ネギ補佐生徒 第41話





 6年前。
 澤村翔騎が麻帆良に訪れて間もない頃に、学園長室の電話が鳴った。
 近右衛門は、片眉を上げながらも受話器を取ると、聞き慣れた友人の声が聞こえてくる。

「何?」

 しかし、その内容は如何せん穏やかなものではなかった。
 澤村翔騎だと名乗る人物が、ウェールズの魔法学校に訪れたと言う。対応した魔法教師が、麻帆良に言っていたのではと問いかけた途端、すぐさま走り去ってしまったらしい。
 友人からの電話は、その澤村が出掛けたかどうかという確認のものだった。
 近右衛門は、はっきり事実を伝えた。

「いや、彼がそっちに行ったことなどありえんはずじゃ。きちんと学校にも行っとるし……そもそも、魔法のことすら知らんのじゃぞ」

 やはりそうか、という友人の答えが気がかりだった近右衛門は、眉間に皺を寄せて言う。

「なんじゃ、はっきり言ってみろ」

 『Co-Walker and Coexistence』―――――日本語では、共歩きと共存。
 開いたものとは正反対の性格―――主に黒い感情の部分を持ったもう一人の自分が、魔力の塊としてでき、悪さをするというもの。
 そのコピー本が、澤村家跡地にあったという……それも中身は白紙で。
 白紙と言うことは、その本が発動されているということ。
 すぐに推測がついた。
 現在、“あっち”の澤村翔騎は行方不明。捜索中ではあるが、見つけるのは困難な状態らしい。魔力が大きくても魔法使いとしての実力がないと言われていた彼を見つけ出す。
 それが困難だというのは少しおかしい気もするが、それでも彼はなかなか見つからないらしい。
 一通り友人と話し合ってから、電話を切る。
 小さく息を抜いた。

 コピー本という未完成なものの発動。

 何が起きるかなんて予想もつかない。現に呪文を唱えても白紙になった本の中身に文字の羅列が並ぶことはなかった。調べてみると、呪文の有効範囲があるらしい。
 コピー本が何故彼の家にあったのかは、すぐにわかった。
 彼の両親は、魔法道具の管理を生業としていた。不正に作り出されたコピーアイテムの処分ももちろんこなしていた。コピー本があっても不思議じゃない。
 とにかく“あっち”の澤村がどういう人物かわからないのだから、やることは一つであろう。

「―――――とりあえず、こちらも調べて見る必要があるのう」

 彼が、本物なのか偽者なのか。





  ネギ補佐生徒 第41話 真偽





 澤村翔騎は学校を欠席した。
 亜子は、その連絡を彼から受けた時、思わず聞き返してしまうほど驚いたものである。
 欠席理由は、熱がある、の一言だけ。
 低くて暗い声に亜子は、熱が何度あるのかとか咳はできるのかとか、そんなことを聞けずに電話を切ってしまった。
 そして、学校に登校してみれば、明日菜、木乃香、刹那、のどか、夕映、和美、古菲の様子が変で、皆が問いかけてみてもなんでもないの一点張り。
 元気良く教室に入ってきたネギに、澤村が欠席するということを伝えると、彼もどこか困ったような笑顔でそうですかと答えてきた。明日菜達もその連絡を耳にすると少しだけ各々違うリアクションをしつつも、どこか沈んだ表情をしていた。

 ……一体何があったというのだろうか。

 澤村の欠席にネギ達の様子。
 何かおかしいと、亜子の直感が言っていた。
 大体彼は、学校を――――部活を休んだことがないはずだ。先輩も、皆勤賞をとれるんじゃないのかと言っていたのを覚えている。

 ―――――本当にただの風邪なのかと疑問に思ってしまう。

 いや、彼だって人間だ、風邪を引いて熱で動けなくなるということだってあるはずだ。
 それがたまたま、今日だっただけなのかもしれない。
 それなのに。
 それなのに、違うと思ってしまう。

