第二十五話〜幽態〜

第二十五話〜幽態〜

 白い花が一本。
 気付かれないように咲いている。
 綺麗なものは、綺麗なままでいればいい。

「起立」
 入り口から声。石膏のような白い顔。機能得限止。日直の指示で全員が起立し、一礼。
エヴァンジェリンも眠たい頭を揺すりながら一礼。着席、の合図で席に着き、一瞬意識が飛ぶ。
ガクン、と一度後ろの背もたれに背中が凭れ掛り、瞬時に目が覚め、身体がビクリ、と震える。最後尾だったのが幸いしたか。
誰にも見られなかったことを安心しつつ、授業道具を机の上へと取り揃えていく。
同時に、機能得限止による出席番号の確認が行われる。つい半刻前にあの子供担任が行ったばかりの行動と同じであり、しかし、名前で呼ぶ子供担任と比較して、機能得限止は出席番号で呼び、尚且つ一切の感情を含むような真似はしない。
欠席者に対して心配の言葉を吐く事もないし、気分が悪そうな人間などの判断も取らない。
居るのか居ないのか。それだけを出席番号によって確認するのみ。
それは、彼女が現Aクラスに在住して三年。旧Aクラスに在住して、機能得限止が生物教師として赴任してからの数年。誰であっても例外であった日はなかった。
エヴァンジェリンも同じ。出席番号で呼ばれた事しかない。出席番号二十六番と言う呼称。はい、とけだるそうに返答。
 彼女は、この出席番号で呼ばれる呼ばれ方が好きではなかった。実験動物になったかのような気分になるからだと言う。
だからと言って、気安く名前で呼ばれるのも気に食わない。気に食わないからと言って、反論できるような立場ではないのだが、それも癪なのだろう。
だが、彼女はどうしても出席番号で自分を呼称されるのは嫌だった。何度も提言しようとしたのは誰にも話していないが。しかし、恐らくは機能得限止は呼称を出席番号で呼ぶ事はやめないだろう。
エヴァンジェリンとて、彼と三年間一緒に居たわけではない。
居たといっても、一日一回学校の、それも授業で出会う程度。
だがそれで充分だ。一日一回出会うのであれば、一年で三百六十五日。ないしはプラス一日。マイナスで休日含むベータ。
しかし、軽く見積もっても一年で百回以上会う機会が用意されているのだ。嫌でもその考えと表情は脳裏に刻まれる。
 つまりはソレだ。彼女は自身が特別でありたかったのだ。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと言う少女の持つ理想の一つ。
人間の枠を超えて、吸血鬼と言う名の存在へと上り詰めた。望んでなったではないにせよ、彼女はそうである事を望む。
普通とは違うからこそ、皆が畏怖と羨望の眼差しで見てくる。
その視線を、エヴァンジェリンは好んだ。だが、それは誰もがそうだろう。
特別な存在になりたいと。特別に見られたいと。誰もが一度は願う、しかし、叶う筈もない妄言。
特別な存在などない。全ては平等であり、しかし、不平等と言う名の平等の天秤につらされて生きている。
 機能得限止から見ると、この世界は酷く不均等に見えているだろう。
生物的機能得限止の視線。何かを与えられるのも不平等。近年では生まれてくる事さえも不平等。生む方が生むべき命の生殺与奪を決める。唯一平等と言えば、死ぬ事程度だ。
 機能得限止は死が好きだった。
何時襲い掛かるか解らない大自然の獣のような存在。しかし、醜いものも、そうでないものも、万物を等しく包み込み、迎え入れてくれる。
聖母のようだ、と機能得限止は感じていた。
彼にとって、人が死ぬのも、何かが死ぬのも、自分が死ぬのも同じだ。
事故で死ぬのも。殺人で死ぬのも。寿命で死ぬのも。全て同じ死だ。
死んだ人間にとやかく言うことはないし、そも、死んだ人間は言う事が出来ない。それでいいのではないのかと言う程度だ。
 エヴァンジェリンを始め、Aクラス。あるいは他の、機能得限止が生物学を担当するクラスの人間はソレを知らない。知らない方が良い事でもある。
考え方は人それぞれであり、誰一人誰かの道理も理論も聞きたがってなどいない。自分の事を話してどうにかなる問題ではないのだから。

