第四十六話〜日々〜

 

 何か変わったのか、何も変わっていないのか
 それすら、解らない

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「おねーさーん!! 私コーヒーねー!! あ、ブラックでいいわー!! このかは? なんにする??」
「せやなぁ……ウチはミルクティーでええわ。奢って貰うんやもん。高いの、頼めへん」

 気にしないでいいのにー。相変わらずの勢いで注文を取ってくれるハルナを前に、ずっと前まではユグドラシル言う名前だった、けれど、今はメタルハープーン言う名前に変わったカフェテリアで二人してまんまえに座っとる。
 ハルナは、全然変わってへんかった。きっと一番変わってへん。
 眼鏡はちょっと厚くなってもうたし、血色もちょっと悪うなってる。
 頬も痩けて、やつれた感じがするのは否めへんけども、なんや元気でやっとるみたいやった。

「それにしても久々よねー。一年ぶりだっけ? 薙刀部の方、どう? 順調かいな??」

 にこにこくるくる変わっていくハルナの笑顔は綺麗やった。
 ハルナも今年で二十歳やけれども、まだ十九や。花の十代、きっと楽しんでいるんやろな。
 せやないと、此処まで綺麗な顔立ちは出来へん。ウチには、もう出来へん笑顔やもの。

「……うん、順調やよ。一週間前に京都であった全国大会でも準優勝とってし、ウチは副主将にも抜擢や。
 順調すぎて、ちょっと怖いかもしれへんな。ハルナはどや? お仕事、頑張っとるん?」

 運ばれていたブラックのコーヒーから唇を離して、ちょっと遠い目のハルナ。
 聞いたらあかへん事、やったかな。せやったら謝らなあかへんのやけど。けど、それを口に出すより早く。

「うーん、まぁ順調といえば順調かな? 漫画家デビューしてから二年半経つけど、悪くないよ?
 月刊一本に、週刊一本。新参作家としちゃ、これ以上ないんじゃないの? ってぐらいかねー。
 まぁ今日は……修羅場逃げよね。うん。流石に一月部屋に篭りっぱなしじゃぁ体も悪くなるからねー。黙って出てきちゃった。
 まぁ、ペン入れまでは終わってるし、アシだけでもなんとかなるでしょ。あ、でも今頃は“せんせー! 先生は何処ですかー!?”とか叫びながら捜しているかもねっ! あははー!!」

 口真似に、思わず口元が綻んでもうた。相変わらず人を笑顔にさせるのが上手い子や。
 そう思うと、懐かしゅう思えた。中等部の頃のあの騒がしさ。
 もう、二度とは取り戻す事も叶わない、あの頃。皆がおって、ウチが笑って、せっちゃんも居て、ネギ君も一緒で、そして、明日菜も―――

「―――髪、あの時のままなんだね」

 顔を挙げた。目の前には、コーヒーに唇をつけつつも、何処か切ない表情のハルナがおった。
 多分、ウチの表情は曇っておったんやろな。せやから、楽しそうな表情だった筈のハルナの表情も曇らせてしもうたんや。ダメやな、ウチ。
 髪を、梳く。右手を左の肩に回して、黒い髪を梳く。
 後輩達は、ホントに綺麗っていってくれるけど、必ず一言だけ付け加えてくる。
 それは、どないして、長さを合わせへんのかって言うんで―――

 ウチの背中には大きな大きな傷がある。
 五年前。茶々丸さんに似た『何か』に背中を切りつけられて、ウチは、四ヶ月間意識不明やった。
 その時、伸ばしとった黒髪もばっさり切り落とされてしもうて、それを残念がってる余裕も無く、せっちゃんが京都に帰って、明日菜が行方不明になったの知って、ネギ君は、ウェールズへと。
 皆、ウチが好きになってくれた人は、皆、遠くへいってもうた。
 だからからやない。だから、伸ばした髪はそのままなわけやないんや。この髪は、きっと戒めや。
 何も出来へんかったウチの。ウチを助けようとしてくれたせっちゃんに、何一つ返せんかった事。せっちゃんだけやなくて、ネギ君、明日菜他にも、沢山に人に迷惑かけたんに、何も出来なかったウチへの、ウチ自身への、戒め。
 それが、この、足元近くまで伸び取るくせに、斜めに断ち切られとる黒髪のワケ―――
 ハルナの顔色は変わらへん。ウチも、ハルナももう大人や。口に出さな、相手の気持ちが解らへんけど鈍やない。
 お互いに顔は見合わせるだけで、同時にコーヒーとミルクティーに手をつけて、同時に離す。

「……最近思い出すのは、やっぱ、中学生の時の事かな。一番楽しかったし。
 けど、驚いたのがその次に思い出す比率が多いのが機能得先生の事なんだわ。
 勿論ネギ君ほどじゃないけどね? ネギ君が担任だった頃は楽しかったわー。毎日冒険冒険!! みたいでさ。
 でもね、この歳になって、仕事も持って、自分の意思で次を考えるようになって、思い出すのは楽しかった思い出も勿論なんだけど、前以上に、機能得先生の言っていた事を思い出すようになったのよね。
 転がっていく小石、ね。うん。そうかもしれないだわね。仕事をやってると、ホントにそう思えてくるわ。
 どんどん自分が磨り減っていく感覚。けど、その磨り減りながらも、自分を必死で加速させてるの。
 毎月毎週、登載雑誌の搭載順位が気になってしょうがないわよ。
 ホラ。私って実績無いまだ駆け出しの新人でしょ? だから読み手のニーズにはしっかり答えなくちゃいけないワケ。ファンが離れていかないようにね。
 読み手がどんなものを望んでいるのか。今の読み手の間柄でのファッションや流行とかは何か。
 そう言うのをかき集めて、漫画に書き込んで、少しでも手にとって、読んでもらえる。
 ソレを完成させるためには、毎週、その問題に向かっていく速度を上げていかなくちゃいけない。
 機能得先生言ってたでしょ? 加速が無くちゃ、問題と言う名の大岩は砕けない、だっけ?
 毎週の登載。毎月の登載。その問題に向けて、必死こいて加速していくの。
 そうして、無事砕けたら次。その次も、また次。ソレの繰り返し。漫画家は寿命縮めるわよねぇ。ホント、機能得先生の言ってた通りだわ。
 ああ、そう考えたら、飴と鞭だったわよね。ネギ先生は優しくて、私たちに強くなるって事の大切さを教えてくれた。
 でも機能得先生は厳しくて、それでも、私達が成長した時にどうやって世の中を生きていくのかの術を教えてくれた。
 どっちも、先生としてはいい先生だった。正直にそう言える二人だったかな?
 人柄は、ともかくね。良くも悪くも、二人とも先生だったってとこかな」

