翌日、寝不足のままの俺が、食べたくも無い朝食を無理矢理口に運んでいる時、ふいに姫君がやってきた。
「おはよう、シン」
「おはようございます」
砕けた調子で、彼女がにっこり笑う。
見れば、さすがに朝食時なだけあって、ラフな格好をしている。毎日のようにパーティだ、施設訪問だのやっている時とは違っていて、なんだか俺は安心する。だってあんな気を張った状態がずっと続くのは、やっぱり身体にもよくない。
この朝食会場にはほかに居るのは、SPだったり、おつきのものだけ。きっと今は、貴重なリラックスタイムなんだろう。
「今日は一緒に食べてもいいかしら?」
今日は、って彼女が言うのには事情がある。
本当は、彼女は昨日のその前も、俺と同じ席に着きたがっていた。けど、こんな人の目がどこにあるかもわからないのに、俺と一緒に居るのを見られるのは、あんまり事情がよくない。だから、なるべくなら一緒じゃない方がいいと思ったんだ。
この人は、お見合いする人なんだから。
いくら護衛とは言え、俺みたいなのが傍にいたらまずいだろう。
だから、姫君がどれだけ俺とMS談義をしたがっても、さすがに食事を一緒に取るのはまずいだろうと断ってた。
けど、昨日の夜、あれだけ散々なことがあった俺は、彼女のその笑顔がどうにもまぶしく思えて、今日もやってきた彼女の誘いを断れなかった。
「どうぞ」
「やった!」
椅子を引いてあげれば、嬉しそうに隣に座るから、俺はちょっと肩の力が抜けて、笑った。
ああ、彼女は本当に素直というか、姫っぽくないというか。
「そんなに俺とMS話したいんですか」
「ええ。もちろん。貴重な時間なのよ。私にとって」
貴重なのは、貴女のリラックスタイムに当てるべきでしょうに。…けれど、こういう立場の人は、MS談義するのだって、大変なんだろう。それもそれで貴重な時間なのかもしれない。
だったら彼女のために、付き合ってあげなきゃ。
「それにね、今日は特別。…貴方のことが心配なの」
「え?」
俺の顔をみて、彼女が言う。…心配?
「目、真っ赤よ。顔色も悪いわ」
言われて、俺は、ああ、やっぱりか、って思う。さすが女の人はそういうのに鋭い。
そんな事はないですよと誤魔化すわけにもいかなくて、俺は、ふ、と息を吐いた。
「ちょっと、ね。たいしたことはないです」
「そう?…貴方が辛そうなのは、いやだわ」
優しいな。嬉しいことを言ってくれる。だから俺も笑って返した。
「俺が居ないと、お見合いできないからでしょう?」
言うと、彼女は、ちょっと意地悪そうに笑った。
「そうよ。貴方が居ないと、アスラン・ザラと話も出来ないし、MSの話も聞けないわ」
「ああ、そうか。ダブルパンチですね」
「…そうよ!だから元気だして!シン・アスカ!」
言うと同時に、冗談交じりで彼女からダブルパンチが繰り出された。俺はそれを笑って受け止める。…あはは、本当に彼女は優しい。心がちょっと軽くなる。だって俺、笑えてる。

「…シン」
そんな俺たちの時間を割くように、声がした。俺はすぐさまビクリと固まる。
…手のひらで受け止めていた彼女の手も止まった。
振り返る。そこに居たのはアスラン・ザラ。
あーあ。今、俺、息を吐けてたのに。…一気に身体の中がコチコチに固まっちゃった。
…何やってんだ。あんたは、こんなところに。
でもアスランさんは制服を着ていて、その袖には偉い階級がついていて、だから俺たちの周りにいたザフト関係者も何も言えずにただアスランさんを見ているだけ。
俺と彼女が座っているテーブルのすぐ前まで来て、アスランさんは彼女に一度頭を下げてから、俺の顔を見下ろす。
「昨晩の件で、話があるんだが」
…昨晩って。!こんなところでなんてこと言うんだ!
ギョッとしたけれど、顔には出せずに、俺は思わずフォークをぐっと握り締める。
…胸まで、ギュッってなった。
「俺は特に話なんて無いんですけど」
無愛想だって自分で判るぐらいの態度で返す。けれどアスランさんは引かない。
「護衛について、相談をしてきたのは君だろう」
ああ、そっちのことですか。
…駄目だ、昨晩なんて言ったら、あの言い合いとセックスのことしかもう頭に無かった。俺は護衛失格だ。
MS警備のことを話してきたってことは、さすがに俺、行かなきゃダメだよなぁ…。
「判りました。ここじゃ、なんなんで」
姫君も話を聞いてる。ほかのみんなも。そんな中でMSを出すだの出さないだの、話すわけにはいかない。
俺は、嫌々立ち上がった。
彼女が、どうしたの、って顔をして俺を見上げる。心配してくれてる。…ありがたいけど、申しわけない。
「大丈夫です。警備のことで」
「…そう?」
「あと、例の件も話してきますね。時間とか場所とか。調整しないといけないでしょうし」
「…あ…」
お見合いのことを言っているって判ったらしい姫君が、ちらりとアスランさんを見た。けれど肝心のアスランさんはその時俺を見ていた。…ちょっと、アンタって人は。
「行きますよ、アスランさん」
俺はそのアスランさんの手を引っ張る。
あんた、未来の奥さんが居るのに俺のことばっかり気にしてどうすんですか。姫君がアンタに悪い印象与えても知らないですよ。
本当、こんなこと早く終わらせて、さっさとプラントに戻りたい。
アスランさんに会うのが少し楽しみだったのに、今じゃこんなに苦しくてたまらないよ。


