ネギ補佐生徒 第29話




 新体操のことなんて澤村にはさっぱりわからないが、一つだけわかっていることがあった。
 サッカーと新体操がどう違うか。
 団体種目もあるが、大半が個人の競技だ。つまり、チームワークより己の技術が必要で何より魅せる競技である。
 誰の演技が美しいか、誰が人を魅了できたか。
 サッカーはどのチームが強いか、しかない。そう考えるとスポーツにもいろいろあるのだなと感心してしまう。
 だから、

「そうだ! まきちゃんの新体操、見せてよ」

 リボンがいいな、なんて付け足しつつも言った明日菜の言葉に、澤村は興味津々でまき絵を見たのだ。
 ……この話に至るまでにはちょっとした経緯があった。

「あ〜っ! 忘れてた!! 私も日曜に大会の選抜テストあるんだったー!!」

 そんなまき絵の一言が発端で、話はまき絵の新体操へと移り変わった。
 テストが近いのに大丈夫なのという明日菜の言葉に、まき絵は全然自信がないと涙を流しながらも語り始める。
 顧問の教師から演技が子供っぽいという話を耳にしてしまったらしい。直接言われたわけではなく、教師同士の会話からたまたま聞こえてしまったためかまき絵のショックは大きかった。
 涙を流すまき絵を戸惑った表情で澤村は見て、自分が女の子のこういう泣き方が少し苦手なのを自覚する。どう対応していいのかわからない。
 澤村が対応しなくても明日菜達といった同じ女の子……クラスメイト達がまき絵を慰めてくれるだろうが、何もできない自分がこの場にいるということが彼はどうしても耐えられなかった。
 しかしその場から離れることはできない。
 そしてその場の流れに身を任せまき絵の様子を覗っていると話はさきほどの明日菜の言葉通り、まき絵の新体操を見るということになったのだ。
 自信喪失中のまき絵は、それに渋って見せたがネギにも頼まれあえなく了承した。澤村も新体操なんて見たことがないため見れることを楽しみにしていたのだがまき絵が靴を脱ぎ、地を蹴ったと同時に、

「わ、わ、あかん!」

 横にいた亜子に視界を覆われた。

「お……おい、和泉! 見えないだろ!?」

 男のごつごつした手ではなく、柔らかい女の子の手の感触を顔で感じながらも澤村はそう言う。皆はまき絵の演技を見ているため、二人の様子には気がついていないため、誰も止めてくれなかった。
 顔を揺さぶる澤村を必死で押さえながらも亜子は言う。

「あかん! まき絵、今スカートやもん」

 あ、と声を漏らしながらも澤村は動作を止める。
 そういえばそうだった。
 澤村も新体操がどのような動きをするのかぐらいわかっている。
 足を上にあげたり跳んでみたりと結構激しい。
  ということは、今制服姿で演技中のまき絵は下着が丸見えに近いということだ。澤村はまき絵に背を向けた。当然亜子もその動作についていき、彼が背を向けた 後にきちんと彼の目を覆う手を離した。ごめんね、と謝ってくる亜子にいいよ、と苦笑を返しながらも彼女が自分の嘘を追及してこないこととまたむっつりスケ ベと言われなくてすんだことに安堵した。
 ほどなくして演技が終わり、澤村の耳に拍手の音が入ってくる。
 振り返ってみて、澤村はあることに気が付く。

「なんでネギ先生は、ばっちり見てるんだよ……」

 英国紳士の心は何処に行ったんだ、と澤村はネギをジト目で見た。





  ネギ補佐生徒 第29話 アイデンティティー





「今日は体をきちんと休めて下さい。慣れない動きをしましたから」

 そんな刹那の言葉に素直に従って、澤村はベッドへと潜り込む。既に入浴などは済ましてある、何も問題はない。
 けれど……

「どうするかな」

 上半身を起こし、電気の紐を軽く握ったままで言った独り言が部屋に響く。
 視線の先にあるのは、無造作に置かれた本2冊。
 今朝のエヴァンジェリンの言葉が少々気になっていた。

