ネギ補佐生徒 第36話





「うっわ、すげー!!」

 柄にもなく、澤村ははしゃいでいた。
 窓から下を覗けば、エメラルドグリーンの海に浮かぶ緑の島。

 ―――――これこそ、俺が思い描くハワイ!!

 なんてことを心の中で叫んでいたが、それも刺すような視線で一気に冷めた。
 ゆっくりと振り返れば、こそこそと話す裕奈とまき絵の姿。

 咳払いを1つ。

 落ち着け自分。
 ここはハワイではない。
 委員長である雪広あやかの所有物に近い南の島である。もちろん、国内。南国なんてことはない。
 突き刺さる視線をなかったことにしながらも澤村は前方を覗いた。
 ここは、あやかが用意した機内である。
 ずらりと並ぶ座席には、クラスの半数が座っていた。
 それなのに、

「気が付いてないんだもんなぁ……」

 さすがに気の毒になってきた。
 ネギを隣に座らせて話しこむあやかの姿を見て、思わず苦笑が漏れてしまう。

「いいんちょは、ネギ君のことになると周りが見えへんからなぁ」

 ずい、と出てきたのは木乃香の顔だった。それもドアップ。
 彼女は澤村の前の席に座っていて、こちらに振り返ってきたのだ。前方を除いていた澤村の顔との距離は非常に近い。

「ぅうわっ!?」

 上半身を仰け反らせる。後頭部に背もたれが当たった。お金をかけているだけあってか、ふかふかしていて痛くなかったのが幸いである。
 澤村の反応見て、木乃香は、微笑みながらごめんなーと謝ってきた。

 そして、今更ながら、重大なことに気が付く。

 男子は自分一人だけ。
 南の島でバカンス。
 女子の群れ。
 海。

 水着を着た女子がいっぱい。

「……うわ」

 小さく、本当に小さく声を漏らす。未だにこちらを向いている木乃香ですら気付かないほど小さな声。
 つまりあれだ。

 ―――――――自分は、水着を着た女子に囲まれなきゃいけないわけだ。

 ちらりと後ろを見る。
 少し不機嫌そうな円の姿があった。

 まずい、また新しい誤解を生んでしまったらどうしよう。

 水着が拝めて嬉しいとかなんて、さほど興味がないから特に思っていなかったけれど、勘違いされて今後の生活に支障がでるのは勘弁である。

「どないしたん?」

 挙動不審な澤村が気になったのだろう、木乃香はそう聞いてきた。
 澤村は、力なく微笑みながらも、

「いや……無事に過ごせるといいな、と思って」

 そう答えた。





  ネギ補佐生徒 第36話 届かない、届けられない





 仲良く円をつくって全員準備運動。
 先頭をきって海に入ろうとした鳴滝姉妹を取り押さえ、亜子は皆に準備運動をするように言ったのだ。
 女子達がうきうき顔で大声を出して準備運動をする中、居づらそうに準備運動をする澤村の姿が亜子の視界に入ってきた。
 彼は丁度亜子の前に居たのだ。亜子の両脇にはアキラと裕奈。右がアキラで左が裕奈だ。
 澤村の両脇には、ハルナと明日菜。ハルナが澤村に何やらちょっかいを出していて、それを明日菜が止めていた。そんな二人の間にはさまれているせいもあってか、本当に居づらそうだった。
 彼はあまり日焼けしない人らしく、女子には劣るが周りの男子よりかは肌の色が白かった。
 ユニホーム焼けはしていなかった。暑い日に上半身裸でボールを追いかけ回るサッカー部の姿は、いつものことなのだ。

