成層圏の向こう側まで突き抜けそうな青空の向こうの太陽の下、今日も暑くなりそうだと目を細めて見上げた。
遠く入道雲も見えているという事は、夕立も来るだろうか。面倒な天気だ。
氷が敷き詰まったクーラーボックスからペットボトルを2本取り出して、小屋を出る。予想通り、随分気温が上がったアスファルトとジャンクパーツの山。そのてっぺん付近で、小さな影がちょこちょこと動いていた。刹那だ。

「おーい、休憩しろって!」
めいいっぱいの声量で叫ぶと、刹那はぱたりと手を止めて首を動かした。水滴に濡れたペットボトルを掲げて見せてやって、ほら下りてこいよと目線で示す。
額の汗をひと拭いした刹那が、10m近くあるジャンクパーツの山をひょいひょいと跳ねるように飛び降りてきた。目の前に着地。相変わらず身が軽い。
「ほら」
ミネラルウォーターを差し出してやれば、油塗れに濡れた手袋のまま受け取ってゴクゴクと飲む。その首筋についた赤にも満足して、同じようにペットボトルに口をつけた。

「見つかりそうか?」
「まだだ」
「モノアイなんて貴重品が都合よく入ってくるなんて事は早々ねぇよ。それより左腕のジョイントパーツは」
「それも無い」
「まあそうだろうな」
肩を竦めてみせるが、刹那の表情はいつものように無表情だ。
今日も、朝からジャンクパーツの山と格闘している。気付いた時にはベッドから抜け出していた。夜あれだけ可愛がってやったっていうのにこの回復の早さ。たまったもんじゃない。こっちの方がずっとダメージを受けてる。腰やら下半身が痛くてたまらない。
これが若さの違いなのか、それとも刹那の体力がどんどん増しているのか。ここまで体力差がついた事に愕然とする。
俺のブランクの所為だとは思いたくないが、多分原因はそれだろう。何せ完全回復までに2年かかった上に、身体のところどころは機械パーツで出来ている。命があっただけマシだし、今のエクシアのように顔も満足に保てないわけじゃないのが救いだ。右目には義眼が嵌めこまれているが、左目と大差は無い。暗闇や日の下で見ると反射色が少しばかり違うぐらいだから上出来だろう。

刹那が必死で見つけ出した闇医者と医療施設。治療に多額の金がかかっただろう事は判っている。その金を刹那がどこから捻出したのかは判らない。
もしかしたら、エクシアのパーツが部分的に多く無くなっていることに関係があるのか、それとも、3年ぶりに抱いたってのに、身体はすんなり受け入れた事と関係があるのか。
…それは予想でしかないけれど。
ペットボトルが手の中でぐしゃりと潰れた。

「そうだ刹那、日用品を買いに行って来る。ついでにエクシア用の工具も買ってきてやるよ。S-M380Rが無いって言ってたろ。車を出したい。だからコレ、外してくれないか」
自分の首をトントンと叩く。そこに嵌められたのは、首ぴったりに作られたチョーカーだ。
首中央にバックルのようなものがついているが、これはあいにくとただのバックルじゃない。
いわば、俺に付けられた、刹那の枷、だ。

「……」
「そんな目ぇしなさんなよ、どこにも行かない。すぐに帰ってくるさ。お前が好きだって言ってた食材も買ってくる」
背が伸びたといってもまだまだ刹那は小さい。頭をぽんぽんと叩けば、刹那は少しばかり目線を逸らした後で、首元に手を伸ばした。
「ん」
とりやすように身を屈めてやれば、髪をかきわけて首裏に回した刹那の指の指紋が、センサーに反応して、チョーカーが外れた。
「昼過ぎには戻る」
身を屈めついでに頬にキスを落としてやった。


***


刹那が俺の首に仕込んだのは、特別製のチョーカーだ。
行動範囲が決められていて、それを外れて行動すると、バックルにあたる部分から麻酔針が首筋に打ち込まれるようになっている。元々、囚人をコントロールするために作られたものらしい。
行動できる範囲は思いの他狭い。ほんの少し街を出ても作動しちまうし、バスや電車にも乗れない。もちろん車にもだ。刹那の手によってにしか外す事の出来ないもの。
まさに刹那が俺に付けた枷、というのが正しい。

車で移動しながら刹那の事を思う。
BGM代わりに車内にかかるのはラジオのニュースだ。アロウズ設立の続報が毎日続けて流されている。
エクシアはようやく動けるまでに修理が進んでいる。ひとり黙々とエクシアの修理を続ける刹那が根城にしているのは、古びた町工場のようなジャンク屋で、積み上げられたジャンクパーツの中から使えそうなものを拾ってはエクシア用に加工をして使う。
ソレスタルビーイングが開発したものはガンダムはもちろん、通信機器にいたるまで規格化されていない。つまりは1つ1つ手作業の加工を行う必要がある。膨大な時間のかかる作業を刹那は毎日朝から真夜中まで黙々と続ける。愛するエクシアのためなんだろうとは判るが、アロウズの設立が刹那に懸念を抱かせていた。
急がなければ手遅れになる。…刹那の焦りも判る。

…思えば時間の流れは随分と早い。
あのラグランジュワンの戦闘から3年が経っている。
2年間、カプセルの中で眠りについていた俺は、その間に起きた世界情勢も刹、那の心の変化もわかったもんじゃないが、目を開いてみればソレスタルビーイングは敗北し、平和維持軍なるものは設立されているし、ロックオンストラトスは死亡扱いが確定していた。まぁ…俺がMIA扱いなのは判る話だが。
聞けば、プトレマイオスもクルーの連中もどうなっているのか判らないと刹那は言う。
「…それでよく俺を見つけたな」
告げた言葉に刹那は返事を返さなかった。


刹那を愛している。
それは刹那とてそうだろう。そうでなければ、この気位の高い男が人に抱かれたりするものか。
人に懐くことさえしなかった刹那が、唯一譲れないものとして俺をあげ、こうしてひっそりと2人で暮らしている。
そうして、他人に干渉もしない刹那が、首輪を付けてまで己のものだと縛ってみせる。なんて独占欲と変貌だろう。
前を見続けているくせに、ロックオン・ストラトスを守ることだけは酷く臆病だ。
そうさせたのが自分だと思えば、思わず笑えて来た。
車内にかかるBGMは、暗黒色のニュースばかり。それでも、今は何もつけられていない喉に触れて笑う。
あぁ、まるで猫みたいだな。
鈴を付けられた猫。
鈴を外す事が、飼い主にとっては不安なこと。
帰ってくるのかとおびえている。

「大丈夫だ、刹那」
俺は、帰り道を知っている。だから戻ってくることが出来る。
刹那に生かされ、刹那に守られて生きているから。
そうだ、世界を見届け、平和さえ守って、俺も守る。
刹那Fセイエイ。なんて男だ。

「あいつ…ちょっと強くなりすぎだろ…」

こころが。
誰にも負けない。何を失っても、強く在る心を持っている。
それでも、アイツは俺を拘束するんだ。もうMSに乗るだけの力もない、ただのロックオン・ストラトスという一人の男を。

「これは愛されてるって事なんだろうなぁ、刹那」

カーラジオの音量に紛れることなく車内に声を響かせて、笑った。