 読むか、読まないか。
 
 何故だろう。
 エヴァンジェリンのあの反応に何か嫌な予感がするのは。
 知ってしまったらいけないことが書いてあるような気がするのは。
 そう思いながら本を見つめていたのだが、少しずつ目蓋が重くなっていくのを感じる。昨夜眠るのが遅かったせいか、酷く眠い。
 学校で少し寝たとはいえ、中途半端な眠りで疲れがとれるはずもなく、体も重く感じてきていた。

「素直に寝るか……」

 カチリ、と電気を消すと澤村は掛け布団をしっかりと上半身に掛けながらも体をベッドに沈めた。
 急速に落ちて行く意識。
 完璧に意識を落とす前に、澤村は小さく願った。

 ―――――――どうか、悪夢を見ませんように。





 現在の時刻、4時。
 いつもより早く目覚めてしまった桜咲刹那は、女子寮の階段をゆっくりと下りていた。
 手には学生鞄。背には木刀が入った布の袋が二つ。袋の紐がしっかりと肩にかかっている。
 一番初めの鍛錬の時、澤村が持つことで亜子達に何か言われるのをおそれ、刹那に木刀を毎回預けているのだ。とは言っても昨日のことで亜子達にはばれてしまったのだが、まだ円達といったクラスメイト達もいる。
 刹那も澤村の申し出を断るつもりはなかった。むしろそうしようと彼女は思っていたのだ。
 運動部にいるだけあってか、澤村は努力を怠らずに積み重ねる男である。
 これは実に好ましい。好ましいが、心配になる。
 間違った振り方などをしてしまったときに、注意ができないから間違った型を覚えてしまうという可能性があるといことも理由の一つなのだが、それよりも大きな心配事があった。

 努力の積み重ね過ぎによるに肉体の崩壊。

 現に彼は昨日、手を痛めた事を黙っていて、刹那達に怪我のことを隠そうとした。体術を教える身としては、こういうのは困る。
 別れ際に念を押したら、澤村は素直に謝罪し刹那の言葉を受け入れた。

 ――――そこがあの人の良い所かもしれないな。

 なんて事を思う。
 頭を掻きながらも謝る彼の表情を思い出し、心の中で刹那は笑う。
 すると、背後から階段を急いで下りるような足音が聞こえてきた。下りる、と判断したのは、その足音が近づいているからだ。
 さすがの刹那も誰だかは判別がつかず、後ろを振り返る。
 まだ上の方にいるらしく、姿は見えない。
 殺気もなども覗えないので、また階段を下り始めたと同時に、

「あれ……桜咲さん?」

 男性特有の低い声がした。刹那は足を止める。
 そんな声が女子寮で出せる人間は、一人しかいない。
 刹那はもう一度振り返る。ジャージ姿で部活用のバッグを掛け、白い包帯を巻かれた手で学生鞄を持つ澤村翔騎がいた。
 きょとんとした表情でありながらも澤村はおはようと刹那に言葉を投げかける。

「あ、おはようございます」

 刹那は、反射的に挨拶を返しつつも、澤村が自分の言った通りにしていることに安堵を感じた。
 噂をすればなんとやら。否、噂はしていないが、それは兎も角。
 まさか頭に思い浮かべている人物がこのタイミングで現れるとは思いもよらなかったため、刹那の表情はどこか抜けた物となってしまう。

「いつもこの時間に寮から出てたっけ?」

 そう問いつつも澤村が自分の横につくのを見ると、刹那は階段を下り始めた。
 もちろん、澤村も一緒にだ。

「いえ、今日はちょっと早く目が覚めてしまったので……素振りをしてようかと。澤村さんは?」

 小首を傾げて刹那はそう澤村に問い返す。
 すると澤村はあー、となんだか気まずそうに頭を掻きながらも、

「俺も……今日は、早く目が覚めちゃって」

 そう答えた。
 刹那は澤村の様子に疑問を感じたが、澤村のプライベートに突っ込む気にはないのでそうですか、と答えることでその場を流す。
 寮を出ると、二人は世界樹へと向かう。
 二人は並んで歩く。
 道中、二人の口から出てくるのは他愛のない話ばかりだった。
 麻帆良の事。
 学校の事。
 部活の事。
 授業の事。
 テストの事。
 バカレンジャーの事。
 明日菜の事。
 木乃香の事。
 移り変わる話題。
 そして話は、

