ネギ補佐生徒 第31話





 ―――――今、目の前にいる少年は、確かに自分を殺人を犯した吸血鬼だと認めた。

 全身で恐怖を表す少年は、当初を見た時よりも酷かった。
 言葉で虚勢を張って見せるが、それも意味のないこと。

 今は、目の前の吸血鬼に怯えるただの男子中学生だった。

 これが、普通の反応。
 これが、罪の代償。

 こうなることはわかっていた。
 こうなることを望んでいた。

 ネギや明日菜……サウザンドマスターのような思考の持ち主なんて稀なのだ。
 それを自覚するのに、澤村は丁度よかった。
 本当に一般的な思考が、自分の罪を色濃くさせてくれる。
 忘れてはいけないことを思い出させてくれる。

 吸血鬼になった日のこと。
 初めて人間を殺めたこと。
 チャチャゼロと旅を始めたこと。
 自分を殺しにくる人間を殺したこと。

 自分を吸血鬼と呼んだ目の前の少年に歪んだ顔を向け、エヴァンジェリンは声を発する。

「さて―――――」

 澤村の体が更に強張る。
 とても人間らしい反応だった。
 この自分に恐怖する顔は、人を殺す時によく見たものだ。

「―――――あんなことは、こっちの世界に踏み入れてしまえば多々あるが、それでも貴様はこっちに来るのか?」

 半ばヤケになって言葉を発した少年に、彼女はそう問うた。





   ネギ補佐生徒 第31話 罪人と一般人と決意





 その一言は、中途半端な位置にいたままである澤村への忠告でもあり、確認でもあるようだった。

 踏み入れるか身を引くのか。

 どちらかはっきりしろということだ。修学旅行の時にもそう聞かれていた。
 体術を学んでいる今でも迷いが出てきている。
 それは、自分の立場を曖昧にしているのが原因だ。
 刹那とネギの覚悟を聞いても、決心がつかない自分が、忌々しかった。人に拳を向けたり攻撃するのに踏ん切りのつかない自分が情けなかった。
 エヴァンジェリンの言葉が、澤村に重く圧し掛かる。
 少し顔を上げれば、エヴァンジェリンの青い瞳が自分を写していた。
 答えろ、と言っていた。

「おれ、は……」

 言葉にならない。
 答えなければいけないということは、わかっている。
 だが、体が言うことを聞いてくれない。喉が渇き切っていて、声がうまくでない。

「どうした」

 追い討ちをかけるようにエヴァンジェリンの声が澤村の耳に届く。
 落ち着け、落ち着くんだ。
 そう自分に言い聞かせることだけで精一杯だった。

 沈黙が続いた。

 いくらか恐怖による緊張が解けていく。
 落ち着きも取り戻しつつあった。
 沈黙の中、澤村は思考を廻らす。
 何故自分がここに来たのか、もう一度考えよう。
 一番の理由は、彼女と話がしたいと思ったからだ。

 ―――――じゃあ、その内容は? 何を話したいと思ったんだ?

 蘇る感情。
 目の前の少女が、殺人を犯したことに対して思ったことの全てが湧き起こってくる。

 驚き、
 怒り、
 憎しみ、
 後悔、
 悲しみ、

 全てが澤村翔騎の感情だ。
 素直に思ったこと。
 どうしてそんな感情が湧き起こったのか、ゆっくりと考えていく。
 ……だが、答えを見つけ出す前に、

「――――ナンダカ愉ソウダナ、御主人」

 なんだか棒読みチックな可愛らしい声に、思考を急停止させられた。
 何時の間にか下がっていた顔を上げるが、その声の主が見当たらない。
 視界に入ったのは、いつもの表情に戻ったエヴァンジェリンと無表情のままな茶々丸の姿だけである。
 彼女達は、澤村ではなく別の一点に顔を向けていた。視線を追うが、何を見ているのかいまいちわからない。

