知っていたよ。本当は。 ニールディランディ。 …アンタの事を、誰よりも。 血の海のような部屋の中、形もまともにのこらない死体を見つめ、立ち尽くす。 返り血を浴びた自分は、真っ赤に染まっていたと思う。 両手からぽたぽたと流れ落ちる他人の血は生温かく粘着質。 振り返ると小さな子供がドアの前で立ちつくしていた。 青い眼を可能な限りに見開いて、真っ赤な部屋を見つめている。 ニールディランディ。 つぶさに見ていた、まだ幼い大きな目。 そらされることもなく、この血塗られた身体を見つめていた。 氷ついたように固まったニールの傍へ、足を踏み出す。 近づいて、子供の真正面で膝をついた。血の海にぽしゃりと膝が落ちる。 『おれを、ころす…の?』 小さな口がわなないた。涙も流す事も出来ない子供が、白い肌が、まっすぐに見つめていた。 白い白いニール。 黒いスーツに身を包んだ、赤黒く汚れた自分。 殺すの? ニールも殺すの? …いいや、違うよ。お前は生きていなければいけない。 殺しはしない。ただ、忘れるだけだ。 スーツの上着の中に入れたスタビライザーを取り出した。時間をセットする。 ニールが生きてきた、今までの生ある時間、全ての忘却。 『…とおさんやかあさんのこと、わすれる…の?』 問われて、そうだ、とも、ちがう、とも答えるのをやめた。 返事が返ってこない事を、イエスだととったのだろうニールは、ゆっくりと目線血の海へとうつし、飛び散った家族の肉片を見つめた。 あれはとおさんとかあさんだ。あのちいさな身体はエイミーだろうか。ちがうと思いたい。…あれは違うと。 『…とおさ…!』 本能的に踏み出そうとするニールの腕を取って、身体を割り込ませ止めた。 『かあさん!エイミー!』 ニール。おまえを、あそこには行かせない。 もう見せない。 だから、これを見るんだ、ニールディランディ。 取り乱す少年の目の前に、スタビライザーを掲げた。 この光は未来への希望のひかりだ。全てを忘れて新しい人生を。 『いやだ…!』 わすれたくない。 ニールディランディはそう言って、泣く。 目を閉じ、首を激しく振る。 わすれたくない。わすれたくない。とおさんかあさんエイミー、忘れたくないよ。一緒にいたいよ。 泣き叫ぶ子供の声。忘れたくないと告げるその声の儚さ。 嗚咽が響く。血のにおいの立ち込める室内に、子供のなきごえ。 なぜ、忘れたくないと泣く? 忘れてしまえば何も残らない。思い出も家族も消え飛ぶが、苦痛や苦悩も消える。 それでも覚えていたいと泣き叫ぶのか。 こんな惨劇を、こんな恐怖を、忘れたくないと。 あぁ、お前はなんて強い。 スタビライザーにセットされたメモリを、カチカチとまわして数値を変える。 記憶の消去を15分前にセットし、黒いサングラスをかけた。 『ニールディランディ』 名を呼び、顔を向かせ、その目の前に赤いライトの光源を映す。 青緑の大きな瞳に、赤いライトがうつりこんだ。溢れて止まらぬ涙と青い瞳に、色が混じって紫になる。 『わすれたく、ない、よ…』 泣く声。あぁ、お前は失くさない。 忘れるわけでもない。 ただ、俺という存在だけを忘れたらいい。 お前は、血に染まったこの部屋を覚え続けるんだ。 惨劇の光景は、お前にとって悪夢となり、絶望となり、思い出となり、過去の記憶となるだろう。 そこから何を見つけ出すのか。それはニールディランディ、お前次第だ。 そうして何を恨むことになろうと、何を求めようと、それがお前の生き様だというのなら。 涙の伝う顎を、くい、と持ち上げ泣き面に光をかざす。 抵抗も出来ないほど、放心状態で目を潤ませるニールの前に立ち、スタビライザーの作動スイッチを押した。 『あ、…あぁああ…』 閃光が青い青い瞳にうつりこむ。 途端、ニールは表情を止め、ゆらりと動いた身体が床へと傾いた。 