 ウチも思い出してみる。機能得先生。うん、正直にあの先生と会えた事を感謝しとる。
 ホントに、あの人の言葉は今でも礎に出来るぐらいに大切な事やっただろうって思える。
 何かを残せる人間になるように。そういってくれた人は、ちゃんと残していてくれた。
 あんまり、有り難いものとは違っとったけど、それでも、今の世界ではとっても大事なこと。
 この、鋼性種が現れた世界においては、とってもとっても大事な何かを残して、あの人はいってもうたんや。
 ハルナも、漫画言うものを残して前を目指し取る。

 皆、皆そうやった。高校に挙がって、皆で将来の事を話し合った時、真っ先に出てきた言葉は、以外にも機能得先生の言葉。
 何かを残せる人間になりたい。それが、その時話した言葉。未来を繋ぐ為に必要やった、大事な言葉やった。
 ネギ君の言葉やなくて、機能得先生の言葉やった言うのが以外やった。
 機能得先生とは欠片ほどしか話した事が無くて、ネギ君とは一年ちょっとも一緒に居て、京都の時からごっつう仲良うなって色んな事も一緒にしてきたのに。
 居なくなって、いざ大切な事を考えると、真っ先に浮かぶのが機能得先生の言葉で、ネギ君は二番目やった気がする。
 それは、ネギ君より機能得先生の方が大人で、ウチらの事、ホントに大切思ってくれていたんやないかなって、心底に思えてくる。
 人生の先輩やから、先生。
 そういうこっちゃ。

「……うん。そうやよな。ウチも似たようなもんかもしれへん。機能得先生の言葉の方が、思い出す事多いかもしれへん」

 それは、きっと反抗心なんやと思う。
 皆ウチを置いていってもうた。せっちゃん。ネギ君。明日菜。皆、ウチを置いてけぼりにして行ってもうた。それが、ウチは許せへんのやもしれない。
 ずっと守られっぱなしで、何一つ返せなかったウチ。何かを返そうとしても、返そうとする人たちがいなくなっていく。
 せやから、いざ大事な時に思い出したんは、ネギ君やせっちゃんとの想い出とはちゃうくて。
 機能得先生や、他のクラスメイトの皆の事。思い出すほどの想い出にはせず、あの三人に対して、ウチは、反抗しとる。
 ピキリと、ミルクティーの入ったカップから音がする。
 ちょっと、力を込めすぎたかもしれへんな。それでもウチの心の中身は変わらへん。
 ミルクを注いだコーヒーみたいに、ドロドロになって混ざり合っていくんが解る。

 正面のハルナの表情が強張っていくのは見えとる。正しくは、こうやって誰かの表情が強張る場面をウチは知っとる。
 三人が居なくなってから。ウチは、こうやって心の内側を何処と無く、誰とでもなく、解き放ってしまうようになってもうた。

「……このか」
「ウチ、アホなん。帰って来る筈あらへんのに、帰ってくる信じて待っとる。
 五年やよ? あれから五年や。跡暫くすれば桜も散る。したら、夏や。ウチがいっちゃん嫌いな季節や。あの夏が帰ってくる。
 皆は、三人は帰ってけーへんのに、夏だけが帰ってくる。そんなん、ウチはやや。
 どうせなら皆帰ってきたほうが嬉しい。せやのに、帰ってくるのは夏だけや。
 なんなん。ウチ、そんな悪い事しとったか? ウチ、皆から嫌われとったんか?
 なぁ、せっちゃん、ネギ君、明日菜。……三人は、ウチの事。足手まとい思うて―――」
「このかっ!!!」

 怒鳴られて、漸く気が付く。カップに罅が入りそうな勢いだったんか、それだけの震えが伝わっていたのが一目で解る位に、カップから液体が溢れとった。
 多分、ハルナが怒鳴ってくれへんかったら、砕け散らしてた思う。

「……ごめん」
「……いいよ。不安なのは私も同じ。尤も、不安だって言うなら五年前からずっと不安だけどね。ホラ」

 天を仰ぐようにして椅子に凭れかかったハルナに続いて、ウチも天を仰いで見る。
 見上げた先には一面の翠の天。
 葉と葉。枝と枝。花弁と花弁。
 その間から差し込んでくる光が、今ウチらが自然界の真下で生かされているゆうのを実感させてくれる。
 その、向こう側の空。そこを、悠々と一体の影が行っとる。銀色の外殻に身を包んだ、大きな大きな巨影。
 五年前に此処を中心として全世界に発露した生物。鋼性種。
 幾つかの軍事大国言う国がなんやら良くわからへん大儀とかいうんを掲げて攻撃を仕掛けたけど、それが全然効かへんくて、結局、次の年まで持たへんかった。
 攻撃した国は、今では翠の底で、紀元前前に戻ったみたいとなんやTVの特集で言っとった気がする。

 生き残った人は―――と言うても、鋼性種は単に攻撃してきた国を翠で支配しただけで、一匹の蟲も殺さへんかったんやけど、異常に翠が増えた所為で酸素濃度とか言うんが異常化して、人間の身体がソレに堪えられなくなって死んでもうた人が一杯いて、僅かに生き残った人は無事な国へと避難せざるせーへんかった。
 五年前は魔法で騒がれて、二年ぐらい前までは鋼性種で騒いどったクセに、今じゃ何処のTVや新聞でも魔法の事も、鋼性種の事もフツーに放送されたり書かれたりされとる。
 魔法使い言うのが居るゆうのはいまや全世界認知の事やけど、今じゃ誰も気になんかしとらへん。
 鋼性種が、もっともっと異常な存在やからしょうがあらへんけどな。
 麻帆良もありえへんぐらいまで翠に満ち満ちてもうたけど、人がそれなり多く住んでいる場所やから、適度に酸素濃度とかも調節されとる。
 都心に近いゆーのに、此処の空気はビックリするぐらい美味しくて、水も湧き水みたいに浄化されたんが各家庭に送られとる。
 戦争は無い。汚染も無く、それでも、ウチらはちょっとずつ数を減らしとってる、この地球の上。
 ハルナが不安になるんも、解らへんわけでもない。

「鋼性種か……機能得先生も気の効いた名称を冠してくれたもんよね。
 今度、私エッセイ集出すんだけど、それにちょっと鋼性種のコト書こうと思ってるのよ。アレがどんなもので。どんな定義で存在しているのか。
 鋼性種ってのをこの世に知らしめた機能得限止先生の教え子としてね。
 まぁ、大半は勿論漫画のことだけどね。出来の悪い生徒の僅かな感謝の気持ち、ってトコよね」

