「ティエリア」
カツカツと足音を立てて、セントラルフロアをまっすぐに向かってくるロックオンをアレルヤが見つけた。
エージェント・ロックオンストラトス。

名を言えばCBならば誰でも知っている男だ。
敏腕で射撃に秀で、数々の地球の危機を救っている。
刹那Fセイエイとコンビを組み、その手腕はCBにも全宇宙にも知れ渡って、違法入国のエイリアンはその名を聞けば逃げ出すものも多い。
事故でエージェントを引退、記憶を消され何処かの都市に飛ばされた。
…それが、エージェント・ロックオンストラトスの皆の見解である。

その彼が帰ってきた。
CBのセントラルセンターは活気付いていた。
黒スーツに身を包み、ロックオンが中央通路を歩けば、異星人もCB員もその姿を見付けた途端、驚きと羨望の目で追う。

「ティエリア、ロックオンが来たよ」
「来たか」
ガラス張りの白い部屋の中央の席で、ティエリアは椅子を半回転させた。ロックオンが眼前に迫っている。その足取りが乱暴で、彼の機嫌の悪さが近づくことに判るからこそ、ティエリアは眉間に皺を寄せ、組んだ腕を解かなかった。
デスクを挟んで反対側にロックオンがたどり着くと、その手から腕時計を外し、ティエリアのデスクにバン、と置く。

「お前が望んでいた情報だ」
「これが?」
「この時計に仕掛けてある。あとは情報どおりに行けばいい。アンタが俺の記憶を戻せと刹那に命じてまで欲しかった情報なんだろ」
「ああそうだ。そうか、記憶は戻ったのか」
「おかげさまでな」

ティエリアから目線を逸らさずにロックオンは淡々と告げる。アレルヤが腕時計を取り上げて、解析ルームへとまわした。

「あの情報があればヴェーダの機能が変わる。…これでようやく」

満足したかのように、椅子に深く腰掛けたティエリアをロックオンはじっと見つめた。腕を伸ばし、デスクの両脇について、身体をずいっと前に出す。顔と顔が近づいた。
「なんだ」
ティエリアの問いに、ロックオンは静かに言葉を吐き出した。顔色ひとつかえず。

「刹那を殺した」

眼鏡の奥で、ティエリアの眉と目線が僅かに動く。

「……殺した?」
「あぁ、首を絞めてな。心臓が止まるまで絞め続けた。嘘じゃない。息もしてねぇ。殺したよ俺が」
「………そうか」

話を告げて終え、接近していた顔を戻す。腰掛けたティエリアを見下ろすロックオンの目は酷く冷酷でも、ティエリアの表情は、もう変わらなかった。ただ静かに目を閉じて腕を組み、もったいない事をしたな、と小さく呟いただけ。
「もったいない?」
「そうだ。いのちひとつ失った。…もったいないだろう」
「もの扱いかよ」

相変わらずCBは合理主義者だ。
ロックオンが吐き捨てるように告げた言葉にアレルヤが口を挟もうとし、ティエリアに手で制される。
「でも」
「黙っていろ」
「ティエリア、」
言いすがるアレルヤを目線で制して黙らせるとティエリアはロックオンに向き直った。

「もの扱いだって?」
刹那のいのちが。
「そうだろ?…おれはひとひとり殺してきたんだぜ。これで立派な人殺しだ」
「何を今更。お前は散々今までだって殺してきただろう」
「それは異星人の話だ!俺は地球人は一度だって!」

怒鳴るロックオンの眉間に皺が寄る。酷く苛立っている。
声を荒げるロックオンに対してティエリアは恐ろしいまでに冷静だった。
「ならば、異星人なら殺していいのか」
「…俺がやったのは、ルールを守らない危害を加えるヤツだけだ」
「ほう?ではお前は、それが地球人でも殺せるのか。たとえば刑務所に居るやつらを皆殺しにしろと言ったら殺せると?」
「っ!」
それとこれとは話が別だと言いたかった。凶暴な異星人は見るからにグロテスクだ。そんなやつらを殺すのは、害虫を踏み潰すのと同じだ。害をなすもの、だから殺す。
けれど、それもひとつのいのちだ、間違いはない。それは人間とて異星人とて代わりはないと思う。それを引合に出すなど。
なんともいえない気持ちの悪さが込みあがってきて、唇を噛んだ。
こぶしを握りしめて耐える。
ティエリアの言うとおり、異星人を殺すこととて人殺しというのなら、確かに「大量殺人者」だ。

