「ティエリア」
CBセンターの最奥。
一際大きな椅子と大きなモニタの前で、ティエリアと呼ばれた青年は足を組んで座っていた。
名を呼ばれて、椅子を半回転して振り返る。
このCBの組織員は皆同じ服を着ている。このディエリア・アーデとて同類だ。黒いスーツは細身で、彼の精悍な顔つきを際ださせている。
切りそろえられた髪と、切れ長の瞳、すらりとシャープな身体つき。
声をかけた青年、アレルヤ・ハプティズムも、このティエリアの姿を毎日と見つめているが、今日はまた格別に美人だなと、彼の姿に感嘆した。

「なんだ」
「ロックオンが戻ったよ。今刹那が記憶を戻しているみたいだ」
「そうか。あの男はまったく手間をかけてくれるな」
「…そう言わないでよ、ティエリア」

ティエリアの辛辣な物言いに、アレルヤが肩を竦めた。
ティエリアがシャープで優美な美人だというのなら、アレルヤの身体つきはまさに男のそれだ。
背は190近い長身に、広い肩幅の筋肉。黒髪の前髪を垂らし、肩口の髪は跳ね上がっている。一見して怖い印象を与えるアレルヤの笑顔があまりにも子供じみていた。ゆえに微笑んだ彼から受ける印象は「やわらかい」「優しい」だ。
彼のスマイルはCBでも評判があり、彼のファンも多い。
もっとも、このCBの長であり、誰にも負けない程の美しい顔を持つティエリアアーデは、彼のアルカイックスマイルにも眉一つ動かさなかった。
「帰ってきたというのなら、ロックオンの服を用意しろ」
「…してあるよ、もう。ロッカーにしまってある。彼がいつでも戻れるようにしていたつもりだ。銃だって与える許可は下りてる」
ティエリアの前に書類を数枚差し出した。それはすべてロックオンがこのCBに居られるように用意されたものばかりで、その行動の早さにティエリアは肩を竦めた。
「まだ彼がここにいると決まったわけじゃない」
逃げ出す事だって考えられる。
彼は以前の記憶を全て失っているんだ、もう一度状況を説明して記憶を復元させて、そして彼が戻ってくるとも限らない。
しかも彼はミッションで記憶も失い、身体だって損傷を負った。それを思い出してまで帰ってくるなどと、断言できるはずもない。
服を用意させろとは言ったが、ティエリアは半信半疑だった。戻らないというのならば、もう一度完全に記憶を消して、どこかの町に戻すだけだ。ロックオン・ストラトス。彼の能力は買っているが、ミッションが出来ないというのならば仕方が無い。
眉を顰めるティエリアに、アレルヤはそんな事はないよと笑った。
「だって、刹那が居るからね」


***


「コーヒー持ってきたっす!って…うわぁ!!」
突然、前触れもなく開いたドアの先、笑顔でコーヒーを抱えてきたリヒティが見たのは衝撃的なシーンだった。
「ちょ!?うわっ!?」
ベッドの上、ぐったりと眠った刹那の上で、ロックオンが上半身を起こしている。どうみても事後だ。
驚いた弾みでリヒティの抱えたコーヒーが零れて、黒いスーツの上にべしゃりと零れた。スーツが黒で助かった。酷い汚れにはならないで済む。
零れたコーヒーは半分になったが、なんとか死守することには成功した。
「さ、さっそくっすか!」
「俺が誘ったみたいな言い方するな」
シーツで腰から下を隠しただけのロックオンが笑う。別に事後を見られたからといってビビるような性格でもない。女とのセックスを他人に見られたことだってある。
事後だというのに、リヒティこそ、この場から離れる気はないようだ。椅子を引き寄せて、背もたれに顎を乗せるようにして、だらりと座った。2つ持っていたコーヒーの1つをロックオンに渡して、もう1つは自分が啜る。
「記憶復元っすか」
「思い出してないけどな」
「刹那の事も?」
「そりゃそうだろ」
リヒティが入れたコーヒーを啜る。自分の好きな味だった。驚いた。
やはりこの青年は自分の事を知っている。
どうみても、そこらへんの町に居る普通の青年だ。真っ黒なスーツに黒いネクタイ、それが彼をビジネスマンのように際だ出せてはいるが、発言や行動はまるでハイスクールの子供のようだった。
その彼の表情が、ふいに、ふっと歪んだ。

「…記憶復元に、刹那は自分の身体使ったぐらいっすから。…刹那必死だなぁ」
「なんだよそりゃ」
必死って。
また笑ってやった。
このロクに喋りもしない刹那が必死?…どこがだ。
ただセックスをしたかっただけなんじゃないのか。記憶復元だと言ったが、それで思い出したこともないし、やったこととて普通のセックスと同じだ。

「必死っすよ。ロックオンが行方不明になったあと、刹那がどれだけ探したか」
ずずず、と大口でコーヒーを飲み干して、マグカップの中を空にする。
「探した?俺を?」
「そうっすよ」
CBとして仕事が出来ない人間を、ずっと組織の中においておくことは出来ない。記憶を消され、町へと下ろされた。過去の記憶は偽造され、多少の歪みは事故の後遺症だと納得させた。
リヒティの言葉をロックオンは、ただ聞いていた。
寂しそうに細められたリヒティの目が、嘘をついているようには見えなかった。
「ロックオンが何処へ行ったのか、誰も判らなかった。刹那は探して探してやっと見つけたんすよ、嬉しいに決まってます」
「どうだかな…」
「刹那の無表情は今に始まったことじゃないから」

すやすやと眠りについたままの刹那の表情をちらりと見て、寝顔を見たの初めてっす、とリヒティが笑う。
警戒心の塊のような刹那の寝顔は貴重だと。

「刹那は、ロックオンが行方不明になったミッションをずっと気にしてたっすからねぇ…」
「俺が行方不明になったミッション?」
能天気なほどに間延びした声で話す言葉を反芻した。

「何があった?」
「いや…それは俺からはちょっと…はは…」
しまった言い過ぎたと、あからさまに顔に出ている。さっさとマグカップを取って席を立とうとするから止めた。
「おい!リヒティ!」
「じゃ、また!」

逃げるように去っていったリヒティが消えたドアに手を伸ばす。けれど、音もなく閉まった曲線的なドアに、ロックオンは一体なんなんだと伸ばした手の行き先を失っていた。