ネギ補佐生徒 第23話





 ガタンゴトンという音と共に、体を揺すられる。
 そんなホテル嵐山へ向かう電車の中で、

「はい、これお土産」

 金髪の幼女―――――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、そんな言葉と共に目の前に差し出された奇妙な人形に視線を注いだ。
 たこ焼きにくりっとした目がくっついており、そのたこ焼きからは胴体がはえている。
 エヴァンジェリンは眉に皺を寄せた。

「なんだ、これは」

 そう問うと、奇妙な人形を差し出した張本人―――――澤村翔騎が答える。

「お土産。関西限定、タコヤキ君人形」

 そんな澤村をエヴァンジェリンは睨む。
 それもそうだった。
 彼女にとって、この人形は不細工を通り越して気色悪いに値する。エヴァンジェリンの好きな、ファンシーなものとはかけ離れていた。

「……新手の嫌がらせか」

 凄みの聞いた視線に澤村は引き攣った顔をしてみせる。
 しまった、という思いが、澤村の引きつった顔に浮かび上がってきていた。

「いや、これは冗談というか余興というか……」

 その様子がエヴァンジェリンの腹を立たせていた。
 昨夜の落ち込みようから、今は吹っ切れましたといわんばかりの明るい表情も腹立たしいが、自分に脅える表情はそれ以上に腹立たしい。
 そんなエヴァンジェリンの心情を察したのか澤村は、あたふたと両手をぶんぶんふってみせる。
 奇妙な人形が、更に奇妙さを増すだけだった。
 それと同じようにエヴァンジェリンの眉間の皺が更に増える。
 澤村は弁解しようと、

「ほ、本当は、もっとまともなの買うつもりだったんだけど、その、いろいろトラブルがあって。別にこれだけでお土産ですなんて本当は言うつもりからっきしなかったんだ! それなりに可愛いかなーなんて思ったりしていたから大丈夫かなとかも思ってた、わけ、で……」

 早口でそう言ってみせるが、後半はやはりエヴァンジェリンの視線に耐え切れずに声が消えていった。
 怖いものは怖いといったところなのだろう。
 ぶんぶんふっていた両手も動きを止める。エヴァンジェリンの目の前に、奇妙な人形が掲げられていた。
 視線があってしまって、不快である。
 気まずい雰囲気が漂い始めた。
 その様子を、傍にいたエヴァンジェリンの従者――――絡繰茶々丸が無表情で見ている。澤村の窮地を救うことはしない。彼女は自分のマスターに忠実な従者だった。
 皆も澤村とエヴァンジェリンの雰囲気に少なからず違和感をもったらしく、不思議そう見ている。
 そのことで更にエヴァンジェリンの苛立ちがたまっていった。

「えっとぉ……」

 沸騰するような感情の高まり。
 エヴァンジェリンの限界点は近かった。
 それなのに澤村は、

  「お、お詫びにお土産を買い直すタコッ!」

 苦し紛れにだした言葉で自分で自分の死刑宣告をしてしまったのだ。
 エヴァンジェリンは左右にピコピコ動くタコヤキ君人形とその主をたっぷりと睨んだ後、

 ――――――ゴス!

 澤村の鳩尾に拳をねじ込んだ。
 ふるふると震える澤村の体。
 澤村の手から、タコヤキ君人形がぽとりとこぼれ落ちていった。





  ネギ補佐生徒 第23話 事後処理、そして修学旅行終了





 腹部をおさえながらも走る澤村に、

「君に言い忘れたことがあった」

 龍宮真名はそう声を掛けた。

「え、何?」

 電車をおり、全速力でホテル嵐山へ向って走っている澤村と真名の息はあまり切れてはいない。
 真名も澤村も、それなりに体を鍛えているという証拠だった。
 澤村の場合、サッカー部ということだけではなく、ネギ達と行動を共にしているという理由もあるのだが。
 そんな澤村に真名は、少しだけ感心を示した。
 はじめて会ったときは、本当に一般人だと思っていたからだ。
 とはいえ、エヴァンジェリンにもらった拳が大分効いているようで、澤村は少し苦しそうな表情をしていた。
 真名は澤村に言う。