「そうだった、今日はここに置いていたのだったな」

 エヴァンジェリンが小さく溜息を漏らす。その様子に澤村は訝しげな表情を作った。
 置いていた、と言っているがぬいぐるみやら人形やらのことなのだろうか。
 辺りを見回しても、人は見当たらない。いや、そもそもエヴァンジェリンの言葉と場の流れ的にかみ合っていない気がする。
 声を発したと言う事は、人間……もしくは生きものである。カモのようなオコジョ妖精かもしれないと思ったのだが、やっぱり見当たらない。
 なのに置いていた、なんて物みたいな扱いをするってどういうことだろうか。それともぬいぐるみか人形が喋ったとでも? そんな、まさか……いや、ありえるかもしれない。けれどどうしても理性が否定してくる。
 そんな様子に見兼ねたのか、エヴァンジェリンが茶々丸におい、と声をかけた。それだけで茶々丸は、澤村に背を向け歩き出す。
 澤村は、さきほどまでの緊張感を忘れ、仲がいいんだな、なんて微笑ましげに思っていたのだが、茶々丸が棚から何かを取り出してこちらを振り返ったところで固まってしまった。
 茶々丸は、彼女と少しだけ似た70cmほどの可愛らしい人形を両手で大切そうに持っている。
 つまりは、だ。予想していたことと合致してしまったわけである。

「……澤村さん、紹介します。マスターの初代従者のチャチャゼロさんです」

 いや、ロボが人間らしくしゃべったり、魔法を使ったり、幼女が吸血鬼で何百年も生きていたりするのだ。こんなことで、まさか、なんて思考を取り入れてはいけないことぐらい、十分わかっている。
 でもやはり、一般的な思考は残ったままなのだ。

「因みに、私にとっては『姉』にあたる方です」
「マァ、ヨロシクナ」

 ケケ、と笑う人形―――もとい、チャチャゼロ。できればよろしくしたくないという気持ちが湧き起こるのは、一般人ならではの思考だと、澤村は思いたかった。
 いや、というか―――――

「―――――姉?」
「はい」

 短く答える茶々丸を澤村は口をぽかんと開いて見つめ返した。
 どう見ても姉には見えない。茶々丸が姉でチャチャゼロが妹ならまだわかるが。いや、サイズの話だから、これだ! という理由など無いのだけれど。

「……茶々丸、チャチャゼロを2階に置いて来い」

 場の雰囲気を乱したのがよほど気にくわなかったのか、不機嫌さを隠すことなくエヴァンジェリンは茶々丸にそう命令する。

「オイ。ソリャナイゼ、御主人」

 キカセローと言って来るチャチャゼロに、うるさいなどと軽く怒鳴ってみせるエヴァンジェリン。
 口喧嘩に区切りがつくまで待つつもりなのか、茶々丸はその場に立ったまま二人の様子を見ている。

 チャチャゼロと口喧嘩をするエヴァンジェリンの姿は、やはり――――――

 身近な少女で、
 知り合いの少女で、
 金髪で可愛らしい少女で、
 自分の隣に席で不貞腐れる少女で、
 素直じゃないけれども優しい少女で、
 今まで自分を助けてくれていた少女で、

 ―――――人間としか見えなかった。

 そして澤村は全てを理解する。

 驚き――――彼女が持つ罪の大きさと量に対して。
 怒り――――彼女が自分の罪を黙っていたということに対して。
 憎しみ―――彼女が人を殺していたということに対して。
 後悔――――彼女を自分が本を読むまでに待たせてしまったということに対して。
 悲しみ―――彼女の過去全てに対して。

 乾ききった喉が、潤いを取り戻す。口を開いて、声を発するのに全く支障がなくなった。彼女に問うなら、今しかない。

「エヴァンジェリン」

 はっきりと、その名を口にする。
 ぎゃーぎゃーと騒いでいた部屋が静けさを取り戻した。
 チャチャゼロ、茶々丸……そして、エヴァンジェリンの全員が澤村の顔を見る。
 未だに残る蟠りを抱えながらも、

「ここに来てからは、人を殺したことはあるのか?」

 確信に近い問いを投げかけた。





 ―――――最近な、澤村君なんか違うんや。

 その呟いた亜子の姿は、告白を躊躇っているときと同じだった。
 シャワーを浴びながらも、アキラはちらりと亜子を盗み見る。さっきのことはなかったかのように木乃香と話している。
 ……なんというか、心配している自分がバカみたいなほどだ。