血の海にニールは倒れ込み、家族と同じように血にまみれて気を失い果てた。…命はある。 温かい血の海は、流れ出した家族の命だ。そこに溶け込むニールの涙と身体。 刹那は、ゆっくりと立ち上がり、サングラスを外した。 ニールの表情に苦痛はない。けれど、再び目醒めた時に、また絶望を味わうのだろう。 幼い少年の、大切な家族。 お前は、何もかも失ってしまったけれど、それでも、まだ生きていけるというのなら。 …さぁニールディランディ。 お前は立ち上がらなくてはいけない。 *** 「誰が突入していいと言った」 使用許可が下りた対エイリアン用のライフルで、凝りに凝った肩をトントンと叩きながら、目の前のきかん坊を見つめれば、刹那は懲りない顔つきで、ロックオンを見上げた。何が悪いんだと言わんばかりだ。 しかし、その刹那の顔にはエイリアンの返り血がべっしゃりと付いていて、どうにも見た目が悪い。 エイリアンといえど、命のある生き物だ。 体液は、エイリアンによって違うために、緑であったり透明であったりする場合があるが、今回のエイリアンの体液は人間と同じ赤だった。見た目は巨大なヘビのようなものだったが、刹那の身体はそのエイリアンの血しぶきを浴び、真っ赤に染まっている。 それもこれも、刹那が単独でエイリアンの懐に飛び込んだ所為だ。…援護射撃も威嚇さえも待たなかった。 「全身びしょぬれじゃねえか」 スーツが黒色のために、さほど血の赤は目立たないが、頭から浴びているために、髪も服も水を被ったように濡れている。 服が黒くなければ、全身が紅く染まっているのが良く判っただろう。今とて、白いシャツと、褐色の肌だけが赤い。 刹那の手に構えられた刀剣状の武器から、服が吸いきれなかった血がぼたぼたと落ちている。 ロックオンは眉をひそめた。 刹那の血ではないと判っていても、気分が悪い。 …大量の血を見るのは苦手だ。昔を思い出す。 「また俺の命令を無視しやがって」 「ああすれば早く済んだ」 「自分が食われるかもしれないってのは思わなかったのか!」 これ以上どう言えば判るんだ!と、ロックオンが天を仰いだところで、刹那が踵を返した。 話は終わったといわんばかりに、この場から離れようとするから、ロックオンは後をついて歩くしかなくなる。 「まて刹那!」 どんな態度をされようが、何があろうが、ロックオンストラトスのパートナーは、この刹那Fセイエイだ。 「なぁおい。俺はいつになったら、お前に信用されるんだろうなァ」 後ろを歩きながら、ロックオンは刹那の背中を見つめた。まだ幼さの残る少年の背中だ。…返り血は、背中にまで飛び散っているが。 CBの制服が黒なのは、こういった血やら汚れから身を隠すためにあるものじゃないのかと思う時がある。 血が飛ぼうが、土の上を転がされようが、黒いスーツには汚れはない。 本部に帰れば新品の同じスーツが用意されている。それに着替えればいいだけだ。 そう、どれだけ赤い血が飛ぼうが、着替えてしまえば同じだ。 「ったく…冗談じゃねぇぞ…」 口の中でぼやくようにつぶやいて、ロックオンは運転席のドアを開けた。 助手席にはすでに刹那が何食わぬ顔で乗り込んでいた。 『彼が刹那Fセイエイ。貴方のパートナーよ』 CBの本部で、スメラギ李ノリエガから紹介を受けて出会ったのは、まだ、ほんの数日前だ。 刹那Fセイエイ。 難しいコードネームだなと思いつつも、その見た目に驚いた。刹那はまだ少年だったからだ。 『刹那は、CBの優秀なエージェントよ。彼は近接戦闘が得意なの。そのスタイルに合う、援護ができるパートナーを探していた。貴方なら合うと思うわ』 だからこそ、貴方の銃の腕前が欲しいのと得意げに微笑むスメラギ李ノリエガに、ロックオンは、ふぅん、と鼻を鳴らした。そういうわけか。 