ネギ補佐生徒 第9話





「ええかげんにしなはれ!」

 ぐわん、と耳が鳴る。ゆれる視界。

「落ちたら死ぬって聞いたら、余計落ちるわけにはいかないっての!」

 人間、生死が関わればバカ力というものが働く。もしかしたら澤村も今まさにそれを出しているのかもしれない。
 痺れ始めた足と手にもう一度ぐっと力を込める。地上についてもすぐにまた飛び上がる。これでネギと離れてから二度目だ。
 この猿女は、わざとやっている。このままじゃ、もたない。
 早くどこに行くのか突き止めて、ネギたちに連絡しなければ。
 一番高い位置までいったと同時に、下を見る。怖いが、命がなくなるのに比べれば、我慢できる。
 身体にかかる風圧。降下し始めたのだ。

「ぐっ……」

 落とされないようにしっかりと力をこめる。
 地面に猿女の脚がつく。今度は飛び上がらずにそのまま走り始めた。

 ――――目的地が近いってことか?

 猿の頭から顔を覗かせて、澤村は前を見た。
 その先には駅。
 ぐっ、と脚と左手に力を込めて、ゆっくりと右手を離した。幸い、猿女は澤村の行動に気が付いていない。
 じんべいのポケットに入っていた携帯を開いて、二文字だけ打つ。そしてネギへとメールを送った。

「このっ!」
「うわっ!?」

 ジェットコースターのような感覚が襲う。
 再び揺れる視界の中、猿女から離れる左手が見えた。
 澤村の視界の天と地が入れ替わる。

「うわ、頭が……頭が!!」

 ぎりぎりのところでなんとか地に頭が着くことはなかったが、猿の走る足が澤村の頭を蹴り飛ばしている。
 澤村は、腹に思い切り力を込めると、なんとかもう一度起き上がることができた。携帯をしまい、両手で猿女の耳を掴む。

「ほんましつこいわ!」

 もうこの猿に掴まるのは難しい。行き先は分かっているのなら、下手にくっついて怪我するより追いかけた方がいいのかもしれない。
 夏には大会がある。怪我などしたくない。
 だが、普通にこの猿からおりて走ったところで、ぴったりとついていける自信はなかった。
 起き上がらせた上半身をゆっくりとおろす。視界に入るのは、ゆらゆらゆれる尻尾。
 それを掴み、両手首に絡まさせる。

「うるせぇ―――――」

 左足だけ残して、右足を猿の首から離す。足を伸ばしたまま、できるかぎり自分の身体に右足を引き付けた。
 そして、

「――――ってぇーの!!」

 猿の後頭部を蹴った。同時に残りの左足も開放する。
 世界が回る。

 あとは着地だけだ。

 動く地面状態の地に、足を付ける。中学に上がってからはき続けていた運動靴が、ずりずりと削れていく感触があった。
 折角買ったのに。
 少しもったいない気持ちがあった。このままずるずると引きずられてしまっていては、いずれバランスを崩して転んでしまう。澤村は足を前へ前へとだした。

「澤村さーん!!」

 振り返ると、ネギと明日菜、刹那の姿。
 安堵感が澤村を満たす。
 ……だが、振り返ったのは失敗だった。

「やべっ……」

 手からするりと尻尾がぬけた。しっかり絡めていたはずだが、それはまるで生きているかのように解かれてしまったのだ。

「ふふ……これを普通の着ぐるみ思うたらあきまへんえ」

 猿の笑い声が聞こえたと同時に、身体が後ろへと倒れていった。





  ネギ補佐生徒 第9話 水難注意報





「澤村さん!!」

 ゴロゴロと自分のところに転がってきた澤村にネギは声をあげた。
 きっとずっとあの猿に掴まっていたのだ。彼は明日菜ほどの身体能力はない。限界が近かったんだ。
 支え起こそうと思ってネギは足を速めて澤村に近づこうとしたが、澤村はそのまま後転するようにして起き上がり、ネギ達と並んで走り始めた。
 大丈夫ですか、とネギが聞くと、

「平気です」

 前を見据えたまま走る澤村の口から、はっきりとした返事がきた。
 その目は、あの時の目の面影があった。

 ―――――くだらないことで命を落としますよ。

 頭から離れない。彼の言葉も、彼の表情も。
 遠くを見ている群青の瞳。まるで、昔を思い出しているような、そんな目だった。
 澤村のネギを見る目は、ネギを見ているのではなく、何か別なものを見るような目で……憤怒が感じられた。
 ふとしたとき澤村を見ると、ネギは彼に恐怖を感じる時がある。穏やかで、普通の学生のはずの彼から感じるのが不思議でしょうがなかった。

