「姉さん、相談があります」
学校から帰ってくるなりそう切り出した妹に、姉がハイテンションで返す。
「おかえり我が妹よ! なんだね相談とは?」
「はい、ただいまです。実は、最近、気になる人がいるんです」
こたつにもぐっている姉の対面に、妹が学校の制服のまま行儀よく正座する。
「なに!? 気になるとは、具体的にどういうことだね我が妹よ!」
がばっと、こたつに身を乗り出す勢いで姉が尋ねる。
「気がつけばいつもその人のことを考えていたり、その人を目で追っていたりしてしまうんです。こんなことは初めてで、これは一体どういうことなのか相談したいのです」
テンションの高い姉とは対照的に、淡々とした口調で答える妹。その表情は口調同様に感情に乏しい。
「ほう、なるほど……」
姉は顎に手を当て神妙な顔で頷いたと思うと、カッと目を見開く。
「我が妹よ、その相談に答える前にひとつ確認したいことがある!」
「はい、なんでしょうか?」
「気になる人とは、どんな人だね? クラスメイトかね? 先生かね? 男の子かね? 女の子かね?」
マシンガンのように質問を飛ばす姉に、妹が淡々とした口調で表情を崩さず答える。
「クラスメイトの男子です、姉さん」
「そうかなるほど。──我が妹よ!」
こたつ布団を跳ねあげる勢いで姉が立ちあがる。
びしっと指さし、高らかに言いきる。
「お前のその気持ちは、おそらく恋だ!」
「! これが恋ですか?」
感情表現に乏しい妹も驚いたらしい。無表情な半眼が少しだけ見開いている。
「うむ。お前はその男子と仲良くなりたかったりするんじゃないかね?」
「はい、仲良くなりたいです」
「そして、イチャイチャしたかったりもするんじゃないかね!?」
「はい、イチャイチャしたいです」
「更に、抱きしめたかったりキスしたかったりすんじゃあないのかね!?」
「はい、抱きしめてキスしてエッチして、子供は3人欲しいです」
「そうかそれは結構なことだ。だが子供はまだ早いぞ、我が妹よ。お前はまだ高校生だ。社会的に自立するまで待ちなさい」
腰をおろして満足げに頷き、まともなようなまともでないような指摘をする姉。
「分かりました。子供はまだ我慢します」
頷き返す妹。それ以外は我慢する気がないらしい。
まあ一服、とお茶を煎れる。
「ふぅ……」
お茶をすすり、一息。
姉が続ける。
「我が妹よ。もはや間違いようがない。お前のその気持ちは確実に恋だ!」
「これが恋……」
湯呑みを両手で持ち、心なしかうっとりとしたような顔で妹が呟く。
「……」
「……」
「……」
しばしの間、居間が沈黙に包まれる。
姉は神妙な顔でうんうんと頷き、妹は相変わらずの半眼でぽーっと宙を見つめている。
思い出したかのように、妹が姉に尋ねた。
「姉さんも、恋をしたことがあるのですか?」
「いや、無い」
「無いのですか?」
あっさり答えた姉に、妹が少し驚いたように顔を上げる。
姉は女子大生だ。当然恋の1つや2つは経験済みだと思っていたのだろう。
「うむ。我ながら威張ることで無いが、恋の経験は無い。強いて言えば、ゼミの研究が恋人のようなものだ」
家でも学校でも白衣を着用し、すでに普段着の領域に達している姉らしいといえば姉らしい発言だ。
「経験が無いのに、私のこの気持ちが恋だということが分かるのですか?」
他意の無い、純粋な疑問なのだろうが、妹のこの発言は姉としてのプライドを刺激したようだ。
「……我が妹よ!」
「はい」
「医者は自分が罹ったことの無い病気でも、患者から症状を聞き、それを自分の知識と照らし合わせ、病名を診断できるだろう? それと同じだ」
偉そうに腕を組み、続ける。
「経験が無くとも知識でもって正しい判断をすることが出来る。いいか、我が妹よ。知識を共有し発展させ、文化を形成して歴史を持ち、それを次世代へ伝えていくことが出来ることこそ、ヒトが他の動物と決定的に違う点なのだ!」
「なるほど、さすが姉さんです」
もともと他意がなく、普段から姉を敬愛している妹は素直に感心する。
居住まいを正すように正座しなおし、姉にすがるような眼差しを向ける。
「姉さんの知識を、私に貸してもらえませんか?」
「当然だ我が妹よ! 知識とは伝えることに意味があるのだから!」
プライドを保てた姉は気を良くしたのか、またこたつ布団を跳ねあげる勢いで立ち上がる。
「ありがとうございます、姉さん」
「我が妹よ!」
感極まったように抱き合う二人。
勢いよくテーブル越しに身を乗り出した二人のせいで、湯呑みが3つとも揺れ、中身が少しこぼれた。
煎れなおし。
「それで、どうしたら彼と恋人になれるのでしょうか?」
煎れなおしたお茶をすすり、一息。妹が切り出す。
「ふむ、そうだな……」
姉もお茶をすすり、神妙な顔で考え込む。
「……」
「……」
「……」
再び居間に、静寂が訪れる。
しばしの沈黙後、姉が思いだしかのように呟いた。
「肉食系……」
ハッと顔を上げ、姉が声を張り上げる。
「そうだ! 肉食系だ!」
「肉食系?」
妹がオウム返しに尋ねる。
「肉食系とはなんですか?」
