この不遜な男に、身体を犯されていないという事は、ある意味、誇りに感じていいことなのではないかと、ニールディランディは思っている。
ぐちゃぐちゃに散らかった、ベッドルームで。




(…またかよ…)
足を踏み入れた途端、異臭が鼻についた。それは麻薬であったり、血や精液、汗、香水などが混じりあった密度濃いにおいだ。
思わず眉を顰めると、豪華なベッドヘッドに両腕を乗せて顎を仰け反らせていたサーシェスがゆっくりと顔を正面に向けた。目があう。

「よお」
「よお、じゃねぇ。…またこんなに殺したのか」
言葉に返事はない。代わりに鼻で笑った音がかすかに聞こえた気がしたが、どちらにしろ、この男は、部屋の惨状など気にしてもいないだろう。どうせ殺したのだってこの男だ。
キングサイズのベッドの上に、2つの死体。床に1つ。
この分なら、シャワールームでも死んでいるだろう。さっきから聞こえている水音は出しっぱなしのシャワーの音だ。という事は計4体以上。自分よりもずっと図体の大きな大人の身体を始末するのは、並大抵の事じゃない。実際運ぶのはニールではないが、それでもこの死体を海やら工場に捨てるのは面倒くさい。

「あんたなぁ、片付ける身にもなってくれ」
「部屋を変えりゃあいい話だろ。それより殺せたのか」
「人の話も聞けよ」

あくび混じりにベッドから降り、全裸のまま室内を歩いて幾つかあるシャワールームのうちの一つへと歩く。
この男の身体はまるで彫刻だ。綺麗だとかそういうものではなく、身体やら声やら、その全てが存在を突きつけてくるのだ。それはどうしようもないほどの圧倒的な。

「おい、答えろ」

シャワールームのドアに手をかけながら、殺ったのかともう一度聞かれ、何を今更と笑って返した。
「…頭に3発、胸に2発」
「全弾撃てといったよな俺は」
「…1発はしくじった」
言いたくなかったが、言わないよりはマシだ。どうせこの男は笑うだけだ。所詮お前はその程度の腕だと。
目を見据えているのも気分が悪くて、目線を逸らせば、ソファの脇にも長い髪の女の死体があった。見つけてぎょっとする。女の手には拳銃が握られていたからだ。撃ち抜かれた胸の谷間、血が酷く飛び散っていた。目を見開いて死んでいる姿に、先ほど殺したばかりの男の顔が浮かんだ。あの男もこんな風に血まみれになって脳も内臓も飛散させて死んだ。スコープ内からそれを見ている。

じわじわと真綿で首を絞めるような殺され方よりも、
生きているのか死んでいるのか判らないような地獄の中よりも、
その一瞬の死はどれだけ優しい事だろうか。
そう、瓦礫に押しつぶされたきょうだいや家族のように。


「…次の仕事は」
シャワールームにサーシェスが消える前に問いかければ、赤い髪を揺らして振り返った。凍りつくような目だ。
「ねぇな」
たった一言だけ告げて、目の前の扉が閉まる。直後に響いたのは水音。

しばらくそうしてドアを見つめてみたものの、頭に浮かぶ言葉はない。ただ、こうしてヒトゴロシを始めてからは、ずっと絶望感と虚無感ばかりが胸を締め上げている。
仕事の後はいつもそうだ。
いつもいつもそうして、苦しめてくる。

これでいいんだ。
こうなることを望んでいた。
あの男が教える銃は正確で、あの男が殺せと命じる人間は、裏社会での鼻ツマミもだらけ。
言われるとおりに殺していけば、きっとたどり着く組織がある。…そう信じている。


