それは物凄く珍しい日の事だった。

「アスカ隊長、それ終わりましたよ?」
「うえっ?」
乗り込んだMS。コックピットに座った途端、インパルスの整備クルーの1人が暢気に言った。
「終わってるって…俺、今からメインスラスターの出力ゲージとバランス見ようとしてたんだぞ…?終わってるわけ…」
「さっき、済ませてしまいました。何なら整備ログ見てみてくださいよ。完璧ですよ?」
「え?」
淡々とそれだけを言って、去っていったクルーの背中を見送って、…今日はエイプリルフールだったけ?と首を捻る。
終わってるわけないんだ。これは俺が今夜徹夜してでも仕上げようと思っていた、かなり細かい作業で、一度修正しだしたらプログラムの完全変更ぐらいの勢いでやらなくちゃいけない。俺が一番苦手な分野だし、終わるっていったって、バランサーの調子だってある。
「嘘こきやがって…」
乱暴にパネルを起こし、ボタンを押し込む。
鈍い音をたてて立ち上がるインパルスのOS画面。あんな嘘つくなんてあのクルーは俺を馬鹿にしたいのか。
…まぁ仕事が増えたわけじゃないからと自分を納得させて、さぁやるぞと気合を入れて、キーボードをおこす。
そうして現れた、機体のプログラム画面一覧には、「PARFECT」の文字しかなかった。


ありえねぇ。
昨晩までは、調整が全然巧く出来てなくて駄目だったOSが、なんでいきなりあんなに完璧に仕上がっているんだろう。
俺、何かしたっけ?いやしてない。出撃もしてないし。
じゃあ誰かがいじったんだ。この短時間に。
誰が?
あの複雑怪奇なプログラムを1晩で?…あの整備クルー達で出来上がるんだろうか?聞いてみようかとも思ったけれど、それも失礼な気がした。あんなパーフェクトな整備、出来るわけないよな?なんて言えない。彼らだってめいいっぱいの力でメンテしてくれてるのは判ってたから。
「…誰だか知らないけど、変なプログラムもなかったし…」
釈然としないが、まぁ完璧ならばそれに越した事はない。
とりあえず、仕事が1つ減ったと思おう。
ラッキーじゃん。これで別の仕事が出来る。
たまりにたまった書類のサイン押しでもしようか。インパルスの整備を誰がしたのかは気になるところではあるけれど、せっかく完璧に仕上がったものをさらに弄る必要はないし。
フェイス用の人間にと分け与えられた個室に戻り、内線の電話を取った。
「特務隊フェイス所属シンアスカです。俺のたまってる書類片付けますんで。…そう、判子押しの。至急のやつから持ってきて欲しいんだけど……って…え?終わってる?全部!?嘘だろ、ありえない!」
…これまた盛大な嘘を。
「だってあの書類、俺1ヶ月は溜め込んでましたよ!?いや、溜めたのは悪いと思うんですけどね、でも……え?…俺よりも上官にサインもらった?嘘だろ、そんな奇特なやついるわけないじゃん!」
事務局は何を言っているんだろう。問い詰めてみるものの、それでもシンアスカの承認待ちの書類はありません、なんて言葉だけで、それ以上の書類は無いという。
「じゃあ俺の書類、全部片付いてるって事…?」
言えば、『ええそうです』とオペレーターは意気揚々と言い、電話を切った。
…今日は…どうなってるんだ?

意味が判らず、けれど整備も書類も無しってのはなんなんだろう。
頭をぽりぽりと掻いて考えるけれど、仕事熱心な小人が気をきかせて俺の代わりに整備と書類をやっておいてくれたんじゃ?ってロクな答えが浮かばない。
まぁ…仕事が無いっていうなら…とりあえず、この部屋の掃除でもしようか。
一応指揮官としての部屋を分け与えられているから、パッと見だけでも、部屋は綺麗にしておかなくちゃいけない。
いつ誰が来るかも判んないし。
ただ、人目につかないところは酷い有様だ。たとえば、あのロッカーの中。あそこには軍服やらインナーやらが詰め込みまくってあって、開けたら雪崩が起きる。
あと、この机の引き出しの中もだ。
どうにも提出したくなくて隠した書類とか、書き損じの用紙とか。ばさばさに詰め込んであって、仕分けするには一苦労。
「…はは…この掃除してるだけで1晩はかかるよな…」
いや、溜め込んだ俺が悪いんだけどさ。
それでもアスランさんと暮らしている部屋は綺麗にしてあるのは、…家だから?
アスランさんが帰ってくるしって思えば、必死になって片付けもする。誰かが居るって事は嬉しいし、汚いものをそのままにしておくのもなんか嫌で。
…俺もしかして1人じゃやっていけないタイプの人間なのかも。
「さてじゃあ掃除といきますか!」
書類が散乱するであろう、デスクの引き戸を、力をこめて勢いよく引いた。そうしないとドアが開かないって知ってる。紙とファイルがぎゅうぎゅうに詰めてあるから、棚がとても重いのだ。
けれど、俺の手にかかって開いたドアは大して重くも無く、苦もなく開き、そこに現れたのは汚い書類の束ではなく、綺麗にファイリングされたバインダーの背表紙だった。
「……あれ?」


