「いち、にぃ、さん、よん、ごー……ろく?…」
「何が?」
指を折り数えるシンに、アスランは寝相を変えながら答えた。
先程、アスランが伸ばしてきた手を、シンは拒んだ。腰と肩に絡み付いてこようとするから、足で払い、手で叩き落とした。アスランは現在不貞腐れてそっぽを向いている。こういう子供ぽいところがあるのを、シンは終戦後に知った。
もっとも、彼がこんなあからさまな態度を示すのは身内のごく僅かだが。

「6日間。俺、自分の部屋で寝てない」
「…………。じゃあ次は、お前の部屋でやればいいのか?」
「そういう問題じゃないって!あんたいつから下ネタ好きのオヤジキャラになったんだよ!」
べしっとアスランの後頭部をはたく。「元上官に向かって…、」と聞こえた気がするが、シンの恨みの目線を、背中で察したアスランは何も言わなかった。そのまま不貞寝を決め込む。

この人は、子供だ。
最近よく思う。一緒に暮らしはじめてから、見えなくてもいいような癖やら生活態度が、判るようになってしまった。
アスランは左側で眠るのが好き、靴はそろえるのにスリッパはそろえない。家事は一切出来ないけれど、コーヒーだけは入れるのが旨い。のに、紅茶は入れられない。常識以上の事を知っているかと思えば、常識に値するようなことも知らない。金銭感覚は、麻痺しているかと思えば、変なところでは細かい。好みはシンプルなもの。無頓着なだけのような気もするが、部屋に入れる家具や雑貨は、カラーがついたものが好きではないらしく、白、黒、こげ茶で統一されている。

シンは改めて、ベッドサイドの小さなランプのみで照らされたアスランの部屋をぐるりと見た。大して広くは無い部屋だが、物が無い所為で広く見える。机の上にはノートPC。アスランの私物だ。机の棚には全部鍵が掛かっている。見られたくないというのではなく、見せられないものが多いのだ。まだ20歳だが若き将校として、オーブ軍を引っ張っている身分でもあるからなのか。家に持って帰れるものなど、たかが知れているだろうが。
(まぁ…そう思えば、アスランさんが6日間連続で家に戻ってこれるっていうのが、そもそもすごいけど)
オーブ軍の准将で、MSパイロット。さらにMS設計やら国のトップの警護までかって出るというのだから、多忙に決まっている。
けれどアスランはどれだけ遅くなろうとも、この家に帰ってきた。
夜勤の時や、作戦行動中、抜けられない用事があった時などは別だが、仕事の上がりが深夜になろうと明け方だろうとアスランは家まで戻ってはシンと少なからず会話をし、翌朝仕事に出かけた。
最近、ようやく仕事に一区切りついたのか、明け方に帰ってくるようなことがなくなった。おかげで毎日のようにベッドインしている。
(…しなきゃしないで寂しいけど…6日連続って…)
18や20の若者が、セックスに淡白なのも問題なのかもしれないが、毎日し続けるというのもどうだろう。シンはさすがに尻が痛くなるのを感じていた。寝相でアスランの腕が絡みついてくると、無意識に腰を引いてしまう時さえある。
まぁ、6日間連続といっても、明日からしばらくは、こうして共にベッドに入る事も無くなってしまうと判っていたから許した行為だ。
アスランにはまだ伝えてないが、シンは明日からザフトの大きな作戦に組み込まれている。カーペンタリアへの集合は明朝9時。それ以降の行動や帰宅予定を、オーブ軍であるアスランに告げる事は許されない。
戦争中ではない。けれど戦争を終えても紛争はある。テロリストは世界各地に潜んでいるし、戦争が終了し混乱した今だからこそ気をつけなくてはならない時期だ。
今回のザフトの作戦も大規模なテロリストの排除にある。女子供非戦闘員をも殺害するテロリストを放置などしておくわけにはいかない。今回の作戦が成功すれば少なからずテロリストの拠点の1つや2つは潰せるだろう。

シンが、この部屋を出て行く時間は、刻一刻と迫っている。
しばらく会えなくなる。
眠るアスランの背中は、丸くなっている所為か子供のように見えた。
(…なんかこの人、1人にしときたくないなぁ…)
そう思う。
一緒に居られるのが自分だったら一番いいのだが、出来るのならば常にアスランが誰かと共に居てほしいと思う。キラが一番いいと思うけれど、彼は今、宇宙に滞在しており、ザフト軍の所属だ。軍も立場も違うのでは頻繁に会うのは無理だろう。
今、アスランの傍に居るのは元AAのクルー達と、カガリユラハスハなのだろうが、それが果たしてどれだけアスランの支えになっているのかはシンには判らなかった。アスランから聞くAAのクルー達は、とても良くしてくれているようだから心配ないが、いかんせんシンはAAクルーとはあまり面識がない。
(だいじょうぶかな…ホント…)
軍の作戦に赴くのは自分だというのに、アスランが心配でたまらない。
薄暗闇の中で見るアスランの背中。濃青の髪が肩甲骨にかかっていた。

普段の彼らしくもなく、丸められた背中に触れたくなった。
手を伸ばそうとして、思いとどまる。
小さなため息を吐き出して肩の力を抜き、シンはぽつりと話かけた。

「あのさ」
「………」
「おい。」
「…………」
「…俺、明日からしばらく留守するから」
「…………」
「聞いてる…よな?だから、アンタも大きな仕事あるなら、そっちに構っていいから。この家に帰ってくる事ない。あ、明日の朝、ゴミは俺が捨てとく。新しいゴミ出すなら、片付けとか頼む…ってホントに聞いてるのか…」
「ああ」

やっと帰ってきた返事は、枕に顔を埋めたくぐもった声。
けれど、返事以上なにも言わないアスランに、シンもため息を吐くしかない。
6日間、一緒に寝れたのが奇跡だ。だから拒まなかった。恋人として幸せだったし、家族みたいで生活が充実していた。
軍で取る食事も睡眠も不満足では無かったが、こうして家で2人で取る食事を続けて、軍で取る淡々とした食事が、「寂しい」ものだと判った。忘れていた家族の感覚。忘れていた「家」があるという事。

「だから、しばらく俺居ないけど。……まぁ、元気でやっててくれたら」
それだけ言って、シンは今度こそ口を閉じた。ぎゅ、と唇に力を入れる。…そうして身体を強張らせていないと、言ってはいけない何かが唇から零れてしまいそうで怖かった。布団をかぶり直して、アスランの隣、身体が触れ合わない場所で背中を向ける。シーツからはアスランのにおいがした。
いつ、帰ってくるのか、とか。
帰ってこれるのか、とか。
何も聞くことは出来ないし、答える事もできない。
他軍である以上、それは当然であり仕方の無い事だ。
しばらくは、こんな温かい布団にも人肌にも触れる事は出来ないだろう。今夜、アスランに会えてよかったと、シンは当たり前のような小さな幸せに感謝した。
待ってて、と言えない。
何が起こるか判らない。どれだけの期間、艦に乗るかも判らない。無事に帰ってくるかどうかも判らない。

「シン」
「なんです?」
「……他のやつのところにだけは行くなよ」
言われて、ふいた。
…だけ、かよ。
笑った。
肩の力が抜けて、ひとしきり笑った後、不貞腐れたままのアスランの背中に、額をぴたりとくっつけた。同じ温度の体温が同化する。

このベッドの中に、帰ってきたいです。

呟いた言葉は、聞こえていたかどうかは判らない。