「出席三十一名。欠席一名。提出物なし。教科書の六十一頁を閲覧。今日の授業は遺伝子系についての考察を勉強する。ノートはとっておけ。テストに出ない可能性も無い」

 その言葉に三十一名の手つきが変わった。彼がテストに出る、と告げた時はそこがテスト範囲になるからだ。
彼が出すテストは常に一問のみ。一枚の用紙に、一問だけテスト問題が載っているのが、機能得限止のテストだ。
そうして、配点はその一問だけで五十点。彼のテストは、まず出席するだけで五十点が配点されるのだ。
遅刻で二十五点マイナス。つまり、彼の授業での成績は確実に五段階評価であれば"3"が貰え、遅刻してもテストにも答えられれば"4"ないしは、"5"が自動的に出るのだ。
 それを好むものは多い。何しろ一問であり、しかもそのテスト範囲はこうして告げてくれるのだ。充分にその範囲内を勉強しておけば、その一問を回答する事は決して難しくはない。
ただし、その一範囲さえ勉強するのを渋ってしまえば、結果としては出席成績しかつかないのだ。
機能得限止の授業で"3"が付く人間は少ない。大抵は、"5"。どれだけ他の教科の成績が悪くても、この生物学では高成績の者はさほど珍しくはないのだ。
 教科書の六十一頁を開いたエヴァンジェリンはやや目を細め、機能得限止には見えない角度で小さめの欠伸をした。
つまらない授業になりそうだ、と彼女は頭の中で思考する。
遺伝子系の授業は、どの生物学教師でも学んできた事だったからだ。
授業内容にさほどの変化はない。遺伝子と言う設計図の説明だ。エヴァンジェリンは十数年前からその授業を何度も受けている。
 だが、まぁあの機能得限止の授業ならば、とエヴァンジェリンは眠気を頭を振る事で覚まし、ペンを取った。
彼女の成績は良くはない。他の授業では。成績の良い授業と言えば、伊達に、少々特殊な生い立ちではあるが留学生であるが故の英語と、この生物学程度であった。

「先ず遺伝子系で学ばなければいけない事は"遺伝"そのものである。遺伝、とは何か。それから遺伝子系の授業は始めよう。
出席番号二十八番。遺伝、とは何か。教科書六十一頁に答えは載っている。答えろ」

 出席番号二十六番。村上夏実が緊張した面持ちで立ちあがる。
教科書を両手で前もちに構え、今時珍しい模範生徒のような出で立ちで答える。

「は、はいっ。えっと…遺伝とは、一般的に親の形質が子に伝えられる現象の事を言いますっ」
「結構。着席。二十六番の言うとおり、遺伝とは一般的に子々孫々までに伝達する形質の現象を指す。
厳密に言えば、親が子に遺伝物質…"遺伝子"が伝えられる現象であり、形質そのものが発言しなくても遺伝物質が伝達していれば、それは遺伝と言う。
遺伝は通常、生殖細胞によって執り行われ、生物全体、植物界、動物界の隔たりなく遺伝によって各種類ごと特定な形質を保っている。なお、この遺伝の法則を始めに発見したのがかのメンデルである。メンデルの法則、と言うヤツだ。
では続いてこのメンデルの法則と言うものを説明する」

 告げたところで、機能得限止は一度教室の外へと出、そうして再び入ってきた。
両手で何やら用紙が大量に入った箱。ビールケースのような、しかし、横長の箱。
試験管などが入っていそうなものではあるが、今回は試験管やビーカーなども一切入ってはおらず、大量の用紙だけが詰め込まれている。
そうして、それが、出席番号一番、相坂さよの机の上に無造作に叩きつけるかのように下ろされた。