 この焦燥は何だろう。

 ……何か、嫌な予感がしてしょうがなかった。





 中間テストが近いせいか、クラス内はそれとなーくだがお勉強モードへと突入していた。
 非常に授業も進めやすい。喜ばしいことである。
 あるのだが……やはり、エヴァンジェリンの隣の席が、気になった。
 空席。いつもならしかめっ面だったり眠そうな顔だったり、いろんな表情をしながらも授業を聞いてくれていた澤村翔騎という人物はいなかった。
 嫌いな人物であるのは確かだが、それは生理的にというべきか、その気持ちをネギは未だにきちんとは整理できていなかった。とにかく、彼を性格的に嫌いというわけではない。いい人だと思えるし、彼の言葉に自分を見直すことだってあった。
 昨夜見た、澤村にそっくりの人間。
 澤村の反応。
 黒板を走るチョークの動きが、少しだけ鈍くなる。
 明日菜達も直感的に何かを感じているのだろう。
 朝からあまり元気がない。
 だから、自分だけでも明るく振る舞おうと思ったのだが……亜子の連絡で、少しだけ気落ちしてしまいそうになった。

 澤村翔騎が学校を休んだ。

 彼の精神的ダメージはよほどのものだったのだ。
 それは、ネギの予想を遥かに越え、深く……深く心を抉ったのだろう。
 ネギには、澤村の気持ちがわからなかった。実際に同じような境遇にあったことが無いネギにとって、澤村の気持ちなど想像の域でしかないのだ。想像しただけで分かったふうな口を利いてはいけない、と漠然だがよくわかっているつもりだ。
 だから、澤村の気持ちがわからないのだ。

 そしてなにより、ネギも自分のことでいっぱいいっぱいだった。

 ヘルマンと戦い、感じた恐怖。今でも忘れられない、雪の記憶。
 それがネギを苦しめていた。
 また同じような事が起こったらという恐怖は、しばらく拭えそうにない。

 英文を書き終えると、ネギは一回だけ深呼吸をした。
 今は、授業が優先だ。自分のことは、後にしよう。

「それじゃあ、この英文の訳を……ゆーなさん、お願いします」





 裕奈のまずい、といった反応を横目で見ながらも、千雨はその後ろの席を見るために少しだけ首を動かした。
 珍しく授業にでているエヴァンジェリンがすぐに視界に入るが、ここ最近ではこうやってはっきりと千雨の視界に収まることはなかった。

 そう、澤村翔騎がいないのだ。

 彼と部活絡みで仲の良い亜子の話によると、熱が出て欠席とか。
 サッカー馬鹿っぽい節はあったが、どうやら風邪をひかない馬鹿ではないらしい。
 昨夜、神楽坂明日菜に引っ張り出されて、雨にでも打たれたのだろうか。
 彼はネギのように無駄に紳士な振りしそうだから少し頷ける。修学旅行の時が良い例だ。裕奈の冗談を易々と受け入れてしまったではないか。
 ……まぁ、そこが彼の良いところなのかもしれないが。

 ふと、澤村翔騎という人間は、女の子というものに興味があるのかなと疑問に思う。

 実は、数日前にちうのHPに書き込みがあったのだ。
 書き込みをしてきたのは常連者で、内容はあんまり女に興味のなさそうな友達が、ちうのことを可愛いと言っていた、といったものである。
 思わず自分の美貌は、そこまで効力があるのかとにやけてしまったのだが、なら自分の身近にいる少年はどうなのだろうかと思ってしまう。
 朝倉和美が一時期むっつりスケベと称していたが、実際のところは不明である。
 着替えの時は、和美達のからかいを適当に流して別室にいってきちんと着替えているようだし、授業そのものも女子とぶつからないようにきちんと避けていたりもしていた。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。
 明日菜達ともよく話しているが、そんな浮いた話は……いや待て。
 そういえば昨日、明日菜にひっぱりこまれたとき、様子がおかしかった。
 いやいや。思い出してみれば、彼は明日菜とだけ妙に仲良くなるのが早く、対応も微妙にだが違っていたような気がしないでもない。
 もしかして……いや、まだ情報が無さ過ぎる。とはいっても、自分から調べる義務も気も権利もない。
 ふと思ったことといえばもう一つ。隣が妙に辛気臭い。なんだかこっちにも移りそうなほどだ。
  反対に向けると、綾瀬夕映がどこか暗い表情をしていた。なんだかノートにがりがりと書いているが、明らかに日本語であり、英語の授業をきちんと受けている ようには見えない。プライベートなことなので、その日本語を読むことはしなかったが、“澤村”という文字が見えたような気がした。

 ―――――いや、まさかな。

 ふと浮かんだ考えを千雨はすぐさま打ち消した。
 澤村の欠席と夕映の辛気臭さが関係あるなんて思えない。
 まぁ、夕映が澤村に恋心でも抱いているのなら話は別だが、そうは思えない。話している姿を一度も見たことないからだ。千雨の知らないところで会っているのかもしれないが、なんとなくその線はないように感じられた。
 どちらにせよ、自分には関係ないことだ。
 千雨は、裕奈のとんちんかんな日本語訳を聞きながら、早く今日の授業が終わらないかと溜息を漏らした。





