ネギ補佐生徒 第4話




 今日もあまり眠れなかった。
 夜、一人なのがいけないのか、どうしても後ろめいたことしか考えられず、結局眠れなかったのだ。
 何時もより早く荷物を抱えて朝練にいこうとした澤村に、

「おはよう」

 隣の部屋から出てきた明日菜が声を掛けてきた。

「あ……おはよう」

 寝不足で重い頭を動かして明日菜に顔を向ける。
 明日菜は、そんな澤村の顔に驚いた。目がうさぎのように真っ赤な上に目のしたにくまができていたからだ。

「ど、どうしたの? 目、真っ赤よ。くまもすごいし」

 目を指差して引き攣った表情で言う明日菜に澤村は、力なく笑った。

「ちょっと、寝不足で……」

 そうなの、と明日菜が訝しげな顔をしたが、察してくれたのだろう……追求されることはなかった。

「澤村君は、朝練?」

 一緒に廊下を歩きながら明日菜は澤村に問う。

「ああ。そっちもバイト?」

 ちょっとした雑談が澤村の気を紛らわしてくれる。
 そうだ。6年間気がつかなかったことなんだから今更に気にしたって何ら変わらない。なかったことにしてしまえ。
 無理矢理思考を切りかえるのに、雑談は丁度よかった。
 頷く明日菜に澤村は廊下に設置されている時計を見た。既に4時になっている。

「いつもこの時間なんだ。大変じゃない?」

 澤村は、たまたま寝られずに、一人で部屋にいるのが居た堪れなくなっただけである。いつもなら1時間遅く寮をでるのだ。
 澤村の言葉に彼女は肩を竦めた。こんなことはもう慣れたという感じらしい。
 その姿に明日菜にも両親がいないことを思い出す。彼女は両親のことを覚えているのだろうか。
 聞き辛い話題ではある。

「あの、さ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど……いいかな」

 明日菜の顔が見れず、澤村は頭を掻きながら聞いた。
 彼の言葉に明日菜はきょとりした。何、と聞いてくる。
 言葉を選ぶ様にして澤村は言う。

「その……神楽坂さんは、小さい頃のこと、覚えてる?」
「え……?」

 自分を見る明日菜の視線が痛い。やはり触れてはいけない話題だったと後悔した。
 直接両親のことを覚えてるかどうか聞かなかったが、そうとってくれたのだろう。
 いくら表面上明るくても、彼女だって自分と同い年でしかも女の子なのだ。寂しいと思ったりすることもあるだろう。不躾な質問だ。

「あ、いや……ごめん、今のは――――」
「―――――覚えてないわ」

 なし、といおうとした澤村の言葉をあっけらかんとした明日菜の声が遮った。
 はっきりと。
 もしかしたら自分を気遣ってのことかもしれないと澤村は彼女の目を見たが、嘘ではないようだった。
 いたって真剣な表情。

「小さい頃こと、あんま覚えてないのよ。麻帆良学園にきた後のことははっきりと覚えてるんだけど」

 笑っちゃうわよねーと明日菜は苦笑していた。そんな明日菜の表情に、澤村は不謹慎かもしれないが、ほっとしてしまう。
 彼女も覚えていない。なら、自分だって覚えていないのは普通だ。自分だけじゃない。

「そっか……そうだよな。俺も覚えてないし……うん」

 納得いった、という顔でしきりに頷く澤村に明日菜は、またネギとその姿を重ねてしまう。子供であるネギほどではないが彼の顔は、鋭い目の割には幼さが残っている。しきりに頷く澤村の表情は、考え込んでいるネギの表情に欲にていた。
 澤村に気づかれぬ様に、明日菜は笑みを浮かべる。
 気がつくと、二人は寮から出ていた。

