あぁ、気持ち悪い。
頭の中の蜘蛛の巣はひどくなる一方で少しも晴れない。
それどころか蜘蛛の糸に引っかかって身動きすら取れてないんじゃないかと思うぐらいに身体までだるくなってくる始末。
それでも、そのしなやかな糸に居心地の良さを見つけ始めている。このままじゃやってくる蜘蛛に食われてしまう。歩みよってくる蜘蛛の音、だからほら、逃げなくちゃいけないのに、この糸が絡まって、ぐちゃぐちゃになって、あぁ!
判っているのに、この蜘蛛糸のベッドで寝てもいいかなんて思い始めてしまった。
絡め取られる思考の渦、身体も全部、この蜘蛛に捧げてもいいかもしれない。
蜘蛛は腹をすかせている。
落ちてくるのを待っている。
戻って来いと、手を広げてる。
だったらもうちょっと愛想ある顔してりゃいいのに。
怖い顔したって、無表情作ったって、獲物は降りてこない。
どうせ食われるんなら、なぁ。
お前の素顔が見たいよ、刹那。



「本当は俺はとっくの昔に食われてるのかな…」

この刹那Fセイエイという男に。
「なぁ、刹那さんよ?」
挿入している孔は熱くてたまらない。全てを持って行かれるそうになりながらも、自分の快楽を見出してはヒリヒリした神経で途切れそうになる意識を繋ぎ止めている。
この、刹那という少年のような男と、セックスをすればするほど感じるのは、頭の中でぐちゃぐちゃに絡む蜘蛛の糸だ。
激しい快感を感じているのに、この奇妙なデジャヴュのような感覚はなんなんだと考える。答えは出てこない。
記憶にない昔の映像が次々に写真のように流れて消え去っていくばかりだ。
ただ、セックスに浸りたいだけでも、どうしても頭から離れない。
刹那Fセイエイ。
きっとこの男の事を良く知っている。
だって、ほら。
「こんなにも俺はお前を知ってる…」
腰を動かす。尻孔の内側、先端のヘリでずりりと擦っていくと、刹那の身体が魚のように跳ねる場所がある。そこは性感帯だ。
けれど、さらに奥へ進めたところに前立腺がある。
ここをいじられると泣くように首を振って声を乱す。
知っている。
知っているんだ、抱いていたから。

はっはっ、と短い息を吐き出しながら真下で身体を揺らしている刹那を見下ろせば、汗に濡れた目がうっすらと開いた。赤茶色の目と合う。
あぁ、気持ちいいって顔しやがって。

無表情だと思っていたこの刹那という少年の表情に実は色々な感情が乗っていると気付いたのはついこの間だ。
まぎらわしい。もっとはっきりと表情に出せば間違う事はないのに、微妙な変化をつけてくるから、何を考えているのか判らなくなる。

CBという組織に入る事になって、いくつかこなしたミッションでも、無愛想な顔して相手から情報を聞き出そうとするから、相手は怖がってしまって口を閉ざしてしまうからたまらない。
なんでこんなに対外交流が出来ないんだ。違うだろ、もっと愛想を持って、だな!
怒ってみたものの、脅してでも情報を手に入れさえすれば、すぐにスタビライザーを使ってしまうからいいんだと突っぱねられて終了。
記憶を消しゃいいってもんじゃない。
そんな、その場限りの事ばっかりしてるから、大切なものを失うんだ、こいつは。

…と、ふと思い至る。
”そんな、その場限りの事ばっかりしてるから、大切なものを失うんだ、こいつは?”
…なんで俺はそんな事を言うんだろう?
大切なものを失う?
知るかそんなの。まだこのガキと出合って数日だというのに、知っているわけがない。
いや、でも聞いてる。こいつの声を確かに聞いている。
いつだって強がっていた背中、時折空を見上げる目の刹那さ。
そうだ、覚えている。
あぁ、また過去の記憶が入ってくる。
流れ込んでくる記憶に流されまいと、ロックオンはぎゅっと目を閉じた。


