第四十四話〜突貫〜(後編)


 銀の光が爆ぜる。それは、同時にあの巨木の歴史の終結を意味していた。
 巨木が爆ぜる。
 雄雄しく佇み、幾年をこの地で過ごしていたのかも推測も出来ないほどに巨大な巨木は、内から爆ぜ、木片と銀の光を撒き散らせながら、その生涯と歴史を終える。
 代わりに、その内から歴史を継いだものが現れた。
 現われ、私の方へと向かってくる。漆黒の結晶体。
 立体の菱形をしたソレ。
 それが、銀の光を世界中に届けるほどに輝いて、巨木の更に上に居た私に迫ってきた。

 一本だけの左手。
 それを、捻る。そうして展開されるのは突貫楯ホライゾンの究極防御形態。
 八角にヒトデの様に開かれた突貫楯は、迫る鋼性種の親玉の襲来に備える。
 コレが、今から何をするかなんて推測できない。
 ただ、伐採魔法少女はキレていたと言った。キレたのが人間なら予測できるけれど、それがもし、世界を飲み込むほどの存在だったとしたらどうなるのか。そんなのが予測できないほど、私は、バカじゃない。
 次の瞬間に衝撃。楯が何かを受け止めた、大質量のもの。
 質量と言う定義が当て嵌まるかどうかなんて、もう知らない。
 ただ、片腕にかかる衝撃があんまりにもとんでもないものだから、突貫楯を支えていた左腕が、完璧に折れてしまった。
 痛みなんて無い。痛いと感じる感覚は残っていても、痛いと想う感情が燃え尽きているから何も感じる事が無いだけ。
 ただ、酷い違和感だけが目の前の空間から伝わってくる。
 持ち上げられていく。高く高く。遠く遠く。
 あの、空に輝く星に手が届くかのように。
 その星を追い抜き、あのお天道様とお月様を追い抜いて、なお高く、遠く。
 幻視、していたのかな。世界は白く、私はどんどんと持ち上げられていっている。

 その内で、聞き取る。
 声。声にもならない音。音にもならない軋み。軋みにも至らない、小さな悲鳴。
 それを私は理解出来ない。理解に至れない。
 理解する事が出来ない。人間だから。
 人間と言う定義である以上、コレを理解する事は出来ない。
 ただ、一つだけ解る事がある。
 コレは、この悲鳴は、この星の叫び。人間が傷つけてしまってきた分の、壮絶な悲鳴だ。
 それが、全身を貫いて伝わってくる。
 折れた腕。捥げた腕。砕け散った足。そのどの痛みにも該当しないほどの痛みが、物理的ではなく、精神的に真下から叩きつけられてくる。
  それがどれほどのなのか。人間が理解する事なんて出来ない。人間とは、そう言うモノなのだから。
 人間。自分の知識の及ぶ範囲でしか物事を思考できない存在。
 それを、白い光と、下から叩きつけられる小さく大きな悲鳴で思い知る。

 歯を、食いしばる。知っている。そんなのは知っている。
 人間はそう言うものだ。人間は何時だって、自分たちの捉えたい物事へとしか動かそうとしない。
 現実から逃げて、最後の最後には、現実の壁に磨り潰されていくだけの存在だもの。
 そんなの、突貫魔法少女の役割に当て嵌まった時点から知っていた。
 それに、この星は耐えてきた。ずっと、ずっと。永い時。星から見れば短い時。
 私たちから見れば、気も遠くなるような長い年月。それの繰り返しの果てに、今日、この日。鉄槌と言う人間の概念が下されようとしている。

 星から見ればそれは存外に滑稽に見えるでしょうね。
 人間が鉄槌と呼ぶものは、星から見ればただのゴミ掃除に過ぎない。
  私たちと言う下らないモノをただただ磨り潰す現実を下ろすだけに過ぎないというのに。
 それを、彼女はきっと止めようとする。
 それを、妹なら認めたくないと吼えると思う。私も、そう、思いたい。
 私達は生きているから、今まで生かされていたことに、ちゃんと気付くから。
 バカな事なんてしない。この星を傷つける事なんて、もうしない。人と人との物語で好き勝手なんて、やらないから―――
 必死に押さえ込む。漆黒の結晶体。
 下から突き上げてくる悲壮と悲劇と悲哀と否定。その全ては、私たち“人間”と言う単一存在に注がれていた。

 突貫魔法少女の役目。魔法使いとしての役割。
 それは多くを助ける事。命を賭けてもいい。どうせ、全部燃え尽きているだもの。
 これ以上壊れる場所も、燃え滓になる場所も無い。なら、此処でこの光に飲まれて消えても―――後悔なんて、ある筈も無い。
 全力を尽くす。全力。命懸けの全力。無気力だなんて、冷静になんて、いられない。
 本気にならなくちゃ、死ぬ。
 死ぬのはいや。死ぬのは怖い。
 だから全力。死んだら、何も出来ない。不幸にすらなれない。幸福なんてもってのほか。
 そも、全ての概念からも外れてしまう。天国は無い。地獄も無い。そんなモノ、知らないから。知らない場所に、どうして、行けるんだろう―――

 声にならない叫びを上げて、突貫楯を全力で展開し続ける。
 腕も何もかも朽ちているのに、何がこの体と突貫楯を突き動かしているんだろう。
 それを無視して、突き上げてくる全てを押さえ込む。突貫魔法少女として、限界を超えて。魔法使いとして、能力を超えて。何より、私、―――――