「君の変わり身……かなり暴れていたぞ」

 その言葉に澤村はなんとも不思議な行動をした。
 表情……頭だけ固まっているのに、胴体はしっかりと走っている。
 少し気味が悪い、と真名は誰にもわからないくらい密かに、眉をひそめた。
 二人はお互いの顔を見たまま走る。
 別に見詰め合っているという素敵なシチュエーションではない。
 固まった表情で走る男と無表情に近い女が見詰め合っているというシュールな光景だ。
 しばらくして、

「……結構やばい?」

 深刻な声色で澤村は聞いてきた。
 真名は、宙へと視線を一度逸らした後、深く頷いて見せる。
 その瞬間、澤村は眉をハの字にしてなんとも情けない顔へと変貌した。
 女子から怖がれる時もある鋭い目も、今は情けない表情をつくるためのパーツでしかなかった。

「和泉達が心配していた。私も君の偽者を捕まえるのを手伝わされたくらいだからな」
「……えっと、ごめんよ。龍宮さん」

 苦笑しているのか引き攣っているのか、理解に苦しむ表情をしてくる澤村に真名は不敵に笑い、

「次は、報酬をもらうからな」

 といって見せる。
 澤村の表情は、また固まっていた。





「くそー……エヴァンジェリンの奴、思いっきり殴ったな……」

 涙目になりながらも澤村はそう漏らす。まだ腹部の痛みは消え去ってはくれなかった。
 鈍い痛みが腹部を痛めつけてくる。今は、10歳の体の力しかもっていないといえど、痛みはそれなりのものだった。
 たかが10歳、されど10歳といったところか。
 ホテル嵐山に到着した一行は、制服に着替えるためにそれぞれの部屋へと向っている。
 ストリップショーを繰り広げた明日菜達の式紙は、きちんと処理をした。
 澤村とネギの式紙は、仲良く寝ていたらしい。
 けれども真名の話が本当なら、事態はよくないだろう。
 自分の予想を超えることをしていないようにと願いつつも、澤村は歩く。
 目の前には、ネギと明日菜が並んで歩いていた。
 視線を横にずらせば、木乃香の姿もある。
 ネギと澤村の部屋は階が違うが、階段までは一緒に行くこととなったのだ。

「翔騎君、まだ痛いんか?」

 ひょい、と顔を覗かせてくる木乃香に澤村は小さな声をあげながらも跳び退いた。

 フラッシュバック。

 昨夜の自分の発言が思い出された。
 気にするなと頭に言い聞かせて声を絞り出す。
 ほら、心頭滅却すれば火もまた涼しとかいう言葉だってあるじゃないか。
 きっと、この恥ずかしさも別の物にかわってくれるはずだ。

「こ、近衛さん……驚かさないでく――――」
「翔騎君、“木乃香”や」

 非難の言葉はあっさり遮られる。以前と同じ展開だった。
 澤村は、ぎこちない動作で頭をかく。
 戯れ言を頭に叩き込まなくても、他のことでフラッシュバックは消え去ってくれた。
 澤村は木乃香を見る。
 亜子と似ていると思ったのだが、どうやらそうではないらしい。

「ご、ごめん……こ、木乃香さん」

 澤村の言葉に満足といった表情で木乃香は頷く。

「あれ……澤村君とこのか、そんなに仲良かったっけ?」

 明日菜の不思議そうな声。
 澤村は勢いよく明日菜を見た。目は見開かれ、思わず明日菜が体をびくつかせるくらいの顔をしている。

「い、いやっ! 最近になって話すようになっただけで……ふ、深い意味はないんだっ」

 エヴァンジェリンの時よりも大きく両腕を振り、否定する。
 なぜか否定しなくては、という想いが、なぜか先走っていた。

「そ、そう?」

 そんな澤村の言葉に、押し流されたまま明日菜は答える。
 木乃香は木乃香で不思議そうに小首を傾げいてた。
 深い意味ってなんだろう。
 自分でいった言葉なのに、澤村はよくわからないまま安堵の溜息をつく。
 とりあえず、聞き流してくれた二人に感謝だ。
 自分で自分のことがわからない。
 そんなもやもやとしたものを胸に抱きながらも澤村は頭をかいた。





「そういえば気になっていたんですけど」

 ネギはネクタイをきゅっと絞めるとそう言った。
 澤村もネギと同じようにネクタイを絞めている。ベストを羽織りながらも自分を見詰めてくる澤村にネギは、見つめ返す。
 ネギが昨夜から気になっていたこと。
 それは――――――

