Epilogue 〜春の終わる頃〜


 花が咲く頃、また、会いましょう

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 最後の淡い色合いの花弁の降る頃だった。
 それは、確かにこの国には無い華の花弁の筈。

「? アーニャ……ちゃん?」

 ネカネ・スプリングフィールドは窓の外を見やった。誰かに呼ばれた。そんな気がしたからだ。
 駆け寄って、窓を開けば花弁が外では吹き荒んでいる。優しい風でありながらも、猛々しく花弁を空の彼方まで送り届けていく風に、ネカネ・スプリングフィールドは若干字緩んだ涙腺から溢れた水を拭う。

 春が終わる。あの五年前の時より、幾度と無く繰り返し続けていた筈の季節のめぐりだった筈だ。
 そう。こんな光景など、彼女は見慣れた筈だった。
 その年の春の過ぎ際は美しかった。果てまで連なる山々の尾根は花の極彩色に包まれ、村の中ですらも色とりどりの花々に満ち溢れていた。
 その美しさも、何時かは散り往くと彼女は自覚していた。何度も廻った季節の中で知ったのだから。だから、この春の散り間際も同じ。そう考えている間際だったか。
 彼女の頬を、三つ房の花弁が撫でていった。

 頬に残る僅かな感触。幼い手つきのような、若い女性のような、あるいは冷たくも優しい肌触りのような感触で、三つ房の花弁は天へと昇っていく。春の終わりの風。それに包まれて、花弁が天へ向かっていく。
 ネカネ・スプリングフィードは頬を撫でた。一瞬で過ぎていった感触に含まれていた、三つの感触。
 それを、思い出すように、懐かしむように、あるいは、覚えておきたいと言うかのように。
 青い空だった。今年の夏も、青に染まるような。今年の秋は、燃えるように染まるような。今年の冬が、真白に満ちる事を予感させるような。そんな、青空だった。
 ネカネ・スプリングフィールドは空へ向かって叫んだ。その声は集落中に響き渡り、幾人かの魔法使いたちを困惑させつつも、笑顔へと変える。
 そこまで明るい声を、その村の人々は五年間、聴いた事などなかったからだ。

 なんと叫んだのだろうか。彼女は、それを自身ですらも理解しなかった。
 おかえりなさいか。お久しぶりですか。はじめましてなのか。どれを言っていいのかも解らなかった。だから、彼女は何と叫んだのかを理解しなかった。
 それで、良いと思ったのだ。

 

 春が終わる。花が終わる。夢が終わる。空には、鋼の翼を持つ種。それでも、人は生きていた―――

 

 

 ぷるるるると言う音がその場所に響く。屋外駅の一箇所。
 そこに人だかりが出来、私は少しだけ離れた場所でそれを見つめて居呆れた顔立ちをした。

「まったく……旅立ちもあそこまで騒がしいと感動も何も無いな。また態々外国から帰ってきた奴らまで居る始末だ」
「良いではないですか。それだけネギ君が慕われていたという事ですよ。五年前に叶わなかった別れです。
 いえ、あのカタチこそが、彼女達とネギ君に相応しいと思いませんか?」

 正面に立ったローブの男がくすりと笑う。まったくだった。私も、心持にしてその光景を見たがっていた一人なのだ。
 そうだろう。あの光景こそ、あの騒がしかった3-Aと言うクラスの別れに相応しい。泣いてお別れなど、あいつららしくも無いのだ。

「しかしエヴァンジェリン。本当に良いのですか?
 今の貴女ならばこの学園から何の制約もなしに出る事が出来ますよ? ナギを捜すと言うのなら、それに越した事は……」

 そう。吸血鬼でもなくなり、学園結界の大半は鋼性種によって潰されている。
 今の私を、この麻帆良学園都市に縛り付ける制約など無い。
 出ようと思えば何処までも行け、あの男を、サウザンドマスターナギを捜す事も出来るだろう。だが。
 首を横に振った。そして数歩下がって、彼女の両手に抱かれた。
 絡繰茶々丸の両手。それを胸元に導いて、笑って拒否する。

「いいんだ。あいつは、ここで光の中で生きてみろといった。
 散々闇の中だった私に与えられた安堵を捨てていくことは、私には出来ない。
 あいつの事は好きだし、愛してもいる。だけど、今の私にはもっと大切なものがあるんだ。
 解るだろう? それこそお前の方が以外だよ。いいのか?」
「構いませんよ。何時までも古臭い考え方の者は、もう必要ないでしょう。貴方達若き者たちへ全てを委ねましょう」

