目星をつけて入った酒場で頼んだ料理は、法外な値段だった。
ぼったくられているのだと判っても、ほかに入れそうな酒場は無かった。ここで、この犬の餌のような食事にありつくしかない。

この街は本当に最低だ。

酒場のテーブルはほとんどが埋まっていて、カウンターしか開いていない程、混んでいる。寂れているわけでもないのにぼったくられたという事は、この街はそういう事をする人間の集まりだということだ。
よそ者からはとことん搾り取ろうという魂胆がよく判る。
運ばれてきたまずい食事を取りながら、アスランは溜息を繰り返す。
たまらず、ふと外を見れば、暗闇でも砂塵が舞っているのが判った。酒場の床にもあらゆる隅に砂がこんもりと盛り上がっている。
砂塵は量を増す一方で、明日になっても、車で走れるかどうか怪しい。
(…ならば、明日もこの町で足止めか…)
こんな街に、いま居なければならないとは。
ため息は、増える。
出て行きたい。この街は長居するようなところではない。
おかげで頭の中に、惨状が目について離れない。
駆け込んだ宿の少年は身売りをするし、一晩明かすために入った酒場ではこの有様だ。

カウンター席のいちばん隅に座り、食事をつつく。
胸やけがしそうな食事だ。油の量も間違っている。
隣に座った男の食事をみたが、ポテトとビールだけ。他人のポテトの方が、この料理より美味しく見えるのは、やはりそういう差別をされているからだろうか。
アスランは再びため息をつきながらフォークで野菜を突き刺した。

…あの少年は、今頃誰かの胸の中なのだろうか。

頭をよぎるのはあの赤い眼の少年。
抱く相手などほしくないと突っぱねた結果、今夜、別の客を取るから出て行けと言われて終わった。たったそれだけの話だけれど、今アスランの頭の中を占めているのは、あの少年の怒りに満ちた顔だ。
こんなにも思い出してしまうのは、あの少年の赤い瞳があまりにも焼きついたからだろうか。
それとも、自分が買わなかったせいで、他人に抱かれるという倫理に耐えられなかったから?

(考えても仕方ないことだ…)
頭を振る。
あの少年をどうしたいわけでもない。何も出来ない。
仮にあの少年を一晩買ったとしても、何が出来るわけでもない。その翌日には彼は同じようにあの宿の店番に立ち、自分の宿で、寝場所と身体を売って生活するのだろう。
もう彼は、そういう世界に堕ちてしまっている。救おうなどと思うのは欺瞞だ。
アスランとて、長い間旅を続けている。ここまで酷い街は早々無いにしろ、あらゆる場所で不幸な少年や少女は見た。
それを救えるような力がアスランには無い。ひとりふたり、その場しのぎで救ったとて、後には何も残らない。
この世界は、そういう欺瞞に満ちたものなのだと判っているつもりだ。
……それなのに。


「アンタ、さっきから溜息ばっかりだな」
「…え?」
ふと、隣から声がした。
首を横へ向ければ、ポテトの量が減っていた。
目線を上げて、顔を見た。
青緑の目がこちらを見ている。なんなんだ、と思った時、その顔が、ふ、と笑った。

「アンタ、溜息して、首振って、はっとして、唇噛んで、また溜息。さっきからソレ繰り返してて気になってさ」
「…あ、…ああ、すみません」
「いや?謝るようなことじゃないさ。気になっただけでね。…てか、アンタ、旅の人間?」
「あ、はい」
青緑の目が、さりげない程度に動かされた。
アスランの上半身をみやると、テーブルの上の皿を見る。アスランが買った料理だ。
「やられたな」
「え?」
「…それ、凄い値段取られただろ。まったくここの店主、よそ者見るとこれだ。…おい、マスター!」
アスランが何かを言う前に、手を上げて声を出し、カウンターの奥の男を呼んだ。煙草を銜えたマスターが、ちら、と顔を出す。
その後に続けて、これなんとかしろよ、とアスランの皿を指差して一言。
一瞬眉を顰めたマスターが、しょうがねえなとでもいいたげに厨房に引っ込んだ。どうやら新しい料理を作ってくれるらしい。
「ちょっと待ってれば、もうちょっとマシなもの、食えるぜ」
「…えっ、あ、ありがとうございます。すみません、その」
「ん?」
「俺の料理なのに」
「ああ、別にこのくらい大したことじゃないさ。初めてこの街に来たら大抵やられるんだよ。それにぼったくられた金額は戻ってこない」
気にするなよ、と、にこりと微笑んだ。
どうにも感じのいい青年だ。背も高く、すらりとしている。この街で笑顔を向けられたのは初めてだと気づいた。