 正直、彼が来るのは意外だった。

 こうやって大勢で騒ぐのは苦手のようで、サッカー部の打ち上げにも出ないし、サッカー部員に聞いてみると彼と一緒に遊ぶことは滅多にない、と言っていた。
 実際に本人に聞いたことはない。結構見た目通りな所もあるんだな、なんて思ってしまったからだ。
 彼は、あまりお金を使おうとしない。
 昼食を取るときも、本当はもっと食べれるはずなのにあまり多くは食べない。
 ルームメイトだった男子生徒は、サッカー部ではないのだが、奢りだと言って澤村にコンビニ弁当を届けに来るときがある。
 その量は、いつも食べる量の倍かそれ以上。
 スコアをつけるために持参している鉛筆は、キャップを二個つけないと書きづらいほど短いものである。
 聞けば、節約と答えるだけ。
 亜子を含め他のサッカー部員は、少しだけ疑問に思ったが、誰もそれ以上のことをは問わず、彼もそれ以上のことは言ってくれなかった。
 家が貧乏なのかもしれないとも思ったが、サッカー用品にはいつも気を遣っていた。
 とはいえ、どれも丁寧に扱っている。激しい運動をしているので、どうしても消耗が激しくなってしまうのだ。彼はそうなるとすぐに買い物へ出かける。

 そこで亜子は気が付いた。

 ――――――彼は、“本当に好きなもの”に直接関わるものしか、お金をかけないのだ。

 澤村らしいと言えば、らしいことである。
 でも、少しだけ思うところがあった。

 ――――――それは、逆に欲がないということではないだろうか。それでいて彼は、酷く貪欲な人間なのではないのだろうか、と。

 無欲な人間は、ちょっとしたきっかけで貪欲に切り替わるのではないか。
 そう思ってしまう。

 本当に、彼は何処に進もうとしているのだろう。





 泳ぐ。
 泳いで泳いで泳ぎまくる。
 クロールクロール。
 とにかく泳いでみる。

 そして、停止。

 体を仰向けに回転させて体を浮かせたまま呟く。

「――――――……疲れない」

 まだ泳げる。まだまだ全然OK。
 驚くほど澤村翔騎の体力は向上していた。
 疲れを感じない自分の体に驚きつつも、澤村は砂浜へと泳いで戻る。

「お、澤村君。いいところに来た!」

 裕奈に声をかけられた。後ろには、アキラ、まき絵―――――亜子もいる。
 思わず表情を強張らせてしまいそうになるが、なんとか押さえこんだ。4人とも、彼女達らしい水着だった。
 特に亜子。露出が少なく、上半身は腰回りと肩口くらしか露出がなく、背中も隠れていた。実に彼女らしい。
 とりあえず今は、いいところとはなんぞや状態なので訊ねてみた。

「いいところ……って?」
「ほら、せっかくの南の島なんだし、男の子が一人くらいいないと……ねぇ?」

 ねぇ、と言われても。
 にやにや笑ってくる裕奈に、澤村は首を傾げるばかりだった。
 つくづく女の子という存在がわからない。
 男なんて自分以外にネギがいるじゃないか。先生という立場なんて、ネギのような子供なら恐れる必要もないのだし、気軽に遊べるじゃないか。
 それとも女子も男子と同じで、その場に“華”を求めるのだろうか。
 それにさっきから亜子がこちらを複雑そうに見つめてくるのが気まずくてしょうがない。

「それじゃ、私はネギ君のところいこっかなー!」

 対応に困っていると、まき絵がそう言い出してネギの方へと水飛沫を上げて走って行ってしまった。
 亜子も澤村の方をちらちらと見ながらも、そのまままき絵の後へと続いて行ってしまう。
 残ったのは、裕奈とアキラ、そして澤村だった。

「えっと……俺もこの辺で――――」
「―――話がある」

 アキラに、言葉を遮られた。
 今までにないくらいまっすぐ見つめられ、澤村の表情が強張る。
 顔を赤らめるなんて色っぽい状況ではなかった。自分を見つめるアキラの顔があまりにも真摯すぎて、目を逸らすこともできない。
 できたのは、彼女に頷いてみせることのみ。
 アキラの横で、裕奈だけが少しだけ気まずそうに二人を見つめていた。




 
 明石裕奈は、戸惑っていた。
 アキラと澤村の雰囲気が、彼女が思っていた以上によくなかったからだ。
 ここまで本気のオーラがでるなんて。

 アキラからも、澤村からも……奥深い何かに触れているようだった。

 三人は、どこか張り詰めた空気を纏いながらも砂浜へと上がって、レジャーシートとパラソルのある場所に腰を下ろす。三人仲良く……なのかわからないが、砂浜に足を投げ出していた。
 しばらくの間沈黙が続いたが、寡黙なアキラが落ちついた口調でそれをやんわりと破った。