 コーヒーを飲み終えたハルナが、ビックリするぐらい穏やかで綺麗な顔立ちで言う。ウチも、これぐらい綺麗に笑えたら思うんやけど、そう思っとったら。

「だーいじょうぶだって。アンタ今じゃ誰もが振り向く京美人よ? 私よか全然綺麗に笑えるようになるって。だからそんな顔しないしない」

 ……ホントに驚いた。でも、なんか嬉しい。
 うん。ハルナって昔からこんな感じやったかもしれへん。
 意外と鋭くて、皆の事良く見てる人。それが、ああ、ウチの友達の早乙女ハルナって言う子やったんやな。
 そこで、遠くから声が聞こえた。せんせー、せんせーって。
 それが、さっき真似したハルナの声とすごく似てたもんやから、思わず顔を見合わせて笑ってもうた。
 ホント、久々にやけど、素直に笑えた気がするわ。

「さてさて。そろそろ時間切れか。あ、愚痴っぽい事ばっかりいってゴメンね。
 次はもっと長らく語りあおうや、友よ!!
 あんまり思いつめないようにね。待つのばかりは疲れるじゃん? ホラ、笑え笑え!!
 んじゃ、お代此処に置いておくから。のどかや夕映によろしくねーーー!!」

 走り去っていく後姿に軽く手を振り、さっきまでハルナの居た席を見据える。
 変わってへんかったのも嬉しかったけど、何より、それを上回って、ウチは羨ましかった。ハルナの素直さ。ハルナの、あの快活さが。
 ああ、やっぱりウチは変わってもうたんや。そう心底に思える。
 昔は、些細な事にも鈍感やったけど、今は違う。何事にも敏感になってまう。それも、悪い方悪い方に物事を捉えがちや。

「平気やよ」

 誰とでもなく、一人呟く。天を仰いで、木漏れ日差し込む木々の隙間から、あの銀色の巨影を見上げて。

「待つのも待たされるのも、慣れてもうた」

 一瞬暗くなった世界に、思いを埋めた―――――

 俯いた先。
 カップの中に映ったウチの目は。
 あの日から変わらない、虚ろなまま―――――

 ――――――――――――――――――――――――――――鋼塔大校舎下層 グラウンド

「あーこのかやん」

 昨年大改築された校舎に応じて大工事されたグラウンド。
 その端のちょっと小高い坂になってる処の上を歩いとったら、水色の女の人に声をかけられた。
 ああ、うん。この人も良く知っとる。クラスメイトで、今でも時折は良く会う、あの、和泉亜子や。

「亜子。元気そうやね」
「このかもなぁ。ウチは……あはは。まぁ、見ての通り中等部の女子サッカー部の顧問担当でしっちゃかめっちゃかやわ。
 今年は結果を残さなあかへんからなぁ……ちょっと厳しくいっとるんやけど、上手くいかへんわ。生徒からも先生なれてなーいなんて言われるしなぁ……
 優しい先生には無理無理とかも言われてるん。素直に看護婦の方に就職しとった方が良かったかもしれへんなぁ……」

 誰もが成功の道をいってるわけはあらへん。
 そんなん、ずっと前から。ウチが大学に入る前から知っとる。
 亜子もそんな一人で、会うたびに聞くんはこんな愚痴話が殆どや。
 でも、亜子はそれを選んだ。選ばざるえなかった言うのが、いっちゃん正しいかもしれへんけど。
 五年前の重傷。亜子は、一年ちょっと運動出来へん程の傷を負っとった。
 それが元になって、亜子は限りある未来の選択肢の幾つかを潰されて、今のこの道に居る。
 選んだ道は、その人だけのモンや。せやからウチは何にもいわへんで、亜子と二人並んで、ごっつう広いグラウンドを感慨いだけへんで見通しとった。

「今度、また一緒にカラオケでも行くか?」
「あはは、ソレもええなぁ。のどかにゆーなも連れてったろかな。二人とも急がしそうやし、気晴らしぐらいには……ん?」

 ふっと、グラウンド全体が暗くなる。
 活動しとった全運動部員も、全員その動きを止めて天を仰いどった。
 その理由は、なんやもう慣れた光景やった。
 五年前ではもっと騒いどった筈やけど、今じゃ見上げる程度が関の山かいな。
 まぁ、それだけウチらの生活に近い言うことなんやけど。

 応じて、ウチと亜子も空を仰ぐ。
 結構珍しかったから、今日はええコトか悪い事が起きそうやな。そう感じた。
 雲より低い高度。ものすごい重低音みたいなん地響きを響かせて、巨影は行く。
 Aクラスランクの大きさを誇る鋼性種がここまで低空で飛ぶんは珍しい所為か、グラウンドの部員の何人かは携帯カメラで撮影までしとる。
 慣れた光景。日常に組み込まれた超常は、もはやただの日常やった。
 どれだけの異常光景やったとしても、それが毎日毎日、それも五年間繰り返されたんなら、それはもう日常や。そんなん、誰だって、小学生でも知っとる。

 鋼性種に手出し口出しする人間は誰もおらへん。
 手出ししてええ結果が出た事はない。日本でも、下手に手出しした県の幾つかが翠に沈んだ。
 どこぞの都道府県やったかは知らへんけど、世界樹よりおっきな爆撃みたいな木が生えている言うんは、鋼性種の仕業やった。
 そんなんやから、誰も鋼性種には言わへん。それだけ鋼性種言うんが異常ちゅうコトなんやけどな。

 二年前の春。高畑先生が、なんや幾つかの資料を持ってTVに出たんを知っとる。
 資料を書いたんは機能得先生で、高畑先生は、それを先立って述べた上で、その資料を学会へ提出した話しやった。
 内容は鋼性種に関するもん。全ては考察で、事実とはちゃうかもしれへん事やったかもしれへんけど、当時そこまで鋼性種に関して詳しい解説が述べられている資料はあらへんから、学会は正式にそれを鋼性種と呼ばれる生命体として事実登録を行った、いうのがTVで見た話やった。そして、その資料内容の幾つかは、TVでも公開された。

 鋼性種分類。それは『自然界・第101門・新生類(鋼)・永続類(目)・真命類(類鉄鋼亜門)・鋼性類(最上科)・鋼性種』。
 加えて亜種体には『攻撃能力特化型鋼性種・攻勢種』
 『防御能力特化型鋼性種・鋼製種』
 『再生・復元能力特化型鋼性種・構成種』
 以上から成る三区分にも分けられているのを知らされた。