「…そうだとしても。俺は、刹那を殺したよ。…憎くて憎くてたまらなかった。あいつは俺の家族を殺したのにのうのうと生きてる。許せなかった。謝罪もない。あれじゃあテロリストと同じだ。ゆるせねぇ」
激昂が冷え切り、うってかわった静かな声でロックオンは告げる。ティエリアはただその言葉をまっすぐに聞き、アレルヤは苦々しく俯いた。

「…刹那を殺してどのぐらい経つ?」
「…あ?」
ふいにティエリアが的外れな質問を投げかける。
死んだ時間だと?
「刹那が息をひきとって、時間はどのぐらいだと聞いている」
改めて聞かれて、ロックオンは腕時計を確認しようとし、腕にそれがない事に気付く。そうだあれはつい今ティエリアに。
部屋のデジタル時計を見つめた。時間を逆算する。
「10時間ぐらいだ」
「そうか」
…死後硬直の具合でも調べるつもりなのか。それとも、人殺しだとロックオンを警察にでも連行するつもりなのか。
(…いや、俺が殺されるのかもしれない)
もしくは、もう一度記憶を消すつもりか。
そうだろうなと、ロックオンは自分に頷いた。
そうだ、人を殺した。重罪だ。生きていられるはずもない。
しかも、刹那は過去、大切な仲間だった。CBの大切なパートナー。幾つものミッションをこなした仲間だ。愛したことさえある。記憶を奪われても、ついてこいと言われて付いていくほどに、心が望んでいた。
…あぁ、そうだ、好きだった。
俺は確かにお前を愛していたんだ、刹那Fセイエイ。

思いを悟って、硬く結んでいた握りこぶしを解いたその時、アレルヤがふと、部屋の外を見つめた。ガラス張りの部屋は、CBのセントラルルームを見渡す位置にある。

「きたよティエリア」
指をさす。ロックオンが振り向いた。その目が見開かれると同時、ティエリアの声が響いた。
「経過10時間で復活か。いつもより復活までの経過時間が長い」
「残りのいのちが少なくなってるからだよ。…本当、いのちひとつ無くなった。”もったいない”事したね」

立ち尽くすロックオンの目の前に、黒いスーツの少年が、コツコツと足音を響かせて近づいてくる。見慣れた黒い髪、赤茶色の目、伸びきっていない四肢。幼い顔つきも無表情もそのままに。

「せつ、な…」

何故。
殺したはずだ、憎くて憎くてたまらなく憎くて殺した。
首筋の血管の動きが止まるまで絞め続けた。
死に顔は綺麗だった。ゆっくりと目を閉じて命を失わせた。なのに。
首を絞めた痕さえ残っていない。まるで別人だ。

「復活が遅くなっているね刹那」
「ああ」
「一度、看てもらえ」
「必要ない」
呆然と気力を失うロックオンの目の前で、刹那は以前と同じように話し、生きている。
どうして。
混乱した頭が、刹那を見つめる。

「復活ラグが以前に比べたら1.5倍に伸びてる。…危険だよ」
「残り少ないのか」
「…あぁ」

目の前で交わされる刹那とティエリアたちの会話が、ロックオンの脳にただの雑音のように届く。
復活?ラグ?残り少ない?

混乱した頭は、ひとつの仮説を生み出す。
あぁ、そうだ。こんなデタラメな組織にいるんだ。
非常識にも慣れている。

「おまえ…エイリアンなのか…」

ロックオンの問いかけに、刹那は頷く事もせず、ただ青緑の眼を見上げる。

「まだ殺したりないか」
刹那がようやく口を開いた先にロックオンに告げたのは、あっけない一言だった。

「殺したりない…?」
聞き返す声が震えた。何を言っているんだ、コイツは。
「殺したりないなら、もう一度殺せばいい。お前の好きな方法で。わざわざ首を絞める事もない。時間がかかる。拳銃ならあっという間に終わる。床は汚れるが」
「…撃てってのか」
「ここでやるのはやめろ」
ティエリアの声が、割って入った。
肩を落とすようにため息をつくのはアレルヤで、止める事もしない。

