この季節、オーブに流れてくる風は、強い。

「うわっ、ぷ」
ベランダに干していた服が飛んでいきそうになって、慌てて仕舞うけれど、今日は風が一段と強いようで、なかなかの手間だ。
インナーシャツが強い風に煽られて、アスランの顔面に直撃した。一瞬呼吸が止まる。慌てて剥いだ。
「シンのか」
まったく、洗濯物になってまで暴れてるやつだなと口端だけで笑いながら、今朝シンが干していったものを全て取り込む。

久しぶりの休みだった。
2人の休みが重なるのも珍しいなと笑いながら、昨晩は夜更かしをし、朝起きたシンが、寝ぼけ眼で干していった洗濯物。
そのシンは、今居ない。
呼び出しで、カーペンタリアへと行ってしまった。ついさきほど。

「…さて…これで全部か?」
洗濯ばさみから丁寧に外して、部屋の中へ取り込んでいく。
リビングのテーブルの上には、マグカップが2つ。
中身はもう冷たくなっているけれど、さきほどまでシンが居た名残だ。
『すぐに帰ってこれる…と思いますけど』
口を濁したように言って、玄関から出て行こうとするから、無理をするな、と言い返した。すぐに帰れると言って本当は帰れなかったことなんて、今までどれだけあったことか。期待はしていない。
それでも、帰ってこれるようにする、というシンの気持ちだけは嬉しいと思った。
『…でも、なるべく早く帰って来るから、その』
玄関先、ドアノブを握ったまま、歯切れの悪い言葉。
どうした、と顔を覗き込んだ。正面から見つめられずに首を横へそらしてしまったシンは、唇をきゅっ、と噛む。
…寂しいのだろうか。
ふと、思った。
…いや、シンはそう思っているはずだ。間違いない。
『…待ってる、シン』
伝えれば、やはりと言うべきか、びくりと身体を震わせるから、愛しくもなる。
手を伸ばす。肌に触れるか触れないかの距離で、シンの顔が、がばっと上がった。
『あ、洗濯物!!取り込んでおいてくださいよ!』
『え?』
『じゃ、!』
おい、と声をかける前に、勢い良く玄関のドアを開け、その何倍もの勢いでドアを閉めた。バァン、と強い音でドアが閉まる。
玄関前の通路をかけていくシンの足音を聞きながら、ぱたりと腕を下ろした。
寂しいのはこっちだ。

「洗濯物、…な」
あれは照れ隠しだったのだろうか。冷静な気持ちで、ふと考える。異様に焦っていたシンの姿が思い浮かんだ。
洗濯カゴ一杯の洗濯物。
普段はシンがこまめに洗濯をやってくれているけれど、ひとりでやろうとなるとなかなか難しい。こういった事はあまりしたことがない。
まあたまにはいいものかと、残りの衣類を全て取り上げた。
「おっと…!」
ひときわ強い風が吹きすさんだ。とっさに両手に抱えたけれど、ベランダの隅に落ちている布地を見つけて拾い上げた。飛ばされたらしい。
マンションのベランダ、高層階。風は突風に近い。慌てて取り込んで窓を閉めた。
「さて、これをたためばいいのか」
床に全てを広げて、さっき拾い上げた布地を、ふと手に取った。
黒く、薄い布。…小さな。
「…なんだ、これ…?」


***


「それで?思い余ってアスラン、僕を呼び出しちゃったんだね?」
「ああ、すまない…」
「いいよ?ちょうどオーブにいたし、アスランの悩みを聞くのは楽しいから」
用意したせんべいが、半分に減っている。キラの口に次々と放り込まれていくせんべいが、バリバリと音を立てていた。
この幼馴染は、人見知りなところがあって、他人と一緒にいればなかなかの男ぶりを演じて見せるのだが、身内には容赦なく素を晒す。アスランはいまのところ、キラのいちばんの素を知っている人間だ。