「澤村さんは、魔法使いではないんですか」

 澤村のボタンを留める手が、止まった。
 思わずネギは澤村の顔を見上げたが、特に変った表情はなかった。

「……どうして、そう思うんですか」

 ボタンを止める手が動き出す。
 ネギは無表情のままの澤村に見詰められていた。
 群青の瞳には、以前ネギが見た感情はなかった。 

 無。

 何を考えているのか、ネギには全く見当もつかない。
 ぎこちない動作で、ネギは首を傾げつつも、

「力があるのに……て、言っていたのを思いだしたので」

 と言った。
 そうですか、と穏やかな口調。
 いつもの澤村と、何か違う気がした。

「俺は、魔法使いじゃありません。ネギ先生の補佐生徒として来る前まで俺は、ただの学生でした」

 襟を折り、服装を整えながら澤村はそう言った。
 そこでネギも慌てて澤村と同じ動作をする。
 自分がシャツ襟を折り忘れているのに気がついたからだ。

「力があるのは……木乃香さんみたいに、魔力が大きいってことです。それに……」

 俺には魔法を学ぶ機会がありました、と澤村は歩き出す。

「俺、ちょっと用事があるんで失礼しますね」

 振り返ることもせず、澤村は部屋から去っていく。
 ネギは、ぼうっとそれを見詰めることしかできなかった。
 静かに閉められる襖。
 ふぅっと溜息をつく。
 ネギは、澤村のことを知らない。
 話すことはあっても、いつもネギやクラスの話だけ。
 生徒なのに。
 自分の生徒なのに、ネギは澤村のことを知らない。
 知らなくてもいい、だなんてそんな考えはない。知ろうと思っている。
 思っているのに、ネギは聞けない。
 澤村がネギのことを避けているのだ。
 ネギの前に大きな壁があった。澤村が作り出した、大きな壁。
 それを本能的に感じ取っていたネギ。
 子供だからこそ、それに気が付いたのだろう。
 そのせいかネギも少しだけ、ほんの少しだけ澤村のことを苦手だとは思っている。
 嫌いじゃない。
 澤村の言った言葉に、励まされたこともあった。
 いい人だとも思っている。
 けれど、やはり苦手だった。
 どう接すればいいのかわからなくなる時がある。自分の放つ一言が、澤村にどう思われるのかが怖かった。
 胸の中にたまっていくもやもやとした気持ち。
 こういうときは、

「―――――よし、アスナさんの所へ行こう」

 明日菜の傍にいる方がいい。
 彼女たちの傍にいれば、きっとこの気持ちは消え去ってくれるはずだ。
 ネギは、元気よく部屋を出た。





 式紙のしたことについて、亜子達に弁解しようと澤村は彼女たちの部屋に向ったのだが、

「いない……」

 今日も自由行動となっているため、もうでていってしまったのかもしれない。
 澤村は大きく溜息をつく。
 ここでとやくいっていても仕方がない。
 澤村は、踵を返して自分の部屋に戻ろうと歩き出す。
 一睡もしていない……とはいってもネギ達が戦っている間に眠ってはいたが、それでも体は休息を欲していた。
 あくびをかみ殺しつつも、目元をこする。
 近衛詠春とネギの父親の別荘に行くことになっているが、少し寝る時間があるだろう。
 自分の部屋に戻って、睡眠をとろう。
 ほどなくして部屋につく。すぐにネクタイを緩めた。
 布団を敷いて、そのまま倒れ込む。

「はぁー……」

 うつ伏せから仰向けへ。
 体が布団に沈み込むような感覚と窓から差し込む日差しが心地よい。
 澤村は、ゆっくりと目蓋を閉じて眠りに―――――――

「おい、起きろ! 澤村翔騎!!」

 つくことはできなかった。
 エヴァンジェリンの弾んだ声と襖を豪快に開ける音が室内に響く。
 だが、疲労がかなりたまっている澤村には、ちょっとした障害にしかなっていない。
 少しだけ開いた目は、また閉じていった。

「聞こえているのに無視するんじゃない!」

 澤村の睡眠を妨げたエヴァンジェリンは、澤村の体を足で揺すった。
 腕を組んで澤村の体に片足を乗せる彼女はずいぶん様になっていたのだが、今の澤村にはどうでもいいことだった。
 答える気力もないので、そのまま澤村は眠り続ける。
 エヴァンジェリンの顔が引き攣っていくのが、彼女の後ろにいた茶々丸にはしっかりと見えていた。
 それでもやはり澤村は眠り続ける。
 深い眠りではないため、エヴァンジェリンの声ははっきりと聞こえているのだが、眠るときめた彼の体は起きるということを許さない。