「亜子が……最近、元気がない」

 アキラは、ネギと楽しそうに遊んでいる亜子達の方へ顔を向けたまま。
 澤村は、黙ったまま砂浜を手でさらさらと流していた。きちんとアキラの言葉を聞いているか、少し怪しい。
 裕奈はと言うと、隣に並ぶ二人の横顔を見ることしかできずにいた。
 それでもアキラは、話し続けた。

「私も……もちろん、まき絵もゆーなもだけど、亜子が元気になるようにいろいろしてみた」

 けど、と澤村を見て更に続ける。

「全く変わらない。それはそうだ。……亜子が元気のないのは、澤村君……君のせいだから」

 君のせい……アキラが初めて誰かに責任を押し付けた。元々、こうやって澤村に亜子のことを言おうとしたのは、裕奈である。アキラは、第三者の自分達が首を突っ込んではややこしくするだけだと言ったのだが、裕奈が押しきったのだ。そんな彼女が、今一番首を突っ込んでいる。
 確かに澤村のせいと言えるが、アキラがそれなりに交友のある人にそんな言葉を付きつけたのは、裕奈の知る限り初めてのことだったのだ。
 言葉を付きつけられた本人は、やはり砂をさらさらと地面に流し戻すと、裕奈達に顔を向けた。

 苦い。
 苦い苦い、微笑。

 裕奈は小さく口を開けて、小さな声を漏らした。
 え、と。

「和泉からは、俺のこと何か聞いたか?」
「最近、変とは言っていた」

 落ちついた口調の澤村に、同じ口調でアキラは返す。
 彼は、歯を見せて笑ったけれど、やはりその笑顔は苦々しいものだった。

 裕奈も、そんな澤村を見て変だと思った。

 初めて会った時の澤村は、亜子から聞いたままの人物だったように思える。多少の違いはあれど、ここまで違いはなかった。
 今の彼は、その面影が消えていた。
 何処か、遠くにいるようにしか思えない。

「さすが和泉、だな」

 そう言って、頭を掻く澤村。
 アキラは何故か黙っていた。そこで何か次の言葉を投げかけるかと思ったのだけれど、黙っていた。
 だから、

「何かあったの? 亜子もそうだけど、澤村君もなんか元気ないよ」

 と裕奈は言った。

 ―――――途端、澤村の表情が小さく驚いたまま固まった。

「元気ない? 俺が?」

 自分で自分を指差し、拍子抜けしそうなほど間抜けな声で澤村が問い返してきた。

 なんというか、雰囲気台無し。

 思わず溜息を出しそうになったが、裕奈はなんとか頷いて見せた。
 そして間髪いれずにアキラが言う。

「亜子の言う変とゆーなが言う元気がないは、一緒だと思う。私も……澤村君は変わったと思うけど、それも一緒なんじゃないのかな」

 澤村は、しばらく裕奈達の顔を見つめていた。
 そして何か話すつもりだったのだろう。小さく口を開けた瞬間、

「ゆーな、アキラ、澤村くーん!!」
「ビーチボールするアルよー!!」

 澤村の背中越しに古菲と桜子の姿……と、高速で彼の頭を襲おうとしているビーチボールが見えた。
 裕奈はこのまま澤村の頭にクリーンヒットするかと思ったのだが、それはなかった。
 澤村が振り返り、ビーチボールを器用に片手で受けとめたからだ。

「あ、危ないじゃないかっ」
「おー、腕をあげたアルね、澤村」

 そうじゃなくてっと古菲に危ないと注意するが、彼女はひょうひょうとした態度で、それを流している。
 そんな二人を余所に、桜子が裕奈達に言ってきた。

「これからまき絵達も誘うから、やろーよぉ!」

 相変わらずテンションが高い。
 裕奈はアキラの顔を見た。話が中途半端に終わってしまうけれど、いいのだろうか。
 アキラは、小さく溜息を漏らして裕奈に苦笑を向け頷くと、

「うん」

 短い返事を桜子に返した。
 裕奈は、少しだけほっとする。
 だって、あのままだと息が詰まってしまいそうだったから。
 ビーチバレーで、気分転換しよう。





 ビーチバレーは、断った。
 円も誘う予定だったらしいし、亜子とまき絵が参加するのならば、自分はでるべきではないと思ったからだ。
 断ったときのアキラの視線が痛かったが、仕方がない。
 自分は、きっとあの子達と同じ場所へは完全に戻ることはできない。下手に彼女達と関わって、迷惑をかけるのは嫌だった。
 ネギや明日菜、刹那達といったメンバーならば、まだ安心して関わっていられる。