 鋼性種に攻撃を仕掛けた国の攻撃兵器群を破壊した鋼性種は、口(と思われる)部位の正面の空間を湾曲させて何かしらのエネルギー波じみたものを解き放っていたっちゅうのがTVの映像で流されとった。
 それが人間言うのが生み出した攻撃兵器を木っ端微塵にしていく様。
 人間から見ると、それは破壊活動を行っているゆうに見えへんかもしれんかったけど、それを見ていたウチは、もってやってまえ、本気で、そう考えとった。
 あんなモンがあるから人間同士で争うんや。そんなら、何一つ残さず破壊しつくしてしまった方がええ。
 事実、日本だけやなくて、全世界中の軍事施設は片っ端から鋼性種……攻勢種の攻撃を受けて壊滅状態。死人なんて誰もでーへんで、兵器群だけを壊しまわったんや。

 そうして、壊され尽くされた軍事施設に現れた鋼性種……きっと構成種やろうな。
 それが、そこを一夜で翠に沈めてもうた。そこを復元させる間も与えず、鋼性種は、あっさりと世界を翠で埋めていったんや。
 今、地球上に武器は殆どあらへん。近代兵器言うのは昨年ぐらいに完全廃棄案が提出されて、それが通ると鋼性種の動きは少なくなった聞いた。
 加えて、最近は古代武器廃止案も挙がっている言う事や。つまり、鋼鉄製からなる剣、槍、弓、銃、そういったもん全部を廃止しようっちゅう案で、それが通れば、全世界中のそう言う武器は古今関係なく廃棄される事が決定するそうや。
 薙刀部や剣道部で使ってるのは竹刀や竹光やもんな。そう言うのは武器として認識されへんのか、廃止案は挙がっとらへん。
 そう言うんでは鋼性種は倒せへん言うのは誰でも知っとる事なんやろうな。

 武器が尽きれば、戦いは起こらへん。
 事実、三年ほど前から地球上での戦闘行為は一切行われなくなった。
 戦争なんやっとる場合ちゃう。皆ソレに気付いたんか、誰も攻撃やせーへんようになって、今みたいに穏やかな日々が過ぎさっとる。
 鋼性種は、ウチらを滅ぼそうしとるんとはちゃうん。ただ、ウチらなんぞは眼中にもあらへんだけや。
 だから誰も殺さず、兵器だけ壊して、自然を、今日の今日まで人間が散々傷つけてきた自然を復活させようとけっぱっとる。
 鋼性種はウチらの味方やない。味方やあらへんけど、敵でもあらへん。そう言うことや。

「今日は日差しが強いからなー。もちょっと居てくれても怒らへんのに……鋼ちゃーん、もうちょっといたってぇー」

 それはちょっと慣れすぎやろとも思うけど、それぐらいはしたってや、鋼ちゃんは慣れすぎと違うん?
 けど、そんなウチらの思惑なんぞは聞く耳持たず。でっかい鋼性種さんは、あの地平線目指して、悠々と空をいっとった。
 グラウンドに差し込み始める光。流石に、グラウンドには木々は生えとらへん。
 元々生えてなかったらしくて、そこを利用してグラウンドを作ったらしい。
 せやないと、木々を倒してグラウンド整備しようモンなら、今頃麻帆良なんぞはとっくの昔に翠の底も底やろうな。

 世界初の鋼性種共存学園都市。去年の学園祭は、あの五年前の事件から四年ぶりの学園祭やった。
 その時の盛り上がりは、四年ほどやあらへんやったけれども世界中から色んな人がきとったっけ。
 勿論、麻帆良の学園祭なんぞには興味は無い人ばっかりや。目的は鋼性種。そして、その鋼性種が世界中の何処よりも集結する、現麻帆良高等部中等部両立校舎がまとわり付くように建てられとる、あの鋼塔。世界中の人たちは、ソレを見にきとった。

「せんせー!! 早く教えてくださーい!!」
「んー!! 今行くでーーー!! ほなこのか、また会おな」

 ラフに手を振り、亜子がグラウンド目掛けて駆けてく。選んだ道は難しいかもしれへんけど、選びたかった道は選べへんかったけど、亜子はその道でがんばっとる。
 ウチも頑張りたい。ホントに、切実にそう思っとるけど、やっぱり難しいもんやな。必死に頑張るんも。全力で生きていくんも。
 道は遥かに。飛び去っていく鋼性種の跡を追うみたいに、ウチは借りとった本を返すべく、五年前以上の大きさになった湖の真中に在る、あの図書館島を目指す―――

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――図書館島

 図書館島。世界有数の蔵書量を誇っとる場所で、戦時前の貴重な文書なんぞも此処に保管されている聞いとる。
 尤もそれは五年前までのお話や。今の図書館島は五年前とは少々異なっとる。
 まず、地底図書館は潰れてもうた。あの光苔輝いとった場所も、一気に増えた水量に負けて、押しつぶされてもうたんや。
 結果、地底図書館にあった本の殆どは損失、あるいは、あのアルビレオさんの手で表立っての図書館島本館に移動された。

 今までの図書館島じゃとてもそんなに一挙に増えた蔵書を捌く事なんて出来へんから、増築に増築が重ねられて、図書館島は異様な形状をした縦と横に巨大な大建造物になってもうた。
 せやから、図書館島と言う名称は今は使われとらへん。
 学園都市の人たちは、此処をエンブリオ大図書館呼んどる。
 “エンブリオ”は“未成熟・未発達性”言う意味があるらしくて、それは、三年前に一挙に増えた蔵書を未だに捌いとる言う作業進行中故から付けられた名前やった。

 此処、エンブリオ大図書館の管理員はあのアルビレオさん。
 此処に住んで、今も、学園総合図書委員の人らと回収した、今も、回収しとる蔵書の整理に日々大露やってのどかから聞いた。
 中には夕映も居て、一時期、まる一年、夕映が此処から出てきーへん事もあったぐらいや。
 その薄暗くて、変なにおい。紙の匂いする中を進んでいく。
 左右を見渡せば本棚。上を見渡しても本棚。ちなみに、今ウチが歩いているんも本棚の上や。ホントに。それぐらい一挙に蔵書が増えてもーたんや。