 心底に気持ちよくに告げ、アルビレオが顔を上げた。
 恐らくは、私と同じように朗らかに笑っている茶々丸の顔を見ているのだろう。
 そう言うことだ。私は、此処を離れない。此処が、私の生きていく場所なのだ。
 サウザンドマスター、ナギ。許してくれとは言わない。いや、きっとお前はこの私の答えに満足してくれるだろう。
 そう信じている。だから、後悔などは無い。私は、此処で生きていくよ。

「そうですか」

 アルビレオは僅かに笑って、言い残す事もないかのように、列車の入り口へと入り、振り向く。
 タイミングは同じくして、列車の扉が閉まって、発進の合図が響いた。

「ネギ君の方は良いのですか? お別れを……」
「いいさ。今日まで一週間散々話を聞いたし、聞かせてもやった。充分すぎるだろう」

 列車が動き出す。遠目では、クラスメイトの連中が列車を追って駆け出してもいる。
 私はその場に留まり、軽く片手で手を振って見送るのみ。それ以上はなく、笑って彼らを見送っていった。

「マスター」
「ん? ああ、さて。今日からまた忙しい委員長職だ。
 じじいがお前を私のクラスへ転入できる手続きをしてくれた。いいクラスだぞ? 3-A以上に」

 駅の出口へ向かって歩んでいくと、知った顔が二人こっちへと駆けてくるのが見えた。

「い、いいんちょうさーん。朝のホームルームに遅れちゃいますよー」
「おおーいエヴァっちー!! 急げ急げー!!」

 穂凪くのぎとその友人。二人が制服のスカートをなびかせながら駆け寄ってくる。

「エヴァンジェリンさんっ、茶々丸さんっ、行きましょうっ!」

 元気良く、相坂さよが飛び出してくる。あの光の影響なのか、彼女は実体を持つまではいかなくても、他の人間でも充分見る事が出来る魔力塊に満ちた存在となった。
 それは、あの赤い魔法使いの僅かな心配りだったのか。いずれにせよ、また新しい日々が始まるのだ。
 制服姿の茶々丸の手を握り、駆け出す。相坂さよも、何時もよりやや早い速度で私たちを追ってくる。
 そうだな。委員長の私が遅れてしまっては、高等部や他のクラスの委員長にも示しが付かない。
 真新しい制服で全身に春風を受けて、私はあの日々を迎えた―――

 


「ネギ君ネギ君!! これホッカイロだよっ!! 行くとこ寒いんでしょ!?」

 桜子さんが僕に腕いっぱいに抱えたホッカイロを手渡そうとしてくれたけど、バランスを崩して大きく揺れる。
 それを支えようと、釘宮さんに柿崎さんも大慌てだった。

「ハハ。あの三人、相変わらずアルね。
 ネギ坊主。これは私からの餞別ヨ。新陳代謝の活性化に役立つ超鈴音特性漢方ネ」
「は、はい。ありがとうございます、超さんっ」
「のどかもしっかりやりなさいよー? ネギ君の足引っ張ったりしちゃだめだからね!? 引っ張るのは、辛い思い出だけにしておきなさいよっ」
「う、うんー。有難う、ハルナー」

 僕の正面に乗っているのどかさんが恥ずかしそうに笑って、僕の方を見る。
 うぅ、やっぱり髪を切ってあの顔を直視してしまうと、その、どうしても緊張してしまって、僕の顔も真っ赤になっちゃう。それで、周囲の皆がどっと笑うのだけれど。
 のどかさんは僕と一緒に行くと言ってくれた。そして、僕もそれを受け入れた。
 僕は一人で悩むような真似はもうしない。けど、のどかさんは僕が守る。ちゃんと、魔法使いとして守ってあげるんだ。

「ネギ先生。のどかさん」
「二人とも、たっしゃでやってぇな。ウチらも頑張るから、ネギ君たちも頑張ってぇな」

 並ぶ刹那さんと木乃香さん。まるで、五年前の様に並ぶ二人。
 うん、やっぱりお二人はそうやって微笑んでくれている方が僕も嬉しいです。

「明日菜と限死は北の方へ向かったけど、今は何処に居るのかは解らない。いいのかい、ネギ先生」
「はい、龍宮さん。同じ空の下に居るのなら、きっと会えます」

 明日菜さんは限死さん……機能得先生と共に今も世界何処かを廻っていると、此処一週間で何度も噂で聞いた。
 鋼性種の自然広大化現象が再び活性化して、また幾つかの小さな都市が飲み込まれたのだけど、そこに獣の耳を生やした女の子と、白と黒の毛の大型の獣が現れて数時間で数万人の人を避難させたと言うのだ。
 明日菜さんと限死さんは、この世界で人の為に動いている。
 なら、僕も動かなくちゃいけない。僕は、マギステルなんだ。アルビレオさんと一緒に、父さんも今も何処かで誰かを助けていると言う事を信じていくんだ。
 今度は迷いはない。全部選んで、全部、成し遂げて見せるよ、見ていてね。僕の、憧れだった魔法使いの女の子―――

