巨大な砲台が一瞬の閃光の直後、暗闇の空間へ崩壊してゆく様を、間近に見ていた。

呼吸さえ出来ない。
脳が凍りついたよう。
身体の動きが止まり、ただ目に映るその光景だけが全てになる。

手を伸ばされていた。
緑色のパイロットスーツ、その腕がゆらゆらと揺れている。
あの姿。

ひかり。閃光。
そして、巨大な爆発。
宇宙へ投げ出され、焼けてゆく体を見ていた。
見てしまった。

ああ、届かなかった。
救えなかった、また。
なぜ。目の前に確かにあったのに。希望が、いのちが、救いを求めた手が。
何故届かなかったんだ!何故!

絶望が身体を満たしていく。
凍りついた身体に体温が戻った時、彼の姿は暗闇の中の何処にもなく、生体反応さえ消えていた。
名を、呼んだかもしれない。
姿を探したくて、血眼になったかもしれない。
もう、二度と知りたくはなかった、あの絶望が、身体を満たして何もかもを奪い取っていく。

また目の前で散っていってしまった。
あぁ、…また。

伸ばすその手には何もつかめない。
だって、今、散ってしまった。
見ている。
緑色のパイロットスーツが吹き飛ばされる様を。見ているんだ。
この手には、もうなにも、ない。

コックピットの中、伸ばした手は、ただゆらゆらと刹那の顔面で揺れていた。
何も掴む事の出来なかったその手に、ふいに触れたのはあたたかみ。
うそだ
うそ、
だって、ここは、コックピットで、戦場で、
エクシアの、…あぁ、そうか。



夢のような意識の中で感じた、あたたかい感触に、刹那はゆっくりと目を開いた。
宇宙に散った身体を掴めなかったはずの自分の手には、今、確かに男の手が絡んでいる。
まるで刹那の体温を確かめるように握りしめられた手の先に、蒼緑色の目が微笑んでいた。

あぁ、ここはベッドの上。

「お前の目はほんとうにデカいな。…16の頃から変わっちゃいない」

握り締められた手はそのままに、延ばされたもう片方の手が、刹那の目尻に触れた。
柔らかな刹那の肌を確かめるようになぞり、指先で触れただけでは飽き足らず、唇が瞼の上に静かに落ちた。
ちぅ、と小さな音と共に唇が離される。
その動作さえ、刹那は見つめていた。

「またあの日を夢みていたのか」
言われて、何故だ、と目で問う。
返されたのは、小さな笑い声。

「お前がそんな顔して俺を見る時は、たいていニールの事を考えている時だ」

解るに決まってるだろ。
笑いながら言う、ニールによく似た顔。
似ている。
姿も表情も、セックスの仕方さえ似ていた。
始めのうちは戸惑ったものだか、今は解る。
この男はニールではない。
そう、確かに違うんだ。とてつもなく似ていて、けれど何もかもが違う、男なのだと。

「さあて」
刹那の肌に触れて体温を感じた事で、ようやく満足したらしい男が、ベッドの中から抜け出ていく。
裸の上半身、その背中にひっかき傷が残っている。
あれは俺がつけたのか。

真新しい傷は、他の女や男がつけたわけではないだろう。
この小さな家に来てから、常に傍にいるのだから知っている。
つけたのは自分だ。この男の肌に傷をつけた。
人を抱き締める癖など無かったはずなのに、どうして今はこうも肌に触れてすがり付いてしまうのか。
背中に腕を回し、耐えられるはずの快感に流されるまま爪を立てる。

「じゃあな」
振り向き様にウインクひとつを残し、静かに部屋から出てゆく後ろ姿を見つめる。
パタンと閉まったドア。
出て行ってしまった後ろ姿が、頭の中に残像で残る。
背中、赤い痕、伸びた薄茶色の髪。肌。
もうここには一人しかいない。

何も映さないドアを見つめ続けながら、刹那は、ただひとりの男の事を思った。

ある晴れた春の朝。
窓の外からは絶え間無い太陽のひかり。
鳴く鳥たちの歌声、木々にざわめく風のリズム。

小さなベッドは、二人で眠るには狭いが、一人で眠るには充分だった。
都会とは無縁の、広い広い大地に囲まれた、小さな家。
古びた木の家に、こじんまりとした部屋。立て付けの悪い窓、時折壊れる水道。
それで、良かった。
暮らせる家があること、一人ではないこと。
それがどれだけ幸せな事か知っている。
あの身体が教えてくれた。
あの、男が。


出て行った男の姿を残像にしてしばらく。
見つめ続けていたドアが、ノックもなく、カチャリと開いた。

「よお刹那、起きてたのか」

ベッドに横たわる刹那の姿をすぐに見つけ、その顔に笑顔を浮かべて近づき、ベッドの縁に腰掛ける。
Vネックとチノパンというラフな姿の男の手には、二つのマグカップが握られていた。
コーヒーのにおいが、刹那の鼻腔を刺激し、ゆっくりと上半身を起こして、差し出されたカップを受け取った。

このマグ、青色がおまえのな。
そう決められたマグカップの色。中身のコーヒーには、たんまりとミルクが入っている。
相変わらずこの男は、ミルクを分け与えるのが好きだ。

ベッドの縁に座ったまま、緑色のマグカップに入ったブラックコーヒーを啜り、ふと間近で刹那を見る。
その目がふいに細められた。

「昨晩はあいつと寝たのか」
確証に近い言葉。
目を合わせれば、つい先ほど部屋を出た男と同じ色の目をした蒼緑が刹那を見つめていた。

「あいつのにおいが残ってる」
黒髪を一房とり、くん、とにおいを嗅ぐ。
なんのにおいなんだ。昨晩は顔にかけたわけでもないはずだ。
嗅覚がまるで犬だ。他人のにおいを嗅ぎ取るなどと。

呆れ半分で見つめれば、その顔は思いのほか真顔で驚く。

「今夜は俺と、な?」

まだ朝だというのに、今夜のために囁く睦言。
それでも、刹那は頷く事で、了承をつげた。
この男を拒む理由がどこにあるというんだ。

抱きたい。
抱かれたい、この男に。
失ったはずの、あの身体がここにある。
あぁ、…また手に入れる事が出来たこの身体がどれだけ愛しいか。
この男は判っているのだろうか。

刹那の瞳を微笑みで受け取って、額にキスを落とす。
その仕草さえも似ていた。

「お前もそろそろ起きろよ、刹那」

ベッドから立ち上がって窓際へ歩く。
歩き方が同じだ。ただ違うのは、この男の背には傷がないということ。

「今日はティエリアとアレルヤが来るんだ、久しぶりに5人みんな揃う」


たてつけの古い窓の鍵を開け、カーテンを勢いよく開けば、窓の先に、木々と緑の草原が見えた。
薄青色の晴天の空、その下に続く、緑の草原の大地。
遠く向こうに、かすむ山々。
草原の真ん中から、この家に伸びる一本の道、そのずっと先から、小さな車が近づいてきていた。
あれがティエリアとアレルヤだろう。

「さ、支度しろ刹那」

微笑むその顔と、差し伸ばされた手を、刹那は今度こそ手にとり、握りしめた。


それは、とてもとても幸せな、ある春の日の、出来事。