 高畑は、深く重い溜息を漏らす。

「やはり……もう一人の澤村君でしたか」
「ああ……恐らくは、“偽者の澤村翔騎”じゃろう」

 髭を撫で付けながら言った学園長の言葉に、高畑は軽く眉を上げて聞き返した。

「わかったんですか」

 6年の間、どちらが偽者でどちらが本物なのか区別が今だはっきりとしていなかった。
 それもつい最近まで。
 それなのに学園長は、侵入してきた方の澤村を偽者だと称したのだ。

「彼は……6年前の事件に現れた魔物と行動していたという報告が来てな。それに本物ならば、いい加減自分が本物だと言ってくれるはずじゃろうし……何より、こちらにいる澤村君は、よくできた人間だ。偽者……黒い感情を浮き彫りにした人間とは思えん」

 確かにそうだった。
 自分が本物だといえば、すぐに事は収まったのだ。たとえ知らないもう一人の自分が自分に変わって暮らしていると聞いて恐怖心から逃げ出したとしても、6年間という月日は立たなかったはず。いつかは、自分から名乗り出れば事は済むと思い付くはずなのだ。

「……彼には伝えたんですか」

 高畑の言葉に近右衛門は、重く首を左右に振った。

「怖いんじゃ」

 らしくない、弱々しい声。
 高畑は無言のまま近右衛門を見続けた。

「彼には、隠し事を多くしておった……そして今も、こんな大事なことを彼に隠しておる。彼に嫌われてしまうのではないのかと、少し怖くなってしもうての」

 こんなじじぃにもなって情けない、と近右衛門は声を出して笑った。
 高畑は眼鏡を掛け直すと少し遠慮気味に、

「……僕から、いいましょうか」

 そう問い掛けるが近右衛門は一度頷きかけたものの、また重く首を左右に振った。

「これは、わしと彼の問題じゃ。君が出る必要はないよ」

 少し苦笑気味だったが、そう言った近右衛門に高畑は、微笑を浮かべてそうですか、と答えた。

「自体は急を要する。姿を見られた共歩きは、近いうちに本人を狙いにくるだろう」

 関東魔法協会の長としての顔で、低い声を放つ。先ほどの様子が嘘のようだった。
 高畑もそれにすぐ反応し、姿勢を改めると、

「では……ここにいる魔法使いを集めてすぐに捜索――――」
「―――待て」

 遮る言葉と扉の開く音が耳に入ってくる。
 振り返れば、颯爽と学園長室に入ってくるエヴァジェリンの姿があった。

「エヴァ、きちんとノックしてから入ってくれないと」

 注意したものの、結局無視される羽目となった。相変わらずのことなので、小さく肩を竦めて溜息を漏らすだけで今回は諦める。今は休み時間。時間的には彼女を咎める必要はない。いつもなら授業中に来てもおかしくないのだ。
 エヴァンジェリンは、そのまま机を挟んで学園長の前まで行くと、

「その“偽者の澤村翔騎”のことだが――――私に全て任せてもらうぞ」

 なんとも彼女らしい言葉を室内に響かせた。





 都市内にある山奥で、もう一人の澤村――――サワムラ・ショウキは、疑問に思う。

 追手が何故こないのか、と。

  麻帆良の魔法使いは、優秀な者が多いと聞いていた。それなのに気配が全く無い。これはどういうことだろう。確かに今日中に動こうとは思っていたが、さすが に昼間は無理である。だから夜まで待っているのだが……それまでにいくらかの追手は覚悟していた。それなのに、追手がこない。
 優秀な者が多いというのはただの噂だとでもいうのだろうか。それにしては、都市に張られている結界は丈夫だ。せめて一人くらいは、優秀な魔法使いがいなくては、結界の維持もできないというもの。
 定期的に来て、結界を強固しているのならば話は別だが、そんな効率の悪いことなど魔法使い達がするだろうか。いや、ないだろう。
 彼らは、無駄を好いていない。
 とは言っても、自分にとって無駄と思える研究は大好きなのだ。そして無駄と言っていいほど頭が非常に硬い。
 悪いものは悪いとしか認識しない。そこに例外を認めるということもないのだ。
 ただただ魔法を密かに学び、密かに使用し、密かに一般人を守る。それが魔法使いのスタンス。