「じゃあ、私はこっちだから」

 男子中等部の校舎に向かうのと反対方向を指差す明日菜に澤村は頷いて、

「バイト、頑張って」

 そっちもね、と答える明日菜に軽く手を振って澤村は駅へと向かう。
 麻帆良学園は学園都市と呼ばれるだけあって、敷地がとても広い。それぞれの校舎にいくには電車が必要なほどだ。
 電車に揺られながらも澤村は、明日菜との会話のおかげで安心できていた。
 そんな自分にもしかしたら単純なのかもしれないと思ったが、今は安心していたい。異常じゃないと思いたい。

 ―――――大丈夫。自分はただの学生だ。

 明日菜だって覚えていないのだ。明日菜は普通の学生。両親が亡くなったという境遇をもっていながらもしっかりしていて、明るい女子。
 自分なんかより芯がしっかりしている彼女ですら覚えていないのだから自分だって覚えていなくて当たり前だ。
 男子中等部のグランドにつき、サッカーボールを追いかける澤村の表情は、憑き物が落ちたかのようだった。





  ネギ補佐生徒 第4話 焼け残り 





 そんな澤村に次の憑き物が待っていた。

「むっつりスケベの澤村君、下着ドロをしたって本当?」

 と、自分にマイクを向けている女子――――朝倉 和美の言葉に澤村は、口をぽかんとあけた。声もでない。
 むっつりスケベとは、どこから飛び出た言葉なのだろうか。少なくとも彼女の口からでたのは確かなのだ、と混乱しながらも理解できた。それにしてもこの質問はなんだかおかしい。
 下着ドロ云々を聞いている前にむっつりスケベと言っている時点で、下着ドロとして認識しているのではないだろうか。
 澤村は、和美の横の人物二人に視線を注ぐ。
 和美の横には、円とあやかがいた。澤村は、ぐさぐさと自分の身体に二人の視線が刺さっているという妙な感じを覚える。
  あやかは、未だに亜子の言葉を信じておらず、澤村を疑っていた。この前は、ネギの様子がおかしかったのもあり、澤村のことなんかすっぱり忘れていたのであ る。加えて澤村はあやかをずっと避けていた。接触しないように逃げている澤村の姿にあやかもしびれをきらしたのだ。下着に関して、盗んでいないという真実 を自信持って言えるのならば、堂々としていればいい。なのに彼は自分を避ける。疑ってくださいと言っているようなものだ。
 円も澤村を疑っていた。最初は目つきが鋭いのと緊張していたこともあり彼の表情は引き締まっていて、硬派なイメージをもっていたのだが、あやかの話を聞いた瞬間、それは一変した。
 自分の嫌いなちゃらちゃらした男のイメージがぽんとでてきしまったのだ。硬派な外見の人間ほど、裏で女を泣かせているのかもしれない。
 別に澤村はそんなことないのだが。いたって普通のクラスである、男子中等部3−Aの中でも目立たない生徒であり、女子と話すことなんてめったにない。
  彼の頭の中では、サッカーという今だけしか楽しめないものをどれだけ楽しめるかとか、女子中等部3−Aの中でどれだけ平和に1週間をすごせるかということ しかないのだが、人というものは信用を無くすのは簡単だがその逆は非常に困難なものである。円も例外ではなく、がくんと落ちた信頼を取り戻すことなんてす ぐにはできなかった。
 澤村は二人を見た途端、何か言わなければ鉄拳制裁が待っているやもしれないと思った。口を開く。

「えっと……和泉から説明しにこなかったかな?」

 結局昨日と変わらない言葉しかでてこなかった。

「でも、下着を握り締めて逃げてたんでしょ?」

 そして昨日と変わらない言葉で和美に返された。
 澤村は自分の席に座っていて、いつのまにか3人の女子に囲まれ見下ろされる状態となっていた。怖い。非常に怖い。まるでいじめにあっているかのようだと澤村は思った。
 今までとは違う恐怖が澤村を襲っている。同じ女子なのに、こんなに違うものなのかと、マネージャーである亜子の姿を思い浮かべてしまう。
 嗚呼、誰でもいいから助けてくれ。