「私の京都観光に付き合え!」

 キンキンと響くエヴァンエジェリンの声に、澤村の眉間に皺がよる。
 そして目を瞑ったまま、

「そんなの先生達といけばいいだろ……俺を誘う必要なんかないじゃないか」

 と言った。

「そのまま近衛詠春の所に行くんだ。お前もついてこい」

 偉そうなエヴァンジェリンの声に、更に澤村の眉間の皺がこくなる。
 なら別に行かなくていいじゃないかという非難を口にしようとしたが――――――相手はエヴァンジェリン。

 ―――――――そうだ、呪いで外にでることができなかったんだ。

 せっかく麻帆良の外へ出られたのに、さすがにそれは可哀相だ。
 ゆっくりと目をあければ、密かに目を輝かせているエヴァンジェリンの姿。
 楽しみで仕方がないという顔をしている。
 心の中で澤村は苦笑する。
 こんな顔をされてしまっては、行くなともめんどうともいえない。
 それに、彼女への正式なお土産も買っていないし、丁度いい。
 拳をエヴァンジェリンから貰った後、なんだかんだで彼女はタコヤキ君人形を受け取ってくれた。
 いい子だな、なんて澤村は思ったが、タコヤキ君人形だけではさすがに可哀相だ。
 もっとまともなものを買おう、と澤村はゆっくりと体を起こす。

「やっと行く気になったか」

 フフン、鼻で笑ってくるエヴァンジェリンがなんだか可愛らしい。
 年相応……ではないく、外見相応といったところだろうか。
 緩めたネクタイを締めなおし、澤村はああ、と頷いた。

「よし、図書館の3人やぼーや達も連れて行くぞ」

 颯爽と部屋をでるエヴァンジェリンとそれに続いていく茶々丸の姿を見て、澤村は心の中ではなく、顔に苦笑を浮かべた。
 澤村達の休憩はまだ先になりそうだ。





 エヴァンジェリンに連れられて、ネギ達は京都観光に赴いた。
 回ったところばかりだったが、昨夜の戦いのせいか皆の気持ちは十数年ぶりの外ではしゃぐエヴァンジェリンのように高ぶっており、楽しい一時をすごすことができた。
 あっという間に、近衛詠春との待ち合わせの時間が訪れる。
 現在、待ち合わせ場所に向ってた。
 二、三人で固まって歩いている。
 木乃香は、隣を歩く澤村を見る。
 鋭い目はトロンとしていて眠そうだった。
 んー、と首を傾げて木乃香は澤村の顔を覗き込む。
 あれほど血を流していた彼は、もしかしたらまだ回復しきっていないのかもしれない。

「えっと……何かな」

 木乃香の行動に、澤村は頬を人差し指でかきつつ聞く。
 少し頬が赤くなっているように木乃香には見えた。

「翔騎君、眠そうやったから……まだ治ってないんかな思て」

 じぃっと澤村の顔を見たまま、木乃香はそう言った。
 あー大丈夫大丈夫、と気まずそうに澤村は頬をかいていた手を頭に持っていった。視線がそらされていく。
 澤村の横顔の頬は、やっぱり赤かった。
 何故だろうか。
 木乃香はまた首を傾げる。

「……顔、真っ赤やえ?」

 ビク。
 そんな音がぴったりな澤村の体の動き。
 澤村は手で顔を覆うようにしている。

「あー、うん。ちょっと熱くて」

 そう言われても、木乃香は納得できなかった。
 明らかに様子のおかしい澤村。
 不安がかき消されない木乃香は、澤村を見続けた。
 顔を隠したまま歩き続ける澤村とそれを見続ける木乃香。
 不思議な光景だった。
 木乃香としては、自分と同じ立場の澤村とは仲良くしたいところなのだ。
 それに、背中に翼を生やす刹那を見たとき、澤村は木乃香と同じ言葉を口にした。
 親友・刹那を思う木乃香としては、それは嬉しいことである。