「桜咲さんは、どうして木乃香さんを守ってるの?」

 というものに変わった。
 澤村の表情と声色は、先ほどの他愛のない話と変わりはない。
 刹那はどうしたものかと彼から軽く目を逸らして思案した。
 ネギ達には木乃香から自分達の馴れ染めを聞いたと言われたが澤村には知られていないらしい。
 彼だけ知らないというのは、仲間はずれにしてしまったような気にもなってしまうのだが、改めて自分と木乃香がどう言った経緯で仲良くなったかなんて言うのは、少しばかり恥ずかしいのだ。
 それでも澤村には修学旅行の時の恩義がある。
 もしかしたら自分だけかもしれないという気持ちもあるが、刹那は澤村のこと仲間――――いや、友達と認識していた。
 ネギ達だって同様だ。
 それなのに彼にだけ話をしないというのはおかいしではないか。
 刹那は逸らした目を再び澤村へと戻すと、静かに口を開いた。

「――――初めてできた、私の大事な友達だから……です」

 自分が持つ白い翼が、烏族にとってどのようなものだったのか。
 人間と烏族のハーフということがどのような意味を持ち、忌み嫌われていたのか。
 西の長である近衛詠春の計らいにより神鳴流に預けられ、木乃香に出会ってどれほど嬉しかったのか。
 思うがままに、刹那は穏やかな表情をしている澤村に言った。
 まだ目的地には辿りつかない。
 かなりの時間をかけて話していたと思わせるほどの濃密な話だったのだ。
 全てを言い終えた刹那は、澤村の返事を待つ。
 もしかしたら、明日菜達と違う反応をするのではないのかと。
 現に彼は刹那の正体を知り、怖くないと言ったら嘘だと言った。
 素直な感想を述べてくれる。
 ネギ達だってそれは同じなのだが、彼らは特別な世界に身を置いてしまっているし、明日菜や木乃香は器の大きな人間だ。
 刹那の話を聞いたネギ達は、

 ―――――これからは、一緒に楽しいことをいっぱいしよう。そしていい思い出でいっぱいにしよう。

 そう言ってくれた。
 だからといって澤村が器の小さい人間と言うわけではないのだが、やはり明日菜達とは違う思考を持っている彼の意見が気になる。
 穏やかな表情だった澤村は刹那の意図がわかったのか、困ったような笑みを軽く浮かべて、

「気の利いたこと言えなくて、悪いけど―――――」

 ―――――皆に会えて、よかったね。俺も今、桜咲さんに知り合えて助かってるし、よかったと思ってる。

 と、言った。
 自分の早とちりなのかもしれないが、彼が言っていることはやはり皆と違うと刹那は思った。
 ネギ達は、これから幸せになろうと言ってくれた。
 澤村は、今に至るまでの境遇をよかったと……幸福だと言ってくれたような気がした。
 苦しい過去を無駄ではないと思ってくれているように、感じられた。
 ネギ達といい、澤村といい……自分は友に恵まれていると、そう思える。
 自然と刹那の顔は綻んだ。

「……ありがとうございます」

 彼にお礼を言うのはこれで2度目。
 ニカリと笑う澤村は、以前とまったく同じ顔だった。少し照れた笑い方。
 けれどそれはすぐに崩れ、

「―――――そんなに大事な木乃香さんを守るためには、人を傷つけたりするの?」

 どこか陰のある表情で、澤村はそう言った。
 刹那は自分の目が見開かれるのを感じる。
 そして気が付いた。今までの他愛のない会話はこれを切り出すための前振りに過ぎなかったと言うことを。
 澤村は、一般人でなおかつ常識人と言っても過言ではない。そんな彼が、人と戦うことに抵抗を感じないはずがなかったのだ。
 昨日、様子がおかしかったのはそのためか、と刹那は肩に掛けていた木刀の袋を持ち直した。
 誰かを守るためには、戦わなければいけない時がある。
 戦えば、相手を傷つけることがある。けれど戦わなければ守れない時がある。
 それを承知の上で刹那は戦っている。