 けど、現実は何時だって残酷で―――

 バギリと。あっさり、突貫楯の基礎部は砕け散った。

 目が丸くなる。丸くなったのが最後。胴体に、まともに衝撃が加わった。
 星型八角錘を形成していた八角が四方八方へ飛び散っていっちゃった。
 残されたのは私一人で、凄まじい勢いで上昇していた漆黒の結晶体が、容赦なく裸体の私の体を全て砕き散らしていく。

 骨の折れる音も。肉の割ける音も。身体が死んで逝く様も。全て、手に取るように感じ取れた。
 怖かった。死ぬほどに怖かった。
 厭だった。死ぬのなんて、厭だった。
 何も出来なくなる。何一つ、考えられなくなる。何も残せなくなる。
 私が居たと言う証。私だったという意味。私と、彼女と、妹が居た意味が―――残らず、砕けていく。
 白い世界に、裸の体一つで浮かんでいた。両手も両足も尽きに尽きて、五体満足な場所なんて、一箇所も、ない。

 泪を流す。結局、私、何も出来なかった。
 魔法使いとしても中途半端だったし、魔法少女としても、貴女の後を追うような真似しか出来なかった。
 誰も、助けられなかった。寧ろ、もっと沢山の人を我武者羅に傷つけてしまっただけ。
 貴女を救えず。妹も救えず。今も、自分すら救えずに消えていこうとしている。
 ごめんね。私、バカだった。こんな事しても、どうにもならなかった。どうにも、出来なかった。

 思い出す事が、出来ない。
 それもそうよね、自分で、全部焼き払っちゃったんだから。
 バカね。死ぬなら、最後の最後まで何か一つだけでも残しておけば良かった。
 ……死にたくない。それが本心。他に、何を思う事もあるだろう。
 もっと、もっと生きたいのが包み隠さない本心も本心。

 切実に、そう思う。
 だってそうでしょう。生きていれば、何でも出来るし、何処へだって行けるだもの。
 お友達を作る事。
 虐められる事。
 大切なものを作る事。
 大切なものを傷つけられる事。
 大好きな人を作る事。
 大好きな人を、失う事。
 それは全部、生きているから味わう事の出来る最大の愛情と最大の不幸の筈。

 あの雲の向こう。あの空の彼方。あの海の向こう側。
 言葉も通じない、異国の地。何時か、何かで見た、あの風景。
 そうして、地平線。その向こう。それも全部、生きているからこそ目に焼き付ける事の出来る世界の筈。
 彼女の行けなかったあの地平線の向こう。妹を連れて行けなかった、あの地平線の向こう。
 最後、だから。目を開いて、顔を東に向けた。
 すごい高い場所だから、きっと、太陽が見えるかもしれない。地平線の向こうから昇る、あの地平線。

 ふと。ふわりと、艶やかな絹に包まれるような感触を全身が包んでいく。
 もう、霞がかかったかのように靄だらけの視界。それを何とか動かして。体を確認していく。
 腕も、足もない。胴体は酷い有様で、とても、誰かを好きなったとしたらその人にも、誰にも見せられない。
 血に濡れ、女の子とは思えないほどにグダグダになった体を見ていると、なんか、悲しくなってくる。
 でも、突然。それを、労わるようかに、翠の光が、私を包み込んできた。
 変に馴れ馴れしい光で、ちょっと腕を振るって振り払おうとしても、未練がましく付きまとってくる。
 尤も、二の腕中ほどから完全に抉れている腕を振るっても、振り払う行為にはなりもしないのだけれど。

 だから諦めて、その光に体を任せてみる。
 お母さんや、何時か妹と浴びた木漏れ日、それに、何より。彼女に膝枕された時みたいに温かかったから、そのまま任せてしまおう。
 両の目を閉じる。疲れた。変に、疲れちゃった。疲れちゃったから――――

 ねぇ? もう、眠ってもいいでしょう?

 少女の身体が、漆黒のソレに食われた。

 

 

 ――――――――――――――――――――――――焔が包む、紅い月の下

 

 


 小高い丘だった。
 その丘の上に、最早物言わぬ首を抱いた少女が、少女の出で立ちそのままに腰掛けて居た。
 全身は傷だらけ。衣服は一切着込んでおらず、黒焦げた裸体を満天の星空の下にさらしている。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 唖然とした表情の少女は、自らの従者だったモノの首を抱き、麻帆良学園都市を一望する事の出来る小高い丘の上に在った。

 両の目を呆気に取られたかのように見開いたままで、彼女は眼下を見下ろす。
 其処には、自分が十数年間縛られ続けていた場所が見える。深紅。赤く、どこまでも赤く染まり、麻帆良学園都市は燃えていた。
 故にか。彼女は自身の体を縛っていた呪いの反応の無さに驚く。
 余りにも微弱な呪いの反応。吸血鬼の真祖―――しかして、ただの人間、エヴァンジェリンと言う名の少女の大質量の魔力を押さえ込む学園結界。
 加えて、彼女の想い人が彼女にかけた投稿地獄の呪い。それさえも微弱に成りつつある。否。微弱ではない。最早、ほぼ完全に消えていた。

 それを無視し、少女は自らが抱きかかえていた首を見る。
 同じ頭部の高さまで持ってきて、両目を閉じ、しかし、汚濁には一切も包まれていない、綺麗なままの絡繰茶々丸の頭部を見て、泣いた。

「ちゃ、ちゃ、まる。なぜ? なぜだ? わたしを、連れて行ってくれるのではなかったのか?
 また、ひとりにするのか? お前に焼かれるなら、本望だったんだぞ? だのに、何故。なぜ、だ?」

