第三十九話〜棺眠〜


 少女が見たのは迫ってくる仲間だと思っていた同じ少女。
 最早年齢的には少女ではなく、大人と少女の境に居る存在だ。
 だが、二人は魔法少女だった。魔法を使わない魔法少女。それが何を意味していたのかを、二人はずっと前から知っている。
 魔法使わずしての魔法少女。その名の由来は二人が持つ異常な性質を持った二種の武装にあった。
 突貫楯ホライゾンと伐採鎌ヴァーティカル。地平線と垂直線を意味する名を冠した二種の兵装。
 その異常な性質とは、まさに規定外の性質。
 尤も初めの魔法少女が生まれたときから見ればまさしく“魔法”の様な技術の結晶体であったという。
 それ故の魔法少女であった。“魔法”じみた性質を冠した理解不可能な二種。
 それを扱え切れるのはあくまでも少女まで。故に魔法少女。突貫魔法少女と伐採魔法少女。二人の誕生であった―――

 鎌が落ちる。飛んでくる間に空中で回転を決めながら突っ込んできた一撃。
 壮絶な勢いを以って叩き落される一撃を、嶺峰湖華は楯で弾かず、身を捻って回避する。
 と同時に跳んだ。動きを止めてはいけない。少女の感じた実感を、少女は自ら信じた。
 階段が左右に二分される。伐採鎌。チェーンソー状の刃を持った巨大な大鎌。
 総重量では扱っている本人以上の重量であると言うのに、扱っている魔法少女はそれを片手で振り回すことが可能であったと言う。
 その理由は誰一人にも解らない。ただ、この条件は突貫魔法少女である嶺峰湖華にも該当した。
 彼女もまた、片手で巨大なまでの突貫楯ホライゾンを扱いきれるからである。
 その大鎌と巨大楯の内の攻撃に特化した大鎌が、階段の直情から根元までを切り裂く。
 振り切り下ろした魔法少女と、回避の為に跳躍した魔法少女に視線が交わる。
 悲しげな突貫魔法少女と、冷笑の伐採魔法少女。
 鎌持ちの魔法少女は片割れを追う様に跳躍する。やはり規定外の跳躍力。
 ソレを以って振り下ろされた鎌の一撃を、突貫魔法少女は始めて、突貫楯で防ぎきった。

 だが、その防御も僅か一瞬。次に瞬間には嶺峰湖華は世界樹広場。
 銀色の雪降り注ぐ広場まで弾き飛ばされる。
 まるで引き戻すように。突貫魔法少女は、コンクリート所為の地面を生身で抉るほどの勢いで弾き飛ばされた。
 空中で伐採魔法少女の身体が捻られていく。ジャイアントスイング。プロレスの技に在るその動きと酷似した動き。
 ソレを以って、掌引心香鶺鴒は鎌を打ちはなった。投げ放ったのだ、かの大鎌を。
 空中で回転させた伐採鎌を、事もあろうか嶺峰湖華のほうへ向けて投げ放ったと言うのだ。
 その勢い。どれ程のものなのかなど、想像だにも付かない―――

 砂煙上がる中、嶺峰湖華は頬を何かが掠めたのを感じるより先に、目前を注目した。
 彼女は伊達に数年間今襲い掛かってきた鎌使いと共に居た訳ではない。
 彼女の性質は、自慢ではないがある程度までは自覚していた。
 故に悟ったのだ。頬を掠めたのはあの大鎌であり、しかし、彼女は間違えなく真正面から攻め込んでくると。
 楯を構える。同時に、花が開くように八つの角が八方向へ向けて一斉に開いた。
 突貫楯の防御形態。嶺峰湖華の身長を大きく上回る大きさとなったその八房の突貫楯。
 その角と角の間より、嶺峰湖華は正面だけを見据えていた。

 音。彼女の耳に、アーニャ=トランシルヴァニアの耳に、そして、そうしたであろう伐採魔法少女の耳にもその音は聞こえていた。
 風切音。ひゅんひゅんという音は、風力発電の風車が高速で廻っているようにも聞こえる風切音でもあった。
 そして、その音は。嶺峰湖華の背後から聞こえている。聞こえているというのに、それでも嶺峰湖華は背後に気配は配らなかった。
 土煙が縦に裂ける。避けた先から振り下ろされた一撃は、かの伐採鎌。
 それはおかしいのではないのか。伐採鎌は投擲されて彼女の背後から迫っている筈だ。
 だと言うのに振り下ろされ土煙を割いてきたのは、紛れも無く伐採鎌。しかし、正しくは伐採鎌の『柄』の部分のみ。