 ――――――――女神と天使。

 本当に嬉しかった。
 ……木乃香の中ではうまく整理ができないが、とにかく嬉しかったのだ。
 澤村の呆然としたまま言った、その言葉が。
 そんな木乃香と澤村の半歩後ろを歩いていた刹那が不思議そうにみていた。





「やあ、皆さん。休めましたか」

 という言葉と共に黒のハイネックに白のスーツという渋い格好で現れた詠春が、ネギ達を迎えた。
 案内されたのは、モダンな建物。ネギの父親、ナギが京都にいる間に住んでいた別荘だ。
 棚には本がぎっしりと入っており、所々に写真立てや目覚し時計などが置かれていた。
 ナギが訪れた時のまま保存してあるという詠春の言葉通り、生活感が所々に残っている。
 木乃香達が棚にあった本を見ている一方で、明日菜と澤村は何もせずに立ったままそれをぼうっと見詰めていた。

「なんか、もっとボロい建物とか想像してたわ……」
「結構オシャレだな」

 ぼそりと呟いた明日菜に澤村は苦笑しながらも返す。
 建物は3階という高さだけあってか、上を見上げれば開放感のある光景が視界に入ってくる。
 天井の窓から日が差し込んでおり、明日菜と澤村の体をぽかぽかと温めていた。
 立地条件も良。
 体が温められ、押さえていた眠気が沸き起こってくる。
 明日菜は、でそうだった欠伸をなんとかこらえる。
 隣には男子がいるのだ。乙女としてはここで盛大な欠伸はできない。
 だが、

「ふ、わぁ〜……」

 隣から聞こえてくる盛大な欠伸をする声。
 それを見た明日菜は、思わず吹き出してしまう。

「え、な、何さ?」

 欠伸の所為で目尻から滲みでてきた涙をぬぐいながらも澤村は問う。
 彼からしてみれば、明日菜はいきなり吹き出したようにしか思えないのだから仕方がない。
 明日菜はごめんごめんと謝りながらも笑い続ける。
 小首を傾げて澤村は明日菜を見る。眉間には皺が寄っていた。
 しばらく明日菜は笑いつづける。自分を見る澤村の表情が、昨夜とのギャップが大きくてどうしても笑いの波から脱出できなかったのだ。
 最終的に、澤村は頭をかくことしかできなかった。

「……ありがとね」

 一頻り笑い、明日菜はそう言う。
 今までドタバタしていていえなかった言葉。
 あんな怪我をしてまでもフェイトに飛びついた澤村への賞賛。
 明日菜から受けた言葉に、澤村から表情が消える。
 一瞬にして。
 明日菜は、先ほどの澤村のように眉間に皺を寄せた。

 しばらくして―――――澤村の顔がくしゃり、と歪んだ。

 え、と明日菜は静かに声を漏らす。
 触れてはいけない何かに、触れてしまった気がした。
 タブー。
 そんな言葉が明日菜の頭に浮かぶ。
 だが、それも一瞬の出来事だった。すぐに澤村の表情は、微笑に変わり、

「礼を言うのは俺の方だって。むしろ謝らないといけない」

 ありがとう、それとごめん。
 小さく、簡単にかき消されそうな声で、澤村はそう言った。
 澤村は何を考えているのだろう。
 明日菜は不思議そうに澤村を見ながらも頷こうとした、その時、

「―――――――澤村さん」

 無機質な声。
 それを聞いた明日菜と澤村は、大きく体をびくつかせた。
 横を見れば、茶々丸の姿がある。

「な、何かな?」

 今日の澤村は、どもることが多いな、なんてことを思いながらも明日菜は二人の会話を見届けようとその場にとどまったままである。
 この二人が話す姿なんて、はじめてみるから。
 少し身構えているように見える澤村に、また笑いの波を起こしつつあったが、なんとか我慢する。
 そして、

「ネクタイが緩んでいます」
「――――――――はい?」

 というやり取りに、明日菜はまた笑うのだった。





 澤村は、自分の横で笑い続ける明日菜を尻目に、茶々丸に指摘されたネクタイを締めなおしていると、

「このか、刹那君、こっちへ……明日菜君も。あなた達にも色々話しておいた方がいいでしょう」

 上の階にいた詠春の言葉に、明日菜達は上へと階段を上がっていく。
 茶々丸も詠春の後ろにエヴァンジェリンが見えたのか、彼女達の後ろに続いて階段を上がっていった。
 それを見送っていると、頭上から声が降ってきた。

