僕の職場は、オーブ国際空港の中にある。
空港で働いてるって言うと、なんだか凄そうだけれど、実のところ、全然凄くはない。
入国監視員でもなければ、航空機パイロットでも、管制官でもない。…まぁ確かに昔は、そういうのを憧れていたけれど、コーディネーターでもない、ナチュラルで平凡な僕が、法務省に勤めるようなエリートになれるわけなかったし、軍のMSパイロットを経験してましたから航空機ぐらい簡単に扱えます、なんて過去を持つような身分でもなく。…そもそもその前に、僕は今現在学生なんだから、職歴なんてあってないようなものだ。
僕は、オーブ国際空港内の、待ちうけロビーの、コーヒー屋の店員だ。

毎日、コーヒーをよそって、差し出して。あわただしく出国するオーブの人たちを見送る。そして、ようやくオーブに入国できた人たちを迎え入れ、一息コーヒーでもつこうって時に、お迎えする役割でもある。
全国的にチェーンを持っているコーヒー店だ。皆、店の看板を見ると、あ、一服していこうかって思うわけで。
ここで殆ど毎日バイトをしている。気ままな大学生って身分だ。講習が1日丸々入ってるわけでなければ、大抵バイトをしている僕。

国際空港だけあって、ここで、いろんな人を見てきた。
たまに有名人も来る。他国の売れてるミュージシャンとか、政治家とか、スポーツマンとか。
けれど、僕はそういうミーハーなものにはあんまり興味がなくて、イマイチ反応は鈍い。まぁ有名人が来たぞってだけで、きゃーきゃー言ってたら、空港でのコーヒーショップの店員なんて務まらないんだけど。
けど、今ばかりは。
今ばかりは、とてつもなく緊張している。
心臓がバクバク言ってる。
嘘だろ、なんで、あの人が。
僕の目は、入国審査のゲートに釘付けになっていた。
だって、僕の数十メートル先には、あの、あの!ラクスクラインが居るんだ。
あのピンクの髪は間違いない。ラクスクラインだ。
ザフトのトップに君臨する、プラントの元歌姫。CDの売上枚数は史上最大のヒットで、誰もその記録を塗り替える事が出来ない。元ザフト評議会シーゲルクラインの一人娘で、世界トップの歌姫でありながらプラントの親善大使を務め、平和を愛していた。大戦では連合とザフトの戦争を仲介し、その後も行方不明になったり、偽者が現れたりしたけれど、彼女は現在世界のトップに居る人物。
…どう考えたって、凄い人だろう。
いくら僕がミーハーじゃないっていっても、緊張はする。

だから彼女が、搭乗口から降りて、入国ゲートをくぐった瞬間に判った。
ラクスクラインが居る場所だけ、雰囲気が違うだ。その場に居た、そう多くは無い利用客も、足を止めて、口をぽかんと開けて、突然現れた歌姫を見つめていた。動けないんだ。凄すぎちゃって。
なんで、こんなところにいるんだ!?
ラクスクラインが来るなんて、予定には無かったはずだ。しかもああいう凄い人を迎える時は、専用の通路とか使うんだけど。
ザフトのトップエリートが、数人の護衛をつけただけで、普通にオーブに来ている。ありえないよな。
…彼女は確かオーブにも住んでいた事もあるらしいから、まぁ昔の友人とかに会いに来るって事は充分考えられるんだけど。
宇宙港ではなく、普通の国際空港を使ったあたり、別の国に寄ってきたのか。ともかくあのピンクの髪色は確かにラクスクラインだった。
遠くから、一瞬見えただけだったけれど、それは僕にとっては凄い経験だ。


「おにーさん、いつもの」
僕がラクスクラインに目を奪われていた時だった。目の前に、見知った顔があって、驚いた。
あぁ、そうだ。僕は今店員やってるんだ。
「…あぁ、すいません。ええといつもので」
「うん、よろしく」

よくコーヒーを買いにきてくれる彼は、まだ20歳にもなってないぐらいの青年だった。…いや、青年になりかけの少年、と言ったほうがいいのかもしれない。このコーヒーショップを利用してくれる、いわゆる常連客さんだ。
僕はほとんど毎日、彼にお決まりのコーヒーを差し出す。