「ネギ先生っ。私もまた世界を廻って苦しんでいる方々を助けていきますわ。何時かお会いしましょう」
「はいっ! いいんちょさんもどうかっ!!」

 列車の発信音が響き始める。動き出す列車を、皆さんが追い始める。

「ネギせんせぇー!! しっかりなー!!」
「本屋もけっぱりなさいよっ!! 今度は離れちゃダメだからねっ!!」

 和泉さんと裕奈さんが動き出した列車にしがみ付きそうな勢いで寄ってきて、僕とのどかさんは一度だけ顔を見合わせ、力強く頷いた。
 全員ではないけれど、これなかった人からのお手紙をもらってしまった。
 世界を廻りながらも、必ず、皆さんの下へと訪れる気だ。
 全世界を写真に収めて回っている朝倉さんや、自然界現象を見回っていると言う鳴滝さん姉妹。
 ヨーロッパ方面のアキラさんにまき絵さんにも必ず会いに行く。勿論、外国でボランティア活動に参加している四葉さんにも。
 僅かに微笑んで手を振る龍宮さん。同じように、けど、あの明朗快活な笑顔で送ってくれる古老師。長瀬さんも片手を高く手を掲げて手を振ってくれている。

 追いかけてくるのは、柿崎さん、釘宮さん、桜子さんに、ハルナさん。夏実さんに、春日さんも一緒だ。
 いいんちょさんと那波さんは少し離れた所で手を振り、その横に、並んで超さんと葉加瀬さんが手を振ってくれている。
 エヴァンジェリンさんに茶々丸さんも居る。相坂さんも、元気いっぱいに手を振ってくれていた。
 ザジさんと長谷川さんも、恥ずかしそうにだけどちょっと離れた所で手を振って見送ってくれていた。

 僕とのどかさんは身を乗り出して手を振り続ける。
 だけど、一人だけ一緒の筈なのに姿の見えない人が居た。
 のどかさんは手を必至に振り続けながらも、その人を捜している。
 加速していく列車。少しずつ皆さんの姿が離れて、遠くなっていく中で―――でも、その人の姿だけは最後まで確認できなかった。
 手を振り続け、そして姿が見えなくなるまで手を振り続ける。
 そして、皆さんの姿が完全に消えて涙目のままにのどかさんと一緒に列車の中に体を納めようとした時だった。
 黒い長身の影が、僅かに、僕達の傍らを―――

「ゆえっ……!?」

 一瞬で過ぎ去る。ちょっとだけ突出したレンガ造りのそこに立つ姿の黒い影。
 真っ青な湖と、真っ青な空に良く栄えるその人が此方に顔を向けて―――
 


 そうして見送っていく。ネギ先生と、のどか。
 最後の最後まで言えなかった私の本心。
 ですが、いまさら何が言えるでしょう。のどかとネギ先生。あんなにも似合っているお二人に、今更何を。

「夕映さん」

 背後からかけられる声。いいんちょさんでしょうか。
 振り返れば、やはりいいんちょさんが悲痛な顔立ちで私を見つめているです。

「なんて顔をしているですか。折角の旅立ちなのです。笑顔でなければ、行った二人を労えないですよ?」
「ええ、解っていますわ。ですから――――」

 ふるふると首を振り、その先を塞ぐ。解っているのです。いいんちょさん。貴女の言うとおり解っていますから―――
 傍らまで近づき、傍らに立って、いいんちょさんの体に手を廻します。

「夕映さん……」
「すいませんです、いいんちょさん。ですが暫く、このままに―――」

 泣いているなど、私らしくもありません。でも、こうしていたいのです。
 いいんちょさんに体を預け、暫く泪に暮れる。悲しくなど無いし、苦しくも無い筈なのに。ならこの泪は―――
 目を閉じれば浮んでくる私たちの魔法先生の顔。共に、一緒に居た人の、笑顔。

 さよなら、魔法先生―――

 私が、好きになった人―――

 

 

 


