(ロク刹前提)他人*刹那







物音に近い小さな発信音が、脱ぎ散らかした服の隙間から聞こえて刹那は目を醒ました。
身体の上に覆いかぶさるような丸太の腕が邪魔だ。
投げるように退かして、携帯端末を拾い上げ、パスコードを入れて暗号文章を開く。
そこには短い文字が記されていた。

砂漠に近い、乾いた街の、安宿。

「おい、なんだよ…」
払ったはずの腕が、もう一度刹那の腰に巻きつけられ、寝ぼけながらも顔を背中に擦りつけて来る。伸びかけた髭が鳥肌を誘う。気持ち悪い。
「邪魔だ」
「ひでぇの」

何を言うか。お前の名前さえ知らないのに、一晩と快楽をくれてやったんだ。
それ以上、お前にやるものはない。

逃がすまいと力を篭めている男の腕を、するりと、すり抜ける。
力任せに押さえ込まれても、そこから脱出する術など、とうの昔に習得している。
この細い身体のどこにそんな力があるのかと目をしばたく男を振り返る事もせずに、刹那は下着を拾い上げた。

「シャワーは」
「いらない」
「もう行くのか」
「いく」
「つれねぇなぁ」

知るか。
お前がどこぞの軍人なのかは知らないが、太い腕を枕にして頬づえをつき、着替える刹那の背中を見つめるその目がいやらしい。
もうこの男を身体を合わせる事もないだろう。
元々、一晩だけの性欲発散のための相手だった。
それは、相手とてそうだろうと刹那は思っていた。

「本当に行っちまうのか。お前どうせ旅してんだろ?ここでもう少しゆっくりしていってもいいんじゃないのか」
「戻る場所がある」
「あるのか、そんなところ」

鼻でわらって笑ってやったつもりだが、刹那は飄々としている。まだ20やそこらだろうにこの落ち着きか。
男は舌を巻いた。
どうやら一筋縄ではいかない相手だったらしい。
身体も顔も悪くなかった、どころか、とてつもなく良かったから、出来る事ならば一晩限りで終わらせたくないとも思ったが、仕方ない。
昨晩出会ったばかりだが、この細身の青年が、名前も素性も知らせず旅をしているのだと知った。すぐにこの街からも出て行くのだろう。
まるで孤独な狼のように一人旅をしているこいつには、きっと戻るべき場所も家族も居ないだろうと想像していたのに、どこかの子飼いだったらしい。
「まさか飼い犬とはな」
狼ではなく、忠実なる犬だったか。
平和維持軍でもアロウズの所属でもないと思うが、それではどこの軍隊だ。
新興組織か、どこかのテロにでも所属しているのか。
(いや、こいつはそんなもんじゃねぇな…)
まとう雰囲気、口数少ない言葉から発せられる内容、慣れたセックス、乾いたこころ。
やっていることは、世捨て人であるのに、どこもスれていない純粋さ。
まるで、それは。

まさか、な。

服を着込み、あまりにも手馴れた動作でナイフと小銃を腰元に仕込む。
装弾数の少ない拳銃は、ほとんど使われていないのだと知れた。しかもあの小銃は随分と昔の型だ。こだわりでもあるのか。

「…おい、その銃は?」
問いかけると、僅かに動きが止まった。
飄々と答えてばかりだったのに、今だけは聞かれるとは思っていなかったとばかりに初心な反応だ。
どうやら本当に特別な銃か。
笑ってやった。

「恋人の形見かなんかか?」

冗談交じりで笑って言ってやった言葉に、刹那は顔色を変えず目を伏せて、そうだ、と告げた。

「…へえ。アンタでもそんなロマンチズムな事を言うのか」
こいつは面白い。どうやらこのガキは氷の女王というわけでもないようだ。
「……」
「別に詮索するつもりはねぇさ。おまえだって話す気はねぇだろ?」
告げて、興味のないフリを決め込んだ。
「さっさと行っちまいな、戻る場所があるなら戻ればいいさ」
「……」
「お前はこんなチンケな町にいるタマじゃねぇってことだろ?え?旅人さんよ」
出て行けとばかりに、しっしっと手を動かして、情眠をむさぼるべく、シーツを引き上げる。精液のにおいがしみついた安っぽいシーツだ。

「………」
何かを言いたそうに男を見下ろした刹那は、しかし唇を結んで踵を返し、軋むドアノブに手をかけた。
躊躇いもせずに、そのドアを開け、出てゆく。

「でかい魚だったかな?」
俺が、釣ったアイツは。
一晩のつもりと、なんとなくの興味だったが、思いの他、上ものだったらしい。
コツコツと響く靴音を聞きながら、ああ、あいつの正体がなんとなく判ったなと、男は笑った。


壊滅したと思われていたソレスタルビーイングが、再び武力介入を開始したのは、その1週間後の事であった。