「私もよく知らないが、男性を恋人にすることに長けた女性に対する総称だったと思う」
「なんと……。それは凄そうですね、姉さん」
確かに凄そうだ。姉の説明は実情を正確にとらえていない気がするが。
「つまり姉さん、その肉食系になればよいのですね?」
「うむ!」
「具体的にどういう行動をとれば、肉食系になれるのでしょうか?」
「私も詳しくは知らないが、肉食系という言葉にヒントがあると思う」
「なるほど……」
もっともそうな姉の言葉に妹も神妙な顔で頷く。
「……」
「……」
「……」
三度、居間に静寂。
みんな腕を組み、うんうん唸りながら考え込む。
この沈黙を破ったのも、姉だった。
「……肉食系。つまりは肉食獣」
またハッとしたように顔を上げ、声を張り上げる。
「肉食獣! すなわちビーストだ!」
「ビースト……!?」
「そうだ!」
またまたこたつ布団を跳ねあげて、姉が立ちあがる。いい加減、埃が舞う。
「我が妹よ! お前はビーストだ! ビーストになれ!」
「私はビースト……」
姉の勢いに釣られたように妹が呟く。
姉は絶好調にハイテンションで、びしっと指さし。
「声が小さいぞ我が妹よ! そんな気迫ではビーストになれないぞ!」
「はいっ、姉さん」
妹もその気のようだ。姉と同じように立ち上がる。その気になりながらも埃を立てないように静かに立ち上がるあたり、おしとやかな妹らしい。
こたつテーブルをはさんで、姉と妹が熱血教師と生徒のようなやりとりを始めた。
「『私はビーストだ!!』 はいっ!」
「私はビーストですっ」
「もう一度! 『私はビーストだああ!!!』」
「私はビーストっ、ですっ!」
「いいぞ! 最後にもう一度! はいっ!」
「私はっ! ビーストっ! ですっ!」
「ベネ!(よし!)」
姉の「ベネ」が出た。久しぶりに聞いた。最後に聞いたのはいつだったか……。ちなみにこれは、姉にとって最上級の称賛だ。
「我が妹よ! お前はもう、どこに出しても恥ずかしくない立派なビーストだ!」
「ありがとうございます」
「丁度今夜のご飯は焼き肉に行こうと話していたのだ! ビーストとして生まれ変わるお前にふさわしい!」
そう、さっき妹が帰ってくる前に、今晩は焼き肉に行く予定を姉と立てていたのだ。
「焼き肉ですか? 楽しみです」
「うむ! たくさん食べるのだ! ビーストとして!」
姉は腰に手を当て満足げに胸を張る。デカイ胸がより強調されている。なんだ自慢か、このやろう。
「いいか我が妹よ、ビーストたる肉食獣が、狙う相手に対して起こす行動は1つ!」
びしっと指さし、
「──襲え!」
「いや、それはダメだろ」
堪らず声を上げた私だった。
* * * * *
「へえ、大変だったね」
「全くだよ。姉も妹も、肝心なところで抜けてるから。止めなかったら大変なことになってたところだよ」
翌日の朝、ホームルームが始まる前の教室で、私は昨日の姉と妹のやり取りを友人に話していた。
「ホントだね。でも、それくらい積極的な方がいい場合もあるかもね」
「うん、積極的なのはいいことだよ」
友人の言葉に賛同する。だけど、
「でもね、時と場合を考えないと、だよ」
「そうだね」
友人がくすくすと可笑しそうに微笑む。友人は私の妹も姉も知っているので、昨日の場面を想像しやすいのだろう。
私は楽しくなって続けた。
「襲うのはいいんだよ。でもね、」
「えっ」
「ん?」
途端に、友人が意外そうな声を上げた。
聞き間違いでもしたかのように、問いかけてくる。
「……襲うのは、いいの?」
「うん。いい案だと思う。さすが姉だね。伊達に女子大生じゃないよ」
うんうんとうなずいていると、友人が要領を得ない質問をしてきた。
「……じゃあ、なんで止めたの?」
「だって、焼き肉だよ。にんにく臭い口で襲いに行ったら成功するものも成功しないよ」
「そ、そっか。そうだね……」
私のもっともな意見に、友人が頷いた。
私の姉と妹は、そういうところに気がつかないから困る。まあ、その代わり「襲う」という良い案を教えてもらえたが。
「だからね、焼き肉は今晩に延期したんだ。成功した時のお祝いとしてね」
「そ、そう……。成功するといいね」
「うん。二人とも絶対成功させようって、今朝、妹と誓い合ってきたところだよ」
「えっ」
「ん?」
また友人が意外そうな声を上げた。
「二人とも?」
「うん」
「誰と誰?」
「私と妹」
答えると、恐る恐る、といった感じで友人が聞いてきた。
「……あなたも、誰かを襲うの?」
「うん、同じクラスの……、あっ来た」
丁度その時、私のターゲットが教室に入ってきた。
前々から彼に恋焦がれていたが、どうやって恋仲になるか一人で思案していたところだったのだ。本当に昨日は良いことを聞いた。
「じゃ、襲ってくる」
後ろで友人が何か話しかけてきているが、後にしてもらおう。
妹も今頃は、彼女のターゲットを襲っているところだろうと思う。
私は彼の名を呼び、「好きだ」と叫びながら、自分の気持ちがちゃんと伝わるべく彼に飛びついた。
終わり
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