 ――――けれど、それも後もう少しだけのことかもしれない。

 夏の大会が終わって魔法学校に行けば、自分はもう彼女達とは関わってはいけない気がした。
 彼女達に迷惑をかけるから。
 彼女達の力になれる自身がないから。
 誰かに……友達に迷惑をかけるのは、もうこりごりだ。
 そんなことを思いながら砂浜を歩いていると、

「……どうしたんだ?」

 茂みに隠れている怪しいクラスメイト達を見つけた。正確に名を挙げると、雪広あやか、朝倉和美、桜咲刹那、近衛木乃香の4名。
 澤村が問うと同時に、和美の両手が澤村の両手首を掴んで茂みへとひっぱりこまれた。古菲の時のように長距離からの襲来ではなかったので、避けることは無理だった。
 かなりの勢いで引っ張り込まれたため、澤村はそのままどさりと砂浜へと倒れ込む。
 刹那と木乃香に心配されながらも、澤村は皆と同じようにしゃがみ込んで彼女達が向いている方向へと顔を向けた。

「――――え」

 ありえないことには慣れたつもりだが、それでも驚いた。
 明日菜が手に持っていたは大きな剣。そして彼女が立っている前方は、

「う、海が割れたーーーッ!?」

 和美の言葉通り、海が割れていた。
 水飛沫をあげて、明日菜の前方が一直線に割れていて、その遠く先に鮫らしきものが空中を舞っている。
 皆がその事実に驚いている中、明日菜がネギを抱き上げて海から上がっていた。
 どうやら、ネギのピンチだったらしい。でも何故隠れていたのだろう。
 その疑問は、直ぐに解けた。
 空中を舞っていた鮫達は、砂浜に打ち上げられ、そのぱっかりと開いた口から古菲の姿が。もう一匹の鮫は、着ぐるみだったらしく、鮫の顎の裏に目を回す村上夏美の顔があった。
 それで、なんとなくだが澤村は状況が掴める。
 どうやらあやか達がネギと明日菜の仲を戻すために、策を練ったのだ。
 そして、現状を見る限り鮫の正体が知られた時点で―――――

「このクソガキっ」

 勢い良く手を振り上げる明日菜。
 目を瞑るネギ。
 けれど明日菜の手は、弱々しくネギの頬を叩いた。

「こんな……イタズラして……」

 ―――――あやか達の策は、失敗になった。

 涙を流す明日菜。
 瞬間、澤村はどうしようもない怒りを感じた。理由はわからない。
 ただ――――

「ホントにっ……心配するじゃない、バカ……」

 ―――――――神楽坂明日菜が泣いているいうことに、耐えられない自分がいたのだ。

 戸惑うネギの頭に拳骨を一つ食らわせて走り去る明日菜、澤村は躊躇うことなく追いかけた。
 足の速い明日菜に何とかついていこうと、必死に足を前へ前へと出して行く。

「神楽坂さん!!」

 彼女は止まってくれなかった。聞こえていないのかもしれない。
 澤村は、もう一度彼女を呼んだ。

「待ってくれ、神楽坂さん!!」

 今度は聞こえてくれたのか、明日菜はゆっくりと走るのを止めた。息を切らせながらも、澤村は彼女へ近付く。
 澤村の方に振り返ることをせず、彼女は俯いたまま背中を見せていた。まだ肩が震えている。
 それが、本当に悲しくてしょうがなかった。
 追いかけたはいいが、なんて声をかけたらいいかわからない。
 亜子の時のように……もしくはそれ以上に、支えたいと思ってしまったせいだろうか。
 いや、亜子の時とは別の感情だったのかもしれない。
 少なからず、亜子に対しては義務感のようなものがあった。明日菜にはそんなものない。
 ただ純粋に、明日菜が心配で仕方が無かった。
 結局出てきた言葉は、