朝食会場を抜けて、行政府も抜けて、長い通路を歩く。
俺はアスランさんの後ろについていくだけ。会話は何もない。
どこ、連れて行くんだろ。
長い距離を歩いた。その間、俺はアスランさんの背中を見ていただけだった。…この背中についていけば、とりあえずは大丈夫のはずだから。
アスランさんの背中。
昨日ベッドの中で見たのは裸の背中。
今は、オーブの軍服の背中。
何年か前は、このひと、赤服着てたのにな。…今じゃ全然違う軍服。
…そういえば、ミネルバに居たときは、この背中についていく、なんてこと出来なかったなぁ。
だって、どこ行っちゃうか判らないんだ。このひと。…迷い癖がついちゃってるから、いつも間違ったほうにいく。
だから俺は、つきあってられるか!って、フイってどっか向いて、自分で正しいと思った場所を探す。なのにアスランさんは俺の手を引く。そっちは間違ってる、って。
…そんなの知らないよ。知らない。
俺は間違ってない。こっちは正しい。ほら、光があるよ。みんな居るよ。間違ってない。
今だってそう思ってる。あの時俺がしたことは、多分軍人として間違っていなかった。ただ角度がずれたんだ。ちゃんと、平和になる道を進んでた。それなのに、世界をかき回したのはこのオーブとアスランさんで。
だけど、今、この背中は俺と同じ方向を向いてる。
ヘンなの。
今同じ道歩いたってしょうがないのに。

(…もう…終わりなのにな…)
ぽつり、と思った。
…昨晩、アスランさんが言ったこと。「お前だから」。
バカだな、本当にバカだ。いまさらだ。
そんなこと言ったってどうなるっていうんだ。
アンタと俺は、もう一緒に居られることはないし、一緒に居ちゃいけない。
そこに恋愛からめてどうすんの。
ねえ、バカですか。アンタ。恋愛ばか?俺の方が上手かも。
俺はね、アンタの未来が想像できるよ。ちゃんとできる。しっかり見える。
…この人に家庭を持ってもらって、ねえ、アンタはきっといいお父さんになるでしょうね。
優しいもん。きっと子供にも奥さんにも、せいいっぱいの愛情で接してあげるんだろう。目に浮かぶよ。幸せそうな家族。
アスランさんとあのお姫さまが一緒になればさ、きっと子供だって可愛い。プラントとオーブを代表するようなカップルで、平和で、幸せで。子供の成長を願ってさぁ。…ああ、すごい。幸せな家庭だ。
けど、その幸せな家庭と、目の前にあるアスランさんの背中は、どうしてか俺の目の中でふわふわになって歪んでいた。
…ああ、こぼれ落ちそう。