気持ち悪くなるほどの麻薬の香りが残る室内で、あの男に溺れたまま命を落とした人間の死体がある。内股からぼたぼたと零れ落ちる精液、散々抱かれた後に死んだのだと思えば、マシな死に方だったんだろう。
それが気に食わなくて、ベッドの上に横たわった死体をシーツごと落とした。
ごとりと落ちた死体、死んだ身体は酷く重い。シーツに包むようにして床へ落とし、代わりに自分がベッドの上に乗りあがる。
このベッドでどれだけセックスをして死んだのだろうか。
考えて、腰の深くが疼いた。
あの男に抱かれた事はないけれど、そのセックスを見た事はあるから知っている。
強い力、喘ぐオンナの声。悲鳴。絶叫。
あんな事をされるのはゴメンだ。俺は男だ、やるなら尻の穴しかない。不潔で不道徳で不謹慎だ。絶対にいやだ。
人殺しをしているくせに、今更だと思うけれど。

つい今しがたまでサーシェスが居た場所のクッションを取り上げる。
長い赤髪が落ちていた。あぁ、これを枕にしていたのか。
「…んっ…」
それを胸元に抱き締め、クッションを鼻先に押し付けた。あの男のにおいがした。

するすると手が動いた。
片手で腰ベルトを兼ねたホルスターを外し、服を緩めて躊躇う事なく股間に手を伸ばす。
けれど、指先は硬い質感に阻まれて、勃起しかかったそれに届く事はない。
「…っ…う…」
硬い革越し。触れたくても触れられない。
カリカリ、と指先が表面をひっかくけれど、直に伝わらない刺激がもどかしい。眉間に皺が寄る。
それでも、中途半端に高ぶってしまった気持ちが収まらない。
悔しくて、無駄だと知りつつ革に指を這わす。
「んんんんッ…!」
クッションを握りしめた。ぎゅっと抱き締めて声を押し殺す。革を押し込むように無理矢理股間に届く刺激を与えようとしても、快感は殆どない。

悔しい。もどかしい。イきたいのに、あぁどうして…!

無駄な事かと諦めを感じたその瞬間、ふいに尻の孔から微弱な振動が発せられて、目を見開いて背中を仰け反らせす。
「…っ!!」
なんで、いきなり。
尻の中でずっと沈黙していたはずの、小さな振動物が、突然動きだして、身悶える。
刺激されれば、いやでも股間に熱は燻る。けれど、硬い革が邪魔をして勃起もままならない。
「…ひっ、ぃ、あ…!」
ヴヴヴヴヴヴ、と低いモーター音は少しずつ大きな音になってゆく。威力が増しているのだ。
動かされている。あの男がリモコンを握っているというのか。
恨めしく見つめたシャワールームのドアは閉ざされている。水音しか聞こえない。

あぁ、なんで。

「も、…ぉっ…!」
指を伸ばして根元を締め上げる革を引っかいた。
カリ、カリ、と指は革を引っかくけれど、それが取れるわけでも緩むわけでもない。めいいっぱいに締め上げられているのは、自分が勃起しているからだ。しかしそれさえも革に邪魔されて思うようにいかない。
勃ち上がらない苦しみと、埋め込まれたローターが突然動き出して与える快楽。イけないもどかしさ。
「…っいっ…、ぉ、」
カリ、カリ。革の上を指が滑る。
汗なのか精液なのか、判らないものが流れて革が濡れた。
精液ではないはずだ、イっているのではないのだから。

あの男に犯された事はない。
それは誇るべきことだと思う。
この腐りきった世界で、それでも守っているものがある。
犯されてはいない。そう、あの男そのものを受け止めたことはないんだ、どれだけ言ったって、抱く事はない。
鼻で笑われておしまいだ。
抱いてみせろよと伝えたところで、あの男はいつも、いつも。

だって、こんなに利用されているのに、
この身体はこんなにもサーシェスを求めているのに、
それでもあの男からは何も与えられない。
代わりに与えられたのは、こんな人工物だけだ。

「…っ、い、たぁ、…ッ…」

快楽が激痛に代わり始めている。
もどかしい。苦しい。
痛い。痛い…!
ねえ、もうイきたいのに。

「…はや、…く、ぅ、…」

…あの男が与えるのを、今も、まだ、待っている。