 返却口を捜している暇はあらへん。正しく言うんなら、このエンブリオ大図書館には返却口言うのが存在しとらへん。
 本を返却に廻している様な余裕はあらへんから、此処で働いとる係員の人や、学園総合図書委員の人を見つけたらその人に渡す。そんなんが、今のエンブリオ大図書館を成立させとった。
 右往左往上に上がってドアを開いて下に下がって。なんや、どこから拾ってきたのかもわからへん様な歯車の上を数歩で飛び越えて、係員の人や総合図書委員の人も捜す。
 実際、係員の人でも、一度迷ったら二度と出られへん言われているほどの大きさの図書館になってもーた場所や。
 現在此処の正確な蔵書量と回路図を頭に叩き込んでるんは、住み込みの係員の人か、管理人のアルビレオさんぐらいやろか。
 そうしてK-249800と記された本棚を右に回った時、目の前に、ごっつう髪の長い、けど、ウチより頭一つ分ぐらい小さな女の子とぶつかりそうになってもうた。

「あー……ご、ごめんなさいー…………あれ? えっとー…………こ、このかさん……ですか?」
「のどか……元気そうやね。これ、借りとった本。此処で返してええかな」

 人魚さんみたいに髪の長い女の子。
 それこそ、腰どころか足元まで伸びとる。
 ウチとタメ張れるぐらいまで髪を伸ばしてるんは、宮崎のどか。今は此処で働いとる、エンブリオ大図書館副館長を務めている子や。
 ネギ君がいってもうてから、のどかの性格は前以上に暗なった。
 髪は見ての通り伸ばし放題にして、目どころか口元まで隠れている始末や。
 可愛かった見た目も今は形無し。髪を挙げればきっと今でも可愛らしい顔立ち覗ける筈なんに、のどかは、断固としてそれを選ばんかった。
 頷きだけでウチから本を受け取ると、後ろ手に引いていたどっさり本の詰まれたカートに積んでいく。
 慣れた手つきと、五年前から比べて遥かに体力が付いたことを用意に想像できるそのカートに詰まれた本の量。

「のどか。まだ持ってるん?」
「え……? う、うんー…………」

 ポケットから取り出されて、両手添えで差し出された一枚のカード。
 五年前の、一番活発だった頃ののどかが笑っている姿のプリントされた、カード。
 それを手に取り、眺めて、思い返す思い出は、露の様に儚くて、霞の様に良く見えへんで、でも、思い返されることの殆どに反論しぱなっしのウチが居った。
 魔法使いのネギ君との契約の証。ウチは、ネギ君が帰ってまう一日前に契約を解除しとるから、もうこのカードは持っとらへん。
 でも、のどかは、そして明日菜は解約は行われへんかった。明日菜はそのまま姿を消し、そして、のどかは今もこうしてカードを持っとる。
 それを責めたりはせえへん。寧ろ、殆ど捨ててしもうたウチなんかよりものどかの方がよっぽど前を向いて生きている言えるかもしれへんぐらいやもの。
 髪が伸びて、大人の女性らしくなったウチとのどか。今、ウチら二人を見たら、ネギ君とかなんて―――やめよ。ありえへん話を持ち出してもしょうがあらへん。

「よっしゃ、ウチも手伝ったる。カート運ぶえ」
「あ、い、いいですー……重いですからー……」

 構へん構へん言いながらカート押そうと力を込めた。が、びくともせーへん。
 そりゃ山積み言う表現が一番際立つような量の本が乗っけられとるカートやけども、何もこんなに重うせーへんでもええやん。
 女性に運ばせる言うのは、ちょっと酷思うわ。そう思えるぐらい、重いんやもん。

「の、のどか。毎日こんなん運んでるん? 重ないの??」
「は、はいー……でも今日はまだちょっと少ない方ですからー…………」

 そう告げて、長い髪の図書係員の子はウチと変わってカートを押し出す。
 その光景、とても信じられへん。薙刀部は確かに腕力は使わへん武道けれども、それでもウチは結構腕力は上位に入る方やもん。
 そのウチが全然動かせへんで、のどかは両手で軽く押してるよーに見える。とても信じられへん光景やわ。
 跡でのどかに聞いてみたなら、何でもコツゆーんがあるらしくてそれは長年図書館で働いてえーへんと身に付かん技術らしい。
 そりゃウチには運べへんやわ。ウチの腕力の使い方とのどかの腕力の使い方は違うんやね。
 五年前、あんなんに細かった腕のままにのどかは自分で自分の力の使い方を身に付けとる。

 各所に設置されとるエレベータなんか使いつつ、奥へ行ってるんか入り口に戻ってるんか解らへんままにのどかに着いてく。
 此処で個人的な行動はもうご法度やもん。迷って骨だけになっても、それは此処の係員の人の責任とは違くて、迷った人の、係員の人の指示に従わんかった人の責任になる。それは、もうエンブリオ大図書館では承知の事実なってる。
 日の光が目に入る。見上げれば、いつの間にか大図書館の最上階付近にまで到達しとる。
 大図書館は縦にも長めやけど、横に広いんが真骨頂。高さを増すより、奥行きをもたせて見つけ出せるようにしたらしいけれど、実際はあんまり変わらへん思う。
 この本の量やもん。探す時、係員の人に言わな、一生かかっても見つけられへんか、あるいは、人生一回分の幸運全部使わな見つけ出せへんぐらい。

「ひ、一先ず此処でお休みですー…………お水、汲んできますねー……」

 カートを小さめの木を囲んで設置されてるベンチの横に置いて、のどかが奥の方に走っていく。
 大図書館の基礎部は図書館島だったときから比べてもあんまり変わってない。水が流れとったり、滝になっとったり。
 図書館思えへんぐらいに自然に溢れた、けど、今では見慣れてもーた自然に溢れた場所。それがエンブリオ大図書館。かつての、図書館島。
 ベンチに腰掛けて、光差しこんどるステンドグラス製の天井窓を見上げとる。
 暖かい光のクセに、時折翳る理由が鋼性種言うのが解ってしまうんは、ちょっと愛嬌やえ。

 両目を閉じれば静かな世界に水の音。ざーざーざーざー流れとる音が、遠くかったり近かったりして流れてる。
 …………思い出の場所は沢山消えてもーた。図書館島の幻の地底図書館。
 世界樹。皆で過ごした中等部校舎も半壊して、今日明日取り壊されるかもしれないゆーのを、この間ゆーなから聞いた。
 さよちゃん、大丈夫やよね。おじいちゃん、取り計らってくれるとええんけど。
 消えてった沢山の思い出の場所。もう、残ってるんはホントに思い出の中だけになりつつある。
 僅かに残っている場所も、一回こっきり行ったっきりで、最近はホントにご無沙汰なんは、しょうがない言って自分に言い聞かせている私が居る。