「このちゃん……ホントにええの?」
「うん。せっちゃんと肩並べた時からこうするって決めとったもん。ええよ」

 近衛木乃香が目を閉じる。後方の、その彼女を長い髪を梳く様に持つ桜咲刹那は戸惑いながらも、その手に握られた鋏を髪に差し込んだ。
 じゃぎりと言う音と共に落ちいく黒髪。長く、優麗だった髪の毛が桜咲刹那の手をすり抜けて落ちていく。
 一度進められた鋏は止まらない。桜咲刹那は、惜しむように。
 しかし、近衛木乃香は後悔など一部も無い朗らかな笑顔のままにその鋏が進められていく音を聞き届けていく。
 青空の下で、銀色の翼が弾く日和の中。小鳥が囁く声と、風がざわめかせる枝葉の擦れる音の中に、鋏が進む音が混じる。
 最後の一房が落ちる。黒い髪が広げられたビニールシートの上に落ち、近衛木乃香はすっかり軽くなった頭を撫でた。

 近衛木乃香の髪は短く、肩辺りまでに切り揃えられている。五年前に断ち切られた時よりも尚短く切り揃えられた髪。
 近衛木乃香は立ち上がって、少し先の草原の前までに立つ。
 風が全身を通り抜け、緑が何処までも続く世界が広がっていた。
 振り返る近衛木乃香。二十歳の女性とは思えぬほど明朗で、しかし、京美人特有の庚華の如き優雅さと無邪気さで、近衛木乃香は桜咲刹那に振り返る。
 髪を断ったのは如何なる理由か。それは、新しい旅立ちを示唆するかのような決意。
 五年前を、本当の意味で断ち切った瞬間に他ならなかった。

「せっちゃーん!! 風が気持ちええよー!!」

 無邪気に笑う彼女へ、友の彼女もまた笑う。

 今日は晴れ。明日も晴れるだろう。新しい旅立ちには、丁度良い青空だった―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぷるるると鳴る出立の汽笛。それを背にして、いいんちょさんと私は見合っていたです。

「本当に、宜しかったですか?」
「湿っぽいのは苦手ですわ。それに皆さんお忙しいでしょう?
 今生のお別れでもありませんでしょうに。大丈夫。また会えますわ」

 本当にそうであろうかとも考え、でも、彼女がそう言うのならばソレも叶うかもなどと思ってしまうです。
 鋼性種の蔓延ったこの世界。蔓延ったと言う表現は正しくは無いでしょうね。
 鋼性種は蔓延ったのではなく、今も、私たち同様に生きている命なのですから。
 それでもその脅威は相変わらず。緑は尚も世界を埋め尽くしていき、末期に残されているのは、きっと。
 不可解な形状の象形文字のような物体と、大きく丸いつばの帽子を深く被って、いいんちょさんは列車の中へと吸い込まれていきます。

 見送りは私一人。それも、私が偶然に見つけただけです。
 駅構内へ吸い込まれていくいいんちょさんの姿。
 一月ちょっとの間、麻帆良へ滞在し続けていて、私やのどか。木乃香さん、刹那さんにも良くしてくださってくれた方。
 ずっと、此処に居続けるわけではないというのは知っていましたが、何もこうも唐突でなくても。
 幾ら湿っぽいのが苦手といっても、これでは、あまりにも。
 それを感じたのか、いいんちょさんは移動した座席の窓を大きく開き、私の手を握ってくれました。
 温かい手。それに包まれて、けれど、心は少し痛くなって。

「そんな顔しませんの。折角の綺麗な顔が台無しですわよ」
「しかし……せめてお別れの言葉だけでも……」
「いいのですわ。言ったじゃありませんの。今生のお別れには、きっとなりませんわ。
 また会えますわ。この空の下に、いつでも居るのですもの」

 地平線の向こうで、いつもいますわ。
 彼女は、そう告げて去っていきました。
 世界各地を巡る雪広財閥の次女のお話は、日本でもその後に何度も何度も聞いたです。
 そして、鋼性種の軌道を変える大鎌を構えた魔法少女の姿も、その雪広財閥の行く処で多く見受けられるという事も。
 彼女のその後は、誰も知りません。ですが、不思議と悲しくはないのです。
 きっと、あの空の下で今も彼女は生きていると。
 この青空の下である以上、私達は、いつも繋がっているのだと。
 
 彼女は今も、きっと、あの大鎌を翻して何処かの誰かの為に、全力であると――――

 何度目かの春の終わりの空に、白い丸いつばの帽子が風に乗っていました―――

 

 

 

 

 