 抱く。物言わぬ首を抱きしめる。
 両目から滝のように泪を流し、かつて吸血鬼として恐れられ、多くを手にかけた少女。
 その少女は、ただの少女となって泣く。数世紀ぶりの泪。それを、余すことなく、流し続けていく。
 鋼化した絡繰茶々丸は、起爆の間際、エヴァンジェリンを転送した。
 かの、学園の一角を一瞬で灰にしたか『転送』による撃。それを、エヴァンジェリン本人にかけたのだ。
 転送場所は此処。あの、炎に包まれていた学園都市から、一番離れた場所であった。

 何故そうしたのか。鋼化茶々丸は確かにエヴァンジェリンとの自爆を選んだ。
 世界樹広場の裏側を完全に吹き飛ばす爆発。しかも、零射程。
 密着状態と言うのであれば、エヴァンジェリンは、確実に死んだ。
 炎は全身を廻り、胸に打ち込まれた杭諸共にもなるが、それでも、エヴァンジェリンは確実に灰と化しただろう。
 だが、鋼化茶々丸は間際にエヴァンジェリンを転送した。
 それこそ、炎が廻り、胸の杭を焼き、その穿たれた穴から炎が入り、エヴァンジェリンを灰になるまで焼き尽くす、その間際だった。
 故に、今のエヴァンジェリンの胸元には杭は無い。爆発の炎。それが、杭だけを焼き尽くしたのだった。

 その事実。鋼化茶々丸ではなく、僅か、本当に極僅かだけ残っていた、絡繰茶々丸と言う名の従者の、最初で最後の我儘。
 彼女はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルからの命を、たった一度だけ違えた。
 一緒に行こうという願い。それを、彼女は、全力で否定した。全力で、彼女に、生を掴ませたのだ。
 だが、それは罰だった。簡単には死なせないという罰。
 多くを奪い、多くを傷つけた報い。それを、エヴァンジェリンと言う娘は受けなくてはいけない。
 彼女は咎人。許されざる者なのだ。故に、彼女は、死ぬまで、生きて苦しまなくてはいけない。
 その裁決は、皮肉にも、かつての従者自らが行った。

 生きてください。マスター。

 絡繰茶々丸と言う少女の願い。
 それはもう、二度と違える事の出来ぬ、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルにとって枷と言う名の、咎となった―――
 泪しながら、エヴァンジェリンは天を臨んだ。
 満天の星空だというのに、降り注ぐ銀色の流星。
 それは、まるで、今から地球を一掃しようとする、忌まわしくも、星にとっては、大いなる救いとなる。そんな、爆撃に見え―――

 天の頂きに、黒い結晶体が、天に輝くまぁるい丸い白い塊。それを目指して、急上昇して行った―――

 


 焔が猛る。
 全て、燃える。

 敵も味方も何もない戦いは終わる。

 

 

 

――――そう。戦いは、終わったのだ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エヴァちゃん!!!」

 エヴァンジェリンはゆっくりと瞳を開く。先ず、目に飛び込んできたのは焦点の合わぬ白い天井。
 そして右。ずらりと並んだ、地平線の向こうまで伸びるかのような白い白いベッドの群れ。
 そして左に、泣き腫らした顔立ちの朝倉和美と、同じように、泣いたままの相坂さよの姿があった。

「―――……ここは?」

 聞かずとも、彼女は知っている筈だった。病院に他ならない。
 現に体は傀儡程も動かず、立ち並ぶベッドの上には比較的軽症―――言っても、腕を吊っている、足を吊っているなどと言う骨折レベルの負傷の患者が並び、何より、匂い。
 その匂いは、何度嗅いでも馴れはしない、消毒液の香だったからだ。
 そうしてエヴァンジェリンは自らの体を確認しようとして、魔力が働かない事を確信した。
 今まではどれだけ日中でも流れていた魔力系の流動。それが、塵芥ほども無い。
 だが驚かない。エヴァンジェリンは、この展開を理解していた。
 魔力が、まったく以って働かなくなる事を。予め予想して―――あの、『深き死』を使ったのだから。

「良かったっ……無事だったんだね……明日菜は行方不明になっちゃうし……茶々丸さんは……うっ……うぅっ……
 学園中ボロボロだよぉ……その上、エヴァちゃんまで酷い状態で見つかって……」

 泪ながらに朝倉和美は言う。
 相当の恐怖を味わったのだろう。
 普段、大人びているような雰囲気の彼女でも、この時ばかりは中学生の少女のソレとなっている。
 心底の恐怖。自然現象にも等しい、圧倒的な力の本流。それを味わったものが見せる、脅威の表情と恐怖の感情だった。
 そんな様相を確認せずとも、エヴァンジェリンは知っていた。
 彼女だけではないだろうと。この学園中に居た全ての人間。それが味わったであろうと。
 圧倒的な力の本流。何時、如何なる時に襲いかかってくるのか判断も付かないモノの片鱗。それが、今回麻帆良を襲ったのだ。
 エヴァンジェリンは起き上がる。激痛が体を苛んだが、幸い、立ち上がれないほどの傷みではなかった。
 ベッドの横に設けられていた松葉杖。それに体を預け、エヴァンジェリンは向かう。
 何処へだろうか。それは、彼女にも解らなかった。