『ひゃっ!?』

 相坂さよが竦みあがる。
無理もなかろう。三年間、一度として声も、言葉さえもかけてくれはしなかった教師の行為だ。
幾ら機能得限止にとっては欠席の座席でも、相坂さよは常に出席しているのだ。
だが。機能得限止は幽霊など見えない。そも信じてもいないかもしれない。
死人に口なし。
機能得限止は相坂さよが幽霊など知らない。見る事は出来ず、触れる事も、認識する事も出来ない。
当たり前だ。それが一般人だ。
普通に人間の対応はこうだ。相坂さよなど察知できなくても、何ら問題はない。機能得限止にとっては特にそうだ。彼から見て相坂さよなど、授業に出ない人間程度にしか認知されていない。
 隣の席の朝倉和美はやや顔を顰めた。が、どうにか言う事も出来ない。なまじ機能得限止と言う人柄を知っているのが恨めしかった。
機能得限止に相坂さよは幽霊であり、今席に座っているのだと進言しても、機能得限止には慈悲はない。だからどうしたで切り捨てられるだろう。
そう、機能得限止にとっては相坂さよと言う名の少女は認知できるか出来ないか。
極論、居ても居なくても関係ないのだ。それが機能得限止だ。
そのような人間であり、生物。故に朝倉和美は隣の席の相坂さよに何も言えず、何も出来なかった。
視線だけを申し訳なさそうに向け、儚げな相坂さよの笑顔を見つめる事しか。しかし、だとしてもと考える。
 相坂さよは友人なのだ。朝倉和美にとっては。唯一つの友人なのだ。それを、如何様にしてこのような対応に無言で居られるだろうか。

「き、キノウエ先生!!」

 意を決し、朝倉和美は叩きつけるかのように相坂さよの席に道具を置いた機能得限止を向こう見る。
無機質な眼差し。朝倉和美は思わず息を呑んだ。目の前にすると、その無機質さが一層際立って見えることに朝倉和美は畏怖する。
眼前の男。黒い髪はワイヤの様。白い肌は罅の入った石灰岩の様。それが、まさに眼前で朝倉和美本人の目を見ている。睨みつけるかのように。

「何様だ。出席番号三番。質問ならば挙手でも出来る筈だぞ。まぁいい。言え。質問許可」

 機能得限止の言う事は尤もであった。寧ろ、機能得限止は挙手による質問事項しか受け付けようとはしない、教師として。
だが今回、ならびに多くの場合。相手の態度によって受け付けるか否かの対応を変える。今回は前者。即ち受け入れを生じさせた。
 だが朝倉和美はどうしたものかと首を捻りそうになり、ソレを堪える。
後数秒しかない。機能得限止は数秒以内に言葉を返さなければ即座にその質問を切り捨てる。そう言う人物なのだ。
それを朝倉和美ならびにAクラスの人間は知っている。故に、朝倉和美は後数秒以内に、機能得限止と言う男に。その席には、ちゃんと生徒が居るのだと言う事を理解させなければいけなかった。

『あ、朝倉さん…』

 不安そうな相坂さよの眼差しに朝倉和美は再び意を決す。
唯一。他の誰にも居ないであろう、幽霊の友人。その机に物を置いてはならないと、朝倉和美は思い立つ。

「き、キノウエ先生は幽霊とかって信じますか?」

 その質問は、不躾と言う以上のソレを通り越えて特化した異質な問い掛けであった事を、一体どれほどの人間が思うだろう。
朝倉和美がそれを理解出来ぬはずは無い。筈は無いのだが、だが、機能得限止は大した気にも留める事は無い。
相手の意見を相手の意見で張る。それが、機能得限死と言う生物教師の思考回路の大半を占めているからだろう。
 機能得限止は物を叩き付けた机を見て、数秒思考。
時間にしては僅か二秒。目を再び朝倉和美に向け、無機質な目線を送る。

「質問に質問で返すとテストが零点になるのは知っているな。この場合、己もお前に問いたいのだが。ここで問うとソレが発生する。故に、まず質問の答えを返そう。
幽霊と言う存在が居ても居なくてもどうでもいい。己の目に見えず、己の感性が反応出来ないというのであれば居たとしても居ないのと同じだろう。
なお、物質概念で存在立証を考えるのであれば、幽霊と言う存在は生命体における"魂"あるいは"残留精神"の一種と思考できる。
これらの存在が物質的に存在していると考えるのならば、これらは極めて物体的な存在感が希薄な分子体、そうだな、言うなれば霧にも近いか。接触していても実感を憶えない希薄な分子集合。あるいは、目視する事も不可能な光学観点から見やって光屈折による透過率が極めて高いとされる分子の集合。
どちらにしてもコレを"霊子"と呼ぶ事としている。
即ち、幽霊、亡霊の類を物質存在的に想定するのならば、その存在は極めて物体的な質量を覚える事が難しい、霊子構築された希薄な存在であるといえる。
そんなところか。つまるところはそう言うことだが。質問を返すぞ出席番号三番。お前は、幽霊とか言うのが見えるのか」
「はい。信じてます。だって見えてますから。この席に、出席番号一番、相坂さよちゃんは居るんです」