 ―――――亜子の心を揺さぶる彼は、一体何をしているのだろうか。何を思っているのだろうか。

 少し苛立ちを感じつつもアキラはそんなことを思う。
 確かに彼は、初めて会ったときに比べると、少し大人っぽい表情をするようになったと思う。
 だが、それとこれとは話は別。亜子にあんな表情させる彼に怒りを感じずにはいられない。
 ……とは言っても、彼にだって事情があるはず。しかも第三者であるアキラが口を挟めるわけがない。
 とにかく静観するしかないのだ。亜子を影から支えてあげることがアキラのできること。

「もーあがるん?」

 亜子のネギ、明日菜、まき絵を呼びとめる声が聞こえてくる。
 なんでもネギはシャワーをここ最近はいっていなかったらしく、明日菜に強制連行されたのだ。
 そういえば、澤村の姿が見えない。いや、ここはシャワー室なのだからいないのは当たり前なのだが。
 皆で食事をしている間に、姿を消してしまったのだ。
 シャワー室に行く前に、彼と話して見ようとしたのだが、姿がなかった。
 そこまで彼を知っているわけではないが、最近は何時の間にかいなくなっているということが増えてきている気がする。
 ……そんなことを考えていると、シャワー室から出ようとしたネギ達がずんずんと戻ってくる姿が視界に入ってきた。
 そして思う。

 ――――一騒動ありそうだ、と。





 サウザンドマスター――――ナギ・スプリングフィールドと出会って以来、エヴァンジェリンは人を殺していない。
 これは、憎たらしい運命の神に誓える事実である。
  乙女な心があるとは思っていないし似合わないとも思っているが、彼女は想い人の前では清くいたいと思ったのだ。……とはいっても、ナギの命を狙う者が現れ れば全力でそれを阻止し、相手を殺す覚悟も思考もあったし自分の身に危機が迫れば殺してしまうかもしれないと思うこともあったが。
 けれど彼女は、ナギと出会ったその日から、人を殺していない。ネギが麻帆良に来たときには吸血行為をしたが、それもその一回だけで他は悪事という悪事をしていないしできなかった。絶対にネギ達に言わないが、自ら進んでする気もほとんどない。
 もちろん、麻帆良学園に来てからも、だ。
 だからエヴァンジェリンは答える。

「ない」

 多くは語らず、短く答える。
 言い訳などしても意味がない。
 ナギと出会った時に抱いた想いも言う意味がない。
 人を殺すとはそういうこと。
 仮令これからも人を殺さないと言っても、奪った命は返らない。
 エヴァンジェリンにできるのは、罪を背負い永遠とも呼べる生を生きることのみ。

 ――――それに、目の前の少年は、それを漠然と知っているように思えた。

 一般人の中の一般人。
 そんな思考を持つ彼だからこそ、その命の重さを知っているのだとエヴァンジェリンは思う。

 人を傷付けることに恐怖し、人を殺したという自分に怯える。

 一般人過ぎる彼は、ある種異端だった。
 返答を受けた澤村が、真剣な表情のまま第二の質問を投げかけてくる。

「それは、これからも変わらないよな?」

 チャチャゼロが珍しく静かなせいかその声は、はっきりとエヴァンジェリンの耳に届く。
 確信めいた少年の言葉に、エヴァンジェリンは口元を歪めながらも、

「―――それはどうだろうな? 私は悪の魔法使いだ。呪いが解ければ、元の生活に戻るだけやもしれんぞ」

 そう、答えた。

 ――――光に生きてみろ。

 別れ際のナギの言葉がリフレインする。
 自分は、光に生きていい人間ではない。
 今でもそう思っている。
 けれど光は、陰の濃い自分を勝手に照らしてくる。
 今までに会ってきたクラスメイト達や、今のクラスメイト達。
 陰は薄れ、少しだけ普通の人間として生きることを夢みた。

 それだけで、十分幸せだと思えた。

 だからさっさと呪いを解こうと……悪い魔法使いのままでいようと、思ったのだ。
 それは、これからも変わらない。変える気もない。それほど人を殺したし、生きてきた。今更、光に生きる資格はない。
 それが、吸血鬼であるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの決意だ。
 澤村の顔が険しい表情へと変わり、頭が下がっていく。
 きっと何か考えているのだろう。
 しばらくの間を経てから、