「澤村君、君はどうしますか」

 まっすぐとした眼差しが、澤村を射抜く。それをしっかりと澤村は受けとめた。
 呼ばれたメンバーから推測するに、きっと色々な話というのは"魔法"だろう。
 詠春が澤村に問うたのは、澤村自身が魔法を避けていたからだ。
 澤村は思う。
 今更魔法から自分を遠ざけようともきっと無駄だろう。それに―――――――

「――――――聞かせてください。俺は、知らなきゃいけない」

 もう、自分のことで誰かが傷つくのは嫌だ、と。
 詠春はにっこりと笑ってどうぞ、と迎え入れてくれた。
 澤村は、詠春の心遣いに感謝しながらも、階段をゆっくりと上がっていく。詠春と共に、ネギ達の元へと歩み寄った。

「……この写真は?」

 それに気がついたネギが、目の前の机に立てられている写真立てを見たまま呟くように言う。

「サウザンドマスターの戦友達……黒い服が私です」
「戦友……?」
「ええ、20年前の写真です。私の隣にいるのが15歳のナギ……サウザンドマスターです」

 詠春の答えに、澤村も群がる明日菜達の横から、それを覗き見た。
 褐色の肌で大きな剣を担ぐ大男にタバコを加えた白髪で初老の男性、一つに結った髪を片方の肩にたらしている中性的な顔をした男、どこかフェイトに似ている白髪の少年に黒い服を着て刀を地についている詠春。
 そして――――――

「これが、サウザンドマスター……ネギ先生の父親?」

 誰にも聞こえないくらい、小さく呟く。
 確かに少しネギと似ていた。少し目が釣りあがっており、ニカリと悪ガキのように笑っている。
 自分と同じ位の髪の長さのサウザンドマスターは、男の澤村から見てもかっこいいと言える容姿であった。
 思わずネギを見る。
 将来ネギもこんな容姿になるのだろうか。

「へー、どれどれ? どれがネギのお父さんなの?」
「この人やて、かっこえー」

 男子と女子のかっこいいという定義は同じらしい。興味津々で写真を見る明日菜や木乃香を見て、そんなことを思う。
 意外なことに、刹那までもが写真を覗いている。
 だが、そのことよりも意外だったのが……

「気になるんだ」

 少し頬を染めてこっそりと覗いているエヴァンジェリンに澤村はそう言葉を投げかける。
 すると彼女は、バッと音を立てながら澤村を見た。
 否、睨んだ。からかわれたと思ったからだ。
 しかし澤村は、からかうといった思いからエヴァンジェリンに言葉を投げかけたわけではない。
 なので急に自分を睨むエヴァンジェリンを不思議そうな顔で見つめ返す。澤村の瞳に映るエヴァンジェリンの顔は、先ほどよりも赤くそれは耳にまで達していた。
 そして、

「わ、私の呪いは、こいつのせいだから、気にならない方がおかしい」

 と澤村から視線を反らしてエヴァンジェリンは言った。
 ああ、と澤村は声をこぼしながらももう一度写真に視線を戻す。
 相変わらずニカリと笑っているサウザンドマスターの姿がある。別に悪い人間には見えない。
 いや、エヴァンジェリンの方が悪いのか?
 初対面の時は随分と殺気立っていたエヴァンジェリンも、今はこんなにも丸い性格になっている。
 もしかして、そういった策略から学校という場所へ縛り付けたのだろうか。
 英雄と言われるだけ合って、サンザンドマスターという人物は食えない奴なのかもしれない。
 なんてことを漠然と思う。
 そして、エヴァンジェリンと英雄は、どういった経緯で今の状態となってしまったのだろうかという疑問が過ぎる。
 聞くか聞かないか、そんなことを考えていると、

「どうかしたか、神楽坂明日菜」

 というエヴァンジェリンの声が聞こえる。
 視線を戻せば、顔の赤くないエヴァンジェリンとどこか慌てた様子で何でもないと言う明日菜。
 チリン、とリボンの鈴が鳴っていた。そこではじめて澤村は明日菜の髪飾りに鈴がついていることに気づく。 オッドアイが目立っていたせいか、今まで全く気がつかなかった。
 たまに鈴の音のようなものが聞こえてくるなとは思っていたが、そこまで気に留めていなかったのだ。
 明日菜と話すときの澤村の精神状態は、正直言ってあまりいい時ではなかった。
 初対面の時はオッドアイのことですっかり気に留めなかったが、それ以外は大体何か考え事をしていたり、落ちこんでいたりいったことが多い。
 そういう時にしか明日菜と会って話していないことに、澤村は少しだけ驚いた。
 不思議そうに自分の頬をつねる明日菜。
 それを見届けながらも澤村は、次の詠春の言葉に耳を傾けることとなった。