「え、エヴァちゃん!! まだ動いちゃ―――っ」

 振り返ったエヴァンジェリンの眼差しを見て、朝倉和美は身をすくませた。
 振り返った彼女の視線。それは、見つめるというよりは睨み付けるに近く。
 しかし、その両目からは、あふれ出さんばかりの泪が浮かんでいたからだ。
 何一つ言わず、エヴァンジェリンは外を目指す。
 朝倉和美と相坂さよの知るエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、其処に居なかった。
 松葉杖片手に、片足を引きずるように。白い患者着に袖を通した吸血鬼の少女は、もう、吸血鬼ではなかった。
 人ごみに紛れ、少女は彼方へ消えて行った。

 ―――――――――――――――――

 異様な世界が広がっていた。
 病院の間際に限界まで揃った怪我人、病人もそうだったが、エヴァンジェリンの視界には、それ以上の異様空間が広がっていた。
 風が舞う。優しい風がエヴァンジェリンの頬をなで、金と、半分が銀色に染まった髪の毛を揺らせた。
 翠。世界は、翠に包まれていた。
 完膚なきまでに破壊されつくされた筈の麻帆良学園都市。
 文字通り、人間の生み出した建築物の大半は半壊しており、学園の何処からでも見る事の出来た筈の世界樹は、其処には無い。
 ソコには無いが、あってはいけないものが、天を穿っていた。それを見ないようにし、エヴァンジェリンは周囲の破壊を見る。

 ただ、その破壊から、身を奮わせるほどの量の木の根に始まり、多くの植物が生い茂っていた。
 建築物。人工物。機械物。如何にも関わらず、多くの木々。花々。草葉。
 それらは、コンクリの地面すら持ち上げ、学園都市を、自然物で多い尽くそうとしていた。
 その光景が余りにも衝撃的だったのか。その拍子で転びそうになる。
 ただ実際は違う。あんまりにも日の光が強いのと、病院外まであふれ出ていた患者。
 その、何れかは知らないが、誰かが放置したのだろう。一枚の紙切れに松葉杖を取られ、エヴァンジェリンは正面に倒れそうになっていたのだ。
 あまりにも変異した世界に目線を奪われたため、足元への注意が疎かになっていたのだ。

 彼女は別段驚きはしなかった。
 ただ、ここで負傷しても治療は楽そうだと面白くも無いことを考え、その前傾姿勢になって倒れるのを受け入れようとした。
 だが、その倒れこむようなモーションは、横から差し出された包帯だらけの片腕に押し留められた。
 視線を右へ。少女の眼にまず飛び込んできたのは、赤と白の袴姿であり、その頭には、深く深く三度笠を被っている、不思議な面持ちの―――
 だが其処まで見て、エヴァンジェリンは察した。その姿。小柄なその様相は、紛れもなく。

「桜咲、刹那か?」

 コクリと頷く。
 肩に掛けた長い長い白木の棒。それから溢れ出る残留した気。それを読み取り、エヴァンジェリンは目の前の、自分を支えた人物が桜咲刹那であると判断する。
 しかし、何処か見慣れぬと言うか、見覚えの無い姿見である事にエヴァンジェリンは疑問を懐きつつも――
 ――――ああ、やっぱりそうなのだな、と。一つの答えを結論した。

 軽い会釈。笠に自分の目から上を隠した桜咲刹那であろう人物は、それだけ支えた少女へ施すと、一路、歩き出す。
 向かう先には何も無い。何も。学園の終わりが在るだけだった。
 そこへ、桜咲刹那であろう人物は、躊躇いもせずに進んで行った。

「―――……幸せを捨てるのか?」

 足が止まる。しかし、一瞬だった。
 躊躇いもせず、桜咲刹那はその向こうを目指し、なお歩みを進めていく。
 ただ、歩みを進める前に、エヴァンジェリンは何かを聞いた気がした。桜咲刹那の言葉。嗚咽混じりに告げられた、小さな言葉。

 ―――二つを選んだ私が、愚かだったのです。

 研ぎ澄まされた刃の気配はなく。
 まほら武道会前に感じていた生ぬるい雰囲気も感じさせず。
 桜咲刹那は、折れた刃の気配のまま――――


 数日後、桜咲刹那が京都神鳴流付属女子学園への転校が決まった事を、知らされた。


 進む。なお少女は進んだ。何処を目指して居るのかも判断できなかった。
 松葉杖を慣れない手つきで扱いつつ、もう、二度と再生も利かない体を引きずるように、何処とも知れずに進み続けていた。
 どれ程進んだのかも、彼女には関係ない。
 何処を目指して居るのかも解っていない以上、どれだけ歩いたのかの基準は無意味。
 故に、何処に誰がいようとも、彼女には関係なかった筈だった。視界の端に、ダヴィデ像下に蹲った弟子の少年を見つけるまでは。

 ネギ・スプリングフィールドが居た。
 スーツ姿のまま、黒焦げになり、瓦礫と化しただけのかつてのダヴィデ像広場の石段の上。
 しかし、今は蔦が絡まり、草花咲き乱れる樹木の塔となったそこに腰掛、傍らの使い魔の声にも反応する事無く、蹲り―――近くまで行けば気付けるだろうか。少年は、泣いていた。
 エヴァンジェリンは声も掛けず、その横に立った。少年は気付かない。
 傍らの使い魔がどれだけ騒ぎ立てようとも、エヴァンジェリンが来て、使い魔が口を噤んだ事にさえも反応せず、少年は蹲ったままで、エヴァンジェリンの方へ何かを向けた。