「――――わかった」

 短い返答がエヴァンジェリンの耳に入ってきた。
 ゆっくりと澤村の頭が上がる。
 無表情とも、穏やともとれる表情だった。

「確かにエヴァンジェリンは、人殺しの悪い魔法使いだ。だけど―――――」

 澤村は、そのままの表情で言葉を遮り息を呑む。
 一般人の中の一般人過ぎる彼は、答えを出したのだろう。
 そうか、と短くエヴァンジェリンは返しながらも澤村が席を立ち、玄関へと歩いていくのを見届ける。

「モウ帰ンノカ」

 チャチャゼロの言葉を聞いて、澤村はドアノブに手をかけたまま振り返り苦笑してみせて、小さな音を立てながらもドアを開ける。

「あ」

 思い出した、と言わんばかりの声。
 澤村はもう一度振り返ると、

「電話ぐらい、家に置いとけよな」

 憮然とした表情でそう言って、エヴァンジェリンの家から去って行った。
 静まり返った部屋に響く、ドアが閉まる音。
 残されたエヴァンジェリンは、目を見開いている。それは茶々丸も同じだった。
 きっと冷静だったのは、チャチャゼロのみだろう。
 我に返ったエヴァンジェリンは、慌てて彼の後を追って言う。

「――――おい! ぼーやの試験、見に来るんだぞ!」

 澤村は、片手を挙げてエヴァンジェリンに返事をした。





 ―――――俺には、立ち止まる余裕もなければ勇気もない。

 それが、エヴァンジェリンに言いかけて飲みこんでしまった言葉だ。
 彼女に言わなかったのは、気恥ずかしさと情けない言葉を堂々と口にする勇気がなかったから。
 時刻は11時50分。辺りは薄暗かった。
 先生や女子生徒と会わないように最新の注意をはらい、澤村は自分の情けない言葉を頭に抱えながらも世界樹がある広場へとやってきた。
 数時間前に見たエヴァンジェリンと茶々丸が視界に入ってくる。チャチャゼロはいないようだった。

「早いんだな」

 まぁな、と短く返すエヴァンジェリン。澤村よりも目が冴えてそうだった。きっと吸血鬼だからだろう。
 そんなことを思っていると茶々丸が会釈をしてきたので、会釈をし返す。

 あの時―――――全てを理解した時、澤村は彼女に教えを請うことはできないと思った。

 確かに魔法を覚えて、強くなりたいという気持ちは強い。
 けれど、彼女に教えを請うことで、迷惑をかけるのではないのだろうかと思った。
 エヴァンジェリンという吸血鬼は、自分の罪を理解し、自分で罰を与えている。
 彼女の人間としてのプライドと思考が故だろう。
 15年間、きっとそうやって生きてきたのだと思う。これからもそれは変わらない。
 悪い魔法使いとして、一生を過ごす気なのだ。
 澤村には、彼女に普通の人間として生きろと言う気はなかったし、資格もないと思った。
 サウザンドマスターのような経験豊富な人が言えるものだと思ったからだ。
 ただ、自分にできることは、多少なりとわかった。
 エヴァンジェリンを人を殺していた吸血鬼だと認識すること。
 彼女は人殺しだ。
 過去の話ではあるが、これはもう消すことのできない罪。彼女はそれを背負っている。捨てずに、背負っている。
 馴れ合いをできるだけ避けている。今回だって、ネギに無理な試験を課せることで自分に魔法を習おうとするのを諦めさせる気なのだろう。
 澤村が暮らす世界でも殺人者は罪を償う時をもうけられる。無期懲役とか、そういうのだ。
 けれど出所したとしてもその人は、人殺しというも罪を一生を背負わなければいけない。それは殺人ではなくてもそうだ。
 明るく元気に暮らす、などと大声ではいえないだろう。
 きっと、彼女もそんな想いがある。
 澤村にだって、彼女のやったことをまるでなかったかのように接することなんてできない。
 でも、澤村にとって、人殺しの彼女が今まで知るエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと変わらないのも事実で。
 深くは望まずに接することが、彼女のためだと。