「大丈夫ですか?」
「は、はいー……」
「アルビレオさん、どこへいっちゃったんでしょうかね」
「あはは……マイペースですもんね、アルビレオさん」

 手を繋いで、漸く森の中を抜けた。
 とても深い森。鋼性種の生み出した世界は、思った以上に深く、けれど、何処までも静かだった。
 父さんを捜して、どれ位経っただろう。同じ風景を見続けて、時間の流れなんて解らなくなってしまったかも知れない。
 でも、一緒にいてくれる人のお陰で、それも苦じゃない。
 何処までも一緒にいてくれたから、ちっとも苦しくなんてなかった。
 だから、ここまで来れたんだ。一人じゃなかったから。此処まで来れたんだ。

 暁が昇っていく空だった。雲ひとつない空。夜が明けて、明るみに現れる世界。
 森の奥を抜けた場所は崖。眼窩には、果てまで続く緑の世界が広がっている。
 鳥が飛ぶ。ピンク色の鳥に、白い翼の鳥が飛び、そして、鋼の翼の巨体も飛んでいる。その前に。
 ローブを纏った人が立っている。捜していた、あの人。
 手の中に握られている杖に、僅かな熱が宿った。本当の持ち主へ反応しているのか。でも、それが答えになる。

「ネギせんせー」
「ネギ君」

 振り返る。日の出の光に笑う彼女は綺麗で、纏められた髪によって明るみに出ている顔は可愛かった。
 その彼女が、促す。

 振り返れば、ローブの人も振り返ってこっちを見ていた。
 捜し続けていた人。追いかけ続けていた人を前に、僕は立つ。

 頬を、何かが撫でた。ローブの人の傍らを過ぎていく、頬撫でた何か。
 それは、花びらにも見えた。此処では決して見れない筈の華の花弁。
 
 春の終わりに出会う。新しい季節の始まり前の季節の境に、漸く辿り着いた人と、出会う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「せっちゃーん! ロンドンのアキラとまき絵からお手紙来たえーっ」
「アキラさんとまき絵さんから? どんなんなん? 見せて見せてっ」

 せっちゃんが幼馴染の頃あのままにウチに駆け寄ってきてくれる。
 場所は、あの部屋。ちょっと前までやった気がするけど、ずっと前のお話。
 その頃には、神楽坂明日菜言うすごーく綺麗で元気のええ子と、ネギ君言う、すごく可愛い男の子と一緒やった部屋。
 五年間一人ぼっちで過ごしてきた部屋。

 でも今は違う。光いっぱいやし、せっちゃんと一緒でちっとも寂しくない。他の人やって駆けつけて来てくれたりもするから、全然悲しくない、それに、今日はもっとええこともあったしな。
 写真を二人で覗きこむ。ロンドンから送られてきた写真同伴のお手紙には、何時もの通り元気にやってる言う文章の手紙が付けられていた。
 お手紙が送られてくるんはとっても嬉しい。でも、今回のお手紙は何時にもまして嬉しい事がいっぱいやった。

「元気そうやなー」
「うん、ほんとに」

 二人で笑ってその写真を見届け続ける。
 写真の中央には笑って金のメダルを下げ、ピースサインを出すまき絵に、攣られてちょっと苦笑しながらの銀のメダルを掲げるピースサインのアキラ。
 でももっと良く見たらもっと嬉しくなる。背景の奥の奥。
 そんなアキラとまき絵を見守るみたいに、あのおっきな剣を背負って笑ってる明日菜と、大きな欠伸の、限死さんがおったから―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 時が過ぎる。恐らくは美しく、惜しむらしくは僅かな時が過ぎていく。
 私はその丘の上に生えた一本の桜の木の根元に腰を下ろした。
 あの桜。何時か、テストの学園一位を記念しての宴会を開いた場所である。
 夏の終わりも近いというのに、その桜は不断桜なのか、桃色の花を芽吹かせて咲き誇っていた。

「いいんちょうさぁーーーん!!」
「エヴァっちー!! そんなトコで寝ていたら風邪引くぞぉーーーー!!」

 遠目の声に体を起こす。見れば、涙目のあの気弱な少女とその相棒のような明るい少女が手を振って私を迎えようとしていた。
 卒業証書を手にした二人のクラスメイトが緑の野を賭けて行く。それならば仕方がないかと、私は体を起こして歩み出した。
 夏の終わりが近い、真っ青な空。天空には、今日も鋼がいっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 時が過ぎる。私は、その時を惜しまなかった。待つと決めたのだ。
 待つと決めた以上、そこで待ち続けなければならなかった。
 それが、私をそこで待たせ続けるただ一つの決意だった。
 頭を誰かが撫でる。それは、私の従者であった。優しげに微笑み、私の従者が額を撫でてくる。
 ここ最近は時間が余ればここへ訪れている気がする。
 何故だろうかな。やはり、心和むからなのだろうな。