 亜子の心配そうな視線に気がついて、大河内アキラは首を傾げた。

「どうしたの?」

 裕奈が澤村ばかり見ている亜子に話しかける。
 近くにいたまき絵とアキラも亜子を不思議そうに見ていた。

「なんか……澤村君、困ってるように見えるんやけど」

 その言葉にそろって澤村の方を見てみる。
 確かになんだか冷や汗を流して、円とあやかと和美というめずらしい3人組に囲まれていた。

「へー。亜子、よく見てるんだね」

 まき絵の言葉に、別にそういうわけじゃないときっぱり亜子は言う。
 本当にたまたま視界に入っただけなのだろう。

「……行ってみる?」

 アキラが言った。裕奈が、ちょっと可哀想だしね、といってそれに賛同する。
 今の澤村の様子は、蛇に睨まれた蛙状態だった。しかも下着ドロだと勘違いされて追いかけられたあやかとパパラッチで有名な和美がいるのだ。
 困らないはずがない。
 亜子とまき絵も頷いて、4人そろって澤村の席に歩み寄る。
 そんな4人を見たときの澤村の表情といったら、まるで救世主を見つけたかのようだった。

「丁度よかった! 和泉、もう一度説明してくれ」

 顔の前で両手をパンと合わせ頼む、と澤村が亜子を見た。
 彼女もこんな彼を見るのは初めてなのか苦笑している。
 亜子が頷く。
 円、あやか、和美の視線が彼女へと集まった。
 
「澤村君は、下着ドロなんてせーへんよ。そもそもそんな度胸ないもん」

 度胸がない。男としてその言葉は失礼ではないのか?
 アキラはちらりと澤村を見たが、彼も同じ事を追っていたらしく亜子にじと目を向けていた。
 とはいっても今彼を救えるのは亜子だけということをわかっているらしく、口を挟むことはしていない。

「わからないよ? もしかしたら、そういう風に演じているのかもしれないしね。それに、下着を握り締めて逃げてたらしいじゃない?」

 和美はにやりと笑って指摘した。面白いネタだと思ったら離さないのが彼女のポリシーである。
 最近の吸血鬼騒動は、収まりつつあるので新しいネタが欲しい彼女にとって、澤村の下着ドロ騒動は丁度いいネタなのだ。

「で、でも、急に現れたいいんちょに疑われたりされたら、誰だって逃げてしまうやろ?」

 和美の指摘はもっともなもので、澤村と同じように亜子の言葉につまっている。どもらせて出した言葉には説得力もない。むしろあやかに失礼な言葉である。
 そんな様子を見て、事情をそれとなくしか聞いていないアキラは、澤村を見た。
 困った表情で和美と亜子を交互に見ている。
 状況は刻々と悪化して行く。ヒステリックにそうですわ、といいながらあやかも口論に加わり、めずらしく怒っている円、席が近くということと亜子の知り合いということが重なってそれなりに澤村を信用している裕奈も加わって口喧嘩へと発展しつつある。
 まき絵は、一応被害者なためか、どう口をだしていいのかわからず、オロオロとその様子を見ている。
 澤村もここまで自体が悪化するとは思わなかったので、引き攣った表情で固まってしまっている。
  なんだか収集のつかない事態へと発展してしまった。なんとかしなければ、とアキラは教室を見まわした。皆、この様子を傍観している。いつもなら傍観してい ても騒がしいのだが、今回の騒ぎの種が澤村のせいなのか、はたまためずらしいメンバーの口喧嘩に驚いているのかわからないが、妙に静かだった。
 和美は面白がっているだけなのかもしれないが皆頭に血が上っていて、静まり返った教室の様子にまったく気がつかない。
 静まってしまった教室に、タイミングよく鳴滝姉妹がルームメイトである長瀬楓と共に元気よく入ってきた。それを見て、アキラは、

  「あの……」

 思いきって声をかける。
 音をたてて皆がアキラを見た。うっ、と退けてしまう。皆の半月な目が怖かった。
 軽い恐怖に耐えながらも、ゆっくりと鳴滝姉妹を指差して言う。