 ―――――結局は、彼女に対しての態度は、変わることはないと思った。

 なのに、

「俺に試験見に来い、なんて言ったんだよ」
「いい勉強になるだろう?」

 こうやって世話をやいてくる。いや、半分はからかっているのかもしれないけれど。
 ついつい自分が深く考えてしまっているだけなのだろうかと思ってしまう。
 憮然とした表情を彼女に向けるが、ふふんと鼻を鳴らすだけで、まったく効果がないようだった。

「オイ、御主人」
「うおっ」

 足元から聞こえてきた声に、思わず澤村は飛び跳ねる。
 エヴァンジェリンと茶々丸がいたって冷静なせいか、なんとなく自分の行動に気恥ずかしさを感じながらも澤村はこほん、と咳払いをすると声がした方へと目を向けた。

「コレジャ試合ガ見エネーゾ。モットイイ位置ニ座ラセロヤ」

 地べたにぺたんと座りこんでいるチャチャゼロがいた。

「ンダヨ。マサカイナイカト思ッテタノカ?」

 乾いた笑みでなんとか誤魔化すが、たぶんこの人形はわかっていたのだろう。
 間髪いれずに、

「坊主、俺ヲ抱エロヤ」

 と命令された。
 エヴァンジェリンに助け請おうと顔を彼女に向けたものの、茶々丸と何か話している。もう一度チャチャゼロへと顔を戻す。

「ソレトモ、御主人カラ痛イ目ニアイタイノカ?」

 ―――――滅相も御座いません。

 澤村は心の中でそんな言葉を言いながらも、チャチャゼロを右腕へと座りこませた。意外に重い。

「そろそろ時間か……って、何をやっているんだ、お前」
「ほっといてくれ」

 人形に逆らえない自分が、少しだけ悲しかった。

 ―――――ええい、どうせ一般人で何も知らない中坊だよ。

 そんなことを思っていると、

「エヴァンジェリンさーん!!」

 ネギの声が聞こえてきた。
 きっかり0時。10分前行動やら5分前行動をしないのはイギリス育ちのせいだろうか。自分の小学校の頃は日本の電車が時間に正確だったのにとても驚いたのだが。
 いやいや、そんなことはどうでもいい、と澤村は首を振る。チャチャゼロが上目遣いで澤村を見たが、無視する。因みにチャチャゼロの上目遣いは可愛くなく、ちょっと不気味だった。そもそも上目遣いをしたのは首が動かないからであって、何かを狙っているわけではない。

「ネギ・スプリングフィールド、弟子入りテストを受けに来ました!!」

 夜だというのに、妙に明るく爽やかな声が場に響く。
 そこで澤村はようやくネギの姿を視界に入れた。
 覚悟のできた表情。
 それは、澤村よりも大人っぽかった。

 ――――いや待て、それよりも気になることが一つ。

「よく来たな、ぼーや。では早速始めようか」

 この異常に気が付いていないのか、エヴァンジェリンは、至極簡単にルールを説明する。

 茶々丸に一撃与えるかネギがくたばるまで。勝つか負けるか。

 それだけだった。いたって単純なものではあるが、自由な分、戦略の数は無限大だ。ある意味頭を使うことが得意そうなネギには、ある程度の助けにはなるのやもしれない。
 とはいっても、実力差は素人である澤村にだってわかるほどである。
 実際に茶々丸が戦っている姿を目にしたのは一度ではあるが、鍛錬中に見るネギの動作と比べてしまえば一目瞭然だった。
 パワーとスピードが追いついただけでは勝てない。
 経験と技術がまだネギには足りないのだ。

「その条件でいいんですね?」

 ニッ、という擬音が似合いそうな笑みでネギはエヴァンジェリンに問いかける。
 何か思惑があるといった表情だ。

 ――――たぶん、自分が考えていることと、ネギが考えていることは一致しているだろう。

 きっとこういった考えはエヴァンジェリンには無縁なのだろう。よくわからないといった表情をしながらも、ネギの問いに頷いた。

「……それよりも」

 そしてようやく、彼女はある問題点に触れてくれた。
 というか、気がついていたらしい。

「そのギャラリーは何とかならんかったのか!」

 そう、明日菜と刹那、古菲以外に運動部四人組と木乃香がこの場にいたのだ。
 わいわいと騒ぐその姿は、子供の運動会を見に来た保護者か姉か……ようは、結構和やかなムードだということだ。亜子と刹那……何故かアキラまでもが澤村に疑いの目を向けていた。
 エヴァンジェリンの指摘にネギは、

