たぶん、俺、セックスが巧くないんだと思う。 そう言ったら、夕食のメイン料理の白身魚を口に運ぼうとしていたキラさんは、ひくっと震えて、持っていたフォークを落とした。 カシャーン、と派手な音をたてて床に落ちる金属音に、食堂にきていたクルーの数人がこちらを見る。 キラさんは固まってしまっていたから、俺がフォークを拾いあげて、手元のナプキンで先っぽだけ拭いて渡す。 「…シン、シン、あのね、何を…」 「あー。フォーク、新しいのの方が?」 「そういうんじゃなくて。…あ、うん、落としたフォークは新しくしてくれたほうがいいかな。ありがとう。…ええと、それでね、シン。それを取り替えたらとりあえず、もう一回、最初から順を追って説明してくれるかな?」 「……ハイ?」 食堂のカウンターへフォークを返しに行きながら、洗い立てのまだ生暖かいフォークを貰い、キラさんを振り返ると、コップの水をすごい勢いで飲み干していた。…水、もう1杯持っていった方がいいかも。食堂の脇にあるウォータークーラーから水を1杯もらって席へつく。 「あぁ、ありがとう、ええと?それで?」 水が並々と注がれたコップを手に取り、キラさんは男にしては小さい口でちびっと水を飲むと、肩をすくめて俺に顔を寄せ、声の音量も下げて見つめてきた。上目遣いで至近距離で。…相変わらずこの人綺麗な顔だなぁなんて思いつつ、俺は何をどう話せばいいんだろう?言葉の通りなんだけど。 食堂に居たクルーの皆が、バラバラと部屋に戻り始めていた。…食事を取るにしては、もう遅い時間だったから。 「だから、俺、セックスが下手なんですよ。きっと」 さっきと同じ事を言うと、キラさんは2度目なのにまた驚いて見せて、口をぱかっと開けたまま、また固まった。 俺はその間に、にんじんのソテーを口に入れ、ハンバーグにもナイフを入れた。キラさんは魚料理を選んだけど俺は肉。だってこっちの方が腹ふくれるじゃないか。 唖然としてしまっているキラさんは、事の次第が判らないって顔していたから、俺もどうやって話をしたらいいのか、ちょっと迷った。 ただ、ホントに、俺ってセックス下手なんだなって思っただけなんだけど。 **** シンが言う事は、いつもたいてい突拍子もない事が多くて驚くけれど、今回もまたメガトン級の事をさらりと話してくれるなぁなんて驚きつつも、僕の頭の片隅では妙に冷静にシンの言葉を理解していた。 セックスが巧くない、…ね。どこがどうなったらそういう風に思うんだろうか。…アスランを受け入れているだけ(…だと思う)のシンが。 シンと僕が一緒に夕食を取る事は珍しくない。彼のシフトと僕のシフトが同じになれば、夕食を取るタイミングも同じだ。だから、彼とはMS談義をしたり、時に今までの事も話したり。…そう、まるで友人のように他愛もない話をして食事を取り、時間をすごす。 敵対してしまっていた時とは比べ物にならないほど仲良くなれたっていう事は、凄く良い事だとも思うし、彼がどれだけ僕を好いていてくれているのかも判って嬉しい。…うぬぼれじゃなくね。シンは感情の表し方がストレートだから。判りやすくって。 この子は、こちらの心理状態を正確に理解出来るようで、警戒心や嫌悪感をみじんも抱かなければ、それこそ犬や猫のように爪をしまって近づいてきてくれる。それが可愛くて仕方がない。 で。 彼の感情表現のストレートさは、確かに長所ではあるけれど、こういう時はとても困る。 だって。さっきまでMS整備していて、食堂に来て、まったくなんでもない会話をしていて、ふ、とシンがため息をついた直後に出た話が、これ、だよ? 僕はどうやって反応していいか判らず、それでもって開いた口がふさがらず。けれどシンは何でそんなに驚くんだろう、って顔をする。 ……シン、君、今までこういう話、誰とでもしていたの? シンが持ってきてくれた水をちびちびと飲んで心拍数を下げながら、隣に座ったシンを見つめた。視線が痛くならない程度に微笑めば、シンも無意識にだろう、肩の力を抜いてくれた。 「シン、」 セックスがうまくない。と。 その話をここで逸らしても、シンの疑問も不安も解消されないと思ったし、正直、ちょっと気になったから。…その、どうして自分の行為を「巧くない」と言い切るのかって。 幸い、食堂に居た数人のクルーは、散らばりつつあるし、僕達の会話が聞こえる程、近くにいる人は居ない。 「……どうしてそんな風に思うの?」 なるべく、答えやすいように聞けば、シンはうーん、と1つ悩んで、残りのハンバーグを大口開けて租借した。…子供っぽくて可愛いけれど、彼が今話そうとしている事は、たぶん大人向けだ。 「そもそも俺、あの人以外とヤった事無いから、比べようもないんだけど」 「…まあ、うん、シンはそうだろうね」 あのアスランよりもオクテで天然で、けれど、そのアスランに落とされちゃったわけだから。君は。