アスランさん、
アスランさん。

俺、思うんです。
アスランさんに出会うべきじゃなかったって本気で思ってたし、死ぬまで会ったらいけないって思っていましたけど、でも本当は、アンタに会えて凄く嬉しかった。

オーブのシャトル発着場で姿を見かけた時、思わず声をかけました。
だって、あまりにひさしぶりだったのに、何にも変わっていなかったから。
あれから7年経って、確かに顔つきも外見もやたら大人になってたけどすぐに判った。
背もまた伸びやがって、顔も余計りりしくなりやがってって思ったけど、それでも嬉しかった。

声なんてかけちゃいけなかった。
本当は、何事もなかったかのように、目なんて合わせずに通り過ぎなくちゃいけないって判っていたのに、それでもごめんなさい。声をかけました。
嬉しくて嬉しくて、声が震えたんだ。顔だって引きつってたんだ。…アンタは知らないだろう?
煙草吸わなくちゃ、間も持たなかった。どうしたらいいのか判らないぐらいに胸が躍ってた。
俺、馬鹿みたいですね、アスランさん。

でもほら、本当は会っちゃいけなかったから、すぐに問題は起きた。シャトルは襲撃され、街中でも銃撃戦をやらかして。
聡いアンタの事だ、もう俺が関わってるって判ってるでしょう?
そうなんですよ。
だから、シャトルは狙われた。
俺も人を撃ち殺してしまった。テロリストの、名も知らぬ人間を。
真っ赤な血、あんなに鮮明な赤を久しぶりに見た。

あのテロ組織は、生ぬるいものじゃない。だからこそ、だから、俺が。
ごめんなさい。
全て無かった事になんて出来ないだろうけど、それでも、今からでも遅くない。
もう俺とは離れて、何も無かったって。
アンタはオーブの准将だ。
俺はしがないただの一般人だ。
そうして戻って、全てをなかったことにして、ねぇ、忘れてくださいね?

あえて嬉しかった。ホントに嬉しかった。
アンタとのセックス、やっぱり気持ちいいや。肌の温度も身体もにおいも、好きなままだった。
幸せだと思った。

でも。
やっぱり、俺達、会うべきじゃなかったんです。
だから、言います。
もう、二度と会わない。会わないように、するから。


さようなら、アスランさん。
俺、アンタの事、本当に好きでした。




*****



『たとえば、狙われているのは俺だが、それを手引きしているのが、シンである可能性』

ベッドの中、ゆったりと眠るシンの表情を間近で眺めながら、アスランは苦く目を伏せた。
キラに言った台詞を思い出せば、自分で言った言葉のくせに、反吐が出そうになる。
よくもまぁ、いけしゃあしゃあとあんな事が言えたものだ。

(このシンが、俺を殺しに、だと?)

だったら、アスランの上に乗りあがって腰を振っている途中で、首を絞めれば直ぐに殺せた。
セックス中に殺れないのなら、あの市街の銃撃戦で、敵のいる方におびき出せばよかった。
アスランが狙われたあの時に、庇うことだって無かったはずだ。
簡単に殺せる場面で殺さずに、わざわざテロリストの手を使って望むなど、なんの利がある?
シンが真犯人であるはずがない。そう思っている。
シンがアスランの命を狙う可能性。そんなものは、本当にごく僅かな数パーセントだ。

---それに。

『アスラン、さん』
熱に浮かされた顔で愛しげに見つめられ、白い手がゆらりと彷徨って、僅かに躊躇った後、首筋に絡めて引き寄せる。
合わさった唇から流れる吐息。震える唇。かすれる声。擦り付けられる身体は離したくないとばかりにぴったりと寄り添う。

あれほどまでに、愛しいと身体で表くるのに、どうしてシンが殺そうとするのか。

信じたい。
信じてる。
シンアスカ。

誰よりも純粋で、本当は人一倍、人の痛みが判る人間なのを知っている。だからこそシンがアスランを殺そうとするなどと、信じたくもない。
否定して欲しい。
疑っている事をわびるから、そんなワケないと。こぶしでもいい。殴りつけて、何言ってんです、と。昔のお前のように怒鳴って激昂のままに糾弾してくれていい。
なぁ、シン。
教えてくれ。
…聞いたら答えてくれるだろうか。

アスランの脳裏に浮かぶのは、ミネルバでの気性の激しかったシンの台詞だ。馬鹿な事を言うなと怒鳴るあの言葉が聞きたい。…聞きたい。
今ではもう聞けないだろう、罵倒の言葉を思い出して、アスランは静かに苦笑した。
時は流れている。シンも自分も7年で変わっただろう?