「はぁ、ついて来ちゃって……」

 なんて気抜けした言葉を返す。たぶん、魔法とかがばれてしまう可能性があるなんてことを彼は理解していないのだろう。
 澤村は大きな溜息を漏らす。
 その溜息に気が付いたのか、ネギの顔が澤村へと向けられた。

「さ、澤村さん?」

 何故ここにといった表情をするネギに澤村は苦笑しながらも少し大きな声で答える。

「エヴァンジェリンに呼ばれて来たんです」

 亜子達にも聞こえるように言ったつもりなのだが、効果は期待できなさそうだ。
 とりあえず、刹那への言い訳を明日までに考えておかなくては。
 準備というか、観客である明日菜達を安全な場所に移動させるエヴァンジェリン。
 彼女達は素直に従い、ネギに激励を送っている。
 そんな中、エヴァンジェリンが澤村の横で小さく言った。

「この試験、よく見ておくことだな。こっちの世界にくれば、これ以上のものがあるということを……よく覚えておくことだ」

 ……根は優しい奴なんだろうな、なんてことを思ったがあえて口にはしない澤村であった。 





「では、始めるがいい!」

 エヴァンジェリンの合図で、全てが始まった。
 まずは茶々丸。
 地を蹴り、ネギへと躍り掛かる。

「契約執行90秒間、ネギ・スプリングフィールド」

 まずはパロメーターを茶々丸と揃える気なのだろう。我流の魔力供給をかける。強引な術式なためか、エヴァンジェリンの知るものよりもその効果は劣っていた。
 ネギは、茶々丸の左拳をかわし、第2打である右ストレートを左手首で受け流す。そしてそのまま茶々丸の右腕に沿って彼は体を回転させた。
 踏み込みも勢いも完璧に近い。勢いを保ったまま、ネギは右拳を茶々丸に繰り出す。
 だが茶々丸も甘くない。ネギの攻撃にすぐさま反応して防御する。

 これでは一撃を与えたことにはならない。

 ネギは間髪入れずに次の攻撃へと入る。
 茶々丸もだ。

 繰り出される互いの拳。
 ぶつかり合う拳。

「やっぱり絡繰さんの方が強いな」

 隣から聞こえてくる独り言に、エヴァンジェリンは横目でその人物を見た。
 その人物―――澤村は、ネギと茶々丸の戦いをぼうっと見つめているように見える。
 視線をネギ達に戻すとエヴァンジェリンは、

「わずか2日の修行では、スピードとパワーが追いついたところで勝てはせん」

 ようはどんなに高性能な車に乗っていても運転する技術がなければ意味がないということだ。
 エヴァンジェリンの言葉に、だろうな、と澤村が苦笑する。それがわかっていないギャラリーはわいわいと騒がしかった。
 ネギの技術の無さを肯定するかのように、茶々丸の豪快な蹴りがネギに繰り出された。防御していても吹き飛ばされるネギの体。
 後ろに跳び引くことで多少緩和したようだが、ダメージは残っているらしく片膝をがくりと折って、体勢を崩してしまっていた。
 追い討ちをかける茶々丸。
 だが、それがわかっていたのか、ネギは足腰に力をこめて体勢をすぐに立て直した。
 茶々丸の右拳を交わし彼女の手首を掴んでネギは、自分の体へと茶々丸を引っ張り込む。

「あーあ……」

 澤村の駄目だこりゃとでも言いたそうな声がエヴァンジェリンの耳に入ってくる。
 まるでこれから起こる事がわかってしまったかのようだった。もちろん、エヴァンジェリンもこの先のことはもうわかっていた。
 ネギは右足を踏み込むと同時に、右肘を突き出す。もちろん、左手は茶々丸の右手首をしかっりと掴んだままだ。

 しかし、その攻撃は茶々丸に当たることはない。

 茶々丸の後方には、電灯を立てるための石段があった。彼女はそれを力場にすることで、ネギに掴まれている右手首を軸に、彼の頭上を飛び越える。
 ぐるりと180度回転した勢いを持った茶々丸の左キックは、ネギの腹部目掛けて繰り出された。
 防御も碌にできず、吹き飛ばされ地面に転がるネギ。
 勢いが落ち、彼が地面に倒れたままになると、辺りはシンと静まり返った。