 楯と鎌の柄がかち合う。冷笑の掌引心香鶺鴒と悲壮の嶺峰湖華の視線が交わる。
 左舷方向から叩き落される伐採鎌の柄を、楯を僅かに動かすだけで八方向に伸びた角で払う。
 ソレの繰り返し。掌引心香鶺鴒が跳躍状態から飛び掛り、地面に接するその瞬間まであらゆる角度から打ち込まれてくる。
 それを払う嶺峰湖華も相当のものだが。けれども。そう嶺峰湖華は考える。
 それは鎌使いでありながら鎌でないものを振るっていた魔法少女が脚を地面に接した時に起きた。

 眼前の鎌使いの身体が捻られる。柄だけで反転し。その勢いで打ち込む一撃であろう。
 嶺峰湖華はソレに反応する。だが今度の防御は八方向へ伸びた角を僅かに動かすものではない。突貫楯そのものを鎌の打ち抜かれる方向へと傾ける。
 彼女の判断は正しかった。眼前で身を翻した伐採魔法少女の両肩にあるブースタが勢い良く爆ぜる。
 その推進力はそのまま彼女の肉体へ乗る。ジェットによる推進力そのものを活用した肉体の反転。
 その鎌の柄の先端に。嶺峰湖華の背後から飛んできた、伐採鎌の『刃』の部位が『装着』された。
 そう。先ほど彼女がはじき出したのは伐採鎌そのものではない。あくまでも鎌の『刃』の部位のみであった。

 鎌が打ち込まれる。通常の楯ならば、恐らく伝説級の楯であってもこの一撃は防ぎきれまい。
 それ程の勢い。ましてやチェーンソーの様に回転する単一性元素肥大式で構築された刃での一撃である。
 最早人間の規定から外れた武装での一撃。それを如何に伝説とは言えど、人間程度の思考で思いつく程度の『伝説』では防ぎきる事など出来るべくもなかったが―――
 防御に廻るその一種。巨大なまでの楯もまた、伝説級の一撃でも砕けぬ楯であった。
 即ち矛盾が成立する。最断の鎌と最鋼の楯。それの打ち合いではあるが。しかし、この場において最断の鎌は最鋼の楯を切り砕くまでは―――至らなかった。
 至らなかったが、それは斬戟のみである。その勢いが生み出す真空波。そして衝撃波までは楯は防げない。楯が防ぐ事が出来るのはあくまでも実体。
 非実体を防ぐには、かの結界展開が不可欠であったが、今現在嶺峰湖華はそれを実践してはいなかった。
 故に貫通した衝撃波はそのまま嶺峰湖華を遠方へ弾き飛ばす。ちょうど、アーニャ=トランシルヴァニアの足元まで。


 足元からすごい砂煙が上がる。その後倒れそうな衝撃。
 実際腰を抜かしてしまったように倒れてしまったんだけど、足元にあったソレを目認してコケてなんていられないと咄嗟に立ち上がって。
 その上体を下ろす。見た目より、ずっとずっと軽い魔法少女の体。
 ずっとずっと細い腕に。ずっとずっと柔らかい体。これで彼女は戦ってきた。今日の今日まで。私が来る前も来た後も。
 風が揺れる。大気を揺るがすほどだとも言うの。
 『敵』は。あの大鎌構えて大風起こして。大きな態度をとる事の無い、小さな一人の人間なのに。
 その力は、吸血鬼なんてものを遥かに凌駕してしまっているとでも言うの―――