  「聞けばいいんじゃないかな。彼女達に」

 ごもっとも。
 燃えあがっていたあやか、和美、円、亜子、裕奈は、机や椅子があるのでそれほど早いわけではないが、それを加算した上で驚くほどの早さを教室中に披露して、鳴滝姉妹に走りよっていった。
 まき絵も慌ててそれについていく。事態がようやく収集されることに皆興味がなくなったのか、教室はまた騒がしさをとりもどした。
 残されたのは、澤村とアキラ。二人で顔を見合わせる。

  「助かったよ。ありがとう」

 苦笑して澤村はアキラに礼を言う。自分より背が高そうだったので、席は立たなかった。男が女より背が低いだなんて格好悪いじゃないか。
 アキラは、首をゆっくりと左右に振ってから、

  「あの子たちに聞けば、あなたの言っていることが本当かどうか、わかるから」

 つまり、まだ完璧に信用しているわけではないということだ。
 信用ないんだな、と澤村は少しだけ気落ちした。
 とはいえ、あの鳴滝姉妹が嘘を言わなければ、自分の疑いが晴れるわけだ。
 澤村はほっと胸を撫で下ろした。

  「じゃ、疑いが晴れたらお礼させてくれ」

 頭を掻きながら言う澤村にアキラはきょとりとした。
  今更ながら、ネギと身内以外の男子と話すのは、はじめてだと気付く。亜子の話では、サッカーに夢中で色恋沙汰なんてまったく興味のないような男だといって いた。背が小さいことを気にしていて、騒ぎすぎるサッカー部のストッパーになったり、妙なところが生真面目だったり……といろいろ聞いている。
 クラスの女子から聞かれて亜子が口にだす澤村のことは、目立つ悪いことはなかった。ぶっきらぼうなとこがあるとか、その程度。
頭を掻きながら言ってきた澤村の表情は、年相応でいつもの鋭い目がなんだか柔らかく見える。初めはぶっきらぼうな子なのかと思ったが、そうでもないようだ。
 ぎこちないが、それでも笑みを浮かべてアキラは頷いた。
 今度は澤村の番だった。きょとりとなる。
 まさか自分に笑いかけてくれるとは思わなかったのだ。
 頬杖をついて、アキラを見上げる。あやかもアキラと同じくらい背が高いのだが、澤村からしてみれば威圧感がすごくて背が高い云々なんて思えなかったのだ。
 それに比べてアキラは寡黙で大人しい。人見知りをしそうだとも思っていた澤村は、だからこそ彼女が初対面に近い自分に笑いかけてくれたことに驚いた。
 そんなアキラは首を傾げて澤村を見ている。自分見てくる澤村に何か用かと思ったのだ。しかしそんな彼からでてくる言葉は、

  「背、高くていいなぁ……」

 だった。
 ここで可愛いと言えば、アキラの心を掴むきっかけがつくれたのかもしれないが、澤村はそんな大層な男ではない。なんせ彼は、彼女を見てから一つのことしかひっかかっていないのだから。
 彼にとって、目標である170cmを越えていると思われる彼女の長身が羨ましくてしかたないのだ。
 ここ最近は、6年前、両親、魔法といった単語にとらわれていて、クラスの身長を改めて確認することがなかったが、クラスに入った当初に思った通りこのクラスの女子は、身長が高い者が多かった。
 亜子は背が低いのでそのことをすっかり忘れていたが。
 すらりと伸びた肢体が羨ましい、と澤村は心の中で溜息をつく。
  心底羨ましそうに見てくる澤村に、アキラはなんだかおかしくなって噴出してしまった。頬杖をついてるせいか、澤村の頬の肉が口元に寄っていて膨れっ面をし ているかのように見えてしまう。そんな顔で見上げてくる鋭い目とのギャップがアキラの笑いのツボをぐいぐい押していた。
 そんなアキラをみて、澤村は手から顔を離した。無意識にだした言葉の意味にようやく気がつく。
笑いを耐えようと口元を抑えているアキラに恥ずかしさからぶっきらぼうな口調で、

