拳がネギの顔面に肉迫した―――その時。

「契約執行0・5秒間。ネギスプリングフィールド」

魔法使いの少年の声が朗々と響き渡った時、小太郎の顔に浮かべられたのは勝利の笑みでは無く。
目を一杯まで見開いた、驚愕の表情だった。

「な……」

必殺の一撃は、横合いから割り込んできた、他ならぬネギの腕によって軌道をずらされていた。

腕を引き戻そうとした小太郎の頬を打ったのは、ネギの掬い上げる様な左拳だ。

「!!?」

何が起きたのか。
軽々と吹き飛ばされ、宙を舞いながら困惑に陥いる狗族と石畳みの間に、少年は素早く割り込んだ。

「ラス・テルマ・スキル・マギステル。闇夜切り裂く一条の光・我が手に宿りて敵を喰らえ」

呪文の詠唱により紫電の走る右手を、小太郎の背中に当てる。

「白き雷!!」

白光が炸裂した。

小太郎は再び吹き飛ばされ、石畳みの上を転がる。
今度は呪符の加護も無くまともに受けてしまった所為か、全身を襲う痺れが立ち上がる事を許してくれない。

「ぐっ……」

ふと見上げれば、再度巻き起こった土煙の中に立つネギが彼を見下ろしていた。
その姿は血に汚れ、埃に塗れ、無残だったが―――何処か誇らしい。

「……どうだ! これが西洋魔術師の、僕の力だ!!」

高らかに言い放ったネギを見て、それまで傍観していた雹は溜め息をついた。

「やれやれ、あんなボロボロになって、みっともないなあ。僕ならもっと美しく優雅に……」

そう彼が嘆息した時、隣の激が肘で脇腹を突付いた。
意地悪そうに、目を細めて。

「お前、あーゆー無理してでも戦うタイプのヤツが好みだったんじゃねーのか?」

「ふっ、僕の心はもう爆君の物さ」

「ああ、そう……」

優雅に銀髪を掻き揚げた青年の周囲に薔薇が咲き狂ったが、視覚への暴力だと激の目は故意的に逸らされていた。
彼の視線の先では、狗神が消え、自由を取り戻したアスナ達がネギに駆け寄っている。

「さて、後はここから出るだけか」

その時だった。

「ま……待てェッ!!」

突如として響き渡った一声に、全員が振り返る。
視線の収束点にいたのは小太郎だったが―――その姿は著しく変化していた。

「……まだや……まだ終わらへんでッ!!」

脱ぎ捨てられた学生服が宙を舞う。

シャツは小太郎自身の手で簾の様に引き裂かれ、その中から現れたのは、白い毛皮に覆われた逞しい肉体だった。
黒かった髪は体毛同様白銀に染まり、腰まで届く長髪となっている。
臀部からは犬そのものの尾が垂れ下がり、髪の中に隠せる程だった耳も鋭角的な成長を遂げていた。

「ええ〜〜っ! 何よそれーーーー!?」

獣人と呼ぶに相応しい異様を目の当たりにしたアスナが絶叫を上げる。
もはや大抵の事では驚くまいと思っていた彼女だったが、幾ら何でも非常識が過ぎた。

小太郎は厚い掌を握り固めると、戦慄するネギ達に向かって放った。
咄嗟に散開してかわしたが、代わりに直撃を受けた石畳みは爆破でもされたかの様に砕け散る。
脅威的な破壊力だ。

「くっ……仕方ない!」

応戦しようと、ネギが杖を構える。

『兄貴っ!?』

カモが見かねて叫んだのも無理は無かった。
ネギのダメージは、もはや看過する事が出来ない所まで累積してしまっている。
その上、小太郎の攻撃力は先程までとは比較にならない程に強化されているのだ。
掠っただけでも命取りになるこの状況では、とても勝機は見出せない。

しかしそれにも関わらず、ネギの口唇は呪文を紡いだ。

「契約続行十秒間! ネギ・スプリングフィールド!!」

疲弊を極める肉体に、魔力が注ぎ込まれる。

「へッ……」

ネギの戦意に、小太郎は好戦的に口端を吊り上げた。
実の所、彼の体力もまた限界に来ていた。
膝は今にも折れてしまいそうだし、疲労の所為か意識が朦朧としている。
そんな小太郎を突き動かすのは唯一つ、強者との戦いへの何物にも代えがたい高揚感だった。