「―――――その、泣かないで」

 とても情けないものだった。
 自分の身勝手な希望しか言えないのが歯がゆかった。
 振り返った明日菜の顔は、思った通り泣き顔で―――――

「ありがと。でも、私のことは明日菜でいいって言ったでしょ?」

 ――――それでいて予想外の綺麗な笑顔で、そう言った。





「せっちゃん、ウチとキスするのは嫌?」

 目の前の少女は、夕日を背にとても綺麗な笑みでとんでもないことを言ってきた。
 砂浜に座り込んで潮を眺めていたのだが、その言葉でびくりと体震え、海の水を足で弾かせてしまう。

「――――お嬢様、今なんと言いましたか」

 再確認。とりあえず、自分の愚かな聞き間違いだと思いたい。

「ウチとキス……パクテオーやっけ? あれしてくれへんかな」

 パクテオー……ああ、仮契約のことか……って待て。
 つまり、あれだ。
 接吻、口付け、キス、ちゅー。まぁ、いろいろ言い方があるが……とりあえずそういうことだ。
 つまりそれは、目の前の少女――――近衛木乃香と自分――――桜咲刹那が接吻するということになるのではないか。

「ええええーーーーー!?」

 夕日に染まった海と砂浜というロマンティックな風景を台無しにするくらい大きくて間抜けな叫び声を刹那は上げた。
 なのに木乃香はにこにこと笑ってこちらを見つめるばかり。
 おかしい。なんでこんなに話が変なところへいってしまったのだ。
 確か、木乃香が魔法使いになることを決めたという話から始まったはず。そこから言葉を交して……ああ、それで急にキスの話になったんだ。

「ウチ、せっちゃんにパートナーになって欲しいんや」

 それは、嬉しくて飛び跳ねてしまいそうなのだが……それとこれとは話は別。
 キスなんて駄目だ!
 やんわりと木乃香にそう伝えたのだが、

「ウチとキスするんは嫌ー?」

 と聞かれて、いえっと答えてしまうのは、仕えるもの弱みかそれとも……親友以上恋人未満という非常に曖昧でかつ、ある意味一線を超えた関係なせいなのか。本当の微妙なところであるが、木乃香とキスすることにあまり抵抗が無いことが悲しいというかなんというか。
 でもやはり駄目なものは駄目だ!
 だって――――

「お、女同士で……その、キスするなんていけませんっ」

 声が裏返ったけれど、きちんと返せた自信あり。
 だが、刹那が仕える木乃香という女の子は、一筋縄ではいかなかった。

「ウチは、別にかまへんよ。せっちゃんやし」

 ものすごい衝撃が、刹那を襲った。
 音にするならば、ドンガラガラ、ズドーン! ガッシャーン!! と言ったところ。

「で、でも節度は守らないとっ」

 それならいいかなーと一瞬でも思った自分に渇をいれながらも刹那は何とか言葉を返す。
 けれど、パートナーになることに依存などない。むしろ申し出たいほどだった。
 なので、ええやん、と迫ってくる木乃香に、

「そのっ、キス以外の方法なら、喜んでお受けしますから!」

 そう言った。 





「へぇ、木乃香さん魔法使いになる勉強はじめることにしたんだ」

 夜になり、自分の部屋に訪れてきた木乃香の言葉に、ベッドに腰を下ろした澤村はそう言った。この場に刹那はいない。
 それをなんとなくだが気にかけつつも澤村は、もう1個のベッドに腰を下ろしている木乃香の言葉に耳を傾けた。正直言って、夜に密室で女子と二人きりということで緊張している。

「翔騎君、魔法の勉強しとるんやろ?」

 え、と声を漏らした。緊張や疑念は、一気に吹き飛んだ。というより、彼女が何故一人でこんな時間に来たのか、全て解決したからだ。
 彼女は、自分が皆に黙っていることを含めて、魔法を学んでいると言う事を知っている。気が付いていたのだ。

「……そんなに俺、わかりやすいかな」

 苦笑してそう言うと、

「ウチだけやと思う。……ほら、ウチと翔騎君て似てるやん」

 いろいろと、と彼女も苦笑して返してきた。
 確かに、自分と彼女は似ている。
 話を聞いたところ、彼女も自分の力に不安を抱いていたらしい。本当によく似ている。
 似すぎて、苦笑が出てきてしまう。