「やっぱり電車に乗る気だ!」

 澤村の声がネギの耳に入る。視界には、駅の改札口を飛び越えていく猿。

「先生、切符は!?」

 そんな澤村の言葉に、

「人払いの呪符があります! 普通の人はいませんから、大丈夫です!」

 刹那の少し苛立った答え。
 そ、そっか……という澤村の答えに先ほどの考えが薄れていく。
 本当に普通の生徒で、明日菜のように魔法の世界とはかけ離れた人物なのだと。
 駆け込み乗車はいけないとよくいうが、今回ばかりはそれも免除してもらう。ほとんどヘットスライディング状態で電車に乗り込む。刹那と澤村が先頭切って走っていた。
 なぜだろうか。彼は以前より足が速くなっている気がする。
 ネギは疑問に思いながらも明日菜に手をひっぱられながらも二人に追いつこうと走りはじめる。

「ネギ先生! 前の車両に追いつめますよ!!」

 刹那の声が、離れていく。





 ―――――畜生。

 感覚がなくなり始めた足で刹那に必死についていきながら、澤村は奥歯をかみ締めた。
 あのまま尻尾を掴んで離さなければ、事態はもっと早く解決できたはずなのに。また、足手まといになっている。
 少しずつ、刹那との距離が広がり、ネギたちとの距離が縮まっていく。

 ―――――畜生! 畜生、畜生!!

 無力感が忌々しい。自分の常識が忌々しい。
 切符なんて気にしてる場合なんかじゃないだろうが。ここまできて、常識的な考えは捨てたはずだったのに。
 それに、こうやって体力的な差だってでている。

「待てーーーっ!!」

 刹那の声が車内に響く。猿が振り返った。
 諦めたか、と澤村は思ったのだが、それは違っていた。
 刹那が持っていたのと似たような札が猿の目の前にでてきたと思ったと同時に、その札から水が噴出してきた。
 その勢いは、すぐに車内を水で満タンにさせるほどだ。窓の微かな隙間から、水が溢れ出している。
 羽織や浴衣が、水を吸って重くなるのがわかる。

「ゴボ……ッ」

 息だって苦しい。意識が、遠のいていく。
 だが澤村をすぐに鈍い音が目を覚まさせた。見れば、車両のドアが開いていて、水がそこから流れ出している。
 駅についた電車の扉から、吐き出すかのように水が出て行く。澤村たちも水と一緒に駅のホームへと流れ出る。
 喉にはいった水が、澤村を咳き込ませた。
 ネギや刹那、明日菜のような余裕なんてなかった。ただ喉を押さえて膝をつき、咳き込むだけ。
 頭もぼーっとしていて、回らない。体だって、水に体力を奪われたらしく、だるくてしかたがない。
 しかし、敵は待ってくれる訳がない。

「ぐっ……!!」

 今まで溜まりに溜まった疲労が、澤村を襲う。精神的にも、肉体的にも限界に近い。
 それでも立ち止まることはできなかった。サッカーの試合のように、諦めるのだけは嫌だった。途中で投げ出すのは嫌だった。
 中学を卒業すれば、つまらない現実とつまらない自分の将来が待っている。
 ならば今を全力で翔け抜けなければ!
 最後尾にいたネギに、必死になってついていった。
 口を大きくあけてみっともない顔をしているかもしれないが、気に留めてなんかいられなかった。
 当然、三人の会話もなんだか耳鳴りのようにしか聞こえない。
 改札をくぐり、階段を上り始めてすぐに、ネギたちが立ち止まる。澤村も少し遅れてその場についた。
 両膝に両手をつき、咳き込みながらも息をする。喉がひゅーひゅー言っており、喉と肺が痛い。
 重い頭を上げて、階段の先にいる猿の着ぐるみを着ていた女―――――天ヶ崎千草を見た。

「フフ……よーここまで追ってこれましたな」

 彼女の後ろには、さっききていた猿の着ぐるみ。
 水を吸って、重くなったから脱いだのだろう。

「そやけど、それもここまでですえ」

 すっとだされる札。

「おのれ、させるかっ」

 踏みこむ刹那。
 しかし、距離が距離だった。数十段上の階段にいた千草に、さすがの刹那もすぐにはそこに行くことなどできない。

「喰らいなはれ! 三枚符術・京都大文字焼き!!」

 “大”という形に燃え盛る炎が千草の位置へと近づいていた刹那を襲うとしていた。
 だが、澤村はそれどころではなかった。自分の体を赤く照らす炎に目が離せない。
 両膝についていた両手を離し、まっすぐ立ちあがる。
 どくん、と高鳴る心臓。
 ぱっと出ては消える光景。
 限界だった体は、倒れながらもそれを思い出そうとしている。

「澤村さん!?」
「澤村君!?」

 今度こそ薄れる意識の中、ネギと明日菜の声がしっかりと聞こえてきた。





 ―――――ゴオオオォォオ。

 煩い。
 正直耳障りだと思った。
 焦臭い匂いが充満していた。
 辺りを見まわせば、赤、紅、赤、紅。身体は熱くて、汗がだらだらと流れている。

「―――――!!」

 何か叫んでいるはずだったのだが、何を言っているのかわからなかった。
 言葉でも何でもないことを叫んでいたのかもしれない。
 キンキンとする自分の声に、少しだけ驚いた。
 叫びながら、炎の中を走る。
 自分は、何を探しているのだろうか。すごく大切な物だったはずなのに、それが思い出せないのが歯がゆい。