「…なに、笑ってるんです…」
「シン」
「気持ちわるいですよ…」

浅い眠りから醒めたシンが、うっすらと目をあけてアスランを見ている。
一人で笑い顔をつくるアスランが気持ち悪いと言い置いて、シンはゆっくりと身体を持ち上げた。
ベッドから足を下ろし、自分の服を薄暗闇の中、手探りで探って引き寄せる。が、暗がりの中では自分の服がどれか判らないようだ。

「寝てていいんだぞ」
「喉が渇いたんです」
「なら、冷蔵庫に」
「冷蔵庫にある水はさっき飲んじゃったんですよ」
「全部か?」
「元々2本しか入ってなかったから。アスランさん飲むでしょ」
「あぁ…」

伸ばしたシンの手が引き寄せたのは、アスランのオーブ軍服だった。

「やっぱ大きいですねぇ。あれからサイズ変わってるでしょ」
「そりゃあ…俺は25だぞ」
「俺だって23になりましたけど」

言いながら、アスランの上着を地肌から羽織ってみせる。たしかに肩幅、袖、胴回りとサイズはあきらかに違っている。

「お前は今でもザフトの赤服着れそうだな」
「7年前のサイズを?さすがに無理でしょ」
「いや…どうかな。身体の細身は変わってない」
「エロい発言」

そういう事、昔は言わなかったのに。アンタ変わりましたよね。
笑いながら、今度こそ自分の服を引き寄せて、てきぱきと羽織ってゆく。
あっという間に着終えて、ジーンズのベルトも締めた。

「水買ってきます。何かありますか」
「いい」

だから、はやく帰ってこい。
そう伝えたかったはずの言葉は口には出なかった。
代わりにとばかりに、腕を引き寄せ、バランスを崩したシンの唇を攫う。

「…ん、…!」

セックス中のような濃厚なキスではなく、唇が触れ合うだけのキスをゆっくりと時間をかけて与えて、アスランは唇を離す。
閉じられたシンのまつげが震えているのが判った。
もう一度セックスをされると思っているのか。
…しない。もうしないさ。

「…ほら、いってこい」

シンを一人にする一抹の不安からか、妙に寂しい気持ちになる。
たかが水を買いにゆくだけなのに、何を、俺は。
名残惜しげに腕を離し、ベッドの中から微笑みかける。
こちらは全裸だ。早々にベッドから出られるものではない。

「…いってきます」

穏やかに微笑んだシンが踵を返し、ドアへと向かう背中を見つめながら、何を感傷的になっているんだとアスランは自嘲気味に笑った。

シンが居なくなった部屋は、静かだ。
つい先ほどまで熱気が篭るほどに熱い時間を過ごしていた部屋は人一人を失って、一気に温度を冷やしたかのように静まりかえっている。
もの悲しい気持ちになって、思わずシンが退出したドアを見つめれば、後を追って出て行きたい気持ちになった。
何を馬鹿な事をと頭をかいて、シャワールームに行く途中、冷蔵庫を開けて水を出そうとして、いや、シンが買いに行っているんだと気付いて手を止める。

「…え…?」

暗闇の部屋の中に浮かび上がる冷蔵庫内にほのかな明かりの中に、アスランの求めるそれが、封を切らずに2本、入っているのを見て、手を止めた。

『冷蔵庫にある水はさっき飲んじゃったんですよ』

あの台詞はなんだ。
シンの勘違いか?いや、そんなはずはない。2本しかない事を知っていた。
少なくとも、この冷蔵庫は開けられている。
と、すればシンは……

「シン……?」

…なぜ、嘘をついたんだ。
なぜ。



****



ふ、と集中力が途切れて手を止めた途端、キラを襲ったのは、ぐったりとした重い疲労感だった。
肩や腰、眼球までもがじわじわと痛くてたまらない。

時計を見れば、時間は何時の間にか午前を廻っている。今朝は早くから仕事について、一日中事務仕事をしていたから時間の感覚が鈍い。
さすがに15時間以上も椅子に座り続けて仕事をこなしていれば、いくらコーディネーターとは言え、身体は限界を訴える。
それがどれだけ人より優れていたとしても、だ。