「ええと」
ジーンズのポケットに直に入っていたらしい小銭を取り出して、お決まりの金額を僕に手渡す。…にしても君はラクスクラインに驚かないんだね。
僕はお金を受け取った。
「ありがとうございます」
「見とれてた?」
彼は、そう言って僕に微笑んだ。赤い目が印象的な子だ。
名前も知らない子だけれど、毎日毎日この空港にはやってくる。というか、利用している。
ジーンズとパーカーという、ラフないでたち。多分僕より年下だ。僕はもう21だから。
見とれてたのかと言われて、訂正も出来ず、僕は笑うしかなかった。

「いや…あはは申し訳ないです。ラクスクラインでしょう、あの人。すごいね、お忍びかな」
「じゃないですか?」
「凄いね。ザフトのトップがあんなに堂々と」
「ヤバい事してるんじゃなければ、堂々としてたらいいんですよ」
少年は、さらりと言った。
その言葉に、(もしかしてこの子はラクスクラインが嫌いなのかな?)と思ったけれど、表情は穏やかだったから、嫌いというわけではないだろう。
僕は、あんなに凄い有名人を見られる機会なんて無いから、つい目で追ってしまう。
でも彼はまったく見ない。…興味がないのかな。
僕はラクスクラインをちらちら見ながら、彼のコーヒーを準備して渡した。
いつもの。カフェアメリカーノ、ホットで、トールサイズ。
彼はブラックを頼むけれど、ミルクとシュガーを持っていく。ブラックで飲む事もあるようだけれど、まるで人目をはばかるようにこっそり大量のミルクを入れる姿はなんだかかわいい。まるで本当はブラックなど飲めないのに、意地で頼んでいる子供のようで。

ここを毎日のように利用してくれてる人は、彼のほかにもいる。
通勤に、空港を利用している人も、少なくない。
だから、彼のように、毎日空港を利用して、毎日コーヒーを買っていく人もいるわけだけど、僕と話をする機会ってのはあまり無い。
大抵、「ご注文はお決まりですか」「ありがとうございます」「少々お待ちください」「お気をつけていってらっしゃいませ」という繰り返しで、淡々としたものなんだけれど、彼は違った。「おはよ」と挨拶から始まって、会話は日々少しずつ増えていった。「今日は雨だね」とか、「便遅れてるみたいだ」、とか。
僕は、彼とのそんな小さな会話を楽しむようになり、最近ようやく口数が増えてきた。彼の名前も知らないけれど、僕たちは出会えば、にこりと微笑んでコーヒーを売ったり買ったりしていた。
彼が空港に来る時間は、まちまちだった。
朝の早い時間の時もあれば、午後の時もある。1週間ぐらい姿を見ない事もあった。
けれど、いつもカーペンタリア行きの便の搭乗ゲートが閉まる15分前ぐらいに来るから、きっとそれに乗るんだろう。
彼が向かうのは、いつもカーペンタリア行きだ。
カーペンタリア行きっていえば、あのザフト軍の軍港がある場所だ。たしか、軍港と併設してる珍しい空港で、利用する人はやっぱりザフト軍人が多い。
…じゃあ彼は軍人なのか?あんなにまだ小さいのに?…いや、でもザフトの成人は確か14とかだし、あのぐらいの歳で国の官僚になる人も居るっていうし。じゃあ彼も軍に勤める人間なんだろうか?まさかMSのパイロットとかそういうんじゃないだろうな。あんな優しそうで、しかも身体も細いあんな子が、とてつもない体力と根性と知識のいるMSパイロットなんてしているとは思えない。
ただ単にオーブの学生なのかもしれない。
で、家がカーペンタリアにあるんだ。
あ…でも、いつも「いってきます」って言ってるから、やっぱりオーブの子なのか…。ハウメアの石でもつけていれば確定だけれど、彼にそれらしいものはない。…謎の子だ。
ただ、あの赤い目が、いつも印象的で、なんだか吸い込まれそうになる。
気がつけば、彼が来るのを楽しみにしていて、彼にコーヒーを出すのが楽しみにもなっていた。だからバイトは皆勤賞。店長にも褒められる程になった。