 ごくりと息を飲み、予測どおりの機能得限止の質問に考える間もなく返答する。
躊躇いはない。見えているのだから、見えないと嘘を吐く事もなかった。
相坂さよはその姿に思わず涙を流しそうになる。
友と言ってくれた事よりも何よりも。一人として見てくれている、その意思に。長年見てくれなかった人が多かった中での、最高とも思える喜びだった。

「そうか。だが己には見えんな」

 機能得限止の発言に朝倉和美は息を呑む。ここからがある意味での本番でもあった。
機能得限止と言う男の説得。それはある意味、拳銃を持って立てこもっている犯罪者の説得の数百倍は難しい。機能得限止の感性とは、それほど理解しがたいものなのだ。

「さて。朝倉和美。お前は隣の席に生徒が見えるという。しかし己には隣の席はどう見ても空席だと見える。この違いは何処から来るのか。先ずソレの思考から入る。
思考としての結論は、お前に見えるものがあり、己には見えないモノがある。そう言うことだ。
それ以上も以下もない。お前には見えて、己には見えない。さて、それがどういう意味か解るか。
お前の感性はどうでもいい。お前がこの隣の席に居る出席番号一番が見えていようが居まいが、見えていない人間にそれを言ったところでどうにかなるものではない。
いいか。他人の感性は他人だけのものだ。万人には当て嵌まらない。自分の主張など、他人から見れば蚊の屍骸ほどの価値もない。それを自覚しろ。
同様に。自分が出席番号一番が見えていないなどと言う主張は見えているであろうお前にとってはどうでもいいことだ。即座に忘れろ。お前には居ると認識している。己には居ないとしか認識できない。そう言うことだ。
お前が見ているならいいではないか。己が、その主張に付き合ってやる義理は皆無だ。
お前にとっては出席。己にとっては欠席。それでいい。
居ようが居まいが。認識できないのであれば、それは己にとって居ないのと同じだ。
己の質問に本人の口から答えが返ってくるわけでもあるまい。同様に、出席番号一番と呼んでも返事がない以上、それは欠席だ。己にとってはな。それを忘れるな。
己は教師だ。いないのであれば、欠席としか判断できない。お前の感性一つで、見えもしない存在に気を払ってやる必要性はない。
そういうことだ。死人に語る口否。生人に死者語る意味否。以上だ席に着け」

 それは正論なのかどうかの判断も難しいものだった。
ただ、ある意味では正しいのだろう。感知できず、しかも干渉がないというのであればそれは居ないと同じだ。それは間違えがない。
ただ機能得限止にとっては相坂さよの存在など、所詮その程度の興味外の範疇の存在であり。
朝倉和美にとっては相坂さよの存在とは、無視の出来ない唯一無二の存在なのだ。
つまりはそう言うことであり。機能得限止にとって、相坂さよはどうあっても欠席の人間であるという事であった。
 残念そうに席に着く朝倉和美を相坂さよは少し悲しげに見つめながら、機能得限止を見た。
相坂さよの存在を無碍にした存在とは思えないほどに存在感に溢れ、しかし、影のように暗く重い。
そんな印象を三年前から変わらず、相坂さよは何時ものように見上げていた。

「では今からメンデルの法則の参考資料を配る。幾つか課程問題も加えられているので理解出来たところから解いていけ。列ごとに配っていく。出席番号三番」
「は、はい」

 今しがた語っていた朝倉和美に声がかけられ、何故か用紙が二枚、その手へと渡された。

「出席番号一番の分だ。渡しておけ。それとノートも見せておいてやれ。
尤も、三年間欠席まがいをするような人間だ。今更どうにもならんが、一度くらいは顔を出すように言え。以上。着席」

 それだけ告げて機能得限止は列ごとに用紙を配りだす。
教室は静か。
朝倉和美と相坂さよは一度だけ顔を見合わせる。時折機能得限止は余計に優しいようでそうではない。
職務に忠実、と言うのか。生徒同士のことはひたすら生徒同士で解決させる。
行動しない者に意味はない。彼の持論だが正しい。行動から物事は始まるのだから。
呆気としている朝倉和美と、その横、見えぬ相坂さよは無視して機能得限止は用紙を配る。
窓際は二列目、村上夏実、長瀬楓から。真中、雪広あやか、椎名桜子。廊下側、鳴滝史伽、佐々木まき絵へ。最後尾のエヴァンジェリンまで用紙が行き届いたところで、授業再開。