「ロックオン?」
掛けられた声に、はっと顔を上げれば、サングラスとスタビライザーを胸ポケットに収める刹那の姿があった。それを呆然と見つめている内に刹那の眉間に皺が寄ってゆく。
「…何をやっている」
「ん?」
「表情が固まっている」
「そりゃお前に一番言われたくない言葉だな…いや、頭が痛かっただけだ」
実際本当に呆然とするほど頭が痛かったわけではない。スタビライザーを使った赤い閃光が眼の端に焼きついているが、記憶を失ったわけではないのは、判っている。記憶を失ったとしたのなら、しばらくは自失状態になるからだ。
とう今し方も、ミッションに関わってしまった女性の記憶を消している。直前まで、貴方と別れるのは嫌なのとロックオンに泣きついて叫んでいたが、今はもう何も覚えていないだろう。そういう風にしたからだ。
この刹那Fセイエイの手によって。
ふと振り返れば、女性が床に座り込んでいる姿が見えた。まだ意識は戻っていないらしい。
そのまま部屋を後にしてドアを閉めた。非常階段から降りて階下を目指す。
北風が吹いていた。ひどく寒い。
本当に頭が痛くなりそうだ。
「頭痛ぐらい、気合で直せ」
寒いだろうに肩も竦めない刹那が階段を下りてゆく。それに続いた。ふるりと身体が震える。
頭が痛かったら気合って、そんなの。
「無理だろ。薬を飲めとか言えないのか、お前は」
「薬を常用すれば聞かなくなる」
「お前ねぇ…」
なんて愛想がない。
階段をカンカンと音を立てて下ってゆく。その背中はまだ小さい。青年と少年の間に居る不思議な男だ。
こんな子供が恋人だっていうから信じられない。ロックオンは肩を竦めた。
CBに入って無難にミッションをこなしてもう数年。刹那が14になったころから付き合っているが、一向に表情の多さは変わらないし、態度とてそっけない。
それでもセックスをすれば愛されているとわかるし、この少年の強さにも脆さにも惚れているからどうしようもないのだが。

階段を下りきったと同時、黒い装甲車が目の前に到着した。なんてグッドタイミングなのだろう。
この特殊車輌はCBの事後処理班の専用車だ。

つい今、また1つの事件が終了した。
つまり、地球の危機は防がれ、人類は救われたことになる。
大げさに言っているが、間違いではない。
地球は常に異星人の侵略の危機にさらされていて、1つ間違えば簡単に地球ごとブラックホールに飲み込まれるか、異星人の宇宙船からのビームで消滅させられているかのどちらかだ。
それを防ぐのがCBの役目だ。
エイリアンの存在など信じる事もない人類を守る、「世間と常識」からかけ離れた存在、ソレスタルビーイング。
少数精鋭のエージェントが、己の過去を捨て、ただ地球を守るためだけに戦う。
地球人の多くは、異星人の存在をフィクションのものとして扱って、危機感はまるでない。本当はこんなに身近に様々なエイリアンが巣食っているというのに、知らないというのは幸せな事だ。

「ま、その地球の平和を守るために俺たちがいるんだ。…頭痛一つでミッション完遂できずに地球滅亡じゃ、ちょっとやりきれないよな。…ああ、ご苦労。中に若い女性が居る。記憶の置換と証拠隠滅頼むな。記憶はとびきりいいやつを与えてやってくれ」
「了解」

呟くように刹那に告げられた言葉の後ろ半分は、やってきたCB事後処理班メンバーにかけられた言葉だ。証拠隠滅を仕事としている彼らプロフェッショナルに任せておけば、このぐちゃぐちゃな建物内も上手くカタをつけてくれるだろう。何せ異星人の内臓やら遺体やらが散らばっている酷い有様だ。
記憶置換によって作られるのは、おそらく、『ガス爆発に巻き込まれた女性保護』だとかそんな適当な話だろう。


「あー…久しぶりのオンナの肌だったのになあ…」

もったいない、と天を仰ぎながら、ストレッチのつもりで腕を伸ばす。
ロックオンはひとごとのように呟いた。刹那はそれを背中で聞く。
今回のロックオンのミッションは、潜入捜査だった。
情報収集のために、恋人役を演じた。
相手はすざまじい美人で国を代表するようなモデル。そのガードの固い彼女から欲しかった情報。見事にやってのけたロックオンは大したものだが、その間本当の刹那といえば、別事件で本部待機を命じられただけ。
決着がつきそうだと言われてやってきた刹那が見たのは、ミッションとはいえ、恋人役を見事に演じたロックオンの姿だった。