宇宙から地球を守る、という、聞いただけならば間抜けな仕事を本気でやらないかと誘われ、過去を捨てて一生の仕事としでもいいと覚悟出来たらきて、と告げられて、今ここにいる。 あの時は、何を馬鹿な事を言っているんだと思ったものの、あながちそれが嘘でもない事は、彼女から助言されたとおりに街を見渡せば、ありとあらゆるところでエイリアンらしきものを見たからだ。 隅々に、意味不明なスライム上の生物や、喋る虫、幽霊のようなエイリアンで溢れていると知った。 …一晩、どうするべきか自分なりに考えたつもりだ。 考えた割には、その一晩の内容をよく覚えていないのが情けない。公園のベンチで座りこんだまま、気付いたら朝になっていた。考えすぎていたのかもしれない。 一晩悩んで覚悟を決め、その住所にやってきた途端、適正検査だというわけの判らぬテストを受けられた後には、黒いスーツを渡された。 そして今目の前に、子供が居る。 刹那Fセイエイ。パートナーだという子供が。 『よろしく、刹那』 年は関係ねぇよな。 ロックオンは即座に頭の中に浮かべた、子供じみた対応ををやめた。 刹那という少年は、強く、しなやかな瞳で見つめていたからだ。 刹那Fセイエイ。 貴方のパートナーよと言われてたその時、よろしく、と差し出された手は無愛想なまま握られた。 いかにも憮然とした表情だが、習慣の違いだろうかとロックオンは気にも留めていなかったのだが、まさかここまで無愛想だとは。 これは習慣の違いでも年の違いでもない。…ただの性格だ。 黒髪のアジア系の顔つきの少年。背は小さくロックオンの首ほどしかない。おそらく成長期に入れば一気に伸びるだろうとは思うが、刹那はどう見ても「少年」そのものだ。 その気になれば、拳銃も撃ち、車の運転もする。火薬の扱いとて手馴れたものだ。 まだ15,16だと思うのに、随分と知恵と知識がある。 無口、無愛想、心を開かない。 それは刹那と数日、ミッションをこなしただけでも容易にわかったことだった。 「…あー。本部。こちらコードネーム・ロックオンストラトス。任務に成功した。今から戻る」 了解です、とインターカムの向こうからは、オペレーターの明るい声が届く。 それと真逆の気持ちで、ロックオンは通信を切った。 さて。この重い空気をどうしてくれよう。 ついでに刹那が浴びた血の所為で、車の中が血生臭くてたまらない。車のクリーニングは誰がするんだろうか。 車内に乗り込んでも会話はなく、刹那は唇も動かそうとしない。 ギアを入れてエンジンをふかしながら、ロックオンはちらりと助手席の刹那を見つめた。 あいかわらず、だ。 「刹那、お前はどうしてこの仕事してんだ」 問うても返事など帰ってこないだろう…、と思っていた。ロックオンなりに刹那の性格は判ってきたつもりだ。こういう時に質問をしても答えなんて返って来ないだろうと判ってはいたが、それでもこの重苦しい雰囲気をなんとかしたい。 独り言のつもりで呟いたロックオンの問いに、意外にも答えはすぐに返って来た。 「争いをなくしたいからだ」 「…争い?」 それは、随分漠然とした話だ。異星人の侵略のことを言っているのか。 「…そりゃあ、そうだな。なくなればいいけどな」 刹那の答えにロックオンは苦く笑った。 争いをなくす。この世界から、争いと名のつくもの全てがなくなったら、どれだけいいか。 そうすれば、ロックオンのように家族を失う事もない。 刹那の理想は、確かにそうなればいいとは思うが、到底無理な話だ。 人間同士でも争いは絶えないというのに、どうしたら文化も何もかもが違うエイリアンと判りあえるというのだろうか。 無理…だよな。 それこそ、子供の淡い理想だ。 けれど、ただまっすぐに前だけを見つめる、血に染まった少年は、とても美しく見えた。 それは、ロックオンが刹那に惹かれはじめた、最初の姿だったのかもしれない。 |