じょわじょわと庭から水音がして振り返れば、雑多に生えたコスモスの花壇に刹那が水をかけていた。
炎天下の太陽の下、虹でも出そうなほど空は白く青く、刹那の巻く水が宙に散ってキラキラと輝いている。
気持ち良さそうなこった、と寝ぼけた頭を掻いた。薄茶色の髪は寝癖がついていて、ひよひよと跳ねている。

存外刹那は早起きである。
2度寝の習慣も無いらしく、それはまるで戦時中であったあの頃のように規則正しく起きて寝て生活を繰り返す。
昨晩あれだけイジメてやったというのに、元気なものだ。
刹那の表情は、昔と同じく、いまだ硬いままだが、それでもベッドの中であれだけ乱れてくれれば上等だと笑った。

強い日差しが降り注ぐ庭と、シャツとハーフパンツ、サンダルを身につけた刹那を見下ろす。そうしてしばらく飽きるまで眺めると、ロックオンは静かに笑って階段を下りた。



***



「刹那」
背後から聞こえた声に、刹那はホースを持つ手をそのままに首だけ捻り、ロックオンの姿を見つけた。

「よくもまぁお前こんな暑い中で」

頭をがしがしと掻きながら呆れたようにロックオンは言うが、今水を遣らなければ、この花は秋には咲かないだろう。
この平原の真ん中に立つ小さな家で、秋の花を見た事はない。
この庭には、夏の花は無いから、今咲いている植物はなく、ただ緑色に茂る草を見つめるばかりだ。アサガオやヒマワリは、この平原を越えたずっと向こうへ行かなければ見られない。今は、秋や晩夏に咲く花のためにせっせと水遣りを欠かさない事が刹那の仕事であり楽しみでもあった。

「コスモス、そんなに見たいのか」
言われて、どうなのだろうと思った。確かに花は見たいが、どうしても見たいほど大好きな花なわけではない。
ただ、
「…せっかく咲くのなら」
咲かせてやりたいと思った。ただそれだけだ。
夏の強い強い日差しの中で、今は生き生きと天を目指しているつぼみが、しなびて落ちてしまうのを見るのは忍びない。
ただそれだけ。

じょわじょわと散る水。ホースの口を押さえている刹那の手に滴る水滴。コスモスの緑に向けて、飛沫が細かく飛散している。虹が出掛かっていた。

「コスモスとお前って取り合わせも似合うかもな」
「…そうなのか?」
「ああ、小さい花がな、この花壇いっぱいに咲くんだぜ。可愛いだろ」
かわいい。
…似合うとはそういう意味なのか。イマイチ判らないが、目の前にある雑草のようなコスモスが一面に咲くのならば嬉しい。
あぁ、やっぱり咲いてほしい。


「刹那、ホース貸してみろ」
「?」
何をするつもりだと首を傾げながらもホースを渡せば、刹那の手を離れた一瞬後に、ロックオンのにやりと笑った口元があって、しまった、と思った。気付いた時には遅い。
「ほら!」
「…っ!」
ホースが天を向き、ロックオンがその口を潰す。
まるで噴水のようにしゃあしゃあと散る水が、ロックオンの上にも刹那の上にも降り注いだ。
「つめたいだろ!やっぱり夏はこうでなきゃな!」
まるで子供のようにはしゃぎながら、刹那の上に水を燦々と降らせる。
キラキラ光る水を浴びながら、最初は水を避けていた刹那だが、やがてそれが火照った肌に酷く心地いいものだと判って、足を止めた。見上げれば、ロックオンの身長のさらに上、伸ばした腕の先から零れ落ちる水の飛沫が空に舞っている。
キラキラ。
光って落ちる。
それはロックオンの手の中から。


「…あぁ…」

ひかり。
降り注ぐ。
黒い黒いそらではなく、青い白い空に。
光る緑の粒子ではなく、透明な水の飛沫が。

「あ…」
手を伸ばした。
ロックオンが掲げ上げた手には届かない。けれど、水には届く。そしてロックオンの身体にも。

「…どうした?」
指先で触れ我慢出来ずに頭を胸につける。ロックオンの胸に顔を埋めた刹那に、そんな事を聞く。…判っているくせに。
判っていて、そのくせに、そんな事を言うんだ。

…あたたかい身体、冷たい水飛沫。それが、刹那がどれだけ望んだものかを判っていて。

「せつな」
掲げた手を下げ、ホースを地面に落とし、胸にすっぽりと収まる小さな身体を抱き締めた。
水を浴びた刹那の肌は冷たく、けれど体内は熱い。
「…身体、冷えちまうな」
だいじょうぶだ。つめたくなんかない。ほら、夏の太陽と、お前の肌があたたかいから。熱いから。…だから。

「ベッドに、誘いたいんだが」
臆面もなく言われた言葉に刹那は顔を上げた。目の前にあるのはロックオンの優しい表情。
答えを待つ事もなく、頬を撫でられ、濡れた髪に触れて水滴を払うように梳かし、やがて唇が降って来た。
上から覆い被さるようなキスを受け、刹那は目を閉じた。
足元に散らばる水が、ロックオンと刹那の足を濡らしていく。

唇が、舌が、刹那の咥内に進む。
まるでこの先の行為をしていいかと問いかけるように、舌が動いた。ぬるりと舐められて、ロックオンの胸を掴む。言葉よりも態度で示せば、ロックオンが口づけながらも笑ったのが判った。
「…刹那」
肌に張り付いた刹那のシャツに手をかけながら、唇を離して、首筋にキスを落とす。…と、そこに赤い痣があった。
「……」
問いかけずとも判る。キスマークだ。随分と目立つようにつけられたものだ。しかも、まだ赤く、血液を吸った後が点々と残っている。…ということは。

「…まさかこれ昨日の夜のか?またあいつが夜這いかけてきたのか…!」
刹那は首を振る。
「嘘つくんじゃねぇよ、刹那」
「嘘じゃない」
「ばか、こんだけ赤いって事は絶対、」
「昨晩じゃない、今朝だ」
「………おまっ…」

刹那の返答に、ロックオンはふと殺気じみた気配を感じて振り返った。
ばっ、と振り向けば、裏口の木ドアに寄りかかった男が、手を振っていた。
「あいつっ…!」
ロックオンと同じ顔だが、寝癖のついた髪。おそらくはずっとそうして刹那を見ていたのだろう。にっこりと微笑むその顔。
「…あのやろ、」
微笑んだままの表情で、長い腕がすっと伸びた。裏口のすぐ脇に付けられたホースへ続く蛇口を握り、ぎっと思い切り捻った。
途端、ロックオンと刹那の下のホースが暴れ出す。
「うわっ!??」
暴れるヘビのように、びちびちと跳ねる水を浴びながら、ロックオンはちくしょうと天に向かって叫んだ。


それはある夏の日のできごと。