アスランさんの背中について歩いて、通されたのは、MSデッキが見渡せるコントロールルームだった。
誰も居ない。まだオフの時間らしい。
「…ここ?」
護衛の話をするのに、こんなところで打ち合わせ?
でも、コントロールルームのガラスの向こうには、沢山のMSが並んでいた。
見れば、遠くにアカツキとストライクも見えた。アスランさんの機体もある。これ、もしかしてオーブの主力MSデッキじゃないか。
こんなのを、他国軍人の俺に見せちゃっていいのか!?
…それとも、つまり何か。
もし問題が起きたら、この機体たちで姫様を守ってくれる、ってそういう事か。それなら確かに頼もしいよ。頼もしいけど、…けどさ。
「こんなに用意してもらわなくても…」
さすがに大丈夫です、って言おうとして振り返ったら、そこにアスランさんは居なかった。…えっ?と思ったのもつかの間、俺の目の中いっぱいにアスランさんの肩が現れた。ぎゅっと強く抱きしめられている事に気づいて、心臓がドク、と音を立てた。
「…っ…!」
このひとッ…!
俺は、どうしよう、ってとっさに思った。
昨晩、あんなことしたのに!駄目だって、もう終わりだって言ってんのに!どうしてアンタは、また今日も…!
「離せよ!!」
叫んだ。
とっさに身体も捻って、アスランさんの腕の中から出ようとする。けど、バカみたいにアスランさんの力は強くて、逃げることも出来なくて、俺はぎゅうぎゅうにアスランさんの胸に押し付けられている。…ああ、やめてください、アンタの鼓動まで聞こえてくるじゃないか!!
俺たちは、昨晩、あんなことをしてしまったけど、あれは完全な間違いで。だから全部無かったことにしなきゃいけないのに!
何やってんだ、このひとは。…本当に本当に、なんてことするんだ。
「バカ、こんなの、…ッ!アンタ、見合いすんだぞ!?…くそ、遊びが過ぎるんだよ、アンタはぁっ!!」
「お前が何を思おうと、勝手だが」
抱きしめて離さないアスランさんが、俺の耳元で言葉を吹き込んだ。ぞわっ、とする感触。あったかい吐息。
「俺は、お前を離したくないし、誰とでもこんなことをしているわけじゃない」
「…な、ッ…」
それこそ今更だ。何を言ってるんだ。
「ばか、離せよ!そんな話を聞きたいわけじゃない!!」
でもどれだけ俺がもがいても、ビクともしない。もうやだ。やだやだやだ。この人本当になんとかして。俺は苦しいばっかりじゃないか!
くそ、くそ、…くそ!!
「俺言っただろ!?アンタをお見合いさせるために俺は、ここに居て…ッ」
「ああ」
「だから、こんなの、もう、誰とでもして欲しくなくて!」
「…ああ」
「相手、決まってるんだからな!?もう、そんなの、アンタがどれだけ嫌だって言ったって、」
「ああ。俺も決めてる」
「…だったらっ…!」
「シン、お前がいいよ」

ああ。…なんてことを言うんだ。この人は。



力が抜けてく。
ふにゃふにゃになってく。
アスランさんに抱きしめてもらってなければ、多分俺は沈み込んでた。
「…お前がいい」
アスランさんは言う。俺はそれをもう、耳を塞ぎたいぐらいの気持ちで聞いていた。
でも駄目だ。身体が全然動かない。いう事を聞かない。
そういえば、あのミネルバにいたときだって、そうだったんだ。
アンタに抱かれてさぁ、身体全部柔らかくなっちゃったみたいに溶けていくんだ。
俺はこの人の温度とか触れ方とか、好きだった。だからいつもとろとろに溶かされていく。何もかもがどうでもよくなるぐらい。そのぐらい俺、アンタのこと好きだったんだね。
今もそう。
こんな夢みたいなこと言われて、それで俺はふにゃふにゃになってる。

ねえ、アンタ、俺のこと好きなんですか。
そんなの、言っちゃいけないって判ってるのに言っちゃって。…バカですか。

本当は、俺は判ってた。
なんとなく、気配とか雰囲気とか、そういうものでわかってた。
本当はアスランさんは、誰とでも寝るような人じゃない。
この人は誠実なひとで、そういうセックスとか、欲求とか、押し込めてしまうような人で。だって俺のMSに撃たれて死に掛けるような人だぞ?それってさ、バカじゃないとしたら何なんだ。
判ってるよ。俺、多分愛されてる。

…でも、そんなの、どれだけ個人で思っていたって、どうしようもないじゃないか。
俺がアスランさんと、どうかなるなんて出来ない。
この人は優秀な人で、女の人にだって凄く好かれてて、立場だって立派すぎるものがあって、生まれもそうだ。今回のお見合いで尚更よく判った。…だったら俺のこと好きって言ってくれたって、そんなのもったいないだけだし、どうすることも出来ないんだ。
意味のないことなんですよ。
好き、ってそれだけで何が出来るわけでもない。
ねえ、無駄なことなんですよ。それ。