 数枚の用紙。エヴァンジェリンは松葉杖を腋に挟めた状態のまま、その用紙を捲っていく。捲っていくにつれて、彼女は気付いた。この用紙の指し示す意味。そして、少年がこの用紙を持っている意味を。

「―――……おめでとう、これで貴様も『マギステル・マギ』だ」

 用紙を手渡す。
 手渡されて、少年は、初めて顔を挙げた。
 泣き腫らしたのだろう。両目は赤く、未だに子供の容姿のまま、ぐずり続けている。
 鼻を一度啜り、少年は再び顔を下げた。エヴァンジェリンは、最早責めない。
 責める事など出来ないというのが正しい。責める気力すらないというのが、更に正しいだろうか。

「……アーニャが、渡してくれたんです。どうしてあそこに居たのかは解りません。どうして、コレを渡してくれたのかも。僕全然解らないです。
 どうすればいいんですか? アーニャ。アーニャが言ってました。
 声を、聞いたわけじゃないんですけど。一つしか選べないって。
 何があっても、一つだけしか選ぶ事は出来ないって。
 マギステルになるのか。此処で、先生を頑張っていくのか。それとも―――父さんを、追いかけるのかって。
 ……マスター。僕、どうしたらいいんですか? 父さんと同じマギステルを、僕は目指していました。
 でも、今の僕は先生として皆さんと一緒にやってきました。
 学園祭の時も、そうでした……選べなかった。どちらを取る事も。善である事も、悪である事も。
 でも僕は、一人で……独りの、『僕』と言うもので……だから、僕は一つしか……。
 僕は、どっちを取るべきなんですか?」

 エヴァンジェリンは何も言わない。ただ、少年の苦悩はわかっていたつもりだった。
 蹲った少年。彼が目指していたのは、彼女が慕った、あの男。
 サウザンドマスターと言う名の、魔法界最強の魔法使いだった。
 尤も、鋼性種などと言う桁が違う存在を目の当たりにしたエヴァンジェリンにとってすれば、サウザンドマスターの強さすらもかすんでしまうのだが。

 だが、少年は少なくとも、最強と呼ばれた魔法使いである父を目指し、今の今まで、マギステルと言うものを目指していた。
 目指してはいたが。この結果を、少年は予測していたのだろうか。此
 処にきたのは、マギステルになる為であり、その許可が下りた今、少年が、もう此処に留まる必要も無いと言う事を。
 少女は、松葉杖を片手に再び歩き出した。
 少年の質問になど答えない。答えは、自分で見つけろという事だった。
 エヴァンジェリンは相変わらず。吸血鬼ではなくなった少女は、相変わらず少年の前ではあのエヴァンジェリンだった。それだけだった。
 残骸散りばめられた地を踏み締めながらも、なお少女は進む。
俯いただけの少年などに気を払わず、進む。その先に何があるのかは、少女も。解らなかった。

 ―――――――――――――――――白い雲が行く

 空を、仰ぐ。雲の近い青空。鯨の形をした雲が流れていく空だったが、そこを見上げて、エヴァンジェリンは目を丸くする。
 金と銀。二色混合の少女の髪が、風に揺れたと同時だった。雲の狭間。そこから、銀色の光を放つモノが現れたのだった。

 ソレを見上げている。
 鋼性種。それも、日中だというのにそれは現れ、白日の下にその存在を明らかにしていた。
 勇壮と行くその姿。人間の都合など知ったことか。滅びる順番の決まった生物に掛ける視線も感情も無いのか。
 鋼性種は、勇壮と空を行く。
 エヴァンジェリンは、無表情で、けれど、何処か悲しそうに、その鋼性種を見上げていた。
 果て無き空。龍にも似た胴の長い鋼性種が往く。
 地に足を着いた少女は、二度と飛び出せぬ空に思い馳せる事無く、なおも進んだ。
 道は前に。進むべき道は、前だけにある。後戻りできる道など、一歩たりとも用意されていなかった―――

―――――――――――――

「え、エヴァンジェリンさん??」

 野外研究所。崩落した麻帆良大学部敷地内の端に建設されたテントの中で、葉加瀬聡美と超鈴音が共に何かを組み立てている最中にエヴァンジェリンは差し掛かっていた。
 テントの奥。ソコには、あの絡繰茶々丸にも似たボディフレームが用意されており。
 しかし、その頭部には、絡繰茶々丸の頭部は用意されてはいなかった。
 周囲は大学部の、未だに頭部などに包帯を巻いたままの状態でも積極的に活動している科学班の人間が行きかっていた。
 しかし、それは麻帆良復興の為に精力的に活動しているわけではない。
 根。崩れ落ちかけた大学部校舎に始まり、仮設テントの周辺に多い茂った多くの植物の根など。それを処理しようと、精力的に動いていたのだ。

「―――……茶々丸の様子は……?」

 エヴァンジェリンの訴えに反応したのは葉加瀬聡美一人である。
 とは言っても、作業をしながら。テントのほぼ真中辺りに設置された機器に繋がれた絡繰茶々丸にも似たボディフレーム。
 ソレの首元に手を突っ込み、コード数本を引っ張り出しつつ、葉加瀬聡美は無表情に、手を加えていた。

「……茶々丸ですか? ええ。ええダイジョウブですよ。エヴァンジェリンさんが抱えていた茶々丸の首から、幾つかのデータの収集が完了しました。
 とは言っても、かなり磨耗しきった情報記憶データですけれどね。
 それを読み取り、新しい記憶メディアに移し変えようと努力していますが……。
 結論だけ言いましょうか? エヴァンジェリンさん。
 極論だけ言えば、『絡繰茶々丸』と言う試作実験機は、事実上完全に破壊。
 今から再生しようとしているのは…『絡繰茶々丸』に似た、ただの、二番機ですよ……」

