第五十三話




妖魔の爪を弾いて避けて、アスナは叫んだ。

「ネギの奴、間に合わなかったの!?」

その証拠に、見よ。
森を挟んで聳える、二面四臂の巨鬼の大威容。

その出現に、どんな経緯があったのかは知る由もない。
ただ一つ確かなのは―――自分達は、失敗してしまったということだった。

しかし。

「(―――まだ諦めるには早いわよ!)」

絶望に沈みそうになる心に、強く強く言い聞かせた。
諦めない限り、神楽坂アスナは膝を折らないのだ。

それに、希望はある。

ネギの援護に、爆と刹那が向かったことだ。
たしかに自分達は間に合わなかったが、だからといって手遅れだとは限らない。
あんなに強い二人なら、きっと何とかしてくれる。

「(まかせっきりなんて、ホントは嫌だけど……)」

木乃香は親友だ。
出来ることなら、この手で助けたい。
だが、それを許してくれる状況ではなかった。

「このぉ!」

横薙ぎに振るわれた『ハマノツルギ』が、牙を剥いて襲い掛かってきた鬼の側頭部を吹き飛ばした。

妖魔達は当初に比べると大分数を減らしているが、それでもかなり残っている。
その上アスナはまだ戦い慣れておらず、少しでも気を抜けばすぐにやられてしまう。

一撃必滅のアーティファクトはたしかに強力だが、この包囲網を突破するとなると………相当に難しい。

鬼退治に励むことになると前もって知っていれば剣道部にでも入部してたのに、とアスナは思った。
もちろん、そんな予言なんて邪馬台国の卑弥呼くらいにしかできないだろうが。

『おーい、姐さん!』

声がした。

それも、空気の振動により鼓膜に伝えられるものでは無く、直接頭の中から湧いてきたかの様な声だ。

そして、自分を姐さんなんて呼ぶのは―――

「……カモ?」

返事はしてみたものの、その相手が何処にもいない。
気でも狂ったのかと少々不安に思った時、再び頭の中に声が響いた。

『兄貴がピンチなんだ、力を貸してくれ!』

語りかけてくるのはやはりカモらしい。
まあ、今さら驚くことなど何も無いが、力を貸してくれとなると困る。

「そんなこと言われても……こいつら通してくんないの、よ!」

上段から振り下ろされた鬼の金棒を、地と水平にした『ハマノツルギ』で受け止める。
がら空きの腹に蹴りを入れ、怯んだ所を叩き飛ばした。

このとおり話している暇すら無いのに、どうやって助けに向かえというのか。

『それなら大丈夫だ! カードの、まだ使ってない機能がある』

「カード?」

今はハリセンと化しているが―――と、そんなことを考えていたアスナは、幻のようにその場から姿を消した。



      ◇◆◇◆◇◆



「自ら向かってきたということは、覚悟はある……ということだよね」

冷えた声が響いた。

声の主であるフェイトは、ゆっくりと跪くネギに向かって歩を進めてゆく。
嬲っているのでは無く、単純に脅威と認識していないのだろう。

事実、ネギは戦える状態では無かった。

魔力は底を突きかけ、不安定な肉体強化による肉体へのダメージは深刻だ。
意識を保っているだけで精一杯、指先一本動かしただけで、全身が罅割れているかのような激痛が走る。