「用紙の一頁目を開いて見ろ。見たな。メンデルの法則。別名、メンデリズム。
ただしこのメンデリズムの呼び方は"メンデルの法則"を用いて遺伝子現象を解決しようとする一派もこう言われている。覚えておくのならば正式名称のほうで覚えろ。名称は長い方が覚えるに値する。
 メンデルの法則は1,865年、メンデルのエンドウに関する論文"植物雑種に関する研究"がドイツのコレンス、オーストリアのチエルマク、オランダのド=フリークスによって1,900年再発見された事で後世の学者がこの中から用紙以下のような法則を取り上げてメンデルの法則、または遺伝の法則と呼んだ。法則は。
 一つ、優性の法則。雑種第一代(F1型)において両親の形質中、優性の形質が現れ劣性の形質は現れない。
 二つ、分離の法則。雑種第二代(F2型)において雑種第一代で現れなかった劣性の形質が分離して現われ、優性3:劣性1の比で分離する。
 三つ、独立の法則。二対の対立形質の遺伝は各対がまったく無関係に独立して遺伝する。そして。
 四つ、純粋の法則。対立形質のそれぞれが優劣を現す形質は、F1型のヘテロの状態にあっても変化しないでF2型で分離して現れる。これは分離の法則にも当て嵌める事が出来る。
 これは他の生物学者によっても異なるが、この中で覚えておくべきは二つ。
優性と分離であり、独立と純粋の法則は一先ず良い。
教授が欲しければ個人的に来ること。では続けて用紙二頁目を閲覧。優性と劣性に付いて説明を行う。
 優性と言うのは対立形質…対になった形質。
ある形質に対して正常型、あるいは野生型、とそれに対応する突然変異型がある場合、これらを対立形質と呼ぶと覚えておけ。
簡潔に言えば、花の色の違い。丈の長さの違い。これらが対立形質だ。
その対立形質を持つ両親の交配において雑種第一代に現れる地方に対して優性と言う。
また、その形質を優性形質、遺伝子を優性遺伝子と言う。
この優劣関係は多くの生き物に見られる形質であり、時に中間的優性、不完全優性と呼ばれるものも発生する。
優性はその個体に応じて現れる程度が違い、その程度に応じて完全優性、不完全優性、不規則優性などと呼ばれている。
簡単に言うとだ、例として三色を思い浮かべろ。好きな三色で良い。一番好きな色が優性。一番好きな色と二番目に好みの色が混ざったのが不完全優性、と言うわけだ。
 では劣性とは何か―――を説明する前に、少し話しでもするか」

 エヴァンジェリンを始め、多くの生徒の顔つきが若干変わる。
機能得限止のお得意の時間。と、多くの生徒からは言われている。
機能得限止はこうして時折授業の進行を自ら切って話を行う事がある。
中々定評は良く、しかし、ある面からでは酷く不評な話でもある。機能得限止と言う生物教師の視野。その領域が垣間見れる一瞬でもあった。
 エヴァンジェリンと絡繰茶々丸は、以外にも前者だ。
機能得限止、と言う男の話に興味を持っている。なまじ人との関わりの少ない二人だからか。
否、エヴァンジェリンはともかくとし、絡繰茶々丸は人並みの交友関係はある。
いわば両者がこの話題に興味を持つ理由は、エヴァンジェリンは"人間的"とは思えないような、吸血鬼から見て限りなく脆弱な"人間"とは思えないその考え方に興味を懐き。
方や絡繰茶々丸は、人間ではないが故"生物的"な、限りなく"生物的"なその思考回路に興味を懐いた、と言えるだろう。
 勿論二人だけではない。機能得限止は授業中、生物である前に人間であり教師である事を是とする。
特に副担任と言う立場を自覚して話を行うのだ。
彼は他者に対しての慈悲を持つような人間ではない。そのような人間ではあるが、その前に教師としてを優先する。教師。教えを説く師。その役割を。