「――――はい。それは覚悟の上です。お嬢様を守ることは私の全てでもありますから」

 今度は澤村が目を見開く番だった。
 だがそれは一瞬の事。
 澤村は直ぐに群青の瞳で刹那を射抜くように見つめた。

「なら……木乃香さんを守るために必要なら、相手を倒すと言う事もあるのかな」

 それは、いつかはぶつかるであろう難題。
 刹那は歩を止めた。一歩先を歩いていた澤村も同様に歩を止めて彼女を見る。
 彼女もまだ、殺生をしたことがない。魔物だって切るということはしてもあれは殺しているわけではない。
 現世に降り立った魔物の姿……魂の器を抹消することで、魔物の魂そのものを、あるべき場所へと環しているのだ。退魔師とはそういうもの。
 神鳴流は人間相手ではなく、魔物を相手にするものだ。
 殺生などする必要もなければすることもない。
 だが刹那は、木乃香という人物を守るという役目を持っている。修学旅行の時のように、木乃香を狙う人物が人間ならば人間同士で戦うということもある。
 木乃香を狙う人物が、己が信念を貫き通そうとして木乃香を狙い続けるのならば、その戦いに終わりはない。
 終わりがあるとすれば、それはその敵の死のみとなってしまう。
 けれど刹那は、思う。

「―――――私は、このかお嬢様を守るためでもそれ以外の理由でも……殺生は、絶対にしません」

 守るために誰かの命を奪うなんてことは、絶対にできない。
 仮令甘い考えだと言われても、変える事のない刹那の信念だった。
 しっかりと澤村を見据えて言った刹那に彼は、

「……そう、だよな」

 そう答えた。
 ほっとした表情を見せる澤村。

「よかった。そうだよな……そういう考え方でもいいよな」

 言い聞かせるように言ってくる澤村に刹那は、はいと頷いて見せる。

「ごめん。変なこと……っていうか失礼なこと聞いちゃって」
「いえ、構いませんよ」

 そう微笑んで答えると、澤村の口から盛大な溜息が漏れた。
 そして髪を掻き上げる動作をして刹那にニカリと笑うと、彼は歩き始めた。
 刹那もそれに続き、彼女が自分の横につくと澤村はひどく安心した様子で、

  「俺も、殺生なんてごめんだ。どんな理由でもどんな人でも……命を奪うなんてこと、しちゃいけない」

 とか偉そうなこと言っても、牛とか殺して食べちゃってるんだけどね。
 そう付け足しながらも、その表情にふざけた様子は全くもってない。
 刹那はそんな澤村を見て、彼は自分の身を守ると言う理由で人と戦うことに迷いを持っているのだなと感じた。普通はそうだ。
 横を歩く澤村の顔を、刹那は盗み見る。
 その横顔は、自分達……裏の世界側よりも、一般人達が暮らす表の世界の人間と近いものだった。





 放課後、昨日と同じように芝生の広がる公園に集まった澤村は、ネギの成長の速さに驚きを隠せずにいた。
 前よりも素早い動きに鋭い拳。
 自分とは比べほどにならない程の成長速度だった。
 それは、人間ってこうも不平等なものだろうかと澤村に思わせる程。
 体術なら……なんてことを思った自分を恥ずかしく感じながらも、ネギが何故強くなりたいと思ったのかが不思議に思えた。父親を探すために、体術を学ばなくてはいけないほど物騒な道を進むということなのだろうか。
 澤村は首を捻る。
 刹那は、誰かを守るために強くなろうと思っていると澤村は思っている。
 同様に明日菜もネギと仮契約を交わしたところから察するに、守るために強さを求めているだろう。自分だって、自分の身を守るために強くなろうと思っている。
 じゃあ、ネギは明日菜達を守るために強くなろうとでも言うのだろうか。
 それにしては、どこか熱心過ぎるように思える澤村には、体術を必死で学ぶネギの姿が少しだけ怖かった。真っ直ぐすぎるネギの心が、間違った方向に行ったらどうなるかわからないからだ。
 そう思う自分が情けないと同時に、醜いと思った。
 子供に恐怖を抱いたり、嫌いになったり……人間として、最低ではないのか、と。
 鍛錬開始前からいろいろと気の滅入った澤村の今回の成長速度は一段と下がっていた。
 何故か朝と同様に鍛錬に参加しているまき絵の励ましの言葉を少しだけ身に沁みらせながらも、澤村は木刀を振り続ける。
 澤村は、学校にいる間クラスメイトから軽く質問を受けた。両手に巻かれた白い包帯が原因である。
 素直にマメができたと答えたが、その次の問いがやはり何故できたのかというもの。
 返答に困る澤村の横でエヴァンジェリンが咽喉で笑っていたのが彼の記憶にある。
 隠すのも逆におかしいので素直に剣道を習いはじめたと澤村は答えた。
 不思議だったのは、昨日あれほど自分から何か聞き出そうとしていた亜子が、何も聞いてこないことだった。怪我をしたことがばれれば、マネージャーとして何か小言でも言われるのかと思っていたのだが、それは結局なかった。
 澤村は少し寂しい気持ちを抱きつつも、一抹の不安を抱いている。