  ガタ、ガタン……

 建物が崩れている。ぼろぼろと、崩れていく。
 木やガラスの破片、平らだったはずの地面、燃えあがる街、壊れていく街。

 ―――――それなのに、何故か人の悲鳴が聞こえなかった。

 聞こえてくるのは、壊れていく街の音だけ。
 それが、恐怖を煽っている。もうこの街には……この世界には、自分だけしかいないのではないのだろうかと思ってしまう。

「誰かーーー!!」

 叫んでいる言葉が、ようやく理解できた。
 たった3文字。それなのになぜ、理解できなかったのだろうか。
 誰かが地を踏む音が聞こえた。

 人だ!

 そう思って振りかえると、

「―――――っ」

 息を飲んだ。
 目を見開いた。
 口を必死に両手で押さえた。
 太い足に長い腕。背からはコウモリのような翼が生えており、頭は人間とはかけ離れていて頭から角のようなものが生えている。
 これが何なのか、わからない。
 わかるのは、後ろを向いているこれが、こちらを向いたら命がなくなってしまうということ。

  バシィィィイン!!

 耳障りだと感じた音とは違う、耳を刺すような音が聞こえたと同時に怪物が光った。
 何かが砕ける音。

「お……―――え……ん!!」

 街の子だろうか。
 砕ける音にかき消されながらも誰かの声が聞こえてきた。
 怪物が動く。どうやら声のした方へといったようだ。その子には悪いが、今は逃げなければいけない。
 自分の命が大事だったというのもあったが、それよりも今は気になることがあった。
 何かはわからないけれど、“大切な何か”
 自分がどこへ向かっているのか。わからないけれど、確かに目的地はある。
 温かい思い出の集まっている、あの場所。
 だが、目的地につく前に、“大切な何か”は見つかった。
 それは、きちんとした在り方ではない。
 自分の求めたものではない。
 熱かったはずの身体は冷め、だらだらと流れていた汗はすっとひいていった。

「う――――」

 一歩……いや、二歩、足を退いた。
 その光景を否定するかのように首を左右にふっても、それは何も変わらない。

「わぁあああああーーーー!!!」

 闇色の空に、獣のような声が響いた。





 倒れた澤村を背負って、刹那はネギたちと別れた。
 木乃香の笑顔に思わず本音がでそうになってしまったが、彼が倒れていたおかげで、うまく逃げることができた。
 明日の班行動は一緒に行かなければいけないのだろうか。
 ……行かなくてはいけないのだろう。
 軽く溜息を漏らすと、

「ぐっ……あ……」
「澤村さん?」

 うめき声を上げながらも、澤村が意識を取り戻したようだった。
 彼は、疲労から気絶していたのだ。
 千草にしっかりと捕まって、彼女の位置を断定してくれたことと、千草の逃げる速度を落としてくれたのは、本当に助かった。
 彼は必死に疲労のたまった足で走っていた。そして、電車での敵の水攻撃。
 倒れて当然である。

「さくら、ざき……さん?」

 首元に澤村の息がかかる。か細さがなくて、胸を撫で下ろした。
 はい、と答えると澤村は、刹那の両肩を両手で押して、もたれきりだった自分の身体を刹那の身体から起きあがらせた。

「近衛さんとあの猿女は?」

 まだ意識が完璧には戻っていないらしく、ぼぅっとした澤村の声が刹那の後頭部から聞こえてくる。

「敵は撃退しました。このかお嬢様もご無事です」

 そう答えると、そっか、と短く答えた。
 そして、んーと不思議そうにしている声が刹那の耳に入ってくる。
 刹那はそのまま黙って足を進めていた。

「……って、え? なんで、俺、桜咲さんの……悪い、重いだろ?」

 確かに木乃香に比べて数段重い。
 降りるよ、と言う澤村に、ずっと背負っているのも難だったので、彼を下ろした。
 疲労はすぐにとれるわけがないので、彼は少しふらついてはいたが、なんとか一人で歩けそうだ。
 丁度いい具合に、ホテルには、あともう少しでつく。

「そういえばさ、なんで近衛さん関西呪術協会に狙われているんだ?」

 人の話を聞いていなかったのだろうか、この男は。
 そう思って、澤村を見るとまだ疲労の残った顔がある。聞いていなかったのではなくて、聞こえなかったのだろうか。

「もしかして澤村さん、電車をおりた後、私が話していたこと覚えていませんか?」
「え……あ、ごめん。その時たぶん、追いつくのに必死だったから聞いてなかった」

 聞いてはいたけど理解してない、と頭を掻いて澤村は気まずそうに刹那に言う。
 明日菜もネギと契約を交わしているからこそ、ついて行けているのだろうし、普通の学生である澤村が自分たちについて行けているのがすごいのだ。
 謝ってくる澤村に、苦笑して刹那は木乃香の説明をし始めた。
 こうして、1日目の修学旅行の夜がふけて行く。

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