 奔った。影が奔ったようにしか見えない。
 元々戦闘要員じゃない私に高速で移動する相手の速度なんて解らない。
 だから高速と表現している。そもそもそう言うもの。
 戦闘要員じゃないなら自分以上に速く動ける対象は何であっても如何様にあってもそれは『高速』でしかない。それ以上もないし。それ以下でもない。
 鎌を構えて飛び掛ってくる。嶺峰湖華さんは体を完全に起こしきっていない。
 このままじゃ、二人とも死んじゃう。殺される。殺されないかもしれない。でも腕の一二本は叩き落とされる。
 あの目を見てそう感じる。冷笑の眼差し。笑ってないけど、笑ってる。
 優雅な笑顔。華の様に優雅な顔で笑いながら笑わないで、その大鎌を私たち二人目掛けて打ち込んできた処―――

 寸でで、鎌が止まった。止めたわけじゃない。
 相手は振り切るつもりだった。見れば解る。『敵』は鎌の上に乗っかってる。両足で鎌の柄の上に立って居るの。全体重をかけて叩き落される筈だった鎌は、私の 鼻先一寸手前で、無数の光沢を放つ透明の物体ならぬ物体で押しとどめられている。
 ゴムに切り込んで、その反動で戻される間際のようにも見える。
 そして、それ通りになった。鎌が弾かれる。無数の半透明のソレのお陰で、鎌が大きく弾かれ、敵の姿も大きく遠ざかった。
 ぱしゃん、と鎌を押しとどめたソレが落下していく。
 水。それで理解した。コレはレッケルがやったんだ。
 レッケルが私たちを助けてくれた。そうでなくっちゃ、私も嶺峰さんも生き残れていない。
 今の一撃で、私と嶺峰さんの運命は定まっていた。
 立ち上がる嶺峰さんが、一度だけ私のほうを向いて微笑む。
 あの笑顔。変わらない笑顔。深紅の瞳を細めて、僅かに口元を開いて笑む。
 それを送り、ボロボロの魔法少女服のスカートを千切って、動き易いように大腿の付け根が見えるぐらいまで引き千切る。
 構えた突貫楯はまるで大槍の様。一寸違わず『敵』を向く。

 私には何も言えない。何も手伝えない。
 魔法の射手を使って誰かを傷つけるような真似は出来ない。
 魔法は誰かを傷つける為にあるんじゃないから。それをずっと信じ続けているから。でも、このまま黙ってみている事も。
 だから彼女の背後から頭の上にちょこんと何かを置く。
 そっと。コレしか出来ないけれど、頑張ってもらえるように。みゅーっと鳴くソレ。
 レッケルなら嶺峰さんを守ってくれる。水膜結界も使えるし、何しろ水性精霊の上位に属する精霊だもの。体内の水分調節で怪我の治癒にも手を貸してくれたりする。

 ふりかえった嶺峰さんにコクリと頷きだけで返す。
 大丈夫。だいじょうぶ。きっとダイジョウブ。
 鶺鴒さんも何かの間違え。嶺峰さんとちょっと遊んでいるだけ。
 レッケルも居るし、私だって居る。三人なら、何だって出来るもの。
 大丈夫だから。絶対大丈夫。そう信じている。信じているけど。どうしてか。

 厭な予感が、ずっと消えない。

 その予感が確信になる前に両者は動き出す。
 一度一束に戻った突貫楯をもう一度八方向へ展開し、防御体勢をとる嶺峰さん。
 鎌を数回目の前で回転させて冷笑を浮かべる鶺鴒さん。
 見つめあう視線。それが火花の様に見えることはなかったけれど。二人は駆け出して、広場の中心でお互いに打ち合う。
 正しくは、鶺鴒さんが打ち込んでくる一撃を、嶺峰さんが受け流していくと言うだけ。
 チェーンソーの様に回転する刃を絶妙の払いで打ち払っていく嶺峰さん。
 戦いを知らない私でも解る。二人の動きがどれだけ実践で鍛えられてきたものなのか。
 練習とかじゃなくて、初めっから実践だったんだ。
 あの動き。例えば、体を捻り、半回転して鎌を振るい、その回転速度を二回転目で更に高めて下段を払う一撃とか。
 そのニ連撃をあるいは上段で払い、あるいは、両足を軽くぴょんと跳ぶだけで回避する動きとか。
 全てが練習では身に付かない本能的な肉体の記憶が覚えている経験値。
 長年の間で身につけてきた純粋な経験に過ぎなかった。
 実践戦場。私じゃあ、普通に生きている人間では想像だにも出来ないような動きの連続。それが、今まさに目前で繰り広げられている。