「お前たちの中には――今現在学校で受けている授業は、将来何の役にも経たないと思っている連中が多いだろう。
それは間違えではない。事実、今己がやっている授業も、将来生物学者になろうと思う人間以外では余計な知識だ。生き物、生きていくのであれば本来知識は必要ない。
だが、人間としてならばそうも行かない。人間として生きていくには知識が必要だ。
人間は酷く脆弱だ。アフリカを知っているな。あのアフリカに何も持たない人間が一ヶ月間生活できると思うか。
思うまい。恐らく、どれだけ武芸百般の人間でも、一ヶ月間何も持たずにアフリカで生活する事は出来ない。
肉食動物に食われるか。飢え渇きで死ぬか。あるいは病原菌にやられるだろう。
人間は酷く脆弱な生き物だ。身体能力をどれだけ向上させようと、豹より速くは走れない。
どれだけ腕力を向上させようが、獅子には勝てない。
どれだけ上手く泳げても、海豚、あるいは鯱より早くは泳げない。
この通り、人間の身体能力の全ては"他生物"に勝てるものではなく"他者"と言う名の"人間"の勝利するためだけの"機能"に過ぎない。
人間では他の生命体を凌駕するような身体能力は持ち合わせては居ない。それは、何もなければ、だ。身体的にも、物理的にも、精神的にも」

 エヴァンジェリンを始め、クラス内の戦闘要員数名は共感じみたものと、反感じみたものを抱く。
機能得限止は知らないがAクラスの中の生徒数名は自然界生物を凌駕する身体能力を保有している。
疾走は豹を越え、跳躍は月の兎であっても突き放してしまうだろう。
 だが、と数名は思考する。それらで自然生物に勝てるのか、と言われれば首を振るだろう。
無論、素手でも自然界生物を凌駕する事は出来る。だが、それらは、所詮は魔力や気の強化を受けてなのだ。
技術もある。もし、万が一それらの恩恵がない以上、彼女らが持ちうるのは人並みから少し上程度の身体能力と、長年で培ってきた戦闘での勘に頼るしかない。
だが、その勘とて自然界の生物から比べればお遊戯だ。
自然界生物には何も無い。生まれながらの勘と、牙と爪と角。
自身を鍛えているような余裕などなく、生まれた瞬間から死地へ放り出される。それが自然界の生物なのだ。
自然界の生物にあり、人間にないもの。それは、生まれた瞬間からの生存へ対しての意欲に他ならない。
そもアフリカで一ヶ月間生活できるのかと問われれば、戦闘要員生徒は勿論、エヴァンジェリンでさえも無理と言うだろう。
自然の国。夜眠る時は家等なく、布団もない。そんな中で眠れば、いつ寝首をかかれるか解ったものではない。
何を食べればいいのかも解らない。獅子や豹の様に獲物を狩って喰らえば良い、と言うわけにもいかない。
人間の免疫能力は自然界の動物ほど優れてはいないのだ。生肉を食べれば、幾ら強くても内ではそうはいかない。
機能得限止で言えば、免疫細胞までは自分の意思でもどうにも出来ない、と言ったところか。
エヴァンジェリンで良いところへ行く程度。他の戦闘要因生徒では、一週間持たないと断言しても良い。
絡繰茶々丸とて同じ事。彼女はロボット、ガイノイドである。メンテナンスを受けねば、電力の供給を受けねば、所詮はガラクタと成り果てる。だからこそ。

「だからこそ、人間は知識を学ぶものだ。
学習、と言うのは全ての生き物が学ぶ事ではあるが、人間は特にソレに特化した生き物だ。学んだ事を昇華し、さらに上を目指す事が出来る。
技術や、技能も、元は知識だ。ソレを実践したのが体躯であり、脳内で保管しなかったからこそ技術となる。
知識は蓄え、解き放つ事で始めて意味を成す。それがどんな知識であれ、だ。
そうとも、どんな知識にも意味はある。意味のない知識など存在しない。人間として生きていくのであれば、知識は必要だ。
 いいか、断言してやろう。現行においてお前らに存在価値はない。蚊の屍骸程の価値すらない。
まだ死んで、土の肥やしになる蚊の屍骸の方が、現状のお前らより価値がある。
自分の考え。自分の思考。自分の理想など掲げても意味は無い。
人間全体から見れば、お前らなど居ても居なくても同じような存在だ。どれだけ自分の価値観を語ろうが、世界も。人間全体も。お前らになど目も向かない。それがどうした、だ。お前らの考えなど誰が知りたがる。
沈黙は美徳。自分の考えを露呈して自分の存在を証明したところで、五秒で忘れられる存在程度だ。
もう一度だけ言うが、お前らに存在価値は"現状では"存在しない。
黙って大人の言い分。他者の言い分に耳を傾けている程度で居ろ」