 カチャリと、葉加瀬聡美の指先が止まった。
 小刻みに震え、それでも、手を休めることなくボディフレームに手を加えていく。
 何を考えてこうして手を加えていくのか。エヴァンジェリンはそれを考えようとしたが、考えは付かなかった。
 ただ、絡繰茶々丸の生みの親は、葉加瀬聡美だった。それだけは、エヴァンジェリンは知っていた。
 そして思う。子を失った、親の心を。
 数百年の間で見つめてきた親子の間柄。自分には無いにも等しかった。けれど、確かに、幸せであった時のあった、あの頃。

 彼女は、小さく考えた。ひょっとしたらと。自分が吸血鬼になり、あの日、あの古城から走り去っていた日。
 親は、泣いてくれたのだろうかと。
 自分を産んでくれた母と、その兆しとなった父は、果たして、自分の為に泣いてくれただろうかと。
 答えは無かった。過ぎ去ってしまった遠い過去の話。二度と戻す事は出来ない。
 再び、そこへ至る事は叶わない。
 故に、少女は思考を切った。思い返しても仕方ない事と割り切り、もう、二度とは戻ってこないであろう自らの従者だったモノに似たボディフレームを見つめつつ、少女は、松葉杖片手に進み出した。
 空は青い。蒼いままで、人の世を照らす。
 だが、その空の彼方。人から見れば不釣合いな。だがしかし、星から見れば、至極当たり前の存在が行く世界に、少女は身を任せていた。

――――――――――――――――――――

 見ないように見ないようにとしていたものを、エヴァンジェリンはやっと見た。
 世界樹の在った場所。学園の、何処からでも確認できた筈の巨木。
 それが在った位置に在る、在ってはいけない存在を、エヴァンジェリンは漸く直視した。
 簡潔に言えば、鋼の塔が天を穿っている。
 サボテンのように。あるいは、枝分かれしておらず、棘の様な突起が節々に目立つ鋼の、銀色の塔。それが、天を貫き、宇宙の果てまで届くかのように伸びていたのだ。

 それをエヴァンジェリンは見上げている。風に吹かれ、包帯が靡き、傷口に堪える。
 それに耐えて、エヴァンジェリンは空を見上げ、塔を見上げていた。
 遠目から見れば、ますますに良く解った。
 棘のように突き出した突起。その外周に、幾つモノ銀色の存在が飛翔しているのが。
 人の世の終わりが近い事を、少女は悟った。
 彼らが人を滅ぼすのではない。人は、彼らに手出しできることなく、勝手に滅んでいくだろう。
 彼らの出現は、多少遅かった筈の人の世の滅亡を多少早めただけに過ぎない。エヴァンジェリンはそう結論した。

 翠。果てまで続く翠。瓦礫と化した足元のコンクリ製の地面は不自然に盛り上がり、木の根か、植物の命の管が走っている事など、容易に予測できる。
 緑緑とした草葉が揺れ、世界を風が駆けていく。風は相変わらず。人を運ぶのではなく、星を廻るだけだった。

 ―――――――――――――――

 桜通り。今は、一本として桜も咲いていないが春になれば満開の桜の並木道となる通り。
 少女は、そこで散々人を襲い、血を吸い、自らの為に業と罪を重ねてきた事を実感し。
 ああ、それ故の、罰なのだろうと、確信した。
 その罪の場所を進む。
 悪の定義を、彼女は誇りを持って話していた。
 それは、もう一人の従者である茶々ゼロにも伝わっている。
 誇りある悪は、何時の日か、同じような悪に滅ぼされるのだと。
 だが、エヴァンジェリンに鉄槌を下したのは悪ではなかった。

 そも、悪と言う定義が、先ず人間的である事の証拠である。
 鋼性種にはその様な定義は存在しない。人間の定義には当て嵌まらない。当て嵌めてはいけない。
 存在としての領域の違い。生命体としての、存在感の違い。
 それを目の当たりにしたエヴァンジェリンから見れば、自分が告げてきた悪の定義など、塵芥にも等しかった。事実として、塵芥と同じだった。
 自らが居た世界がガラガラと崩れ落ちていくのを感じつつ、エヴァンジェリンはかつての業を犯した通りを行く。
 その果てに、通りの真中に突き立てられた、巨大な大剣をエヴァンジェリンは目の当たりにした。

 そこから感じる魔力に、エヴァンジェリンは感じ覚えがあった。
 手を翳し、自分より巨大な一振りの大剣。
 だが、感じ取る魔力は二つ。二つの魔力が、一つとなって居るのをエヴァンジェリンは感じていた。そうして、それが何を意味しているのかも。
 神楽坂明日菜のハマノツルギ。
 コピーカードと、マスターカードの二枚を同時に使用して行ったダブルアデアット。
 それの名残こそが、少女の目の前に突き立てられた巨大な大剣の正体であった。

 それに手を翳して、エヴァンジェリンは一筋泣いた。
 もう、彼女は帰ってこないだろうと。
 エヴァンジェリンと言う少女は神楽坂明日菜に同じような寸感を持っていた。
 それは、自らの過去を話し、その上で貴女は許されると告げてくれた少女。その言葉を聞いた時、少女は、戸惑った。素直に戸惑ってしまった。