「私は、かつての大戦でまだ少年だったナギと共に戦った戦友でした。……そして、20年前に平和が戻った時、彼は既に数々の活躍から英雄……サウザンドマスターと呼ばれていたのです」

 弱冠15歳。
 今の澤村達と同じ年だった頃に、ナギという人物は戦いの場に身を置き、さまざまな功績を残したということだ。
 つまりその頃から、彼の強さはかなりものだったということがわかる。
 自分とは全く逆の人生を歩んでいったということだ。
 詠春の話によると、天ヶ崎千草の両親はその戦で命を落としており、今回の事件は西洋魔術師への恨みと関係している可能性が高いらしい。
 詠春の話はまだ続く。

「以来、彼と私は無二の友であったと思います。しかし……彼は10年前、突然姿を消しました。彼の最後の足取り、彼がどうなったか知る者はいません。ただし、公式記録では1993年、死亡―――――」

 それ以上のことは、詠春でもわからないとのことだ。
 ネギへの謝罪の言葉で、詠春の話は締めくくられた。
 詠春に礼を言うネギを見て、澤村はふと思った。

 ――――――自分の両親は、自分が生まれる前は何をしていたのだろう、と。

「ハーイ、そっちのみなさん。難しい話は終わったかなー! 記念写真撮るよー、下に集まって!」

 ―――――――パシャ

 和美によってきられたシャッター音が、ナギの別荘内に響いた。





「さ、さ、さ、澤村君!?」

 という自分を見たときの亜子達の揃った反応に、澤村は頭を抱えこみたくなった。
 偽者の自分は、どうやら亜子達にかなりのインパクトを与えたようで。
 澤村なりに硬派な人間を積み上げていたつもりなのだが、もしかしたらもう修復は不可能なのかもしれないと思った。

「あー……龍宮さんから聞いたんだけど、俺、なんかしでかしたらしいな」

 頭をかきながらできるだけ自然な演技をしようと心の中で言い聞かせる。
 困ったような笑いを浮かべながら言った澤村の言葉に、亜子達は少し気抜けした表情をした。顔には、覚えてないの? と書いてある。

「なんか俺、お酒を水と間違えて飲んだみたいでさ……」

 無理矢理な嘘だった。水とお酒なんて匂いですぐに区別がつく。
 その証拠に、4人組の中で1番鋭いアキラから疑惑の視線が放たれていた。チクチクと精神的な痛みを感じる。

 ――――――まずいなぁ。

 背の高い人は侮れないかもしれない。
 龍宮真名といい長瀬楓といい、背の高い人物は底が知れない。
 澤村はどこかずれた考えを抱えつつも冷や汗を流れるのを感じた。

「なんで飲み間違えたの。お酒がネギ先生の部屋にあったとは思えないけど」

 スバッと澤村に言葉の矢が刺さる。

「えっと……その……」

 まずい。非常にまずい。言葉がでてこない。
 困ったような自分の作り顔が崩れそうなのがよくわかる。
 だらだらと流れる冷や汗。それが顔に流出ないことに感謝はするが、それでもこの尋問に近いアキラの問いに負けてしまいそうだった。
 へるぷみぃ。
 叫びたい。
 突き刺さる四人の視線。
 オーバーヒートしそうな思考。
 もうダメだ。
 後ろ指さされる自分、こんにちわ。
 そんな覚悟を決め、謝罪の言葉を放とうとしたその時―――――――!