そりゃあ他の人ともセックスする、なんて事、シンは出来ないよね。だから必然的にシンの相手はアスラン1人だ。今彼らは恋人同士であるんだし。 あぁ、そういえば君は、初めてのセックスの時も凄く悩んでいたよね…。真夜中に僕の部屋に来てさ。あぁ遠い昔の事みたい。そのときも相談に乗ったのは僕だった。 あの頃は、あんなに初々しい質問だったのに、今では技術の問題になっちゃったのは、僕としてはなんていうか…複雑で。 でも、シンの思考回路は、あの頃と同じ、ピュアなものだった。 「でも、フツー、ヤってる時って気持ちいいモンですよね?」 「……人それぞれだと思う。快楽はあるよね。痛みだってあると思うけど」 「痛い…ってのは判りますよ?普通、あそこってモノを入れるところじゃないじゃないですか。なのに、これっくらいに広がっちゃうわけでしょ?」 そう言いながら、シンは、両手の人差し指と親指でリングを作って、…その、入れるモノの大きさを表現する。 うわ、シン、君ねぇ!? 僕は慌てて、リングを作ったシンの手に自分の手を重ねた。 「キラさん?」 「うん、いいから、大きさとかは表現しなくても、ね?」 「ハイ?俺なんか間違ってます?」 そういう問題じゃないんだけど、シンは首をかしげて自分の手で作った輪を見るから、僕は頭を抱えた。あぁ、どうしよう。 「……間違ってないよ、うん、そうだね。…たぶん、そのぐらいなんだろうね、18歳なら一般的だよシン」 って僕は何を言っているんだろう…。耳が熱い。 アスランの事なら僕だって知ってる。シンには悪いけど、たぶん君よりも良く知ってる。過去も身体も。 「でも、入れたら痛いモンは痛いじゃないですか。でも、それ最初だけで、後は気持ちよくなれるから我慢するでしょ?」 「………」 「俺が気持ち良くなりかけても、アスランさんは気持ちよさそうな顔しないんだ。それってつまり俺が下手だからでしょ?」 そこまで言うと、残りのハンバーグを口の中に入れて、水を飲む。シンの食事はそんな会話で終わった。 僕は…もうどうしたら……。どこから何を言ったらいいんだろうか…。 「……シン……」 「はい?」 悪びれも無くシンは答え、僕はもう、顔さえ上げる事が出来ない。全身の力が抜けてしまいそう。…って、だめだ。それじゃあシンはずっと勘違いしたままになってしまう。 「…それで…。なんで下手だって思うの」 「だから、あの人、気持ちよさそうな顔しないから」 「………え?」 「いっつも、なんか眉間に皺寄ってるしさ、苦しそうだし。俺が見上げてもあの人は目をぎゅって瞑って、俺の顔を見ようともしない。それって俺が下手って事、だよな。俺気持ちいいのに、あの人は辛がってるんだもん。そんなの不公平だ」 真っ最中のアスランの状態をぽつぽつと語るシンは、その状況を思い出したのか、俯いて空になったトレイを見つめ、こぶしを握った。 頬に少し赤みが差すものの、口調は淡々としたままだ。よっぽどアスランの最中の状態が、シンには気に入らないらしい。 「…シン……」 「別にキラさんにどうして欲しいっていうんじゃなくて、ただなんか言いたかっただけです」 「…あ、うん…」 自分の劣等を言ったつもりだったらしいシンは、それはノロケなんだという事に気づいていないらしい。 シン。あのね。…アスランの状態の本当の意味を言ってあげるね? …アスランがね、眉をひそめるのも目をきつく瞑るのも、君が気持ちよくさせすぎている所為なんじゃないかな!? …君と顔を合わせないのは、好きすぎて恥ずかしいからだよ、きっと! ------と。 僕が言ってあげればいいんだろうか…。 でも、今僕に話をしているシンは、淡々とした口調で言いながらも、どうやらよっぽどアスランが気持ちよくないんだろうという事にショックらしく、顔に切なさがにじみ出てしまっている。 シンの握ったこぶしが、小さくみえた。 「”シンとやるのは気持ちよくないから別れよう、って言われたらどうしよう”、って顔してるよ、シン?」 「………はっ……?え…?」 「違う?アスランを誰かに取られそう、とか。俺じゃダメなのかな、とか。そういう風に思ってない?」 「……ッ……!……なん、…キラさん、俺、…そんな事、…!!」 少し猫背になっていた身体を凄い勢いでガバッと起こし、すぐに真っ赤な顔になって驚くシン。否定しているつもりなんだろうか。…ホント君、嘘つけないね。 やっぱりシンは純情だ。シンはずっと初々しくってひたむきで前向きだ。 こんな子にこんなに愛されているアスランってば、幸せものだね。うらやましい。 アスランとセックスしている間も、きっとシンは、表情とか性感帯とか、色々隠す事なんて出来ないんだろうなぁ…。 そう思うとなんだかアスランの一人勝ちみたいでちょっと悔しい。 僕もシンの事、好きなんだけどね…。弟みたいで。 「そんなに不安なら、アスランに聞いてみたらいいよ」 「な、何を言って…っ!」 