 鎌が振り下ろされる。八方向に広がった突貫楯の角の間を通すかのように振り下ろされた一撃は嶺峰の頭上を狙う。
 それで解った。殺す気であると。本気だって言う事にやっと気づいてしまった。
 さっきまでの冷笑は違うんだ。鶺鴒さんは本気なんだ。あの鎌で、本気で私たちを殺しても構わない。そんな事を。本気で考えている。
 振り下ろされた大鎌。確実に頭蓋を砕いて体を両断させるには充分すぎる一撃。
 それはけれども届きはしない。頭上でレッケルが水膜結界を展開したから、きっと大丈夫。大丈夫だって、そう思っていたのに。

 急に視界が遅くなった気がした。どうしてだろうって考えているような暇は無かった。
 鶺鴒さんの身体が流れる。振り下ろした鎌は水膜結界で弾かれた。
 それは大丈夫。大丈夫だって言うのに、水膜によって弾かれた大鎌を機転にするかのように、鶺鴒さんの身体が流れた。
 鎌の逆位置。鎌の柄(つか)で、突貫楯が頭上へと跳ね上げられる。
 すごいあっさり。コツンって上げる様な感じ。そして開いた胸元の空間に、鶺鴒さんが飛び込んでいって―――

 一瞬。嶺峰さんが振り返ってこっちを見たような気がした。
 何か、言いたげな表情。それがどういう意味なのかは読み取れない。
 ただ、でもこっちを見てないでって思っている。
 だって、鶺鴒さん鎌持って胸元に迫ってきてるのよ。
 だから、ホラ。私のほうなんて見てる場合じゃないって。
 あ、レッケル。バカ。何やってるの。そんな鎌の前に出たら危ないって。
 その鎌アンタが思っている以上に良く切れるんだからって。
 それに。水膜結界って集中してなきゃ使えないんでしょ。何焦ってるの。二人とも何やってんのよ。あ、バカ。

 とすっと。酷く軽い音がした。目の前。視界は銀色の雪と、赤い雫が数滴舞った。

 情景が酷くスルー。でも、私の目が一点だけ捉えて離さない。

 距離にして、五メートル程度。その先に、嶺峰さんとレッケルが居るの。
 鶺鴒さんも、居る。でもなんでかな。三人とも繋がってるのよ。
 変な風に。鶺鴒さんの鎌が柄(つか)の方が天を向いて、刃が回転はしていないけど。
 その。なんかその刃がレッケルと嶺峰さんを貫通しているように見えるんですけど。

 どくん、と心臓が高鳴った。ぶづん、と何かが切れた。

 目の焦点が合わない。何を見ているのかが解らない。
 何あれ。何で貫通なんてしてんのよ。
 あんなの貫通したら。その。死んじゃうから。死んじゃうって。死。
 鎌が降りぬかれた。実にスムーズに。梃子の原理で、柄に手を添えて一気に抜き出される鎌。
 その鎌が貫いた箇所からなんか紅いのが散る。桜が散るみたいだった。赤い桜。綺麗綺麗。
 違うって。そう言うの言っているんじゃないって。
 だって、レッケルの身体が二分にされかけて、嶺峰さんの身体が人形みたいに崩れおちて。

 叫んだ。何を叫んだのかは覚えていない。
 兎に角叫んで、両手に何かを収束して打ち出す。
 多分、魔法の射手だったじゃないかな。それが鎌を振り抜いた鶺鴒さんの足元に直撃。
 粉塵。それが大きく上がる。今しかない。今しかないから。
 奔る。自分でも信じられないぐらいの勢いで脚に溜めた魔力を解き放って走って、二人に駆け寄る。
 軽い。変な軽さ。妙におかしい。でも考えているような余裕は無いから一気に走る。奔ろうと思った。のに。