「それを話に?」

 確認を含めてそう問うと、彼女はこくりと頷いた。

「修学旅行から、ずっと友達やん」

 心をくすぐる言葉に、思わず歯を見せてニカリと笑ってしまう。木乃香もほわっとした笑顔を澤村に向けてくれた。そう思ってくれているのが、酷く嬉しい。
 そして素直にありがとうと言える自分がいた。

「お互い、頑張ろうな」

 そう言うと、そやね、と手が差し出された。澤村は、少しだけ躊躇いながらもその手を握った。
 ぐっと握って、すぐに離す。

「そういや、あの後アスナどやった? 結局まだ仲直りできてへんみたいなんよ」

 あの後、とは澤村が明日菜を追いかけた後のことだろう。仲直りできていないというのも、なんとなく予想していた結果だ。
 澤村は頭を掻くと、

「んー、別に何も」

 と言った。
 実際何もなかった。
 本当に、何も。





 ―――――その、泣かないで。

 戸惑った声だった。けれど、心の底から心配されている声になんだかほっとしてしまって。
 泣きながらも笑ってしまった。
 気持ちの吐露は、以前彼に話をした以上に多かった。そしてついつい言ってしまったのだ。

 神楽坂明日菜が教師である高畑・T・タカミチに抱く感情を。

 相手が澤村だったからか、それとも気持ちの吐露がそうさせてしまったのか。
 ……もしかしたら両方かもしれない。
 時折頷いて聞く澤村がどうしても高畑と被ってしまったから。
 あまりにも彼が親身に自分の話を聞いてくれたから。
 だから言ってしまった。
 本当に全てを。
 彼が返してくれた言葉は、一言だけ。

 ―――――頑張って。

 たったそれだけの言葉に、明日菜は何故か落ち着いてしまった。

 今は深夜。皆は眠っているか、各自の部屋で遊んでいることだろう。

 謝りながらも追いかけてくるネギを振りきり、あやかと口喧嘩になったりといろいろあったが、こうやって一人になってしまえば、落ち着けた。
 澤村の言葉やあやかの言葉。ネギの言葉が一つずつ整理できた。

 ―――――頑張って。

 頭の中で、澤村の声がした。初めてといっていい、男友達の声。

 ―――――頑張ろう。

 そう思い、明日菜は水着に着替えてベランダに出た。
 まだ外は薄暗かった。





 日が昇るとほぼ同時刻に目が覚めてしまうのは、早起きが習慣となってしまったからかもしれない。それが少し悲しかった。
 澤村は、ボサッとした頭のままベッドから抜け出し、バッグを漁る。
 中からでてきたのは、サッカーボールだった。木刀は刹那が持っている。ならば、やるのはこれしかない。気落ちしていたし、丁度いい気分転換だ。うん、いい気分転換になるはずだ。
 ボールを持って、ベランダへ出る。

 次の瞬間、澤村の手からボールが零れ落ちた。

 全てが忌々しい。

 視力の良さ。
 聴力の良さ。
 早朝に起きる習慣。
 ネギの部屋に近い自分の部屋。
 ベランダへ出てしまった自分。
 二人の横顔が……表情が見える自分の立ち位置。

 ―――――――そして、ネギを抱き締める明日菜の姿。

 ボールが弾む。
 海へと零れ落ちることはなかった。

「――――あんたのこと、守らせてよ」

 自分に向けた笑顔とは、全く別の綺麗な綺麗な明日菜の笑顔。
 本当に、全てが忌々しい。
 けれども、一番忌々しいのは――――――

「あんたのちゃんとしたパートナーとして見て――――――ネギ」

 ―――――彼女に抱く叶うことのない恋心に気が付いてしまった、自分。

 彼女が誰に恋心を抱いていようと、きっと自分にはそれは向けられない。
 漠然と知ってしまった。
 この想いをぶつけることもできないと、思ってしまった。
 澤村は、落としたボールを拾うと、ゆっくりとした動作で自室へと戻る。

 心の中だけで、叫んだ。

 ――――― 神 楽 坂 明 日 菜 が 好 き だ ―――――

 ドス黒い感情に汚染されながら、何度も何度もそう叫んだ。

 届かない。
 届けれない。

 そんな事実を紛らわすために。

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