「澤村さん」

 刹那の咎める声。
 剣筋が鈍っている、という指摘だ。
 澤村は刹那の声に答えると、深呼吸を一回だけした。
 気持ちを切り替える。
 最近では鋭い音が発せられるようになった木刀を振り始めた。





 しばらくして、皆は休憩に入る。既に空は茜色に染まっていた。
 ネギは、一人で芝生に寝転がる澤村の傍へと歩み寄る。
 本来ならば、休憩時間中まき絵達がネギに話しかけているのだが、まき絵達は汗を流しに第2体育館のシャワー室へと行ってしまっていた。もちろんネギは風呂嫌いなのでパス……それ以前に男子禁制なので澤村も含め、彼らはシャワーを浴びることができない。
 浴びるのなら、一度寮に戻る必要がある。
 だが、一度戻っていると時間がかかるので、ここで休憩をとっているのだ。
 ネギにとって、澤村と仲良くなるには、いい機会。
 近頃感じる不快感や喪失感はとりあえず忘れ、ネギは澤村との交流をとろうと思った。
 修学旅行以来、あまり話す機会がなかったためか、長い間話していないように感じられていたからだ。

「澤村さん、刹那さん達との修行の方はどうです」

 ネギが澤村の横に腰を下ろしながらそう問うと、彼は上半身を起こしてネギを見た。
 そして髪についた芝を掃いながらも、 

「ぼちぼち……ですね」

 そう答えた。
 澤村が掃った芝生が、ネギの視線を誘う。
 誘われるがままに視線を落としていくと、そこには澤村が使っている木刀があった。
 何故彼は剣術を習いはじめたのだろう。明日菜なら理由はわかる。
 彼女はハマノツルギを武器として戦うから、剣術の使い手である刹那に習うのは当然のことだ。
 けれど彼には武器と言う物はない。
 刹那に体術を習うより、自分と同じように無手で戦う古菲に習った方がいいのではないのだろうか。
 そんな思いを抱きつつもネギは、何故刹那に体術を学ぼうと思ったのか、澤村に問うた。
 おもむろに澤村は木刀を手に取る。
 その手は白い包帯に巻かれていた。
 どれほど努力しているのか、その手が示していた。
 彼は木刀を自分の顔の前に構えて、

「前々から憧れていたんですよ」

 と言った。
 嘘だった。
 だがネギにはわからなかった。純粋な心を持ち、人の言ったことをそのまま受けとめてしまうネギには、楽しそうに笑って見せている澤村が嘘をついているようには思えなかった。
 澤村も嘘をついていると思わせないようにした。
 ネギは澤村の嘘にニッコリと微笑んで言う。

「そうなんですかー。僕も拳法を習って思ったんですけど、体を動かすのって楽しいですよね」 
「そうですね」

 軽く微笑んで答えると、澤村は急に立ち上がった。服についた芝生を掃う。
 ネギも慌てて立ちあがるが、澤村は大きく一歩前へと歩を進めネギを見ることなく、

「ネギ先生は、古菲さんと組み手をやっていますけど、生徒に拳を向けてるのに何も思わないんですか」

 厳しい指摘をしてきた。
 だがネギはこの答えを既に持っている。
 一瞬の間もなく、ネギは答えた。

「父さんに追いつくためには……父さんに会うためには、強くなる必要があります」

 ネギの言葉に、澤村は振りかえる。
 群青の瞳は酷く冷めていて、ネギを見ている時、稀に現れる澤村の表情と同じだった。

「確かに、生徒に拳を向けるのは良い事とはいえないかもしれません。けれどそれは敵意から向ける拳ではなく、学ぶための拳です。人を傷付けることもあるでしょうけど、強くなるためには必要なことならば僕は迷いません。それに拳法も日本の剣道や空手と同じです」