(僕だって、万能じゃ、ないからね…)
ふう、とため息をついて、ぐるぐると腕を回す。
机上に備え付けられた専用回線で今日はもう終わるよと告げれば、ご苦労様でしたとねぎらいの言葉と笑顔が返された。…ご苦労なのは、この時間まで居てくれた君だよと返し、退出の準備を進める。

「…ふぅ…」
いざ、集中力が切れて気を抜いてしまえば、じわじわとした疲労が身体の奥底から湧き上がってくる。
机上に山と積まれた書類は、今日15時間かかっても終えられなかった書類だ。
白服を纏うキラがしなければならない事は、他の兵よりも圧倒的に多岐に渡る。
国防事務局のことから、最高評議会に提出するような最重要機密の書類、ラクスの護衛まで引き受けている。
それに伴って白服であるキラに任された権限は、艦隊旗艦指令としての役割まであり、さらに、今はアスランとシンの件もある。
外套に袖を通しながら、今日の内に目を通しておきたかった書類を机の中から取り出して、キラはざっぱに目を通す。そこには彼らが巻き込まれた2つの事件の詳細が添付されていた。

軍を辞めたシンを、今はホテルに軟禁しているが、果たしてそれがいつまで持つか。
アスランとて、いつまでもプラントに居残るわけにはいかないだろう。カガリに事情は説明してあるが、オーブの軍准将が長期間プラントに滞在するのもいただけない。
下手をすれば国交政治に関わるほどの事態だ。

「本当…どうしようね…」

静かな部屋にキラの呟いた声が響いたのと、緊急連絡を知らせるベルの音が鳴ったのは、ほとんど同時だった。


***




外部からの緊急回線です、と告げたオペレーターからの回線を受け取ったキラは、こくりと喉を鳴らした。
こんな時間に繋いでくる緊急回線だ、余程の事が起きたのではないかと不安がよぎる。
杞憂であればいいのだと思うのだが、胸騒ぎがする。
そうだ、あのシャトルが襲われているという一報が入ったのも、緊急回線だった。

「キラヤマトです」
出来るだけ、平静を装って回線に出るものの、相手からの声はない。代わりに、喋らぬ相手の電話口から、車が通る音がした。音の気配で、おそらくはどこか街の中からこの回線を繋げているのだと知れた。

「もしもし?」
再度受話器に向かって声をかけるものの、相手は何も発しない。
ゾクッ、と寒気が背中を駆け上がった。
通話先には確かに相手の気配があるのに、口を割らない。しかしこの電話は、軍の、しかもキラに繋がるような緊急回線だ。ここに繋がるコードを知っている人間など、軍の人間以外では限られている。
そう、たとえば、アスランであったり、カガリであったり、シンであったり。
ドク、ドク、とキラの胸が早鐘を打つ。
相手が誰であるのか。…キラは判っていた。
この回線に繋げ、そして話す事を躊躇うような人物。それは。

『キラ、さん?』
「シン、」

ようやく聞こえた声は、穏やかなシンの声だった。
ああ、やはり。
胸騒ぎは確かだった。シンが外部から緊急回線につなげてくるとは。何かが起きてる。…何かが。

『キラさん、俺』
「待って、シン、これ、外部回線…?」
『……』
「君、今ホテルの外に居るの…?」

シンが先に何かを言ってしまう前に、キラは言葉を続けた。
シンが話してしまえば、この回線を切られてしまいそうだと思った。何故そう思ったのかは判らないが、キラの中で彼の言葉を聞いてはいけないとアラームが鳴る。
聞けば、シンは最後にさよならを言うだろう。…だって、シンは。…シンは!

「シン、今どこにいるの。ホテルに居てって言ったよね?シン」
『……キラさん』
「シン、答えて」

間違いない。シンはホテルを抜け出している。
黙り込んだシンの背後から、車のエンジン音が聞こえている。どこかの道沿いの公衆電話だろうか。逆探知は出来るかもしれないが、シンはこの回線を切れば、すぐその場所を離れてしまうだろう。
とっさに考えついて、目の前の端末を操作した。軍のコンピュータからハッキングすれば、シンの居所は割れるはずだ。それと同時に、アスランに持たせている、非常用の回線も鳴らした。真夜中でもアスランなら起きるだろう。
まだ今なら間に合う。…キラは焦っていた。