カウンターで肩をあわせただけだというのに。
人懐こいのか。あまり他人に警戒心を抱かせないような男だ。
アスランは肩の力を抜いた。言葉が自然と口を出た。

「…この街では色々やられっぱなしで」
「へえ、今日来たばっかり?」
「そうです。少し前に来て、宿屋でも酷い目に」
「そりゃあ。…この街の宿はヤるためにあるようなモンだからな。アンタそういうの嫌なんだろ」
「……」
目を合わせると、肩を竦められた。
「顔に書いてある。女なんて買わないようなタイプだって」
「……まあ…」
はっきりと物を言う人だ。
けれどそれが不快に感じないのもこの男の雰囲気なのだろうか。
やがて運ばれてきた料理が、アスランの前に置かれた。湯気の立つシチューと、バケットに盛られたパンの山。
アスランが食べかけていた料理は、さっさと引っ込められてしまった。
さっそく食べてみれば美味い。
「よかったな」
「ありがとうございます。助かりました。貴方のようにこの街の人間じゃないと、ここでは上手く過ごせなさそうだ」
自分の不器用さが情けない。人の手を借りなければ、料理も宿もまともに取れないとは。
「言ったろ。初めてならそんなもんさ、この街じゃな。それに俺はこの街の人間じゃないぜ」
「え?」
「旅人さ。あんたと同じ。ここには長い時間滞在してるんだが」
「そう、…だったんですか」
「ああ。俺なんかより、コイツの方がずっと長いこと、ここに居る」
「え?」
コイツ、と指差して、椅子を後ろへずらすと、男の向こう側に、少年が座っていることに気付いた。
ツレが居たのか。気付かなかった。
「この街でずっと暮らしてる。だから何かあったらコイツに聞くほうが早いぜ、なあ刹那」
刹那、と呼ばれた黒髪の少年は、水なのかアルコールなのか判らないものを、ぐいと飲んだ。どうやら会話をする気は無いらしい。
一瞬、目があっただけ。
けれど、その目と黒髪が、昼間の宿の少年を思い出させた。
見れば、どことなく顔も似ているような気がする。
目の色だとか、顔つきは違うけれど。

「どうかしたのか」
「あぁ、…いや」
「アンタ、宿は」
「今日は宿が無いので、ここで朝まで居ようかと」
「なら刹那のところに泊まればいいだろ。宿屋やってんだよこいつ。ここらじゃ一番まともな宿だぜ」
一番まとも。
…その言葉を、今日聞くのは2度目だ。
どうやらこの街では、この言葉が常套手段のようだ。
「けど俺は、女を買う気は無いので」
「なら、ベッドだけ買えばいいさ。ほら刹那いいだろ」
「………」
やはり少年は答えない。
が、その返答を待つ前に、「いいってさ」と返してしまった。
「えっ、いいんですか」
「いいだろ。金は払えよ」
「…それはもちろん…」
いいのだろうか。この男も旅人だというのに。
話がどんどん進んでいる。どうしたものか。
食事も手に入れ、宿も見つかった。それはそれでいいのだが、何か強引な気がする。罠でもあるのかと思ってみるが、どちらにしろ悪い話じゃない。
「俺もその宿に泊まってるからさ。…ああ、名前はロックオンだ。ロックオンストラトス。こいつは刹那」
ロックオン。刹那。
不思議な名だ。あらかた偽名なのだろうとアスランは思った。珍しくない話だ。
自分の名を名乗り、よろしく、と手を握った。ロックオン、という人間は口端を上げて、小さく笑う。
「じゃ、ベッド確保しとかなきゃな。シンはまだ来ないのか」
「俺がなんだって」
聞き覚えのある声に、振り返った。3人そろってだ。
見れば、背後に少年が立っていた。
昼間も見た、赤い眼。
あ、と指差しそうになるアスランより早く、ようやく来たのか、とロックオンが笑う。
「遅そいぞ」
「いきなり呼び出すからだ。あんたの所為で、今晩の客とれなくなっただろ」
「何言ってんだ、俺が電話したときには、もう怒り声だったじゃないか。またいつもの短気で、客取り損なったんだろ、おまえは」
「うるさいな、だいたい……、」
そこまで言って、シンはふと口を止めた。アスランと目があったからだ。
赤い目が、くりっと大きく見開く。
「アンタ!」
声を荒げ、指をさされる。
そこでロックオンが、知り合いか?と中に入った。
「ああ、なら丁度いいな。こいつさ、宿を探してるらしくて…」
「ロックオンッ…!アンタなああああっ」
「おい、なんだよッ!」
突然拳を振り上げたシンの手を、ロックオンが白羽取り状態で受け止める。
アスランはその様子をただ、口を開けて見ているしかなかった。



***



「とんでもない目にあったな。まさか、あんなところで喧嘩するとは思わなかった」
「お前が口出しするからだ」
「俺のせいかいよ?…まあ確かにシンは、ああいうアスランみたいなタイプの人間は苦手だろうな。…アイツ、白か黒しか答えを出せねえもんな」
「………」

ベッドの中、ころりと転がって、刹那が背中を向けた。
どうやら、会話をするのが面倒くさいらしい。
セックスは終わってしまった。
刹那の浅黒い手が、ベッドサイドの懐中時計を取り出して蓋を開く。時間はまもなく0時になる。

「時間だ」
シーツを跳ね除けた。足を床に下ろす。
「…マジ?もうか」
刹那が投げた時計を見れば、確かにまもなく0時を回ろうとしている。
下着を拾おうとする刹那の背中を見つめ、ロックオンは口を開いた。
「今日は、朝までお前を買おうかなあ」
ここで返すのがもったいない。今夜はもう少し話をしていたい。
ちらりと振り返った刹那が、すっと目を細めた。
「……50の上乗せだ」
「そのぐらいなら喜んで」
それで、朝まで共に過ごせるのならば。
「……」
刹那が、手に持った下着を再び落した。どうやら了解という事らしい。
全裸のまま、再びベッドに近づき、ロックオンの肌蹴た肩に、手を乗せた。引き寄せる。
身体と身体が密着した。
「…もう一回する」
「おいおいさっそくか?」
「…しないのか」
「いや、出来るんならしようぜ。今日は冷えるからな。あったまったほうがいい」
口端を上げて笑った。
身体を引き寄せて、キスをしようと唇を近づける。けれど、刹那はさっそく足の中心で萎えたソレを手に取ろうとするから、ちょっとまった、と手を止めさせた。
「どうせなら、キスからやり直そうぜ」
提案は、見事に却下された。