 ……意識が回復して、桜通りに行った。そうして見つけてしまったんは、明日菜の、あの大剣。
 片刃だった筈の大剣は何でか両刃の大剣になっとった。
 ネギ君が言った話じゃ、コピーの契約カードとマスターの契約カード二枚を組み合わせている言う事やった。
 あの剣、今でもあの場所に突き刺さったままなんかな。見に行ってへんから、解らへんな。

 ホントにあと残ってるんは此処だけ。
 昔はウチも図書館探検部だったんけど、今は図書館探検部はあらへんらしい。
 エンブリオ大図書館の蔵書整理が完璧やないから言うのも理由の一つで、蔵書整理が完璧になったら、無事に図書館探検部も設立する聞いた話あるんえ。
 でも、一生涯かかっても整理しきれてへん此処でもう一回図書館探検部を設立するんは難しい。
 あと何年かかるかも解らへんもの。そんなら、図書館探検部が設立する前に学園自体が潰れてまうよね。残念やよ。図書館探検部出来たんなら、ウチが部長になっても良かったんに。

 思い出を思い返す中で、物音を聞く。昔、鈍だったころなら全然聞こえへんかった程小さな音やろ。
 けど、ウチは五年前とは違う。薙刀部に入部してから言うもの、気配の読みには長ける様になったつもりや。
 エヴァちゃん曰く、ウチの魔力が接近戦用に書き換えられ初めとるから、全身の神経が鋭敏化しとる言うらしい。
 傍らの薙刀を引っ張りぬいて、音のした方へと向ける。コレはもう感覚的な反応。体に染み付いてもーた、薙刀部副主将としての気質なん。
 薙刀を向けた方。そっちに、両手に妙な字体で書かれとる本を携えた長身の子が一人。
 つま先から指先まで真っ黒い服装。黒のブーツに、黒の、肘辺りまで覆っているシルクのグローブ。
 長い髪の後ろでフィッシュボーン言う髪形で纏めている眼鏡の女(ひと)。
 ビックリしたかのように両目を丸く、両手を挙げているん女の人を、ウチはよう知っとった。
 薙刀を突きつけてもーたまま、ビックリした様子の人に微笑みかける。けど、それより早く―――

「行き成り薙刀を鼻先に突きつけるのは大和撫子とは言えど無粋と思うです。このかさん」

 身長推定178cm。眼鏡をかけたちょっと不機嫌なカンジの―――綾瀬夕映は、肩をすかして突きつけとった薙刀をその細い指でゆっくり下ろしていった。

「あはは。ごめんごめん。背後に立ったから思わずなぁ」
「貴女は某銀行に降り込めの殺し屋ですか……まぁ、いいです。先に声をかけるべきだったのも事実でしょうから」

 ウチより十センチ程度背の大きなんが夕映。五年間で一番成長したんは彼女に間違えない。
 身長の面だけやなくて、精神面。その他がすごい大きくなっとる。此処の館長を勤めてんは、夕映。のどかがそのサポートをやっている言うんが、今の此処の状況なん。
 私の横に腰掛けた夕映の佇まいは優雅っちゅうんが一番似合う。
 ソレと同時に一番似合うんが、知識人独特の隠匿なイメージやろかな。結構厚めの眼鏡に、明らかに外へ出ていない事を一目で理解させてまう真っ白い肌。
 けど、目を凝らしてよー見たら解る。目の下に、僅かなクマ。何日も寝てない証拠が、目の前の人をますます知識人っぽく、事実として知識人として見せてくれとる。

「夕映。何日家に帰っとらへんの?」
「正しく言えば三年六ヶ月と十八日間五時間十二分三十七秒です。
 寮に帰った所で大図書館の蔵書整理が進むわけではありませんです。いっそこっちに住所を移そうとも思っているです」

 まさか三年以上も帰ってえーへんかったなんて、気付かんかった。
 でも、まぁ夕映ならありえへん話でもないかな思うん。
 実際、五年前までは街中でしょっちゅう会っとったのどかと夕映の二人も、今では擦れ違いもせーへんもん。
 横に腰掛けた夕映の膝の上を見てみる。そこに記載されてる字体が何処の文字なんて言うのは、ウチは解らへん。
 せやけども、ウチや、喩えるなら、一度でも“あっち側”を覗いた人間が感知できる気配を感じとる。

 魔力の気配。魔法使いの雰囲気の、ソレを。
 五年前に魔法使いの噂が全世界に解き放たれかけて、一斉を風靡しかけた事がある。
 まほら武道会での超さんの手によるもんやったけど、魔法言う奇跡の力、幻想の力が世界中に溢れて、大混乱が起こりかけそうなになった。
 でも、それも直に消える結果になってもうた。鋼性種の存在が、同時にこの世に解き放たれた魔法言う存在を霞ませてもうたんや。
 それもそうや。魔法言う存在と鋼性種言う存在。どっちの方が人間にとって大影響を与える不確定要素か言うたら、それは鋼性種の方に目が向くんは当たり前。
 結果、魔法使いはこの世に在ってもなくてもあんまり気にされへん存在になってもうた。
 夕映は、見習いとはいえ魔法使いやった。
 ネギ君が帰った後、夕映はアルビレオさんに弟子入りして魔法を学び始めたん。
 それがどんな具合まで際立ったのかは知らへんけども、五年前でも魔法使いとしての頭角を現しかけとった夕映やもん。今は、きっと大したもんなやよな。
 膝の上に置いてる本は紛れも無く魔道書。それも、結構強い魔力を感じる辺りは、アルビレオさんの手持ちやったんやろな。

「…………魔法使い、ご苦労さんえ」
「ええ、まったくです。もっとマシな道が無かったものかと今では後悔する日々です。
 ですが不思議なものです。自身で選んだ道ですので、捨てようという気はないです。
 …………ネギ先生に肖れるようにと思っていた時期もありますが、それも、最早尽き掛けているですよ」

 疲れたような表情。解らへんでもない。
 実際、今の世の中で魔法使いは結構大変や。
 自然界からの力を吸い上げて魔力に変換する。今の世の中で。この、鋼性種の自然支配社会が成立した世界では、魔法使いの使える魔力量が極限まで削減されとる。
 それは、第一世代、第二世代の関係性。あの、機能得センセが語っとった遺伝子レベルから成る存在定義の刷り込み。
 あらゆる生物に刷り込まれている言う第零世代の定義。よりよく生き残ろうとする意思が、生物の優劣を決定しとる世界。それが、現状の地球の状況や。