「中途半端に笑うなら思い切り笑って欲しいんだけど」

 といってしまう。
 だがその言葉のとおり、噴出すくらいなら我慢しないで笑って欲しい。その方が恥ずかしさも半減する。
 澤村は、自分が関わっていることなのに、鳴滝姉妹にいこうとはしなかった。もし鳴滝姉妹が澤村を嫌っているのなら、きっと自分がいくことで彼女達が素直に本当のことを言ってくれないかもしれないから。本当に嫌いなら逆に利用されてしまう可能性もあるのだが。
 くすくすと軽くお腹に手をそえて笑っているアキラの後ろでは、鳴滝姉妹があやかたちに囲まれて半べそかいているのが見えた。あれなら正直に言うだろう。
 澤村は、少しだけいい気味だと思った。思わず口元を緩めてしまう。笑い終えたアキラに指摘されて、慌てて口元を隠す。
 結局、鳴滝姉妹が彼女達にどう説明したのか澤村本人には伝わらぬままチャイムが鳴り響き、ネギが教室へと入ってきた。





 金髪の幼女が今日もいないことと昨日のフェレットが自分の席にこないことに安心しつつ授業を受け、1日が終わる。
 休み時間の間に、今朝の女子たちが澤村を囲むことはなかった。亜子たちも例外ではない。
 唯一、澤村の前の席にいる裕奈だけが、大丈夫、と一言彼に言っただけだった。
 大丈夫とは、何が大丈夫なのだろうか。
 下着ドロだと勘違いされているけど、処罰はないよという大丈夫なのか。それとも下着ドロという疑いが晴れたよという大丈夫なのだろうか。この二つによって澤村の気の持ちようは随分違う。
 前の憑き物よりかは軽いが、それでも憑き物がついているのは気分がよくない。なんだか悶々とした感じが澤村にはあった。
 そんな悶々としたものを抱えながらも帰りのHRが終わり、澤村が待ちに待っていた部活の時間がやってくる。
 急いで荷物を持って教室を去ろうと、扉に向かった瞬間。

「―――――あがっ」

 鞄をもったほうの腕がひっぱられたと感じたと同時に、奇妙な声をだして澤村は鞄を持った方の肩に痛みを感じながらもその場に留まった。
 後ろへと転ばなかったのは不幸中の幸いである。

「あ、ごめん!」
「だいじょーぶですか?」

 苦痛で歪んだ澤村の顔を覗き込むドッペルゲンガー……もとい、双子の鳴滝姉妹。
 彼女達は別に怪力ではない。そんな鳴滝姉妹が澤村の鞄を掴んだだけで彼の肩に負担をかけたのは、澤村自身に原因がある。
 短距離走でもやるのかと思うほどのスタートダッシュで教室を駆け出したのだ。自分を呼びとめながら走り寄ってきた鳴滝姉妹に気づかずに。
 放課後の教室はとても賑やかで、澤村は鳴滝姉妹の声に気付かず猛ダッシュ。慌てた鳴滝姉妹は、澤村の鞄を二人がかりで掴んだ。それなりの速さで走っていた澤村は、鞄を持つ腕をそのままふりながらも進もうとしたため肩に変なふうに力が加わってしまったのだ。鳴滝姉
 妹が澤村の腕にひっぱられなかったのも、不幸中の幸いの一つかもしれない。
 自分が悪いのはわかっていたので、澤村も鞄を持っていた肩を回しながら謝る。

「それで、俺に何か用?」

 痛みからくる苛立ちもあったが、それよりも彼女たちの質の悪いイタズラに対しての不快感が強く、少しだけ怒気のこもった声で澤村は問う。
 自分も下着を握り締めて走ってしまったのに非はあるかもしれないが、元をたどれば彼女たちが自分にプレゼントといって渡したのが原因である。
 明らかに不機嫌さを表した澤村に、鳴滝姉妹はびくっと身体を震わした。
 鋭い目が鳴滝姉妹を見下ろしている。