さっきまで飄々としていた姿が嘘のような茹タコ。シンは顔の下半分を手のひらで隠しながら防戦するけど、…意味がない。 「アスランにね、最中に、”今気持ちいい?”って。聞いてみたら?」 「うぇ…っ?…え、あ…そ、そんなの聞けるわけ…ッ…!!!」 「聞けるよ。大丈夫、アスランなら答えてくれるよ」 「答えるわけないだろー!!」 ……ううん。答えるんだよね…アスランは…。僕との時は余計な事も言うし、聞くし。もうそんな事言わなくたっていいじゃない!?ってぐらいの事まで事細かに伝えてくるから参っちゃう。イク時も挿れる時も、全部アスランはしゃべるから。…で。アスラン、何。僕とシンの差は。ちょっとひどくない?可愛がり方がまるで違うじゃない。 イラッとしたのは、もちろんシンにではなく、アスランに、だ。 アスランにはちょっと怒りが沸いたけど、シンは可愛い。こんな事で悩むぐらい可愛い。 それで、つい、言ってしまった。 「そんなに自分に自信がないなら、僕としてみる?」 「へっ…?」 「だから、僕がシンとしてみて、その最中に言ってあげるよ」 「な、なにを…?」 「色々」 にっこりと微笑んでしまったのは、シンが豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をしていたからだ。 シンは硬直し、そして茹タコをさらに赤くした顔…ってもう、赤を通りこして青ざめてきたんだけど。 「い、いいです!いい!!」 「……そんなに力強く否定する…?」 「い、嫌とかじゃなくて、そうじゃなくて、キラさんと、なんて!!」 「…僕となんて、何?」 「………こ、こわい!!!」 うわー。それ、どう取っていいのか判んないや。 だから僕もこれ以上ピュアなシンを苛めるのはやめた。 「やだな、冗談だよ」 「…じょ、冗談?」 言えば、あからさまにほっとした顔しているシン。…胸をなでおろす仕草まで。…ちょっともう。シンってば。 でも可愛いシンをこれ以上苛めるのは酷だから止めておく。 じりっと迫っていた身体を引いて、にこりと笑ってシンの警戒心を解こうとした。 「そう。冗談」 「あ、冗談なんです、ね…よかったです」 「あはは、僕がシンを抱けるわけないじゃない」 「え…?」 「ん?」 胸をなでおろしたシンが、また不服そうな顔をする。…何? 「俺、また抱かれる側なんですか…」 「----。」 そうくるんだ?それなら、 「抱く側なら、僕とやりたい?」 「え?……あ、…………。いえ、…やらないです!」 なんで今一瞬迷ったの?シン。 気がつけば食堂には誰もいなくて(当たり前だ。誰か居たならこんな会話できない)。僕もシンも夕食が終わったから後片付けをはじめた。 トレイを戻して、食堂を後にしてMSデッキへと向かいながら、ついさっきまでの話とは想像もつかないぐらい健全な話。 フリーダムのマニュピュレートオートシステムの数値だとか、シンの機体のオートバランスの繊細さだとか。お互いもうちょっと機体のメンテナンスやれば今夜は眠れるね、なんて。 「そしたらアスランの部屋にいくの?」 「……今夜はいきません」 「いかないんだ」 「なんかぐるぐるしそうで」 あぁ、そうだね。さっきの今じゃ、どうしたらいいかも判らないね。 「アスランがシンの部屋に来ちゃったら?」 「……その時は、その時です」 いさぎ良い彼の言葉に、僕は顔の表情だけで笑った。 君のそういうところはとても好きだ。 けれど、シンにとっては不本意な会話だったのか、不貞腐れた顔している。 だけど、そういう会話を出してしまったのは、元々はシンだからね。ちょっとからかったのは僕だけど。 食堂を抜けて、MSデッキにつながるメイン通路を歩きながら、エレベーターに乗り込んだ。 階数表示の前に立つシンを背後から見つめれば、緩めた襟から首筋が見えた。首の裏の生え際には、もう消えかけのマーク。 シンはそういうところはあけっぴろげで、隠そうとはしない。だから、みんなも判っていて敢えて話には出さない。言わなくたって判っているからだ。けれど、シンがアスランとの事を話すのは、僕だけだ。 前に、他のクルーがからかいがてら、シンに色々聞いていたみたいだけれど、シンは頬と耳を真っ赤にするぐらいで、話らしい話はしなかった。シンはいつも僕のところに来て、何事もないようにアスランとの話をする。 信用、されているのか。 僕にだけ、心を許してくれているのか。 「…何で君は、そういう話をいつも僕にするのかな?」 「え?」 「だから、アスランとの事を」 シンは僕と目を合わせ、それから頬を赤らめて目を逸らしたまま答えた。 「だって……。キラさん、何でも巧くこなしそうだから」 聞いた僕は、いろんな意味で複雑な気持ちになって、苦笑した。
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