 自然界は昔ほど第零世代には従順とは違う。
 従順とは違うけど、かといって人に興味を払っている言うたら、それも間違えとる。
 結局、自然界はもう人間なんぞどうでもよーなってしもうたんえ。
 機能得センセと同じ。どうでもいい思うて、生きている。そしてウチらは生かされとる。そんな世界。
 その世界で、魔法使いは大変や。迂闊なこと仕出かしたら魔法に消費する魔力を自然界から吸収できへん。
 魔力を練れへんかったら、魔法は使えへん。つまりはそう言うことなんね。今の世の中で、魔法使いは、一般人と何も変わらないんね。

 夕映はそれを知っている筈。知っとって、魔法使いを選んだ。
 それも、夕映の道。個人で選んで、個人で決めた道。
 せやから、誰も、何も言わへん。決めた道は、最後までその決めた人の責任やもの。
 すっと、ウチの手に収まっとったカードが抜き出される。
 勿論、夕映の手が動いたわけと違う。勝手に抜き出て、勝手に空を駆けて、夕映の前に止まる。
 中空。何の足がかり、固定要素も無く夕映の目の前で止まった、のどかの契約カード。それを、夕映は、目を細めて見取ってる。

「のどかは―――ネギ先生のことを忘れられないのですね。
 ええ、解っているです。私も、ネギ先生に恋した一人ですから。
 ネギ先生の跡を追って魔法使いになる道を選んだ。それは間違えないです。尤も、今では特に何も感情は懐きませんです。
 大人になると恋愛感情まで冷めてしまうのですね。アレだけ愛を下らないといわれれば大人気なく怒っていた私が、実際問題、愛と言う感情に否定的な態度を持っているです。
 哲学的、魔法的、そして、鋼性種主観と呼ばれる新概念を持って人間感情を見ると、面白いほどに何も懐けなくなるです。
 人間と言う生物の不確定性。人間なる生命体の矛盾性。同じ人間が、人間とはそも、あってはいけないものとまでTVで騒がれ、数年前では人間と鋼性種に関する考察評論まで出回ったぐらいです。
 ですが、どの考察も結論は一つ。人間では鋼性種と言う完全生命体を理解する事など出来ないということ。
 唯一、アレらを完全といえる領域まで理解していたのが故・機能得限止先生だとは驚きだとは思わないですか?
 私は今では誇りです。あの人の授業を受けれた事。故に今も生きているのだと言う事を、生在ってこそ、受け止める事が出来るです」

 右の掌の上でくるくる回転しとったカードがでこぴんの要領で弾かれた指によって、もっと早よ廻る。
 自嘲にも似た笑顔で笑う元クラスメイトを、ウチは夢現の眼差しで見つめとった。
 みんなの心に、確かにネギ君は強く強く、ものすごく強く刻まれとる。
 それは、それだけネギ君の存在が大きくて、皆に大事なモンいっぱい残せた言うことに違いない。でも、それを同じぐらいに大きな存在が胸のうちで燻っとる。
 夕映が言うからこそ解る。夕映は、ネギ君を追っとった。せやから、こうして魔法使いとして、それでいて図書館館長と言う役割を持って今を生きとる。
 目の前に居る少女は、そう言う意味ではウチらの完成系やった。

 ネギ君の言った事。僅かな勇気が本当の魔法。前に立ち向かっていく勇気を。魔法と言うもの。
 機能得センセが言った事。何かを残せる人間になれ。諦める時に諦めを知る事。鋼性種と言うもの。
 二つの混ざり合った女の子。夕映は、そんな女の子になって、こうして、おっきくなって二つの道を持っとる。
 魔法使いと図書館館長、二つの役割。あっち側の魔法使いと、こっち側の普通の人。二つの因果関係の成立。それが、綾瀬夕映と言う少女の姿やった。
 カードがウチの手元まで戻ってくる。さっきと同じで、流れるようなスムーズな動き。
 そういえば夕映の得意な魔法とか聞いてへんかったけど、でも、まぁええか。ウチは魔法使いになれるような道をいっとらへん。
 魔法使いの夕映と今のウチじゃ、目指す場所は正反対やもんね。

「お水持ってきたよー…………あ、あれ? ゆえ?? めずらしーねー……こんな所まで挙がってくるなんてー……」
「すぐ戻るです。何時までも無駄な時間を費やすほど暇ではないです。
 あ、このかさんとの出会いが無駄だったとは思ってないですよ?
 このかさん。次の試合の時は呼んでくださいです。応援ぐらいには駆けつけるですよ」

 小さく頷いて、のどかの持ってきとったお盆の上のコップに入った水を飲み干すと、夕映は躊躇いもせーへんでバルコニーから身を放る。
 一瞬で消えた夕映の姿を、駆け出して見下ろすなんて真似はせーへんかった。どうせあの魔法や。確実に助かるなんて、承知の事実や。
 さっきまで夕映が座っていたとは逆位置のウチの横にロングヘアののどかが座る。
 ちょっとばつが悪そうに伏せられた表情から、夕映とウチがなんや拙い事でも話しとったんでないかとか想像している顔つき。
 まぁ、その気持ちも解らへんでもないねんけどね。ウチも夕映ものどかも、皆皆、誰にも告げへんで自分の道を選んでいったんえ。
 一番の親友だと思っとった相手にはお互い告げることも無く、それぞれの道を選んでった。
 せやから、ウチと夕映の仲が険悪そう思ってんのな。のどかは。確かに、去り際の夕映の言葉はなんか皮肉っぽく聞こえなかったわけでもあらへんしな。

「ご、ごめんなさいー……夕映、もう三年以上も外に出てないからー……それど所為で敏感肌になっちゃってー。
 ……この間、外に一緒に行こうって言って窓に差し掛かったら、それだけでちょっと痛がっちゃってー。
 ……お日様の下に出るのが大変になっちゃったからー…………」
「……気にしてへんよ。ちょっとずつ馴れさせていったらいいん。ホラ、ステンドグラスの光弱いん。そこから始めるのが一番え?」

 まるで深海魚思ってもうた。
 深海魚は普段光も届かへん海のずーっと底で生活してるから、急に海面近くまで上昇すると身体が破裂してしまうん。今の夕映は、そんなんと同じなんかもしれへんな。
 笑いもせーへんでカードを渡す。五年前ののどかの姿が画かれたカード。
 ちょっと髪がめくれて、可愛い評判やった顔の覗くカード。それを見つめる今ののどかは、あの頃ののどかとはまるっきり別人みたいにも見える。
 十センチは増した身長。けっこう大きめな胸。足元に到達するぐらいまで伸びた、長い長い髪。
 顔を覆う髪は鼻先を通り越すまで長くて、五年前以上に恥ずかしがり屋の風貌を露呈してもーてる。
 折角可愛いんにもったいない思うけど、ウチが言えた義理でもない。のどかがそうしているんやもん。ウチには、何も言えへん。