「あ、あの……」

 史伽が勇気を振り絞って声を出した。彼女達は、澤村に謝りたいだけなのだ。
 まさか、事態があそこまで悪化しているとは思わなかった。澤村の下着ドロの件で、あやかが怒りながら澤村のことを言っていたので、怖くて言い出せずにいた後、今度は亜子が澤村の誤解を解きに歩き回っていた。
 その時、亜子に軽いお説教をもらった時点で、事態は収拾していると思っていた。下着を握り締めて走っていた澤村は、結局クラスの皆に悪い印象を与え、朝のような結果となってしまったのだ。
 さすがの彼女らも罪悪感を覚える。

「ごめんなさいっ!」

 風花がばっと頭を下げた。慌てて史伽もそれに続く。
 澤村は口をへの字にしたまま彼女達を見下ろしている。怖くて鳴滝姉妹は顔を上げられなかった。

「一つ質問」

 頭上から声がした。誰だかは、言わずともわかるだろう。
 二人が顔を上げれば、鋭い目と視線がかち合った。

「俺のことを寮から追い出そうと思ってやったわけじゃないんだよな?」

 こくこくと二人はそろって首を縦に振った。おもしろ半分ではあったが、寮から追い出そうとかそういう悪意はない。
 鳴滝姉妹の目は、咎められている幼稚園児のようだった。そんな二人に、きついことなんて言えない。
 肩の痛みもひいてきていて、一時的な苛立ちは収まりつつある。
 澤村は、だから子供は苦手なんだ、と心の中で呟き、頭を掻きながら言う。

「じゃ、いいよ。そのかわり、きちんと皆に説明してくれよ」

 彼の頭には、二人が同い年だということなど、何処かへ行っていた。
 こうやってイタズラをしたり、急にしゅんとなったり、それは小学生となんらかわらなかった。
 鳴滝姉妹が元気よく返事をしたのを確認してから、澤村は急いで部活へと走る。
 この後、鳴滝姉妹は澤村と約束した通りに澤村の誤解を解きにいったらしい。下着を握って走り去ったことに関してのフォローも含めて、事の説明をしたのだがやはり澤村への印象を完璧に改善することは難しかった。





 澤村も自分の疑いが晴れたとしても、自分への印象が完璧に改善されることはないと重々承知していた。
 だからこそ、女子寮へ向かう足取りは重くなるし、溜息だって出てしまう。
 本当は自分の怒りを鳴滝姉妹にぶつけようと澤村は思っていた。しかし、外見が幼女である彼女達に強く言えるほど澤村の気は強くない。

 ―――――不完全燃焼。

 そんな言葉が澤村の頭に浮かんだ。

「ぬあ〜っ! ちきしょう!」

 女子寮へと続く道に人がいないことをいいことに、澤村は不完全燃焼で焼け残ったものを燃やそうと、大声をだした。
 そんなことでは、後味の悪さが晴れるはずもなく、鞄を持っていないほうの手で頭をがしがしとかきむしる。
 それでもやはりすっきりしない。
 そんな澤村の耳にドドドド……という音が入ってくる。
 飛行機だろうか。それにしては煩すぎるな、と澤村は視線を空へと向ける。
 音の発信源が、視界に入ってきた。

「――――――――」

 絶句。開いた口が塞がらないとは正にこのことである。
 近頃いやってほど見慣れてしまった制服。固くて冷たそうな肌。節目がある間接。不思議な耳当て。拍子抜けしてしまうような名前。そして澤村の前で右の席のクラスメート。
 そう、茶々丸が空を飛んでいたのだ。澤村にはそれがわからないが、何か背中と両足の裏から噴出して上昇している。
澤村の視界と空を一線に絶ちきるかのようにまっすぐと茶々丸は空を飛び去っていく。視界から茶々丸が消えると、澤村は開いたままだった口から、

「―――――――は、ははは……」

 乾いた笑い声をだすのだった。この世は、もうなんでもありな時代なのかもしれない、と。

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