「お前をもう、誰にも抱かせない」 そう言われて手を伸ばされた。 大きな手が下りてきて、差し伸ばそうかと迷っていた手は、大きな手によって引き上げられた。 拾われた。 行き先もなかったのに、居場所もなかったのに、生まれてから家族も居なかったのに。 共に生きていく事、家族のようになる事、もう男を取ってセックスをしなくても生きていけるということを知った。 『刹那、ちょっとごめんな、今日は遅くなるんだ』 「ああ」 『先に寝てろよ。それからメシもいいから』 「わかった」 簡潔な言葉と共に電話を置く。短い電話だった。今夜もまた。 一通り用意しておいた食事を全て捨てて、後片付けをし、そのままベッドに倒れ込んだ。 目を閉じて眠ろうとしてもなかなか睡魔はやってこない。 先に寝てろと言われたから、眠らなくてはいけないのに。 「…ロックオン」 名を呼ぶ。今は隣に居ない、この部屋の主。 いつになったから帰ってくるのだろう。このところ、いつも帰りが遅い。翌朝になっても居ない時がいる。 仕事が忙しいのだろうという事は判るけれど、それ以上は何も判らない。 ただ、この部屋に帰ってきても、ロックオンがあまり居つかない事が多くなった。 そう広くはないマンションの一室。ここがロックオンの家だと思っていたけれど。 (…これは、あいつの部屋じゃない) 別邸だ。他に居場所はきちんとあって、そこがロックオンの本当の場所だ。 拾った自分を置いておくための場所がこのマンションで、そこにロックオンがやってこないという事は、もうここは必要ないということ。 …判っている。ロックオンには帰る場所がある。 「…俺は」 拾われて、共に居ろといわれて、あの毎日が地獄のようだった店から救い上げられた。いつ死んでもおかしくなかったし、病気になる可能性も高かった。セックスに関してはどんな事でもする店。 ぺたりと横になったベッド。洗ったばかりの白いシーツに手を這わす。手首にあるやけどの跡を呆然と見つめていた。 どれだけの時間が経ったのか判らない。 それでもいつの間にか眠りはやってきたらしい。 うとうとと目を醒ました時、ふと聞こえたのはロックオンの声だった。 寝起きの鈍い耳に入って来る声は、正確には聞き取る事が出来ない。 それでもロックオンが、あまり色よい返事をしていないという事だけは判る。 むくりと起き上がって、声のする方へ顔を向ける。 ロックオンの後ろ姿が玄関に見え、その先に見えたのは女性の頭。 玄関の向こうで、ふわふわの髪が動いている。ロックオンに向けて何かを言っているらしい女性は、消え入りそうなほどのか細い声だった。 (ああ、ロックオンの大切なひと) ならば、自分はこのまま起きるべきじゃない。 自分があのふたりの間に入る事は出来ない。 そんな事をロックオンが望んでいるはずはないと知っているから。 音もなくもう一度横になって、目を閉じた。 声はまだ聞こえてくる。 ロックオンが渋る声、女性の泣きそうな声。 目の裏には暗闇。 ベッドの先には壁。 (終わりにすべきだろう) もう、これで。 明日にはこの部屋を出て行こう。 少しの服と日用品、金銭は全てロックオンのものだ。 この部屋に居ていいと言われたから居た。 ついてこいと言われたから来た。 けれどそれもここで終わりだ。 重荷になることは出来ない。 彼が歩む、生き方を邪魔するような事は出来ない。 ロックオンには様々なものがある。 居場所も家族も名誉も地位も。 (俺には何もない) ロックオンしか居なかった。 彼だけが全てだった。 だからこそ、捨てる事が出来る。 彼だけを切り離してしまえば、それで全ては終るから。 「…さようならだ、ロックオン」 壁に向かい、静かに息を吐きながら、刹那はゆっくりと意識を手放した。 |