「こ、このかさんー……」

 おとなしい声。ウチは、息を吐くだけで応じる。

「あ、あのー……ネギせんせーは帰って…………」
「知らへん。そんなん、ウチ知らへんよ」

 本当に知らへん。お父さんの行方漸く見つけたって、電報一本だけ。
 何時までも帰ってこん人を待つんは、ウチだけやない。でも、ネギ君は帰ってけーへんで、せっちゃんも、明日菜も、誰一人、帰ってなんてこへん。
 せやから知らへん。慣れへんかった事に慣れる程待ったんから、もう、知らへん。帰ってこない人間を待つんは、もう―――

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――帰路

 大図書館からの帰り道。空も暗なってきた刻。皆家に向かって帰っていくから、ウチも寮へ向かって歩いてっとる。
 誰も居ない寮。あんまりにも誰もいーへんから、ウチの一人部屋にしたらええもんを相変わらずずるずるずるずる、あの三人で過ごした部屋にすがりついとる。
 世界は変わって。皆も変わって。そして、全部が変わっていく。
 変わっていかへんものなんて、この世に存在しないん。先日大学の授業で習った色即是空。それと同じなん。
 この世の全ては事象であって、変わっていかへんものは存在しない。つまりは、即ち、そう言うことなんえ。

 ……それでも、ウチの心は五年前に縛られとる。五年前。いっちゃん楽しかった、あの、頃を。
 楽しかった。ホントに楽しくて、毎日がキラキラしとった。皆笑顔で、程よく刺激もあった頃。
 それが、それが一生続くなんておもってへんかった。誰だってそうや。
 面白いこと。自分の好きなことだけやって生きていけたんなら、誰よりええ筈。
 けど、そんなんは出来へん。誰だって、自分の嫌いなことにも手は出さなあかんねん。
 楽しかった日々の終わり。楽しかっただけは、あかんのや。面白かった日々の終結。
 面白いだけなんて、あかへんのや。そんなん、五年前。あの、あの刃がウチの肩から背中をバッサリイった日から、ずっとずっと知っとるん。

 現実の壁は厚くて、分厚すぎて、ウチらの思い出なんぞは、とっとと磨り潰されていっとるん。
 大事なのは今で、生きているんは、今。せやから、昔にあった事は悉くが薙ぎ払われていっとる。そこまでせんでも、ウチ忘れるいうんのに。
 夏が近づくと、背中の傷が疼く。脊髄を傷つけてえーへんかったのが奇跡言われるぐらいの絶妙さやったって話聞いて、三日三晩吐きそうになったりを繰り返したのが昨日の事みたいにおもいだせるわ。
 背中の傷で、お嫁さんには一生貰えへんな。
 亜子に、アキラ。龍宮さんに、くーふぇ。長瀬さんに、コタくん。タカミチ先生もそうやったかな。せっちゃんも、ある意味でならそうかもしれへん。

 皆、傷口は深い。でも、膿んでいく傷口もあれば、思わぬ毒が抜ける傷もあるかもしれへん。
 亜子が、幾つもあった筈の選択肢を怪我の所為で限られたものにされてしまったみたいに。
 アキラが、あの頃スランプ気味だったんが、思わぬ長期の休暇で身が軽くなったみたい言いながらドイツへ水泳の留学生派遣されたみたいに。

 道は、幾つもある。悪い事の方が多いんはあたりまえ。コタくんと長瀬さんは、体の数箇所が完全使い物にならへんよーになってもうたん。
 コタくんは全身複雑骨折の末で今でもリハビリ中。長瀬さんは抉れた片腕の動きが鈍なってもうて、左腕を一時は切断するしないの話が持ち上がったとかも聞いた。
 それでも左腕は残したままで、今でも時折会っては、昔のお話をしたりもしてるんやけどね。

 癒えない傷はないんえ。ただ、その傷口が何時まで開いたままなんか言うのが重要やよな。
 亜子や長瀬さんみたいに傷口が開きっぱなしで今日まできた人もいれば、アキラや龍宮さん、くーふぇみたいに傷口を塞いだり兆しにしたりで頑張ってる人もおる。
 ウチは―――前者と後者の境目程度やろな。
 ウチの傷は、一生消えへん傷は、体の傷と違う。体の傷も一生消えへんかもしれへんけど、それ以上に消えないんは、心の。
 懐懇の奥に潜めとる、狭くても、ふさがらない傷口なんやろうな。
 空を見上げてみる。夕焼け空はオレンジの真紅―――ゆう表現も可笑しくても、一番ソレが栄えるんやもん、きにしないどって。
 その真紅を弾く銀色の飛行物体。傷もつかへん、心も壊れたりせーへん生物がいっとる。
 何匹もの白い羽の鳥と一緒に、悠々気ままに、翼持ちの鋼性種はいっとる。

 ああ、ええ感じやえ。鋼性種言うのはすっごい力もっとっても、それを使ったりはせーへん。
 ウチらがバカな真似せーへん限りは、鋼性種はいつまでもウチらをああして見下ろしたり、見守ってくれるような感じで居てくれるんやろかな。
 それは、鋼性種からみての安心なんかな。それとも、人間からそう見えるだけなんかな。
 ウチらがバカみたいな事しないんやったら、鋼性種もこの星も、ずっと、ずーっと平和なままなんやろかな。
 ああ、それなら、ウチは、それでも構わへん。戦いもなんも起こらないで平和なんなら、ウチはずっとそうであって欲しい。そう、切実に願っとる―――

 鋼性種の弾く赤い光眼がしぱしぱしてまう。でも、もう慣れたもんやよ。こ
 の光も、今は何も知らない子供たちが追っかけていく良いもんやし。
 格段、害がある言うワケでもないしな。あ、害ゆうたらウチらの方が害あるかもしれへんよな。ゴメンな地球さん。散々ウチら、バカばっかしてもうて。
 湖の沿岸。果てまで続いているかのように見えてまう、中心にはかつて図書館島言うのがあって、今ではエンブリオ大図書館言うに改名された図書館が在る湖。
 静かな湖畔。そこを、やっぱり小さな音でバイクが過ぎて行く。薙刀部の部活用具を背負って、あの、一人ぼっちのねぐらに帰ろう。そう思って進んどったら―――

「おーい。近衛木乃香」

 よー知った声が正面からして。
 赤い光を浴びてるバイクに跨っとる褐色の女の人と。
 五年前から、見た目は何一つ変わっとらへん、金と銀の髪をなびかせた女の子が、にこやかに手を振っとった―――
 

第四十五話 / 第四十七話


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