「あーいいんちょさんまたこんな所で寝てー。茶々丸さんも早くしないと遅れちゃうよっ。相坂さんも待ってるから、ほら」

 新しいクラスメイトが私たちの前に立って叫ぶ。まるで、神楽坂明日菜のようなその少女を私は気に入っていた。
 なにしろ、ここまで神楽坂明日菜に似ているのかと思えるほど明朗快活なその少女だ。気に入らないわけがない。
 誰かが傷ついたりするのをほおっては置かない彼女。
 誰かの為に走り続ける彼女を、私は慕い、彼女も、彼女たちも、私を慕ってくれた。
 立ち上がり、茶々丸と共に行く。
 去り際の桜が、またくるようにと労う様に一房散っていった―――

 

 

 

 

 

 

 春が、終わる。
 それぞれの道を生きたものたちの、それぞれの春が終わる。


 命生まれる春の終わり。
 命育む夏の始まりに。

 

 懐かしい、夢を見る。
 いずれ終わる、夢を、見る。

 

 

 

 

 遅かれ早かれで知っていた。彼女は、その時が来るのを遅かれ早かれで知っていたのだ。
 目を開く。果ての果てまで続く緑。
 此処が世界初の鋼性種共生学園都市だと、今誰に言って誰が信じるだろう。
 いや、残念ながらそれを語る対象が居ない。
 惜しむらしくは、もう言葉を投げかけても、叫んだとしても返ってくる言葉があまりに少なすぎる。
 少ないと言うレベルの問題ではなかった。少ないと言う以上に、もうない。
 もう、彼女の言葉に対して言の葉を返す存在がこの星に居なかった。

 ふぅと息を吐いて彼女は従者の膝に背中を預けた。
 どれぐらい昔からだったろうか。もう、彼女は体を動かすのも億劫になっていた。
 次に両目を閉じればどうなるのだろうか。
 彼女はソレが怖かった。怖くて怖くて、眠るたびに恐怖に苛まれて今日まで来たのだ。
 果てまで続く湖から巨大な銀色が跳ねた。巨大な鋼性種。天を臨めば、さらに巨大な鋼性種が見える。
 もう、鳥の形をしているのか。別の生き物の形をしているのかさえも認識できないほどの大きさのソレが空を行っている。

 両目を閉じて、僅かに開く。
 うっかり目を閉じてしまった事に、彼女は少しだけ恐怖し、しかし、間もなく訪れる安堵に少しだけ、心弾ませた。
 ただ惜しむべき事があった。それだけが心残りで、それだけを支えにして今日まで来たのだ。
 だから、それを果たすまでは眠れなかった。眠れなかったのに。
 彼女は瞳を閉じてしまった。長い、永い眠りに入る。恐らくは二度とは目覚めまい眠りそれに入滅していく。

 彼女はソレを自覚しなかった。なまじ、数年寝ていない体だったのだ。
 眠気はあまりに強烈であり、彼女はあっさりとその眠りへと引かれていった。
 だが目覚める。目覚めた時は相変わらず満開の桜と荘厳な青空の広がる世界だった。果てまで続く緑の野。そこに、彼女が立っていた。
 臙脂の髪の少女だった。不思議と少女は人型であるにも関わらず口を開かず、そして、彼女もまた口を開かなかった。
 巨大な鋼を携えた少女。その少女へ向けて、彼女は腰元から取り出したソレを受け渡した。

 それは小さな人形。彼女が、まだ健在だった頃の話。
 とても親しかった者が彼女へと受け渡した物だった。
 可愛らしい目鼻の取り付けられたその人形を、少女は少しだけ眺め、にこりと笑って持っていた鋼の柄の先端へ取り付けようとしていた。
 その不器用な動きに、彼女は笑う。本当に不器用だった。それは、何時かの少女を見るかのようだった。
 否、少女はあの頃のままに変わってなどいなかった。少女は永久に少女のままであり、あの頃のままであった。
 そして取り付けた人形を、彼女は誇らしげに掲げて見せた。随分と久々な人間的なその一挙一動に感動を覚える。それほど懐かしく、少女はそれほど輝いて見えた。
 彼女は指を指す。少女が、その指された方を向くと巨大な巨大な鋼の塔があり、そこに張り付くような形で遥か昔の建築物が建っていた。
 彼女は其処を指差し、何かを口走る。それを理解したのかしないのか、少女が駆けて行く。
 何度も何度も振り返り、何度も何度も手を振る姿を、彼女は愛惜しげに見つめ続け、従者の膝に頭を預けた―――