おかしい。
おかしいって。
カーペンタリア基地に併設された飛行場のロビーを歩きながら思う。
仕事が何も無くなった俺が仕事を探してMSハンガーやら艦橋を歩いていたのに、誰も仕事は無いという。
挙句の果てに、「お帰りになられては?」と一言で言われ、あぁじゃあ帰るとしか言えず。今日は出勤したばかりだというのに、オーブに戻るための飛行機を待っていた。
(一体誰が何をやったっていうんだ…)
あれから、どこの机の引き出しを開けても綺麗さっぱり片付けられていて、筆記用具もPCも磨き上げたみたいにピカピカだった。良く見れば机の上さえも、拭き清められていて、ガラス張りみたいに綺麗で。
まさか何処もかしこも綺麗にされているのか?と、自分用のロッカーを開けても、出てきたのはクリーニングされた赤服と、整理整頓されて置かれたインナー各種。なくしたと思っていた予備のフェイスバッチもあった。なんだこりゃ。
ほかにもパイロット待機室に置きっぱなしになっていた雑誌やら飲みかけのペットボトルも綺麗に片付けられている。
あまりに不気味で、それでも今日何も仕事をしてないから怖くもなって、もう一度事務局に仕事くださいって嘆願。普段ならありえない行動だけれど、怖かったから仕方ない。
けど事務局から帰ってきた答えは、「本日シンアスカの書類はありません。明日またお電話ください」なんて言葉で。
じゃあってMSデッキに行ったものの、俺の機体の整備は完璧、予備の部品発注も完璧。俺、する事ないじゃん!?
呆然と立ち尽くす俺に、クルーの一人が、「たまには早くお帰りになられては?」と言ってきて、それで今、この状態。

なんだったんだ。なんなんだ今日は。
上を見上げれば、間もなくオーブ行きの飛行機が出ると掲示板が教えている。
呆然と迫る搭乗時間を見つめていると、ふいに携帯がぶるぶると鳴りだした。
「はい、シンです」
『あぁ、シンか』
「アスランさん」
タイムリーだ。職務中だったら携帯なんて出れないのに。今日は特別だから携帯に出れた。
『シン、今日は上がりは遅いのか?』
「え?それが…俺今から帰るところなんですよ…」
『えっ?なんだどうした、体調でも悪いのか?』
「あぁいえ…なんか色々あって…とにかくあと2時間ぐらいで帰ります」
『そうか。じゃあ待ってる』
「待ってるって…どこで?」
『決まってるだろ。家で、だよ』

アスランさんはそう言って電話を切った。
え?なんで?あの人だって仕事じゃないのか?こんな時間に家で待ってる???嘘だ、あの人だって忙しいんじゃないのか?いや忙しいはずだ。准将なんだ。

「なんなんだよ…」
今日は色々ありえない事ばかりで、俺はそのたびに首を捻る。
いっそ夢でも見ているのかもしれない。
夢なら、まぁいいや。せっかく振って沸いたようなこの休みを満喫しよう。
アスランさんも戻ってるっていうなら、今日は家で二人でゆっくり出来るのかな。どうせならゆっくりして過ごしたいね、アスランさん。
オーブ行きの搭乗アナウンスがはじまって、俺はタラップへと脚を向けた。



***



「おい、もうすぐシン来るぞ!」
「了解〜。おーい。そっちの右、もってくれ!」
「はいはい、ムウ、ちょっとまって」
「おねーちゃんグラスたりなぁーい」
「持ってきたはずでしょ?あと幾つたりないの?」
「えっと、あと5つぐらい?」
「じゃあ僕が買ってくるよ。…あ、アスラン。君やっぱり嘘つくのヘタだね?」
「え?俺のどこが?」
「だって、あからさまに言いすぎなんだもの。なんでアスランがこの時間に家にいるんだろう、ってシンに思われて不審がられたらどうするの?」
「あ…」
「そしたら僕が頑張ってインパルスの整備仕上げたのも、シンの代わりにサイン頑張ったのも、無駄になっちゃうじゃない!あの子こういうお膳立てされるの嫌いでしょ?」
「…そんな事言ってもなあ…ならお前が電話すればよかったじゃないか…」
「アスランさんの不器用は今に始まったことじゃないですしね。私とメイリンがどれだけ頑張ってシンの部屋やらロッカーを綺麗にしたか知ってます!?」
「いや…あいつそんなに汚いのか…?」
「アスランさんの居ないトコでは、かなりだらしないですよぉー?」
「…そうなのか!?」
「うわー愛されてる発言だわ!だってみて、この家の綺麗さ!シンが掃除したんでしょ?コレ全部!」
「…あいつ、ホントは掃除苦手なのか…!それを俺は、無理に掃除やら家事をさせてたのか…シン…」
「おいアスランお前またハツカネズミ中か?」
「カガリ!」
「久しぶり、キラ、みんな」
「よく来れたわねカガリさん…行政府のほうは?」
「今夜は休みを貰った。せっかくだしな。あ、ケーキ買ってきたぞ。人数多いと思って特別注文の大きいやつ!」
「わ、カガリこれ、ウエディングケーキだよ!!」
「いいじゃないか、大きいし」
「あ、そっかそれならアスランとの結婚式も兼ねちゃえばいいんだ!」
「俺?…と誰の?」
「ちょっ!!天然!天然がいますー!!」
「シンー!早く帰ってきてよ!」