 結局。彼女の告げたような許しは、エヴァンジェリンと言う少女には与えられなかった。
 多くを奪ってきた彼女は、ソレ相当の罰を受けなくてはいけない。
 それが、奪った多くの生命そのものへの彼女が返せる唯一のものであるから。
 エヴァンジェリンは両目を閉じ、一筋の泪を流す。
 許されるといってくれた彼女は、二度と、帰ってこない事を直感して。

 目を閉じれば浮かんでくるのは、彼女の笑顔。
 笑っている時の表情が此処まで焼きついていたとはと、エヴァンジェリンは涙ながらに思う。
 そうして、二度と。もう、二度とはそれを見つめる事は叶わないのだと感じ取ると、松葉杖を腋に抱き、両手で瞼を押さえ、あふれ出そうとする泪を留まらせた。
 剣を通り越して、少女は進む。銀色の塔。そこを目指して居るのかも解らず、彼女は進み続ける。

 風に大剣の柄に付けられた、ボロボロの符が一度だけ、揺れた。

――――――――――――――――――

 そうして、彼女は此処を目指していたのかと認識した。
 見上げる先には、一軒の家屋。
 酷く周辺は静かで、人の気配は無く、不思議と、この家屋だけは麻帆良を襲った大破壊を免れるかのように、代わらぬ面持ちでそこに佇んでいた。
 何故代わらぬ面持ちであったのかなどと認識できたのか。その理由は、到って単純である。

 エヴァンジェリンと言う少女は、この家に何度か足を運んでいたからであった。
 その運んでいた時と変わらない面持ち。それが、目の前の家屋であった。
 歩みを進めて、ドアノブに手を触れようとする。
 バチンと。彼女の手は弾かれた。
 ドアノブに掛けられた、否、ドアノブだけではなく、家屋の入り口になりえる場所と言う場所。全てから、良く知っている気配の魔力がした。
 僅かに残った魔力を開放し、エヴァンジェリンはドアノブをこじ開ける。
 言っても、魔力を直接送り込んで、内部からバーストさせるだけの単純なモノ。もう、彼女にはその程度しか出来なかった。

 ドアは、扉は、宿命の様に開かれた。
 音もなく開かれた、たった二度しか足を運んでいない家屋。
 少女は、松葉杖を不器用に扱いつつ、その奥へと足を踏み入れ、先ず感じたのが、自分が奪ったのと同じ気配。奪われた、命の気配だった。
 エヴァンジェリンは、自分の足が震えているのを感じた。
 自分の罪ではないとしても、少女は、今のこの気配を真正面から受け止めるほど強くはなかった。だが、それでも。少女は、ゆっくりと、居間へ向けて足を進めた。進めるしか、なかったのだ。

 居間に足を踏み入れたと同時に、エヴァンジェリンは自らの背中が凍えていくのを実感する。
 静か過ぎる家屋の中に、響く音は二つのみ。エヴァンジェリンの息遣いと、歩みを進めて軋む音だけ。
 それ以外に、生物の息吹など無い。生物の息吹など無いのに―――ソファーの上に腰掛けた少女は、夢見るように眠っているかのようにしか見えなかった。
 確実に死んでいるのは、直に理解できていた。
 ソファーの上に腰掛けているかのように見える少女は、完全に死んでいる。
 それは、心臓が一切動悸していない事と、呼吸によって起きる胸の上下がまったく確認できない事からも容易く認知できたからだ。

 エヴァンジェリンは、その正面に立つ。
 夢見るように眠っているようにしか見えない少女と、その膝の上に居る、胴が真っ二つに裂かれた白蛇。
 良く知っていて、数回声をかけた程度でしかない筈の二人が、確実に死んでいた。
 周囲には魔術品が不規則に、しかし、規則的に配置されこの家屋の温度を常時に渡って適温で保つように仕組まれていた。それは、かの、赤い魔法使いの手による最後の一仕事。
 両目を閉じたエヴァンジェリンは数滴泣いた。彼女も、また一人になってしまったのだと。
 そして一人で、消えていってしまったのだと。
 あの日の夜。天へと消えていった、あの漆黒の結晶体。ソレと共に、赤い魔法使いは、往ってしまった。

 これほど泣いた事は無いと思えるほどに泣いた少女は、泪ながらにソファの上に腰掛けて動かない屍にゆっくりと手を触れ、気付いた。
 肌が、仄かに暖かい。
 死んで居るのは間違えない。確実に死亡しているのは確実だった。
 だが、肌は、仄かに温かく血管内の血液は温度差によって循環作用が成されていた。
 そうして気付く。触れた肌から感じる小さな魔力の気配。
 かの、赤い魔法使いが最も得意としていた炎,熱系魔法の一環。熱光体を内部へ埋め込む事で、外部からの魔力を常時吸収。
 ソレによって死亡して、もう、生態維持を保てなくなった存在の肉体を保持し続けるという特殊な魔法であった。
 エヴァンジェリンは小さく微笑み、自身に残った僅かな魔力。
 解き放てば、二度と魔法が使えなくなる知りながらも、優しく微笑み目の前の少女へ語り掛けるように―――