 背中が痛くなった。すごい痛い。へんに痛い。
 あ、痛いって言うよりも、熱い。そんな痛みが背中に走った。
 でも気にしているような余裕なんか無かった。振り返ったら二分される。鎌に。鎌を持った敵に。アレに殺されちゃう。
 皆殺される。ソレはいや。それは厭だから、奔った。
 もう一回脚に魔力を溜めて転げるようにその場から離れる。
 振り返っているような余裕は無かったし、走っていく先に何が在るのかなんて言うのも確認する余裕は無かった。
 階段に激突する。激突して背中がもっと痛くなった。でもそんな痛みを気にしている場合じゃない。
 階段を駆け上っていく。
 私が歩いていく後に紅い筋が妙に繋がっていた気がするけど気にしないようにした。
 気にしちゃだめ。あの筋は私がつけているものだから。背中に嶺峰さんを背負って、胸元にレッケルを入れて、歩く歩く歩く。
 速くココから離れなくちゃ。早く。速く速く。早く、しなきゃ。
 振り返るような余裕なんて無い。振り返ったら死ぬから。振り返ったら、皆死んじゃうから。
 だから、早く、二人を助けなくっちゃ―――

 ――――――――――――――――――――

「嶺峰さん。レッケル。大丈夫っ」

 家までは運ばなかったから、巨木間近の野原に下ろす。
 妙な軽さが気になったんだけど、それは気にしちゃダメだと思った。
 二人に反応はなんかない。きっとびっくりして気絶しているだけよね。
 そう考えると表情が綻んだ。嶺峰さんでも気絶する事とかあるんだね。
 うんうん。いい兆候。レッケルも、ああ、もぉ、あんまり見たくないなぁ。
 体半分になりかけてるじゃないの。大丈夫ダイジョウブだいじょうぶ。直ぐに治せるからね。
 治癒の光を送り込む。送り込んでちょっと経てば、直ぐに元通り。
 酷いよねあの人。あんなのでぶった切りにかかるなんて。
 三人に戻ったら、皆でおしおき決定よね。もう魔法使わないとか言わないよ。腐った性根、叩きなおしてやるんだから。

「あははっ―――あ、れ? 傷、治んないね。あーもぉ私のバカ。ちゃんとしなさいよ。
 落ち着いて集中集中。すーはーすーはー。よし、もっかいね。ちょっとまっててねー。あ、雨」

 晴れていた筈なのに雨が降る。にわか雨だと思う。
 直ぐにやむよ。体冷やしたらダメよね。ローブ、かけておくからね。
 あ、でも傷を治せるまで待ってね。直に。直に治せるから。
 私すごいんだよ。魔法学校でも一番さん。治癒魔法だったら右に出る奴が居ないって言われていたんだから。でも、おかしいね。傷が。治んない。治んない、よ。
 目を閉じる。意識を集中する。心の中の波間を冷静に保つ。
 いつだってそうしてきた。うわっ。すっごい荒れてる。
 ホラホラアーニャ。心を冷静にね。深く吸って、深く吐く。
 二回の繰り返し。目を開いて右手を嶺峰さんの胸元に沿え、左手はレッケルの体に添える。
 変だよ。二人とも体、冷たい。あ、雨の所為か。この雨めー。
 でもだいじょうぶ。傷が治ったらお家でちゃーんと暖めてあげる。私、物騒だけど火を起こすの得意なんだよ。

「あ、そっか。レッケル居ないから傷の直りが遅いのかもね。
 ちょっと待っててね。私の魔力だけで何とか頑張るからね」

 痛いよね。胸元に穴開いているんだもん。苦しいよね。胸に穴開いたら、私も苦しいよ。
 私背中が痛いけど、我慢できる。全然へーき。私頑張るよ。
 レッケルも嶺峰さんも頑張って。そうじゃなきゃ割に合わないしね。私一人頑張っているんじゃダメでしょ。ねぇ。

 両手に魔力を込める。魔法学校でも込めた事が無いぐらい強く、強く込める。
 こんだけ魔力を込めているんだもん。治んないワケが無い。
 レッケル知ってるでしょ。私の治癒魔法は優しい気持ちになれるって言ってくれたじゃない。
 嶺峰さんにも伝えてあげたいな。伝わっているかな。感じてくれているかな。ねぇ、嶺峰さん。私、上手くできているかな。