 だから、危険視されるはずの自分に追手がこないのはおかしいのだ。

「……危険視、か」

 自分で思ってしまって苦笑してしまう。
 そうだった。自分はそういう存在だった。今でも漲ってくる力。
 片方が精神的に弱っていると、もう片方に力を送ってくる。つまり、精神の強さが肉体の強さと変わるのだ。
 共歩きという本はそういうものだった。コピー本でもこの効果はあるらしい。
 この効果は非常に危険である。精神的ダメージを与えれば、どんな実力者も無力となす。戦略の立てかた次第で逆転可能なのだ。
 しかもその戦略を立てるのは、己をよく知る己自身。
 あの魔物達と過ごした日々が自分のことを忘れさせていた……のかもしれない。いや、楽しかった。楽しかったと言える。だから忘れていたのだ。
 溜息が漏れる。

「いないと寂しくなるもんだな……」

 そりゃそうだ。五人から一人。寂しくならないはずがない。その内に一名はとびきりうるさいやつだ。
 一人だった自分に手を差し伸べた悪魔。途中から参入してきたスライム三人娘。
 たとえ悪魔でも、差し伸べてくれた手は温かかった。
 たとえスライムでも、その無邪気さは心を温めてくれた。

「――――――」

 礼を言う気はない。ないが、

 この言い知れぬ喪失感よ。
 この言い知れぬ孤独感よ。
 この言い知れぬ恐怖よ。

 そしてこの言い知れぬ感情よ。今だけは。

 今だけは、この別れを――――彼らと過ごす時間がもうないということを……惜しませて欲しい。





 放課後になり、ネギ達はエヴァンジェリンの家へと集まっていた。別荘内ではない。きちんとした場所に集められていた。
 メンバーは、昨夜の関係者……つまり、澤村翔騎とうりふたつの人間を見た者達である。小太郎と千鶴の姿はそこにはない。
 皆、各々でこの件に関しては疑問や不安を感じているようで、表情は明るいとはいえないものだった。

「わかっているとは思うが……今日お前達をよんだのは、澤村翔騎についてだ」

 皆でテーブルを囲んでいる中、エヴァンジェリンだけが仁王立ちでそう言い放つ。もちろん彼女の従者である茶々丸も彼女の傍で立っていた。
 ネギ達の表情は崩れない。彼女の言う通り、用件はそれだろうと踏んでいたからだ。

「説明をするのは、素人もいて面倒だから省略するが……澤村翔騎は、魔法道具により一種の呪いに掛かっている状態に近い」

 ネギも含めて皆が首を傾げた。
 結論だけを述べたのだからしかたがない。そもそも彼達にはエヴァンジェリンの雰囲気に違和感を感じていた。ほんの僅かな違和感なのだが、全くわからない。

「『Co -Walker and Coexistence』という魔法の本は、その本に秘められている魔力で開いた者の姿をコピーする。……が、そこは魔法道具 だ。魔力で生まれたその人間は、人間ではない。しかもコピーして生まれた人間は、その人間とは正反対の性格として生まれ、本物と成り代わろうとする」

 まぁ、これはコピーした人間の性格云々より、本自体の意志なのかもしれないが、と溜息混じりで言うエヴァンジェリンに、ネギ達はなんとなくだが今の状況を把握することが出来た。
 つまり、そのコピー……偽者の澤村翔騎が、本物の澤村翔騎と成り代わろうとして襲いにきたということ。

「え、でもそれじゃあ……澤村さんは、いつその本を開いたんですか?」

 エヴァンジェリンは、ネギの言葉に目を細めた。

「じじぃから聞いた話では、結構前のようだな。数年単位前だ」

 え、と戸惑った声を古菲と明日菜以外の全員が発する。
 本が開かれたのはずっと前だというのに、事が起きるのが今というのはあまりにも遅すぎるということを二人は気が付いていなかった。

「確かにそれも気にかけるところかもしれんが、問題はそこじゃない。もっとシンプルかつ、重大な問題があるだろう?」

 きわめて重要でシンプルな疑問。
 この場にいる者のほとんどが気が付いていないこと。
 そのことが当たり前だと思っているが故に、疑問にすら思わなかった、重大な問題。
 皆顔を見合わせて首を傾げると、最終的にはエヴァジェリンへとその矛先を向けた。
 彼女は、本当に小さく。
 小さく笑みを浮かべて、

「私達の知る澤村翔騎は――――――本当に、本物の澤村翔騎なのか」

 的を射るように鋭い言葉をその口から放った。

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