 心身の鍛練だ、と。
 言い訳にとられても仕方がないかもしれない。それでもネギは父親の背を追うことを捨てられないのだ。
 強くなりたい。
 強くなって……自分の父親のようになって、皆を守れる魔法使いになりたい。
 ずっとそう思っていたのだ。
 それがネギの存在証明。

「じゃあ、先生は―――――お父さんに追いつくためには……会うためには、誰かの命を奪ったり――――」
「―――――しませんっ!!」

 澤村の言葉をネギは大声で遮った。
 そんなことをする気なんてない。
 人を助ける魔法使いが命を奪うなんて事をしてはいけない。残された者がどんな気持ちになるのか、ネギは知っている。あの雪の夜に嫌ってほど味わった。
 そんな想いをする人なんて、自分以外にさせてはいけない。
 命を奪うなんてこと、絶対にしてはいけないのだ。

「そんなこと……絶対にしません」

 澤村はネギの顔をしばらく見つめた後、小さな声でそうですかと言った。
 そして小さく表情を歪め、

「すみません、失礼な事を聞いてしまって」

 と謝った。
 彼がこうやって謝るのは今日で2度目。
 だが彼の表情は、刹那の時と違って、少しだけ―――――ほんの少しだけ、暗い影の宿っていた。

 ネギは、知らない。

 彼が自分と同じ質問を刹那にしたことを。
 彼が自分と違う表情を刹那にしたことを。

「あ、神楽坂さん達が戻ってきましたよ」

 澤村の声を聞いて、ネギは体育館の方へと視線を向ける。
 そこには、明日菜達が手を振りながら歩み寄ってきていた。





「俺は、女子寮に戻るよ。夜に部屋の外にいるとまずいだろうから」

 そうネギ達に言い残し、澤村は女子寮にある自分の部屋へと戻って来ていた。
 ネギ達は、ほぼ徹夜の状態で鍛錬に励むらしいが、澤村はそうはいかない。去る時に言った言葉も理由だが、それよりも重要なことがあるのだ。
 昨夜と全く変わらぬ様子で置かれている本2冊。
 魔法の勉強だ。
 澤村はシャワーを浴び終えると、椅子にどかりと腰を下ろし片肘をついてその本を見つめた。
 嫌な予感は大抵当たる。
 きっと自分にとってあまりいい内容でないのだろう。

 澤村はぎこちない動作で1冊の本――――――魔法の本ではなく、魔法の歴史書を手に取った。

 嫌な予感がしようが、読まなければいけない。
 目の前にあるものが仮令暗い闇でも、進もうと決めたのだ。
 恐怖やくだらないことで立ち止まるのはよそう。
 荒々しくも澤村は本を開く。
 所々に見える、Evangeline.A.K.McDowellの文字。
 彼女を呼称する言葉がいくつかあった。
 闇の福音、人形使い、不死の魔法使い……日本語に訳すと、そういった意味合いだった。
 エヴァンジェリンの説明は、吸血鬼の真祖というのがどのようなものかというところから始まっていた。
 今は無き、秘伝によって自らを吸血鬼化した元人間と記されている。
 自分から吸血鬼の道を選んだのだろうかと疑問に思いながらも澤村は慎重にその本を読んでいく。
 吸血鬼の説明が終わると、今度はEvangeline.A.K.McDowellという人物がどのようなことをしてきたのかが書かれていた。
 淡々と書かれている文字を澤村は、生唾を飲み込んでから読んでいく。
 そして、一番初めに書かれていた文に、澤村の顔から血の気が一気に引いていった。

 ――――――中世欧州にて、城の主である男性を殺害。

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