「バカめ。体温調節機能だけ取り戻しても、肉体が腐らないとは限らんぞ」

 差し向けられた人差し指。
 そこから、青白い光の軌跡が、一人と一匹の体を包み込む。超低温の魔力。それが、少女と白蛇の体をゆっくりと包む。

「最初で最後の大サービスだ。炎と氷。相反性属性による一大競演は、恐らくこの世界でも未だに確認されて居まい」

 少女の解き放った魔力。
 それは、超低温による肉体停滞の魔法。氷と言う、如何なるものをも凍てつかせる少女の魔力大系。
 時間までは凍てつかせられないが、肉体を細胞レベルで凍結。その状態のまま保持し続けさせるなど、容易くも、それは最後の彼女の魔法だった。
 吸血鬼だった少女は、自身の魔力が完全に尽きたことを察する。
 もう二度とは戻らない魔力。そして、『深き死』の副作用による寿命消費。
 吸血鬼としての性質を持ちながらも、吸血鬼としての能力を全て失ったに等しい彼女は、ただの、人間だった。

 少女は家屋を後にする。勿論、バーストさせてこじ開けた扉には更に強固な呪縛を施した印を掛け、それで、本当に全魔力は尽きた。

 悪の魔法使いだった少女は、ただの人間に、成った。

 天を仰ぐ。青い空。風が往く。雲が往く。鋼性種も、往く。
 視界の端に、銀色に輝く糸のようなものを捕らえた気がした―――

 悪夢の様に、しかし、覆しようも無い現実となって現れた巨大な残影。
 夕日の様に、しかし、陽炎のような儚さと鮮烈な輝きを伴った虚影。
 聳え立つ銀色の塔に、二つの影が行く。それは、日中であるにも拘らず酷く、青い空に栄えた。

 視界の端には、深紅の翼の、小さな小さな、鋼性種が―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 その年の夏の終わりに、多くのものが失われた。


 ベッドに横たわっていた雪広あやかの枕元に、ふくよかな胸の女性が立つ。
 冷笑と言う表現が似合う笑顔を浮かべる彼女は、つばの長く、丸い帽子を脱ぐと、特徴のある髪飾りで縫いとめられた黒髪に日光を返し、彼女の枕元に腰掛けた。

「雪広財閥の次女がそんな怪我しちゃダメじゃないの。はやく良くなりなさいよ、いいんちょっち。
 怪我が治ったら、ちょっとお話があるんだけど。
 うんうん。来年あたし、卒業でしょ? だから、後を継いで欲しいと思ってさ」
「……? それは……華道部の事ですの?」

 枕元に腰掛けた黒髪の女性は、僅かに冷笑し―――

 

 

 

 

 

 

 


 その年の秋。麻帆良は、今までに無いほどの色に包まれた。

「せっちゃん? アスナ? 何処行ったん? 何処に居るん? 此処、何処? 外……もう、秋なんやね……」

 10月17日。近衛木乃香、意識回復。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 その年の冬。彼女の背中に、その寒さは堪えた。

 


 風が吹く丘。風に揺れる草の波。果ての果てまで続く地平線が見える中に、二匹が立つ。
 一匹は巨大な虎の様な獣で。もう一匹は、深いローブを着込んだ、しかし、その目には理性の無い、何か。
 日本では冬。しかし、此処ではあの時と同じ―――夏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 2004年。次の年。一度目の春。少年は去り、数人が泣いた。卒業、そして、入学。高校一年。

 

 二度目の夏。一年目の夏。数人が去り、幾数人は高校へ上がっていた。

 

 二度目の秋。去った数人が戻り、しかし、帰ってこないものは相変わらず。

 

 二度目の冬。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。中等部総合委員長に任命。

 

 2005年。二度目の春。鋼性種の存在が全世界へ発露。大国の幾つかは攻撃。ただし、失敗。翌年、滅亡。

 

 三度目の夏。二年目の夏。アレから二年。原因は自然災害と発表。ただし、麻帆良の人間でそれを信じた人は居ない。

 

 三度目の秋。近衛木乃香、薙刀部へ入部。

 

 三度目の冬。新校舎建設が工学部の助力も在り、完成。大規模校舎は中等部、高等部併合との事。

 

 2006年。三度目の春。鋼性種の名称が全世界に知れ渡る。発表者名、故人ながらも『機能得限止』

 

 四度目の夏。三年目の夏。何も無い。鋼性種、世界席巻は承知の事実。
 四度目の秋。何も無い。オゾンホール再生。鋼性種の手によると発表。
 四度目の冬。麻帆良。絡繰茶々丸MkU、工学部完成発表。試験投入された家庭名……マクダウェル。
 2007年。四度目の春。元3-Aの生徒、高校卒業。幾人かは就職。近衛木乃香、大学進学。
 エヴァンジェリン、中等部二年生。麻帆良。全被害復興完了。
 ただし、樹木等の除去は不可。世界初の鋼性種共存学園と成る。

 五度目の夏、秋、冬。四度目の夏が来ても、何一つ、変わらない。

 

 


 そして―――五度目の春が来る。
 近衛木乃香、20歳。麻帆良学園大学部二年生進学。薙刀部副主将。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。麻帆良学園中等部二年生進学。中等部総合委員長。
 三ヵ月後に、五年目の夏を迎える、四月の終わり。数週間後には、桜散り始める僅か。
 今日もすこぶる世界は平和で。


 五年越しに、少女たちが帰ってくる。

 

 

 

 

 


 不 死 鳥 飛 翔
 突貫魔法少女最終章――It burns beyond a Horizon is my Flare――

 一 撃 抹 殺
 突貫魔法少女―ホライゾン― TURTH CHAPTER:片翼

 五年越しに、彼女らが帰ってくる

第四十四話(前編) / ‐HORIZON‐ TURTH CHAPTER 第四十五話〜年月〜


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