「…俺のこと、好きなんですか」
「ああ」
胸の中で、俺は呟く。口がアスランさんの制服に当たる。におい。アスランさんの。
「…ずっと好きだったんですか」
「ああ。ミネルバに居た頃から。…いや、お前を抱く前から」
「それ、俺知らなかったです」
「…言えなかったからな」
「なんで言わないんですか」
「言いにくかったし、言っていいものかどうか、判らなかったからだよ」
「…なに、それ」
相変わらずアンタはバカですね。そんなの口にしなきゃ何も伝わらないのに。
「ねえ、アスランさん、二股かけたことあります?」
「…二股?…いや、ないが」
「ラクス・クラインは?カガリ・ユラ・アスハは?」
「ラクスは、親同士が決めた婚約者だった。けど確かに彼女のことは好きだったよ。愛しいと思った。微笑んでもらいたかったし、彼女が好きな歌を安心して歌える世界を作りたいと思ってた。けど、ヤキン・ドゥーエ戦より前に、婚約は破棄になってる。それは俺も彼女も承知している」
「ディオキアで会ってたのは、偽者のラクス・クラインだったんですよね」
「ああ」
「でも、寝たって聞きましたけど」
「…寝たというか…寝込みを襲われたというか…」
「あの時には、俺のことも抱いてましたよねえ?」
「だから、それは」
「…も、いいです。判りましたから」

ほらね。誤解なんてこんな簡単に解けてしまった。
今まで、何年も、俺の胸の中に「ワザと」くすぶらせていたものが、こんなにも簡単に。
この人は、素直な人だ。実直なひとだ。
…だから判る。多分、この人が「好き」って言ってるのは俺だけ。

「…すごいな」
「何がだ」
「アンタから、「好き」をもらってる」
「…ああ」
この人、すごいひとなんだぞ?
この人が結婚すると、平和に繋がるぐらいなんだぞ。
けど、何がすごいって、何年も会えてないのに、話だってろくに出来てなかったのに、そんな俺にためらいなく「好き」って言っちゃう事だけどさ。
なのに、
「俺の告白なんて、それほど価値はないさ」
なんて言う。
いや、あるっての。
すげーあるって。
「シン、お前は?」
「え?」
「…お前の心を貰うほうが、俺にとって、ずっとずっと価値があると思うんだが」
間近で、笑顔で。アスランさんは言う。
俺に滅多に向けてくれない、ほんわりした笑顔で。
…ああ、その顔すげー好き。
だめ。なんか、流される。…ねえ。

くしゃくしゃの顔を見られたくなくて、目を閉じた。
アスランさんの顔も見なくて済む。俺が今めちゃくちゃになってる心もちょっと落ち着くかもしれない。
そしたらアスランさんは、自分がここにいるって俺に言い聞かせてくるみたいに、そっと頬を掴んでくるから、体温ばっかり感じてどうしようもない。
…ねえ、俺、今幸せです。
すげー幸せです。

「…あのさ」
「ああ」
「俺、ここに来た理由知ってるだろ」
「護衛と、見合いの仲人か?」
「そう。そうです」
だからね?
「アンタはね、あの姫様と結婚すんだよ。で、幸せになるの」
「…シン」
「アスランさんとあの姫様で、プラントもオーブも、世界も、平和にしていくんだよ。幸せだってみんなに見せ付けるんだ。それで、この世界は上手くいってます、って。ねえ、皆に幸せを分けてあげられるようになるんですよ。子供だって生まれて、そりゃあもう可愛いですよ。きっと頭もいいでしょうね。アスランさんに似たって彼女に似たっていい。そうなったら俺にも子供、抱かせてください。未来を変えられる子供を抱いてみたい」
「シン、」
「だから、…だからさ?アスランさんから、好きって、そんなの、俺がひとりで貰えるわけないだろ?」
ああ、ダメだ。声が震える。
どうしようもなくなって、アスランさんの肩を強く押した。触れ合っている身体を離してしまえば、もうアスランさんの感覚は伝わってこなくなるだろうって思ったのに、アスランさんは俺を逃がさないとばかりに腕を掴んでる。
ダメだってば。もうダメだ。顔を見られなくてうつむく。涙の玉がぽろっと落ちた。
「ねえ、俺だけが幸せになってどうすんですか。アンタの愛で、彼女や子供や、世界だって幸せに出来るのに、なんでそんな大きなものを俺がひとりでもらえるの」
あとは声にならなかった。
俺が言いたい事はそれだけで、それ以上はもう何もいえなくて。
だって、その通りじゃないか。
アスランさんはもっと大きくて、広くて、いろんなものを包み込めるんだから。
その腕で、いろんなものを。
だから、離してほしい。これ以上俺に未練を抱かせないで。お願いだから。ねえ、幸せになってよ。家庭を持ってよ。…ねえ。
「シン」

離されない腕。
感じる体温。
大きな手。
…アスランさん。ねえ。答えをください。終わりをください。

「それでも、俺はお前が欲しいよ」