 一分待つ。一分込めよう。で、一分経ってダメだったら―――五分待つ事にしよう。
 五分待ってダメだったら、次は十分にしよう。十分じゃ足りないね。
 じゃあ一時間待つよ。治るまで待つのも悪くないかもね。治るまで一緒よ。ずっと。ずぅっと、一緒。
 もう何処かに行くなんていわないから。許されるなら嶺峰さん。貴女も一緒に行こうよ。
 世界広いから、嫌なこと合ったら逃げてもいいから遠くに行こう。選ぶのは嶺峰さんだもん。諦めたって、逃げたって、誰も文句は言えないよ。
 言う奴居たら、私がぶん殴ってやるわよ。あんた等だって逃げたくなるような事ぐらいあるでしょうがーって。
 逃げるのってダメじゃないよ。逃げてもいいんだよ。遠くで答えを見つければだいじょうぶ。また戻ってこれるからね。

 うん、レッケルも一緒かなー。
 あんた私の妹みたいだったものね。お母さんも妹みたいな使い魔だって笑っていたわよ。
 私と貴女の相性が良いの当然じゃない。お姉ちゃんと妹なんだもん。長生きしているのはレッケルだけど、アンタどじでしっかりしてないからね。
 私がお姉ちゃん。で、アンタは私の後をトコトコ着いて走ってくる妹。うわっ、すっごいかわいいね、それ。

 ホラ。それじゃあ目を覚まさないと。一緒に色んな所に行かなくちゃね。
 春になったら日本にしよっか。ココの国の花知っているかな。嶺峰さんは知ってるよね。桜って言うんだよ。きっと綺麗だよねー。
 夏は海水浴に行こう。嶺峰さん泳げるよね。泳げなかったらレッケルに教えてもらうといいよ。私ビーチマストの下で二人遊んでいるの見ているから。
 私はいいよ。それだけで充分だもん。一緒に居れるだけで充分だよ。
 もう直秋になるね。秋はどうしよっか。食欲の秋はレッケルでしょ。私は読書の秋かな。
 でもね、嶺峰さんにお任せでもいいかなーって思っている任せっぱなしの私。ダメだね。
 冬はどうしようかな。ウェールズに一緒に行こうよ。故郷の雪。貴女にも見せたいな。
 レッケル蛇の癖に冬眠しないんだよ。冬の方が過ごしやすいとか言うの。おばか様めっ。蛇に有るまじき発言だぞっ。

 だからね。ホラ。一緒に、行こうよ。一緒に――――

 手を握る。レッケルに触れる。
 でもその手は、相棒の身体は。
 あっさりすぎるくらい地面に落ちて。触れた肌は、二度と、暖かくはならなかった。


 ぽたりぽたりたり。ぽたぽたぽたぽた。ざぁああああああああああ。ざー、ざー、ざー、ざー。


 桜の花びらが一枚。嶺峰さんの胸元に添えられた私の手の上に落ちた。

 

「嶺峰さぁん……レッケルぅ……嘘よ。嘘でしょ。
 こんなのないよ。お別れもしてないよ。ありがとうも言えてないよ……私、言いたい事いっぱい在ったんだよ。連れて行きたい場所。あったんだよぉ……。
 ダメだって知ってるよ。私は魔法使いだもん。でもね、でも、嶺峰さぁん…貴女を幸せにしたかったのよぉ……一人ぼっちで、ずっと一人で寂しそうにしていたあなたを幸せにしてあげたかったのよぉ……。
 私に、私がそうさせてあげたかったのよぉ……!!」

 冷たくなったままの体を抱き寄せる。
 雨だけが降っている。ざーざーざーざー。耳障りにはならなかった。
 もう、私の耳はその音を捉えてなんていなかった。
 ただ、抱き寄せる二つの存在。消えてしまった、二人分の重さ。
 二人分の重さの失われた軽さだけに全ての神経を集中していた。
 にわか雨は長かった。長い長いにわか雨だった。
 でも。強く閉じられた瞳の奥が熱くて、別の液体が流れ落ちているのを、ちゃんと感じている。
 開く。強く閉じられていた目を開いたら、もぉ、何がなんだかワケの解らない世界が写った。
 大切な二人の顔は見えない。守りたかった人の笑顔は見えない。一緒に居た子の鳴き声が聞こえない。そんな世界。