「……チッ」

 思わず舌を打つ。この程度なのか、と。
 期待していた自分が馬鹿らしく思えてきた。
 そのせいか、

「ふん……まぁ、そんな所だろう」

 なんて言葉が自然と口に出た。

「ゴキゲンナナメダナ、御主人」

 チャチャゼロの言葉はあえて無視する。こいつはいつも余計な一言が多いのだ。
 エヴァンジェリンは、倒れたまま動かないネギにキツイ口調で言う。

「残念だったな、ぼーや。だが、それが貴様の器だ。顔を洗って出直してこい」

 明日菜とまき絵が彼を心配して駆け寄ろうとした。
 しかし―――――

「へ……へへっ」

 か細くもどこか楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
 足腰が覚束ないというのに、立ちあがって構えるネギ。

「まだです……まだ僕くたばってませんよ、エヴァンジェリンさん」

 ―――――諦めない。

 と、その幼い顔が言っていた。





 ―――――こういう諦めの悪さは、自分とよく似ている。

 ガキは帰って寝ろと手で払うエヴァンジェリンに一撃当てるまで何時間でも粘ると言い張るネギを見て、澤村はそんなことを思う。

「やああぁーーーっ!」

 再び攻め込むネギ。
 だが、茶々丸の左肘が彼の背へと沈み、地面に叩きつけられる。
 それでも茶々丸に本気で向かってくるように頼み、攻め込んでいくネギの姿が、サッカーの試合をしているときの自分と被っていた。

 1時間以上攻め続けるが、それと同時にネギは、茶々丸の攻撃を貰い続けることとなる。

 澤村は、それを無表情で静観していた。自分がどんな表情をしているのかわかるほど酷く冷静だった。
 ネギの顔は張れあがり、眼鏡にもひびが入っている。服もボロボロで、息も荒い。
 動きも鈍く、攻め込んでも攻撃はかわされ茶々丸の攻撃を貰う。
 骨でも折れたのではないかと思うような嫌な音と木乃香達の悲鳴が場に響く。
 それを聞きながらも、澤村はネギを見ていた。

 そして、なとなくだがネギが嫌いな理由がわかった気がした。

 ――――自分と似ている。

 たぶん、それだけ。
 たったそれだけのことで、澤村翔騎という人間はネギ・スプリングフィールドという人間を嫌いなんだ、と。
 漠然だけれど、理解した。

「も、もう見てらんない止めてくる!!」

 明日菜の声に、澤村は視線をギャラリーへと移す。明日菜がカードを持って、一歩前へと踏み出していた。
 これ以上ネギが傷つくのを見たくないのか、瞳に涙をためている。
 それほど、彼が心配なのかと思ったら、少しだけ悲しかった。
 ネギと自分は似ているのに、扱いが違うなんて。
 いや、似ているといってもネギと自分は全く別の人間である。才能だって、あっちの方がたくさん持っている。
 似ていても、劣っているのは自分だ。
 そんなことを思っていると、

「だめ――――アスナ!! 止めちゃダメーーッ!!」

 まき絵の大声が響いた。
 これには澤村も思わず目を見開いて驚きの表情を見せる。
 まき絵が明日菜の前に立ち憚っていたのだ。
 いい加減右腕が疲れてきたので、チャチャゼロを左腕に移し変えながらも澤村はそれを静観する。

 まき絵は言う。ここで止めるのはネギに酷い、と。

 確かに、澤村もそう思う。
 けれどそれは、あくまでも自分にとって。
 もしかしたら、結果は最悪なものとなっているのかもしれない。
 自分もネギも経験がない。
 結果の先に残るモノがまだない。
 ……修学旅行の一件で見えた。別の考え方である。
 頭ではわかっていても、自分を止められることはできない。澤村だってネギだってそうだ。
 そう言う時、明日菜のように止めてくれる人がいるということは――――

 ――――とても幸せなことなのではないかと思う。

「あ……オイ、茶々丸!!」

 エヴァンジェリンの声で澤村は我に返る。
 そして、見た。

 覚束ない足取りで、茶々丸の頬にぺちん、と弱々しくもしっかりと一撃を加えたネギの姿を。

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