 クラスにどよめきは起こらなかったが、生徒の九割は反感を持った。
存在価値がないと断言されたのだ。しかも、蚊の屍骸ほどの価値もない。生きていてもいなくても、なんら影響のない存在。存在してもいなくても、どうでも良いような生物。
綾瀬夕映始め、長谷川千雨などは、それが教師の発言かとも疑いたくなった。
 一人ぐらいは激昂してもおかしくない発言には違いなかったが、Aクラスの人間の大半は黙りこけたままだった。
機能得限止と言う人物は反論を聞かない。自分の発言が終了した後のみでソレを受け付ける。そして、大抵は彼の発言が終了する事には思っていた反感は消えてしまうのだ。
 ただ一人、エヴァンジェリンのみは機能得限止の発言を、ほう、と感嘆したかのような韻を発声した。
存在価値がないとは言いえて妙だが当たってる。
自分は兎も角、Aクラス内の人間の半分以上は自分の半分も生きてはいない、学生と言う名の駕籠に取り囲まれた飼い鳥だ。
訴えれば大抵の物は与えられるし、その容姿ならば、甘えれば大抵の人間は心を許す。
社会の厳しさも知らなければ、現実の厳しさも、戦場の恐ろしさも知らない口先上戸の子供どもだ。
エヴァンジェリンは基本的にそう考えている。
長生きと言う名の達観か。それとも、吸血鬼と言う生物的な差異から来る齟齬か。それは解らない。解らないが、機能得限止の発言も、あながちでは間違えていないと結論する。

「では何故今のお前らに存在価値はないのか。それを思考することが重要だ。
今のお前らは何もない。ただ生きているだけの生物だ。否、正確には生かされているか。
充分な知識も持っていなければ、現実の社会の情勢も知らない。世界がどのように回り。どのように自分が終わっていくのかも判断できていない。
今死ねば、お前らは来年の今頃には学園の人間から。明日の今頃にはニュースで速報されても三秒で忘れられる。そうならない為には如何するべきなのか。
而して、それらを判断できるようになれば存在価値があるのかと言えば、それも違う。教師として言うのであれば、お前たちは"何かを残せる人間"のなれ。
 『モナ・リザ』の作者、レオナルド・ダ・ヴィンチや電灯を発明したトーマス・エジソンなどは知っているな。
彼らは彼らの作品などを例に挙げるだけで名前が出てくる。
モナリザの作者は誰か?
 電灯を開発したのは誰か? 
相対性理論を発表したのは誰か? 
それだけで名前が真っ先に浮かんでくる。これは彼らが生存している間、全ての人の記憶にとどめられるような功績を"残したから"に他ならない。
では何故残せたのか。それは知識を技術へ変えたからだ。形あるものないものに関わらず、彼らの功績は今もこうして残っている。
 彼らだけではない。多くの人間は証を"残す"べく生きていると言えよう。
自分がこの世に居た証だ。それが人間の本質だ。居た証。この世に存在していたと言う軌跡。それが人が残すべきものだ。
だが今のお前らにはソレがない。知識も少なく、ろくな技術も持っていない。このまま死ねば、先も言ったとおり一ヶ月もしないうちに多くの人間から忘れ去られるだけのモノになるだろう。
 だが、それはダメだ。お前たちは何かを"残す"人間でなければいけない。
何でもいい。その何かを体現するに必要なものは、やはり知識だ。
知識を技術にするもよし、得た知識から新しい考えを生むもよし。好きなように好きな考えを提示しろ。
だが、お前たちの未来はまだ幾分も先が長い。
短い人生とは言うも、実際に歩き続けると意外と長い。この長い道のりを淘汰するまでの間にどれだけの功績を残せるのか。
別にお前ら全員にさっき挙げたような歴史的な偉人の様な存在になれ、とは言わない。
ただ、少なくとも自分以外の人間一人にでも覚えていてもらえるような生き方と、記憶されるような何かを残せと言うのが己の願いだ。
未来は長い。何処でどう分岐しているのかなど誰にも判断できん。その判断も付かない一生の道のりで、一体何が役に立ち、一体何が役に立たないかなど定義している余裕はない。
得られるものは全て身に着けておけ。役に立つか立たないかは未来に進むうちに解ってくる。
だがせめて今は脳内にとどめておけ。何時分岐が発生するのかなど、誰にも判断できん。判断できないと言うのであれば、今からでも知識を蓄えておく程度はしておけ、と言う事だ。
役に立たないものも、それなりに役に立つ日は明日にも明後日にも用意されている。それを使いこなせるかどうかはお前ら次第。
未来に思いを馳せるもよいが、未来に向けての準備は過剰でも損はない。
それらの事柄から考えれば、お前らの考えなどどうでも良い。発言しない方がまだこの世の為になる。自分勝手な自分の考えなど露呈する必要性が何処にある。満足するのは自分だけで。他の人間や、世界規模で見れば"だからどうした。それが何か意味が在るか"程度だ。
石と同じだ。お前らは小石だ。否、自分を含めて人間と呼ばれる、生き物と呼ばれる総体は生まれた瞬間から坂を転げ落ちていく小石のようなものだ。
時間の流れは止められない。何時か死ぬ終着点に向かって転がり続ける。
それは誰にも止められない。誰にもだ。自分の意思ではどうにも出来ない。ただ時間の流れに任せるまま転がり続けていくのみ。
だが、ただ転がっていくだけの坂かと言えばそうではない。坂の途中には幾つもの起伏がある。巨大な岩もあるだろう。
いいか、お前達が学んでいくものは加速と思え。小石が転がっていくための加速だ。
小石が転がっていく経過を時間の進みと言うのならば、学んだ知識を以って経過を過ごして行き、加速を得る。
生存過程において学習などさほども意味はない。余計な時間を過ごしているだけかもしれん。生物ならな。
だが人間ではそうもいかん。人間の壁は人間の知識で越えねばいかん。
つまりは、加速と言う学習を以ってして、いずれは進路上に現れる岩…人間的な問題にどう対処するのかが重要だ。
充分な加速を以ってすれば、岩も砕けるだろう。小石は若干削れるかもしれんが、最後には消えてなくなるのだ。
岩と言う名の問題に、充分な加速と言う名の学習を得ずにぶつかってしまえば弾かれるのが関の山。つまりはそう言うことだ。岩に弾かれるより、岩を砕ける方がよいだろう。
少なくてもお前らは己よりは長生きする。その長生きの間で残せるものは多いほうが良かろう。
今死ねば存在価値のないただの忘れ去られるだけのモノに過ぎないが、将来はそうなるな。
お前らは蚊の屍骸ではない。蚊は何も残せないが、お前らには何かを残せる可能性が眠っている事を忘れるな。
今のお前らに存在価値は無い。しかし、何時かのお前たちには存在価値を問う事も出来ぬほどの可能性が詰まっている。
今の存在価値が無い事を認め、未来に存在価値を問える人間になるように。
今の青春、生活を重視するのも良いが、各々未来に在って、いつかは何かをしなければいけないと考える日は必ず来る。
人と言う未知は即ち、転がる小石の軌跡。小石として転がってきた道筋を残せ。何かしらは残せるようにはなれ。そう言うことだ。以上。授業再開」