 
 そこで彼女は泣いていた。半透明の彼女。
 彼女は泪に暮れて、ずっとずっと端の席で泣き続けていた。
 がたんと言う音。ここ暫くそんな音など感じた事もなかった彼女は、びくりと身を震わせてその方を見た。
 そこには、見覚えのなる大きな犬の様な生き物が居る。
 彼女は泪を拭い、ちゃんとその獣を見る。
 白と黒の二色の体毛に包まれ、しかし、頭部の左右を銀色の鋼で覆っているその姿。それを、彼女は見た事があった。
 ぎしりぎしりと近づく音に、ずっと懐き続けていた悲しさと孤独感を忘れる。
 そして、ドアの影と大型の獣の影から現れた彼女はまた泣いた。口元を押さえて泣く。だがそれは悲しみの泪ではない。
 半透明の彼女は駆け出し、そして飛びついた。ソレと同時に、少女の持つ鋼の柄に取り付けられた人形の目が、小さく優しく輝いて―――

 

 桜が舞う。酷い眠気の果てに、彼女は辛うじて目を開いた状態で体を起こした。
 果てまで続く緑の野。何処までも青い空に、巨大な湖。
 嘗て麻帆良といわれた場所がこれほどなのだから、他の場所はさぞかし緑に包まれた壮大な風景が広がっていると予測して、彼女は立ち上がる。
 立ち上がるなどどれほどか。足の使い方すらも忘れかけていたかもしれない。それほど久々に立って、彼女は風を浴びた。
 強い風。人が住むには、あまりに強い風だった。それが草原を駆け、彼女の体を過ぎ、後方の桜を散らす。
 大輪の桜の花を咲かせる桜の木の下で眠り続けている彼女の従者。彼女は従者を見た後に、久々の声に視線を移した。
 彼女の立つ草原の丘の坂を下っていく影が見える。
 三人と言うべきか。一人と、一体と、一匹というべきか。
 いうべき言葉が見つからないほどバカになってしまった自分の脳を少しだけ笑い、彼女は踵を返してそこへ戻った。

 眠ったままの彼女の従者の膝枕で休む。
 瞳を閉じ、開けば蒼と桜。果てまで続く青い空と、降り注ぐ桜の雨が瞳に映る。
 霞みいく瞳の中に、去りいった彼女達の姿を見る。
 走る少女はあの頃のままに。何一つ変わらず、約束どおり駆けつけてくれた。
 明朗快活な姿のままに駆けて行った少女と、半透明の少女、そして白黒の獣を見た。
 走る三者は、地平線の彼方へ消えていく。そんな、夢の終わりを見た。

 彼女はそうして眠った。何年ぶりかの眠り。眠りの意味さえも忘れた眠りだった。
 しかしその顔には安堵の色しかない。
 当然だろう。彼女の生涯は暗く闇の中であったが、彼女は最後に近しい時に、信じられない安堵の中で生きていけたのだから。
 その表情に後悔も未練も怨嗟もない。安らかな眠り顔。
 一瞬、僅かに彼女の従者たる人形が動き、眠った彼女の額を撫でた気がした。

 風のいたずらだろう。もう、彼女達は動く事がないのだ。
 それは、彼女の見た夢の終わりの、一時の幻。それに違いない筈だ。
 眠る二人。一陣の風が舞う。鋼が飛ぶ風か。それとも、彼女を向かえる何かの起こした風なのか。
 安堵に包まれ、彼女は灰となる。風が、眠る彼女を灰と変え、そして散っていく。
 そして風が散った時には、その桜の木の下には誰も居なかった。
 

 走り続ける少女達。臙脂の髪の少女と、半透明の少女が手を取り合って走る。
 傍らには、彼女たちが疲れればその背に乗せて走るだろう白黒の獣。
 何処まで行くのだろうか。何処までも行くだろう。いけない場所などないのだから。
 もう、半透明の少女がいけない場所などない。何処までも行けるのだ。
 だから、半透明の少女は願った。願わくばと。生きている間に彼女のいけなかった場所。そこへ行きたいと彼女は叫んだのか。
 望むならば、そう。あの、地平線の向こうへと―――


 散り往く桜に背を押され、三者は三様に走り抜ける。


 春が終わる。しかし、命の廻りは途切れはしない。この星は、尚も巡り続けるだろう―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花が吹雪く。それは、終わりいく春を告げる兆しかもしれなかった。