「刹那ァ、どうだ、美人だったろ、俺の相手」
「あぁ」
「妬いたか」
「いや」
「あっそ…」
アスファルトの道をさっさと足を進めて歩く刹那の後ろをついて歩く。
まったくそっけないもんだ。この潜入捜査の所為で、2週間も会えなかったというのに、いざ事件解決となって会ってみればなんてそっけない。美人モデルと共に過ごした日をこいつは何も思ってないのか。恋人役をやってたんだぞ。そりゃあもう、お前が想像してる以上のあんな事やこんな事だってした。それを判っているのかこいつは。
俺の本当の恋人はお前だろう!俺たちはホントにそれで恋人兼パートナーなのか!やきもちの1つや2つ妬いたっていいだろうに!
刹那の背中に散々文句をぶちまける。声には出さない。それでは余りにも子供っぽすぎると判っているからだ。
なんて滑稽なんだ。歳が10近くも離れた子供を好きになった地点でどうしてくれようかと思っていたのに、実際付き合ってみれば自分の方がはるかに幼稚に見えて仕方ない。…そんなつもりはなかったのに。
(…冷静沈着で冷酷、どんなミッションも怯まないトップエージェント、ね…)
刹那に付けられた賛美の肩書きを思い出す。選び抜かれた人間だけがなれるエージェントのさらにトップを行く刹那。それはロックオンとて同じ事だ。その刹那のパートナーはロックオンストラトスなのだから。
けれど、それとこれは別だ。
恋人ならヤキモチぐらい妬け。
ロックオンが心配だったと声に出して言え。

前をすたすたと歩く刹那の後姿を見ていた。
跳ねた髪がふよふよ揺れている。
歩く速度がいつもより少し早い。肩が揺れている。
それは普段と少しも変わらない刹那の姿に見えたけれど。
…あぁ、なんだ、
やっぱり。

「…妬いてんじゃねぇか、刹那」

後ろから抱き締めて、刹那の歩みを止めた。
小さな身体はひくりと動いた。動揺している。この程度で。
「…違う」
「違わないって」
お前は喋るよりも身体全体の方がずっと素直だ。
歩く速度、口調、雰囲気。
そんなものが如実に語っている。
心配と嫉妬を。

「寂しかっただろ」
腰を屈めて息を吹き込むように耳元で呟く。ぞくりと肌が震えたのを感じた。刹那からの答えはない。
「…あと5時間で俺たち今日の任務時間は終わりなんだぜ、刹那」
告げて耳朶を甘噛みして官能を引き出してやれば、観念したとばかりに大きくゆっくりと息を吐いて肩を落とした刹那が振り返った。
半開きになった唇が、ロックオンの唇に絡みつく。まるで我慢出来なかったんだとばかりに口付けてくる刹那の腰を抱き寄せた。腰がゆるりと動く。どうやら本当に我慢が出来なかったようだ。
絡み合ったのは、深いキスだった。

「今日は…大胆だな」

言ったロックオンの唇を塞ぐように、さらに吐息を絡めてみせる。
路地裏とはいえ、人が通る可能性もある場所で、黒スーツの男が2人、抱き合ってキスをしている。
こんなものを見られたら。
常識的な考えが浮かぶ。けれど、それさえ見越して、キスを僅かに離した唇で、刹那は囁くように告げた。

「スタビライザーを使うから、いい」

それ、俺には使わないでくれよ。
そう告げようとして、記憶の中の意識はぷっつりと途切れた。



記憶の波が、ざわっと脳を刺激して通り過ぎてゆく。
波の余韻を残して消えかけた記憶がつなぎとめられたのは、真下で喘ぐ刹那の表情を見たからだ。
唇をぎゅっと噛み締めてみせて、表情に感情を載せまいと強がっている。
そんな脆いことしか出来ないのなら、最初から泣いてしまえばいいのに。…なんでお前はそれが出来ないんだろう。
あぁ、あの頃と少しも変わっていないんだ、お前は。
やっぱり、今だって、そんな顔して。

「…だから、お前は素直に泣けばいいんだって、俺は言っただろ…?」

紅潮した刹那の頬を取り、染まった唇を指で辿る。
目を見開いた刹那に口端と瞳で笑ってみせて、あの時刹那がしてきたキスのように、深く深く唇を合わせた。