 話が切れたところで、Aクラスで数人が息を大きくする声が響いた。
だが、それ以上はない。反論はない。異論もない。
つまりは教師的な忠告。将来何が役に立つのかなど解らないから、今からでも学べる事は学んでおくが良い。何も残さずに死ぬのは許さない、と言う警告。
少々非人道的な言い方ではあったが、生徒らはそう結論した。
 だから反論が出来ない。
今現在の彼女らには存在価値はないと言われても、今から準備を怠らず、未来に向けて準備を十分にして、将来何かを残せるような、そんな人間になるようにはしろと言う忠告。
教師なりとしての導きであったのだろうか。
 エヴァンジェリンは口端だけで笑みを作った。
成る程解っているようだ、と言う笑み。
居た証を残す、と言うのは言いえて妙だが間違えではない。人間誰しも、心に残るようなものを残せるか否かで後世まで語られるかどうかの程度が決まる。
つまりは、そう言うことなのだな、とエヴァンジェリンは結論し、再びノートにペンを滑らせた。悪くない話を聞いたと思いつつ。

「授業は劣性の説明からだったな。劣性は優性の対語であり、別名潜在性とも………」

 エヴァンジェリンは時計を見上げる。
まだ授業開始から三十分もたっていない。後暫くつまらない授業を受けなければいけないが、あんな話を聞いてしまった後だ。眠りこけるのもバツが悪い。
 そう考えつつ、正面を向く。寸分違わず、全員が正面を向いていた。
 

第二十四話 / 第二十六話


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