「ありがとう」
彼は、にこ、と微笑んで、両手でコーヒーを受け取ると、まるで逃げるように搭乗口へと急ごうとする。いつもなら沢山持っていくシュガーもミルクも無しで、さっさとここから立ち去りたいみたいだ。
僕はやっぱり、ラクスクラインが嫌いなのかな?と思った。
その時だった。
遠くに行ったと思っていた、ラクスクラインが近づいてくるのが判ったんだ。
「…シン!」
彼女は誰かの名前を呼んでいた。ラクスクラインが来ると、SPとその集団もついてくる。ぞろぞろっとザフト軍のエリートご一行がこっちに来た!!
はっきりいって、僕は庶民の出だし、そんな位の高い人たちと会う機会なんて早々ない!
確かに空港ってのは、有名人が使うけれど、こんなフツーのコーヒー屋にそんな有名人が足を運ぶわけがなく、遠くから見ているぐらいが精々で。
なのに、有名人でもずば抜けて有名でもしかしたら世界で一番顔と名前が知られているんじゃないかというザフト軍トップの歌姫が、こっちに来てるんだ!…うわ、うわ、こっちにきた!うわ!
「待ってください、シン」
SPやら白服やら引き連れてこちらにてくてくと歩いてくる彼女は笑顔で、しかもその隣にいる白服の軍人まで笑ってるよ!おい、ちょっと、なんなんだ!まさか僕に用!?そんなわけないよな!?
「シン、逃げないでくださいな、シン」
彼女は、誰かの名前を呼んでいた。シンって。誰だそれ。有名人?あのラクスクラインに声をかけられるぐらいなんだから凄い人なんだろう。…しかもそのラクスクラインから逃げてるって、どういうんだよ、シンって人は!
「シーンー。はい、もう覚悟を決めて?」
ラクスクラインの隣にいた、白服の妙に若くて華奢な軍人も、シンという人物を追っていた。笑ってる。めちゃくちゃ笑ってるんだけどあの人!
そして、ラクスクラインは俺の目の前でぴたりと止まった。もっとも、目線はどっか違うところを向いていたけれど。

「おひさしぶりですわね、シン」
「………お久しぶりであります…」
「お元気そうで何よりですわ。今からカーペンタリアへ?」
「そうであります…」
「何故そのようなお顔をなさいますの?」
「いえ…別に。その。なんとなくアナタに捕まっちゃいけないような気がして、ですね…」
「あらあら」
ラクスクラインは驚いたように手を頬に当てて小首を傾げた。その姿は本当に妖精みたいだった。美人だなやっぱり。このピンクの髪って地毛なんだろうか。すごいな。声も綺麗だなぁ、さすが歌姫だよ。あ、良いにおいがする…。
……僕は現実逃避していた。
人間驚くと、思考回路が全部やけっぱちになるみたいだ。
シン、と呼ばれたラクスクラインと親しい人物。
それは、あの、毎日コーヒーを買いに来てくれる少年だったからだ。

その後、ラクスクラインは、SPらしき軍人に時間を確認し、10分だけ時間が取れると判ると、”シン”と話がしたいと言い出した。
その間にカーペンタリアへの便の搭乗受付は終わってしまうけれど、相手があのラクスクラインでは、断る事なんて出来ないだろうし、そもそも彼女はザフトのトップだ。便1つ臨時で増やすぐらい、どうって事ないだろう。「なんならMSで送ってあげるからね」と言ったのは、ラクスクラインの隣に立っていた白服の軍人だった。「結構です!」と”シン”は答えていたけれど。
それから彼らは、待合室でも何でもない、普通のオープンスペースで、コーヒー3つ揃えて、話をしていた。ラクスクラインと、”シン”と、白服の軍人と。(なんとそのコーヒーを淹れたのは僕だ。僕のコーヒーを、ラクスクラインが呑んでいる!凄い事だ)
随分楽しそうに話していたのはラクスクラインと白服の軍人で、”シン”はしばらく、あー、とか、うー、とか言っていた。話している内容は僕のところまで聞こえていた。他愛のない会話ばっかりだった。
最近どうですか?そうですか、今度お茶しましょうね。海にいくのもいいですわね、またシンのお誕生日のように皆さんとお会いしたいですわ。そんな会話。フツーの女の子の会話だった。
10分間そんな話をして、SPが時間を告げると、ラクスクラインは最後に”シン”の手をしっかりと握り、またお会いしましょうね、と最後に小さく微笑むと、空港の外へと流れるように出て行ってしまった。
白服の軍人にいたっては、「僕はこの後カーペンタリアだから。またあとでね!シン!」という台詞つきだ。

あっという間の出来事だったけれど、とんでもない経験だった。
一瞬の嵐みたいだ。
ラクスクラインが居なくなった後、僕は一気に力が抜けて、へなへなと床に座りこんでしまった。だって…しょうがないだろ?