「で、アスランが拾い上げちゃったのが、超セクシーバンツだったんだよね、…シンの」
「あ…ああ…」
「そんなにセクシーだったの?」
「そう…だと思うが」
「まあ、アスランはそんな下着に縁ないもんね…女の子の下着だって見ただけで、ほっぺた赤くしそうだもん。その歳で」
「!!…女性の下着を手に取ればそうならないか!?」
「ならないよ。僕、カガリのもラクスのも平気だよ」
「…そういうものなのか…」
「そういうもんだよ。シンだって、ルナマリアちゃんのなら平気じゃないかな?」
「…!!」
バリッと、せんべいが割れる。
と、同時にアスランのこころも割れたような気がした。
「シンて、そんなの履くんだねー意外だなー」
「…意外どころか…」
ばりばりとキラの口の中に消えるせんべい。
意外どころじゃない。しばらく会えなかったとはいえ、シンがそんなものを履くとは思わなかった。
「普段はごく普通のシンプルな…いや時々派手な色のものは履いていたが、まさかあんな…」
「そんなに言うほどのセクシーパンツだったわけ?」
「こんな小さかった」
「へー…え」
アスランが示した大きさは、親指と人差し指を広げたほどで、…いや、それじゃあ大事なところさえ隠れないと思うキラだが、ようするにアスランが言いたいのはそれほどちいさなものだった、という事だろう。
「そういうのつけるのが、シュミになったとかじゃ?」
「たった1,2週間会えなかっただけでか?」
「下着のシュミなんて、ちょっとしたことでも変わるよ。アスランだってそうじゃないの?」
「…………」
黙られた。眉間に皺が寄る。ああ、つまり。
「…アスラン、昔から下着は一種類派なんだ…」
「………」
「いや、別に問題ないでしょ?」
そんな、あからさまに不安そうな顔しなくても。
最後の1枚のせんべいに手を伸ばす。なくなっても、すかさずアスランがせんべいを継ぎ足した。どうやらまだ話がしたいらしい。キラは、ふう、と息を吐いた。
(相当テンパっちゃってるんだねぇ…)
幼馴染とはいえ、なんだか可哀想になってきた。
けど、下着ひとつでそんなに慌てることでもないと思うのだけれど、アスランのその馬鹿正直なところは、昔から変わらず愛おしいと思う。
きっと、こっちが黙っていれば、その分だけ悪い方向に考えてしまうんだろう。そうに決まっている。今とてそうだ。アスランの思考回路はぐるぐる廻って、はずれの出口に進んでいる。きっと。
「…キラ、これは俺の想像なんだが…」
「うん」
ほらきた。
「…下着の趣味が変わるというのは、それなりの心境の変化があったという事で…」
「うんうん」
「しかも下着だ。…その趣味というのは…もしかしたら…」
「他に、下着を見せるような人が出来たのかもしれないって思ってる?」
「…やっぱりそうなのか!?」
「いや、そうなのかって…」
これはどう答えたらいいんだろう。
常識から言って、確かに恋人が新しく出来たりしたら、下着を換える事もあるかもしれないけど、相手はあのシンだ。
キラは、うーん、と天井を眺める。
「2週間…いや、12日会ってなかったんだ。あいつもカーペンタリアに篭もりっきりになって…」
「けど12日ぐらい会わなかったぐらい、いままでだってあったんじゃ?」
「あった。…あったが、…それも塵も積もれば…」
「何それ」
それで、君はシンの浮気を心配してるっていうの。…たかがパンツ1枚で。
「ねえ、アスラン。そのパンツさ、僕にも見せてもらえるかな?」
「お前に?」
「うん、そう。ほら、見たらさ、何か判るかもしれないし?」
方便だ。
けれど、アスランがそこまでハツカネズミになるなら、見たくなってきた。
おねがい、と懇願の目を向けると、アスランの背後から、パンツがあっさりと出てきた。…もっていたのか。キラは思わず苦笑を堪えた。

「ふーんこれ」
黒い、ビニールのように光沢のあるパンツだ。腰の部分は完全な紐で、大事な部分はとても小さい。
キラは、逆三角形の部分を見つめ、そしてベランダをちらりと見た。
あそこに干してあるのを、アスランが見つけたらしい。
…マンション。ベランダ。風。シンにはありえないパンツ。

(…あー…判った…)
っていうか、これだけ条件がそろっていれば辿りつきそうな答えなのに。
「キラ…?」
「え?…あ、うん」
どうしようか。
言ってもいいのだろうか。
…けど、言ったところでアスランは信じるだろうか。このパンツに、ひどく盲目になっているアスランに、これ、風でお隣さんあたりから流されてきたヤツじゃない?なんて。
信じなさそうな気がする。
(…これは…アスランとシンが直接話した方がいいんだろうなぁ…)
いっそ、膝付き合わせて、お前は浮気しているのか、ってアスランが聞けばいいんだ。
シンはきっと怒るだろうし、何言ってんですかってパンチの1つでもするかもしれない。…でもそれならそれで雨降って地固まる、って事じゃないのか。
キラは、脳内シュミレーションを完了し、何食わぬ顔をつくって、机の上に黒パンツを戻した。他人のビキニパンツを持つのは趣味じゃない。

「…ごめん、僕じゃどうしてこんな下着があるのか判らないから、シンとちゃんと話をした方がいいと思うよ?」
言うと、アスランは、はっと息を飲んだ。
不治の病でも宣告されたような顔で青ざめてみせ、けれど冷静を作ろうとして、苦く笑って、ああ、と呟く。
茶をついでくる、と立ち上がったアスランはふらふらとキッチンへと歩いたけれど、あれは完全に上の空だ。
(…うわーダメージ受けてるなぁ…)
そういうところがアスランらしいけど。

シンと付き合うようになってから、アスランはだいぶ心持ちが強くなったように思う。シンにならわがままも言うし、やりたいことをやっているらしく、シンが愚痴を言うほどだ。そのたびに微笑ましいねぇと見守ってきたけれど、どうやら今日のアスランは見事なハツカネズミである。
(浮気…ねえ…)

キッチンのテーブルに置いてあるのは、おそらくシンが作ったであろう、作りおきの食事。アスランのためのものだ。
そんなものを丁寧に作ってくれるようなシンが、浮気?
(…ってか、あの子はそんなに器用な子じゃないでしょ…)
女の子でさえ、ロクに口説けなさそうなのに。相手から寄せられる恋心に気付くのだって、アスランと同じぐらい鈍いように見えるのに。

キッチンで、火にかけたケトルを見つめるアスランの目はうつろだ。沸騰しかけていることにさえ気付かない。
(…でもまぁ…たまにはこういうのもいいんじゃない…?)
アスランとシンは、お互いが自覚してないだけで、充分ラブラブしてるわけだし。
たまにはこういうのも必要な気がする。

放っておこ。

それがキラが出した結論だけれど、この後、キラに起こる災難までは、まだ、予測出来ないでいた。