『キラさん、無理、しないでください。…もう駄目だから』
「シン、」

数秒の空白ののち、シンは呟くように伝える。
まるでキラのこころの中を見透かしたような静かな答えに、冷水を浴びた気分になる。
無駄な事をするなとシンは言外に告げている。

「なに言ってるの、シン」

なにが、と聞きたいのは時間を延ばしたいからだ。回線を繋いでいる間なら、シンはその場所から動けない。その間に出来る事はある。
キラは自分に落ち着け、と言い聞かす。先走っては駄目だ。
緊張に、手と首筋にじっとりと汗が浮かんだ。

「…シン、駄目だよ、ホテルに戻って。今外に出たら危ない」
『危ないのはアスランさんだ。俺が外に出れば、あの人に危害は…』

そうじゃない!
人の心配をするんじゃなくて、シン、君は自分の心配を…!

それ以上の言葉を伝えようとして、口に出せない。
こんな外部回線ではあまりにも危険だ。盗聴されている可能性もある。
もどかしい。
キラは汗ばんだこぶしを握りしめた。

何を伝えればいい。
何を伝えれば、今シンはホテルに戻ってくれる?
いや、戻ってくれなくてもいい。せめてアスランか、軍の誰かが駆けつけるまで持てばいい。
どうしたら。

必死に考えるキラの頭の中で、凄まじく情報がフル回転する。
けれど、人類の誰よりも優秀に作られたはずの脳は、キラが望む答えを導き出さずに焦りばかりがつのる。
人より優れているっていったって、この頭は肝心な時に役立たずだ!
そんなキラの心境さえ理解したのだろう、シンが、ゆっくりと、名を呼ぶ。キラさん、と呼ばれるその名が痛々しい。

『俺…、軍を辞めればこんな事にはならないと思ってたんです。安直、だったんですけど。…でも、あのまま軍に居る事は出来なかった。だから辞めたのに。あの日、あの条約の締結の日に、キラさんが許可してくれたからそれに甘えて』
「シン、甘えてなんか!…軍に居るほうがどれだけ君にとって楽な選択だったか知っていたのに、離してしまったんだ、僕が…、僕が、」
『違いますよ、キラさん。これで正解でしょ。俺、何処に行ってもやっかい者だから』
「シン!」
『だから、アスランさんを巻き込んだ』
「ちがう、ちがうよ、シン!」

後悔を述べて、間違っていたと悔やむ言葉に、かけてやりたい言葉がある。…なのに言えない。こんな回線では、今は。

「シン、お願いだ、ホテルに戻って」
『駄目ですよ。出来るわけない』
「ねぇ、じゃあアスランは」
『え?』
「…アスランを置いていくの」

それは、キラにとっての最後の賭けの言葉だった。
これ以上の、彼を引き止める言葉をキラは知らない。

静かな沈黙が流れた。
軍の近くで電話をしているのだろう、MSのエンジン音が、受話口から聞こえ、キラの耳にも直に届いた。
近くに居る。
近くに居るはずなのに。

『キラさん』

やがて、聞こえたシンの声はあまりにも静かだった。

『俺、アスランさんに会うべきじゃなかったんです。…だから、アスランさんを置いていって正解』
「シンッ…!」

ああ。ダメだ、もうシンは。

「シン、お願いだから言うことを聞いて。シン、おねがいだから、シン、ねえ、…!」

そのままそこに居たら危ない。
お願いだ!
だって、君は。…君は!

『…あぁ、キラさん、遅いや。お迎えが来たみたいだ』
「シン!」

シンの声と重なるように、車が止まる音が響いた。キキキとブレーキ音が鳴り、幾つかのドアが開いた音が響き、シンが言った言葉が嘘でない事を知る。
お迎えが来たんだ。シンを連れて行ってしまう、悪魔の集団の。

「…シン、駄目だ、行ったらダメだ!戻って、お願い、お願い…シン!」
『…キラさん、ごめんなさい。アスランさんにもごめんって。…俺、結局最後まで本当に面倒ばっかり起こす部下だった』
「シン!」
『でも……』

キラの叫び声と、シンの謝罪。
そして、パァン、と乾いた音が、シンの声を遮って響く。

「…っ!シン!?、シン!?」
今のは銃声だ。
…まさか。…まさか…!
「シンッ…!」
一発の銃声音がつんざくように響いたのを最後に、通話は突然途切れた。