無理を重ねた代償は、予想以上に重かった。

「体力も魔力も、もう限界だね。よく頑張ったよ」

フェイトの掌に、魔力の光が灯った。
止めの一撃が、来る。
その前に、ネギは懐に手を突っ込んだ。

「?」

何の真似だ、とフェイトの顔に疑問が浮かぶ。
取り出されたのは一枚のカード―――起死回生の切り札だ。

それを、ネギは天に掲げた。

「召喚!」

唱えた直後、光がネギの前方を疾駆した。
それは円を描き、線を刻み、祭壇の上に召喚術式を織り上げてゆく。
フェイトが阻止する間も無く、それは、魔法陣は完成した。

「ネギの従者・神楽坂明日菜!!」

感覚としては、自分と彼女を繋ぐ、見えない糸を手繰るように。
ネギは呼んだ。

魔法陣が更に輝きを増す。

先刻のリョウメンスクナほどでは無いが、光柱が生まれ―――その中に、神楽坂明日菜は召喚された。

否、それは降臨と呼ぶべきかも知れない。
立ち昇る光と相成って、ネギには彼女が神の使わした天使に見えた。

ふわりと地に降り立ったアスナは、眼前の巨鬼を見上げた。

「……どっから見てもデカイわねーコイツ」

蟻から見た象ってこんな感じかしら?
溜め息交じりに、アスナはそんな感想を漏らす。
それから、ネギの方に振り返って、

「アンタもずいぶんやられたわね、ネギ」

苦笑を一つ。

頬に小さな赤い線が走り、土埃に塗れた顔に浮かぶそれは、まるで此処が学園の中であるかの様で。

ネギは少しだけ、体が軽くなった気がした。

「―――小さき王・八つ足の蜥蜴・邪眼の主よ」

感情の無い、フェイトの声が割り込む。
はっとしたネギ達が振り向いた時、彼は詠唱をほぼ終えていた。

止めるには、もう遅すぎる。

「時を奪う、毒の息吹を」

ネギが最後の思いだと感じたのは、自分の身よりも、数秒の油断だけでこれまでの努力の全てが無駄になるなんて悔しい、という思いだった。

ネギは目を瞑った。

その瞬間、誰かが彼の体を抱き抱えた。


「石の息吹!!」


紡がれるのは、生きとし生ける物全てを石像に変える白煙。
破裂音と共に、祭壇の上が真っ白に塗り潰される。


―――ネギは目を開け、何の仔細無く目蓋が開いたことに驚いた。


「え……?」

辺りを見回してみると、自分が座り込んでいる場所が祭壇と陸地を繋ぐ大橋の上であることがわかった。

遠方に、白煙に覆われた祭壇が見える。
フェイトが追ってこないことを考えると、どうやら彼は自分で自分の視界を潰してしまったらしい。

その時、ネギの頭上から男性の声が降ってきた。

「危機一髪、というヤツだな」

声の主であるカウボーイハットの青年は、傲然と腕を組みやれやれと息を吐いた。
肩にはピンク色の球体。

「爆さん!」

どうやら魔法が発動する寸前、彼がテレポートで助け出してくれたらしい。
アスナも景色が一瞬にして変わった所為で目を回しているが、無事だ。

「二人とも、大丈夫ですか?」

爆の傍らに立つ刹那が声を掛けてくる。

「大丈夫です。まだ、戦えます!」

ネギは彼女に心配はさせまいと、残された気力を振り絞り、出来る限り力強く立ち上がって見せた。

だが、所詮それは虚勢だ。

十字架の前で神に懺悔をするように、ネギは膝を折り地に両手を着けた。

「ネギ!」

駆け寄って来たアスナの腕に抱き起こされる。

その時、眼鏡を外してもいないのにぼやけるネギの視界に、刹那の顔が映った。

彼女は、ネギには明言し難い表情をしていた。
胸を打たれるような悲壮と、激烈な決意が同居している。

刹那が口を開いた。

「お二人は逃げてください。お嬢様は、私が助け出します」

「えっ……」

助け出すといっても、千草と木乃香はあのビルより高いリョウメンスクナの肩の所にいる。
まさか攀じ登っていくつもりでは無いだろう。

「刹那。お前、まさか……アレをやるつもりなのか?」

険しい顔で爆が言った。

「アレ」というのが何かはネギにはわからなかったが、爆と刹那の表情から、それが重大な事だというのは理解できた。
刹那が首を縦に振る。

「これは、私がやらなければならないことですから」

彼女の決意は固かった。
爆も了解したらしく、刹那を真っ直ぐに見詰めたまま、口を噤む。
ネギには、それが決して目を反らすなと言っているように思えた。

「二人とも、何言って……」

アスナがそう言った、その時だった。

刹那の背中から、純白の翼が飛び出した。
散った羽が、しばし雪のように宙を舞い、落ちていった。



桜咲刹那は覚悟を決めなければならなかった。

呆然とするネギとアスナが我に返った時、自分にどんな言葉を浴びせるのだろうか? 

たとえそれが罵声だろうと、彼らを責めることはできない。
ここまで隠していたのも自分で、見せると決めたのも自分だからだ。

爆はひたすら沈黙を守っていた。
彼が受け入れてくれただけでも、刹那は幸せだった。

ただ、この後にやってくる決別を思うと、少し、寂しいが………


「なるほど、それならあそこまで飛べるわね!」


アスナの明るい声が耳朶を打った。

「え……?」

予想外の台詞に刹那は戸惑った。
ネギもアスナも、全く平然としていたのだ。
やせ我慢などではなく、本当に普通に。

それでも、刹那はまだ信じられず、

「不気味とは、思わないんですか? この姿が……」

「何で不気味なのよ? こんな綺麗なのに」

というか、とアスナはネギと顔を見合わせた。

「そもそも、ウチにはもういるじゃない。羽生えてんの」

どこかで、鳥人の剣士がくしゃみをした。

「あんまり舐めないでよね、刹那さん。それくらいで、私たちが嫌いになると思った?」

アスナは笑った。

刹那は、俯いた。
涙が零れそうだったから。

刹那は、自分を独りにしたこの白い翼が嫌いだった。

引き千切れてしまえば良いと思った。
両親さえ恨んだことさえあった。

ああ、でも。

刹那は思った。

生まれてきて良かった、と。


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