綺麗なもの ---------------------------------------------- 刹那とティエリアが、ふたりでひとつの本を読んでいた。 小さなマンションの、ちいさめのリビングで。 ぴんぴんはねた黒い髪と、つややかな紫の髪が、触れ合うほど近くにある。 本を覗き込んでいる二人は、どうやら相当に考え込んでいるらしく、さっきから唸ったまま結論が出ないようだ。 一体なんの本を読んでいるんだか。 アンドロイドは万能で、何でも出来る。覚えられれば、それにしたがって、自分に出来る事ならばやってみせる。それは大したもので、知識しかなくても料理なんかはしてみせたりする。大したものだ。けれど、それでもアンドロイドには出来ない事や、判らない事も沢山ある。 具体的に言えば、人間の感情だ。こればっかりは、まったく理解することが出来ないらしい。だから、喜怒哀楽はもちろんの事、こっちが当たり前に感じているような事が理解出来ないらしくて、四苦八苦している。何でも出来るのに、そんな簡単な事が判らないって言うのは、それはそれで面白い。 それをひとつひとつ教えていくのが、なんだか親にでもなったような気分になる。 で、今回は何を悩んでいるのか。 三人分のコーヒーをいれている間も、二人はなかなか結論が出せないらしく、ぶつぶつと言い合いながら、結局は「判らない…」という言葉で終っている。マグカップ三つにコーヒーを分け終えて、二人の前に置く。それでもまだ、うんうんと唸っているから、そろそろ助け舟を出そうかどうしようか、悩んだ。 コーヒーをいれ、リビングのチェアに腰掛ける。 二人の背中を見つめているけれど、おそらくこれ以上考えても答えは出ないだろう。 「よお。それで結局、判ったのかい?」 「…ロックオン」 「何故、僕達が悩んでいる事が判った」 「なぜって…」 そら。そういう事を平気で聞く。そりゃ判るだろ。後ろ姿ぐらい見てれば、嫌でも。 「お前らの事なら、俺は何でもお見通しだ」 そんな風に言っておどけたつもりが、二人は大げさな程に、おお、と驚いてみせた。本気で感動しているのか。…すごいな。 「で?何を悩み中だ?…てか、何の本を読んでたんだ?」 もしこれが、小難しい本だったらお手上げだ。この二人はアンドロイドだけあって、とんでもない理論の本だとか、科学だ化学の分厚い本を平気で持ち出す。けれど、二人が見ていたのは、まったく違うものだった。 「写真集を見ていたんだが」 「写真集?」 そんなもの、うちにあったっけ? 考えて、ふと、思いついた。 「おまっ、まさかその写真集って…!」 慌てて手を伸ばす。すると、刹那が分厚い写真集を掲げてみせた。その表紙に書いてあったのは『世界の自然絶景』。 「…あ…そういう写真集…ね」 気が抜けた。なんだ、そういうんだったらいいんだ。…はは。 「何を考えていたんだ」 「刹那、ロックオンは、女性が裸体で載っているようなものを想像したらしい」 「そういう写真集もあるのか」 「ああ。男性であれば、一冊や二冊は持っていて当たり前だと、ハレルヤが…」 「ハレルヤは何言ってんだあの馬鹿…、ってか、俺は持ってねぇよ!」 「持ってないのか。男なら当然だと言っているのにお前は特別なのか」 「…それはあんまりツッコむとこじゃねぇって…。で?写真集の何が判らないんだって?」 ぐったりしながらもう一度を聞く。 ハレルヤのやつには、今度はっきり言っておこうと決めた。 で。写真集のことだ。世界の自然絶景? 「まさか、世界の絶景の綺麗さが判らないとかそういうんじゃないだろうな?」 冗談で言ったつもりだった。けれど、2人から帰って来た言葉は。 「その通りだ。何が綺麗なのかが判らない」 だった。 思えば、「綺麗」なんていう言葉も、人間の感情から来る言葉だったか。 二人が見ていた写真集を、ぱらぱらとめくる。 確かに綺麗だ。地平線に沈む夕日、空いっぱいの星、動物が駆けるサバンナ。どれを取っても、地球の息吹が感じられるような綺麗な写真ばかりが掲載されている。 「綺麗なもんじゃないか」 「僕達にはそれが判らない」 ティエリアが、きっぱりと言い切った。 「…判らないのか?これが?」 「ああ。判らない。この夕日にしてもそうだ。何故、地平線に沈むものを美しいといえる?この街でも夕日はある」 「いや、この街の夕日はビルの陰に隠れてて、こんなに綺麗に見えないだろ?」 「全貌が見えれば綺麗なのか」 「…いや、そういうわけでもないんだが…あー…説明しずらいな…」 思わず頭をかく。そう言われてしまえば、確かに説明できない。どう言ったらいいのか。悩んでいると、今度は刹那が助け舟を出した。 「ロックオンにとって、綺麗だとか美しいだとかいうものの基準を教えてくれ」 「…基準?」 「お前が、綺麗だと思うものを説明してくれたらいい」 そんな事言われてもな。難しいことをきく。 口を濁していると、刹那がさらに口を開いた。 「たとえば、俺とティエリア、どちらか綺麗だ?」 「…はぁっ?」 そんな事聞くか、普通! あまりな質問に、答えられるワケないだろ、と即座に首を振った。 「しかし、人間は、美人だとか美しいだとか、そういう言葉を頻繁に使うが」 「そりゃ、その人の感性だろ?」 「その感性というものを、ロックオンなりに教えてくれたらいい。俺達もそれを綺麗だと思う事にする」 「…そんな事、言われてもなぁ…」 いきなり言われても。困るだろ、そりゃ。 ひとまず、ため息をつきつつ、どう答えるべきか悩んだ。 綺麗なもの。…こいつらに判るような説明の仕方で。けど、こいつらは自然の綺麗さも、色の綺麗さもおそらくわからない。そういうものだと捉えているだけだ。そんなアンドロイドにどうやって説明すればいいのだろう。 「…そうだなぁ…」 綺麗なもの。美しいもの。それを具体的に言うとすれば。 「…見ていて、心が震えるもの、とか」 「心が震える?」 ティエリアが首を傾げた。ああ、そりゃそうか。心なんて言葉つかったら、余計に判んねぇか。 「見ていて、和むものだとか。…そうだな、ずっと見ていたいと思うもの」 自然を綺麗だと言うのなら、そういうのもありだろう。星空も夕日も、綺麗だからずっと見ていたいと思うんじゃないのかと思った。 「とにかく、おまえたちが、見ていて『いいなぁ』と思うものは、全部綺麗って事でいいんじゃないか?」 そういう風にしか説明できない。 俺じゃ、説明力不足だ。 けれど、綺麗なものを説明しろっていったって、こういう風にしか言えないだろう。アンドロイド相手ならば尚更。 こんな説明でも、二人は、そうか、と頷いた。 どうやら満足したらしい。 それにホッとしてようやくコーヒーに口をつけた。 アンドロイドである二人が、綺麗、というものを理解するには、まだまだ時間がかかるという事なんだろう。まぁいいさ。それもゆっくりと考えて自分なりに見つけてくれたらそれでいい。 そう自分の中で完結して、コーヒーを飲み干したのに。 「ならば、俺達にとって綺麗なものとは、ロックオン、お前だな」 そんな事を言うから、思わず吐いた。 |