「!!」

身構えるネギの視界から、小太郎の白い姿が消えた。
獣人の肉体が生み出す高速移動に、彼の動体視力が追い付けていないのだ。

「(速すぎる……ッ!!)」

「ちっ……」

襲い来る筈の一撃にネギが息を呑み、激が棍棒を振り被ろうとした―――その時。


「左です先生ーーーっ!!」


突如冴え渡った叫び声が耳朶を叩いた。
ネギが反射的に飛び退れば、眼前に出現した白い獣人の拳が石畳みを打ち砕いている。

「え……」

ネギが目前の敵手も忘れて――もっとも、小太郎も同じく行動を停止させていたが――振り返ると、集まる視線の先に立っていたのは本を携えた少女だった。

「の……のどかさん!?」

長距離を走って来たらしく、酷く息を切らせ中腰になってしまっているが、思い人を救えたためか少女は安堵の表情を浮かべている。

「本屋ちゃん!? 何でここに!?」

全く予想だにしなかった人物の登場にアスナが愕然と呻く。
それに応じようとしたのどかだったが、開いた本の一ページに視線を落とすや、再びネギの方に振り返った。

「右です先生!!」

ネギより先んじて困惑から立ち直っていた小太郎の振るった拳はほとんど不意打ちの様なものだったが、しかしそれは空を切り、逆に魔力の込められた掌低を頬に受けてしまう。

「ぐ……」

獣人は再び高速移動でネギの視界から逃れると、上方から腕を振り下ろした。

「上!!」

しかしのどかの一声が飛び込んできた時にはネギは横に飛び退いており、今度は顎にカウンターを喰らった。

「み……右後ろ回し蹴りだそうですーーーっ」

鋭く走った脚はやはり虚空を貫き、間接が伸び切ったと同時に顔面を直撃したのはネギの拳である。

「あ……ぐ……」

だが、苦痛に呻いたのも彼だった。
小太郎の攻撃は辛うじて避けているものの、今までに受けたダメージを自らの攻撃の反動で呼び覚ましてしまったのだ。

『やべえ、このまま戦り合うのは危険だぜ!』

「あのっ……カカ、カモさん」

しゃがみ込んだのどかが、おどおどながらもオコジョ妖精に声を掛ける。

「とにかく、ここから出れればいいんですよね?」

『お、おうっ。そ、そうだけどよ』

自分の事を知らない筈の少女に見詰められてカモは動揺したが、それに構わずのどかが立ち上がった。
そして肺一杯に息を吸うと、彼女にしては珍しい大声で呼びかける。

「あ…あのぉーーー小太郎クーン! ここから出るにはぁ、どうすればいいんですかーーー!?」

余りにストレート過ぎる問い。
それを聞いた小太郎は、一体何を言っているのかと呆れ気味に首を傾けた。

「ア、アホか姉ちゃん! 俺がそんなこと言うわけ……ハッ!?」

そういえば、彼女は自分の行動を読んでいなかったか?
疑念を覚えた獣人の視線が、のどかからその手元の本に映される。
その次の瞬間、小太郎の推測の正しさが証明された。

「こ、この広場から東へ六番目の鳥居の上と左右三箇所の隠された印を壊せばいいそうです!」

のどかの口唇が、的確の結界の起点を言い当てる。

「な、何ィィ!? ……あ!」

目を皿の様に丸くして絶叫を上げた小太郎の間隙を突いて、杖に跨ったネギが脇を擦り抜けた。

「魔法の射手・光の三矢!!」

少年の掌から撃ち出された三つの光弾が、のどかの言った鳥居に刻まれた不可視の印を射抜く。

「のどかさん!」

更に擦れ違い様にのどかを抱き抱えると、無限に続いていたほの暗いの道では無い、矩形の光に向けて突撃する。

『光って見えるのが空間の亀裂です、神楽坂さん!!』

「任せて!!」

ネギ達と同じく出口に向かっていたアスナが、光に向けてハマノツルギを袈裟懸けに振るった。
何かが割れる音と共に、ガラスの様に砕け散った光が風にさらわれて行く。

「脱出ーーーーーッ!!」

結界は消滅し、ネギ達は通常空間に躍り出た。


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