「――――――澤村。もしかして、あれ全部飲んだのか?」

 救世主が現れた。
 ゆっくりと顔を横に向ければ、褐色の肌をした美人。
 龍宮真名だった。

「え、あ……龍宮さん?」
「あれは清めた水と言ったが、酒だぞ。気が付かなかったのか」

 さっぱり意味がわからない。
 けれど、下手な返答をしてはいけないというプレッシャーが真名から放たれていた。

「え、龍宮さん、何か知ってるの?」

 まき絵が不思議そうに聞いてきた。
 真名と澤村に交流があっただなんて想像もつかなかったのだろう。真名と澤村を交互に見つめていた。

「ああ、澤村が最近、不幸なことばかり起こるといっていたから、清めの水を勧めたんだ。冗談で中身は酒にしてたんだが、まさか気付かずに全部飲んだとは」

 これくらいあったのにな、と真名は20cmほどの縦幅を両手で作って見せる。

「え、全部飲んじゃったの、澤村君」

 裕奈の問いに澤村はこくりと無言で頷く。下手に口を出すとボロをだしそうだったからだ。

「あ、それで澤村君、昼間、部屋に篭ってたん?」

 裕奈の時と同じように、亜子の問いにもこくりと無言で頷く。
 頼む、早く終わってくれ、と心の中では叫んでいた。

「すまない。まさか私も原因に関わっていたとは」

 真名はアキラに苦笑して見せると、アキラは、いや……首を横に振って、表情を和らげる。
 さすがクラスメイト、というべきなのだろうか。事態があっという間に収拾された。
 澤村は、自分が信頼されていないことに少し悲しみを感じつつも、亜子達にごめん、と謝罪する。
 後に真名から、後日報酬を請求すると耳元で囁かれ、顔を真っ青にした澤村がいたが、それは誰の目にも入らなかった。





 そして、修学旅行最終日を迎える。

「私達は午前中のうちに麻帆良学園に到着。その後は学園駅にて解散、各自帰宅となりまーす!皆さーん、修学旅行は楽しかったですかー?」

 そんなしずなの言葉に、はーい! やいえーぃ! などと言った歓声が返ってくる。
 澤村は恥ずかしさから手で目を覆った。
 ここは京都駅のホーム。平日といえど、一般利用者も大勢いる。
 時間通りに到着した新幹線に乗り込む。指定されていた席につくと、ほっと息をついた。
 ちなみに、エヴァンジェリンと茶々丸も一緒だ。
 初めは意外な二人の登場で驚いてはいたが、そこは3−A。あっという間に疑問も抱かれず二人は歓迎された。
 そしてなぜか、3人座席の通路側から、澤村、茶々丸、エヴァンジェリンの順に座っている。

「おお、これが新幹線かっ」

 楽しそうに窓を除くエヴァンジェリンを見て、苦笑をもらしながらも澤村は鞄からあるものをとりだす。

「エヴァンジェリン」

 隣に座っている茶々丸に何か言っているエヴァンジェリンに声をかけると、何だ、とどこか弾んだ声で彼女は問い返した。
 昨日からやけに機嫌がいいのは、久しぶりの外を満喫したからだろう。

「お土産。一緒にきちゃったからあれなんだけど、一応お詫び」

 少しだけエヴァンジェリンの眉がぴくりと上がった。
 仕方がない。奇妙な人形を渡すような輩から貰うお土産など、期待するだけ無駄だ。
 けれど、今回は澤村も真剣に考えて買ったお土産である。
 澤村は自身を持って、中を見てみて、と彼女に促す。
 それは、エヴァンジェリンの低い期待を超えることは容易だった。

「む……これは……」
「櫛。絡繰さんの分もあるよ」

 ロボにお土産を買うのもどうかと思ったが、エヴァンジェリンにだけ渡して茶々丸に渡さないというのも何だ か気の引けた澤村は、エヴァンジェリンと色違いの櫛を茶々丸に渡す。エヴァンジェリンは紅色、茶々丸のものは藍色。

「髪飾りもいいかなと思ったんだけど、二人の趣味ってよくわからないからそれにした」

 今回は大丈夫。
 澤村は、物珍しそうに櫛を見つめる二人にそう確信した。

「いいのですか?」

 茶々丸の問いに、澤村は頷く。

「―――――ありがとうございます」

 ロボに礼を言われた。
 そのことに少し戸惑いそうになったが、澤村はなんとか平常心を保ってどういたしましてと答える。
 そして、彼女の横にいるエヴァンジェリンを見て、

「それなら、お土産として合格だろ?」

 といって見せた。
 しばらくしてエヴァンジェリンは、

「フン、まぁこれで昨日のことはチャラしてやろう」

 とほんの少しだけ顔を赤くして窓へと視線を反らしたのだった。
 皆が眠る、修学旅行の帰りの新幹線内。
 そんなやり取りが行われたことは、3−A誰一人として知ることはなかった。

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