「てめぇ…」
身体中の温度が無くなったようだ。ロックオンは今この状態で立っていられる自分に驚いていた。
なんなんだこれは。
記憶が戻った途端に頭の中に鮮烈に浮かび上がったのは、両親と妹の血の海の中、返り血を浴びて立っている刹那の姿だった。
惨殺された家族、ただの肉と化した身体を見下ろしながら、ただ今のように無表情で立っている。

------憎い。
憎くて憎くて何度殺したって足りない。そうだ、足りるわけない。こいつが奪った命は掛け替えの無い命で。

「…両親と妹。3人分を殺したいのなら殺せ」
「刹那ッてめぇっ…!」

カッと頭に血がのぼる。胸倉を掴み上げて顔を近づけても表情も変えない。いっそ唾でも吐き出してやりたいとさえ思う。

憎くて憎くてたまらない。
大切な人間を殺した男。こいつが、こいつが、なんでこいつが!
パートナーだったはずだ。CBに所属し、ロックオンと刹那のコンビネーションは一目置かれる存在で、この無表情ながらも感情の起伏が激しい刹那を手懐けているうちに抱くようになり、そうだ慈しんで抱いていた。愛しい。たいせつな。…家族のような。愛していた。愛する事が出来た。なのに。

「くそっ!」

生きている。…掴んだ胸倉を離して床に叩きつけた。掴んだ手が刹那の皮膚のあたたかさの余韻を残す。そうだ、生きてる。生きているんだこいつは。

「…大丈夫?刹那」
「ああ」
尻餅をつく刹那に手を伸ばしたアレルヤが抱き起こし、埃を払う。
口を開いたのもアレルヤだった。

「…もういいだろうロックオン」
「なんだと…?」
「君だって今混乱してるじゃないか。刹那を殺せて満足していたのかい?」
「アレルヤ!」
「誰だって間違いは犯す。判ってるだろ?刹那は無意味に人を殺すような人じゃない。それは君が一番…」
「それでも殺してる。俺の家族を!…騙していた、コンビを組んでる間もずっと、俺の記憶を消してまで」
「そうだよ。確かにそうだ。でもロックオンはそういって一方的に刹那を断罪するの」
「…っ」
アレルヤの声にロックオンの吐き出す声が止まる。
一方的に断罪を。
…あぁ、そうだ、確かにそうだ。けれど、それでもこいつは何も話す事もしなかった。騙されていたのは俺だ。
殺した理由も言わない。名乗りもしない。謝罪も何も!

「アレルヤもういい」
「刹那」
「俺がお前の家族を殺したのは事実だ。黙っていた。騙してもいた。…俺が人間じゃないことさえ黙っていた」
「でも君は人間だよ、命が分割されているだけで何も人間とは代わりない」
「それが、ヒトとは違う。絶対的に違う」

いのちひとつしかない人間。
一度殺されても、よみがえる刹那。
それは人間との絶対的な究極の差だ。

「…ロックオン」

苛立ち、唇を噛み締めるロックオンを、刹那が見上げた。

「残っている俺のいのちは,、おそらくあと2つだ。だから2回殺せば俺は死ぬ。…お前が家族の仇をあと2つ討てば終わりだ。…だから」
「殺せっていうのか」
「望むなら殺せ」

言い切った刹那の瞳に澱みはない。殺されてもいいと伝えるその目に嘘はなかった。
事実、首を絞めた時も刹那は抵抗すらしなかった。命が幾つあるのかは知らないが、残り少ない命を1つ差し出してまで。
それがお前の謝罪の形だというのなら。

「……はっ…大層な贖罪だ…」
命を、預けるっていうのか。ロックオンは笑う。
どうしたって止めようのない笑いが腹の奥から洩れて、喉を震わせる。
「俺は楽に殺さないかもしれないぜ。ゆっくりじっくりいたぶって殺す趣味が無いわけじゃない」
「それでもいい」
「ロックオン!」
アレルヤの声が飛ぶ。
どうしてこんなことになるんだ!もうやめてくれと叫ぶ声も構わない。誰一人表情を変えようとしない姿に、アレルヤの焦りが募った。
ティエリアは2人を見つめているばかりで口も挟まない。手慰みのように、ロックオンから渡された腕時計を転がす。これが手に入ればティエリアとてロックオンにも刹那にも用がない。必要だというのならまた新しいエージェントをヴェーダにピックアップさせて勧誘するだけだ。

…ヒトというものはおろかだから。

口端で笑うティエリアは腕時計を見つめつつも、どこか遠くを見るように目を細めた。