「はぁ―――あっぐっぁ―――ね、嶺峰さぁん……レッケルぅ……目を開けてぇ……いやぁ……こんなお別れ、いやぁ……」

 遠くから来て出会えた。出会ってしまった。
 会う筈のない出会いだった。運命なんて感じない性質なんだけど、過ごしていくうちに感じちゃった。
 こう言うのも、あるのかなって。それを信じたかった。
 信じて、最後に何があるのか。それを、貴女と分かち合いたかった。それだけが私の願いだった。
 一人ぼっちの貴女と、なんだか浮世して、使い魔のレッケルと一緒に居る時間がすごく長い私。
 全然似てない二人だったのを、今でもちゃんと覚えている。
 そんな二人なのに出会っちゃって、ごめんね。でもありがとう。すごく嬉しかったし、楽しかった。
 今までに無かったよ。普通の貴女から見れば普通のことでも、私には毎日キラキラしていて、すごかった。
 私が憧れていた理由が、やっと解ったんだよ。有難う嶺峰さん。そう言いたかったの。
 ずっとそう思っていた。でもそれは叶わなくて、ずっとずっと叶わなくて。
 せめて、お別れの時だけでも言えれば良いなって思っていたのよ。そのお別れの時に、ずっとずっとありがとう。そういいたかったのよ。

 でも。もう、それも伝わらなくなってしまった。もう彼女には、何も伝わらなくて。
 ロンドンでアンタと出会ったのよね。
 こんな雨の日だったかな。水辺でばしゃばしゃやってるアンタ見て本当は私馬鹿にしていた。
 こんな子が本当に私の使い魔になるのかなんて、ずっとずっと疑っていた。
 でも、その日のうちに意気投合しちゃったわよね。だから胸元に入れてあげたんだけどさ。
 そうじゃなきゃ、その場でポーンしているわよ。ポーン。
 でもね、会えて良かった。ずっと言おう言おうって思っていた。
 初めてあった日から、ずっと。ありがとうって。そうアンタに伝えたかった。
 きっとアンタ馬鹿にするでしょうけど、それでも良かったの。私が言いたかったから。ありがとうって。ずっとずっと、ありがとうって。
 それも、もう、伝わらなくなってしまった。もう私の妹には、何一つ伝わらなくて。

「一緒に居たかったのよぉ……ずっと、ずっと一緒だって、そう決めていたのよぉ……他には何にも要らなかったから……名誉も要らなかったし、力なんて欲しくも無かった……
 ただ、笑い合えて居れればいいなって……ずっと……ずっと……その思い出が宝物になったから…ソレを守りたかったのよぉ……。
 それが在れば他には何にも要らなかった……っ! それだけで、私は充分に満ち足りたのよぉ………っ!!! レッケル……レッケルぅ……っ! …嶺峰さぁん…………ねみねさぁん…………っ!!!」

 三人で居たかった。三人で笑って居たかった。遠くても良かった。
 不幸でも良かった。三人でよかった。
 三人で笑顔を振りまいていこう。そうしたかった。
 それが理想だった。三人で世界中廻って、嶺峰さんが笑っている。レッケルもみゅーみゅー言って鳴いている。
 それで、私が箒に乗って空を行くの。そうして星の欠片を降らせたかった。
 キラキラ光る星の欠片。それを浴びて、大勢の人を笑顔にしてあげたかった。
 それだけが理想。それだけが、私の全てだった。他には何にも要らないから。高望みなんて要らないから。だから、だから――――

「わぁぁあああああああああああああああああ!!!!!!」

 光が降る。眩いまでの光は、けれど。
 もう二度と。彼女たちの瞳には写らなかった。

 


 わたしがわらってる。
 ねみねさんも、わらってる。
 れっけるだって、わらっているの。

 さんにんでほうきにのって、そらをいったら、ほしをふらそう。
 なみだみたいにかなしくないよ。わたしたちがふらせるほしは、きらきらしていてみんなをえがおにできるから。
 だからいこうよ。さんにんで。あの、ちへいせんのむこうまで――――


 もう二度と。それも叶わない―――――

 

 

 

 

 

 

 

 


 突貫魔法少女―ホライゾン―…THE END

第三十八話 / LastCHAPTER 第四十話〜一人〜


【書架へ戻る】