「あー…すいません、うるさくて」
そんな声が聞こえてきて、顔を上げると、いつものコーヒーを買いに来る”シン”が、空いたカップ3つ抱えて僕に詫びを言いにきた。
「あ、いえ、そんな、その、こちらこそ、」
「あの人たち、時々びっくりする事するんです。だからあんまり気にしないでください。またきっとお忍びで来ると思います。絶対俺の出発時間に合わせてくると思いますから。…そうだ、わざとだ…じゃなきゃあんな都合よく来るもんか、絶対キラさんの差し金だな…時間知らせたのはアスランさんかな…くそ、帰ったら覚えとけ…」
会話の最後の方は、僕にじゃなく、もう独り言だ。
良く判らない単語がでたから、まぁ聞かなかった事にしておく。

それにしても。
この彼が、本当はザフトのトップと知り合いだったなんて。
驚いた。
もしかしたら、彼はカーペンタリアに勤務してるザフト軍人なのかも?なんて思った事もあったけど、それはビンゴだったらしい。
しかも、ラクスクラインと知り合いという、多分、ザフトの中でも、結構上の立場の。
…今まで普通に話しちゃってた僕は、もしかして無礼な事やってないだろうな!?って一瞬青くなった。冷や汗。いや大丈夫なはずだ…大丈夫…。
「あ、空いたカップ、受け取ります」
彼が抱えていたカップを手に取って、ゴミ箱に捨てようとして、思った。
このピンクの口紅がついているのがラクスクラインが使用したカップだよな…オークションで売ったら、凄い金額に……あーいやまて。そんなのしちゃ駄目だろう!
僕はくしゃっと丸めて、後腐れのないようにゴミ箱の奥に捨てた。

「カーペンタリアの便、いっちゃいましたね」
「あー…」
滑走路に向かっている小型輸送機を、カウンターから2人で見る。
”シン”は、小さくため息を吐いていた。
「いいんです。きっと俺用になんか用意されてるだろうから。そーゆーの、ホントに抜け目無いんだあの人たちは。…あーそれでも遅刻だ」
またため息を吐き出して、ポケットの中をごそごそと漁ると、携帯電話と違う、小型の通信機を出して、ボタンを2,3回押した。軍の専用電話らしい。
…聞き耳を立てるのは申し訳なくて、僕はカウンターの中で他の仕事を始めた。
「特務隊フェイス所属のシンアスカです。本日0900よりの指令、遅れます。1000開始予定。通達願います」
いつもの声とは違う、硬い声で、自分の事を”シンアスカ”と名乗った彼は、指示を出して、電話を切った。
…今、特務隊って言ったような気がしたけど。
ザフトの特務隊って、なんか聞いた事あるぞ。……ええと…確か…。駄目だ、ラクスクラインの映像が強すぎて頭の中がプチパニックだ。
特務隊、特務隊…トクムタイ、…ん?トクムタイってどういう字だっけ?あれ?

「じゃ、おにーさん。お騒がせしました。また明日」
「え?あ、ありがとうございました、お気をつけて、!」
とっさに、いつもの挨拶を告げると、”シンアスカ”は、小さく手を振って、飛行機の格納庫の方へと走っていった。
今日はまだ始まったばかりだったけれど、僕はなんだかもうめちゃくちゃ疲れていた。
ラクスクラインを間近で見て、コーヒーをサービスした。いつも普通に話しかけていた少年はザフトのお偉いさんだったみたいだし。あぁ…とんでもないな今日は本当に。
そういえば特務隊って…なんだっけな。帰ったら調べよう。

……僕が、ザフトの特務隊というものの凄さを思い出したのは、その日の夜だった。