「んー…………」

 時が流れていった。でも、私にとっては惜しむも何もなかった時だったろう。
 そう、私にとっては、その時など一瞬だった。
 だからかな。不思議となんか悲しいとかは感じなかった。
 だって一瞬だもん。そんなこと、考えているような暇すらもなかった。
 鋼化した体で其処を進んでいく。何しろ足が無いにも等しいもんだから、歩くって言うよりは浮いていく。
 そこは、果てまで続くお花畑だった。
 そう、赤青黄色。多種多様にして彩色兼美の花の咲き誇っている花畑に一人立っている。
 さてはて、ここは天国なのかしらね。いやいやそれはないか。私は死にたくても死ねないような体だもんね。

 鋼性種ってほんと生き難いわ。
 尤も、人間的な意識を持ったままで鋼性種になっちゃった私の意見だけど。
 まぁと思って一先ず進める所までは進んでみる。
 一応行ける場所は何処までも行けそうなのでその行ける場所までは行ってみる事にした。
 残念だけど地平線が見えないから何処まで進んでも地平線の向こうなのかも判断できない。
 変形しようにも、なんかバカになっているみたいで上手く変形が出来なかったりする。
 でもまぁ、暫くこうやって散歩っぽく歩いた事なんてなかったもんね。そう思うとなんか楽しくなってきたので、くるくる回りながら進んでいく。
 と、声が聞こえたような気がした。声。聞いた事のあるようなないような声。それが、果ての果てから聞こえてくる。

「――――さぁ〜〜ん―――――」

 妙に間延びした声にはやっぱり聞き覚えがあった。
 でも、肉声で聞いた事は無かった筈。そう。肉声で、この声は出なかった筈だもの。
 駆け寄ってくる影。私と同じぐらいの、といっても、鋼のよる付加の無い頃の私と同じぐらいの身長の子。
 真っ白いおかっぱっぽい髪の毛に、真っ白いワンピース姿の子。
 見た感じは明らかに女の子。その子が見かけによらぬ軽いフットワークとかまぁそんな感じのふわふわした足取りで。
 その子が、私目掛けて走ってきて。ステップ。ジャンプ。アターックと―――

「のわぁー!!」
「アーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさんアーニャさぁん!! みゅ〜〜〜ん!!」

 私の名前を連呼しまくるその真っ白い女の子は私のちょーど単一性で構築されたとは全然違う場所へ突っ込んで大ダメージを加えてくださった。もう、痛いの何のって。

「こらぁーー!! 何処の誰だか知らないけど体当たりたぁいい度胸じゃないのっ!! そこに直れーーー!!」
「みゅんっ。だってだってだってアーニャさぁん。こうやって会えるのは本当に本当に本当にお久しぶりなんですですぅ……」

 その口調。まさかとは、一瞬思った。
 でもそんな筈が無い。私は死ねない体だから、彼女達には会う事が出来ないのは間違えないのに。
 体を起こしてその子に手を引かれて進む。その女の子は私の顔を見てにこにこにこにこ。
 ああ、そうだわね。あんた、何時だってそうだったわよね。そうやって笑っている姿を、私は見て魔法使いをやってきたんだもんね。
 これは、夢。私の見ている、小さな小さな夢だと思う。
 色々迷惑な事ばっかりな事しかしなかったんだもん。こんなのが、許されていいわけがない。
 だから夢なら叶うのかなと思って―――

「あ、アーニャさん。ホラ見てくださいですです」

 白い彼女が指差して笑う。指を指した先には、白いドレスに身を包んだ―――
 白い女の子が率先して駆けて、その人の下へ。私は、その場で立ち止まり、その二人を見続ける。
 ドレスの彼女が振り返って、その白い女の子を招き入れる。白いドレスのその女の人は私を見て微笑み。

 走る。表現が可笑しい。浮いていたのに走るという表現が可笑しいんだ。
 でも走る。其処へ、そこに飛び込むように。
 いつの間にか両の足をつけて走っている。両の足で走って、何か叫んで、泣いて、走っている。
 赤いコートをまとって。あの革靴で走って。赤みがかった茶色い髪の毛を靡かせて―――
 白いドレスのその人が両手を広げて私を迎え入れるようにして、
 私は、その胸へと飛び込んで――――

 声が響く。永年に聞こえなかった声が二つ、その真っ白い虚空の花園に響く。


 おかえりなさい―――

 ―――ただいまっ

 

 星の狭間を、赤い赤い翼が行く。
 全て消えうせ、なお行く翼は。

 もう、一人ではなかった―――

 
〜FIN〜

 

 

 

 

 

 NEXT Extra Chapter

第五十八話 / Extra Chapter00


【書架へ戻る】