でも…、と。
その先の言葉を伝えようとした途端、銃声は響いた。
真夜中の街。繁華街の喧騒から少しばかりはずれた、緑地公園の片隅の電話ボックスで。
受話器から、キラの悲鳴のような声が響いていた。名を連呼されているのは判っていたが、シンは静かに受話器を置いた。

通話を切り、シンは銃声の発せられた方へと目を向けた。シンのすぐ横で、テロリストの一人が、腹から血を噴出して倒れている。
随分正確な狙いだ。遠くから狙撃したのに、よくもこんなにピンポイントで狙い撃てたものだとシンは感心した。
血がどくどくと流れて倒れているというのに、このこころは揺らいでいない事に気付いて、自分の腹黒さに笑いが洩れる。覚悟を決めてしまえばこんなものか。
あぁそうだ、そういえばこんな光景を今までどれだけ見ていた?
なんて事だ。
あの市街の銃撃戦では、あんなにも怯えていた自分が確かに居たのに。
戦闘中のあの独特の感覚が戻ってきたのか。それとも倒れたのが名も知らぬテロリストの一人だから、さほど痛みも感じないのか。

名も知らぬ他人の血がぼたぼたと流れ落ちて地面を伝い、シンの靴を赤く濡らす。介助に駆けつけるより早く、シンの周囲を囲ったテロリスト達は、発砲した人間へと銃口を向けた。緑地公園の外灯の下、息を切らせて走りぬけてきた男の姿がそこにはある。
手に抱えた拳銃は、正規のルートで輸入されたものだ。軍や政府がこぞって使うシンプルな拳銃を手に、その男の姿が見える。
シンはゆっくりと男へと目を滑らせた。…その先に。

「…アスランさん」

遠くに見えるホテルと市街の明かりに照らされたアスランの姿がそこにある。
シンを見据えながらも、拳銃はシンを囲うテロリストに向いていた。
一人で来たのか。十数人を相手に、たった一人で。

「大丈夫か、シン」

それでもアスランの声音は優しい。
反射的に、足を踏み出そうとしたシンの身体の前にテロリストが立ちはだかった。それはまるで彼を守るように。

「シン…?」

叫ぶアスランの声に、シンはゆっくりと目を閉じ、やがて静かにうっすらと目を開いた。
「アスランさん」
呼ぶその声が低い。まるでシンではないような声だ。
「…おまえ…どうして…」
酷く動揺したアスランの顔がそこにあった。シンを守ろうとするテロリストは、一斉にアスランに拳銃を向ける。あぁ、やはりお前は。
「…なんて顔してるんですか、あんたはほんとにいつもそんな顔ばっかり」
「シンッ…!」
笑ってやろうと思っていたのに、シンの表情は強張っていた。反対に動揺を隠し切れないのはアスランの方だ。

「酷い顔。…今更動揺してみせるのは、相手が俺だからですか。予想ぐらいしていたんじゃないんですか?」
「シン!」

シンが言葉を吐けば吐くほど、アスランの表情が苦しげなものへと変わっていく。
拳銃が再び銃口を向けたけれど、それはシンに対してではない。あくまでシンの正面に立つテロリストの男にだ。
大きな男達に守られるように立つシンアスカの姿をアスランは照準越しに見ていた。シンを撃つ気などさらさら無い。
こんなのは嘘だ、こんなのは何かの間違いだと頭の中で、事実を否定する。

「こっちにこい、シン。お前はそこに居ていい人間じゃないだろう」
「何を言ってるんです」
「…シン!」
「俺がテロリストに加担してるって。アンタが一番知ってたでしょ。…なんであの路地裏で狙われたのか知らないんですか?俺が情報を流したからですよ。ねぇ、シャトルが襲われたのだって俺があれの」
「シン!」
アスランの声がシンの言葉を遮るように強く響き、同時に、アスランが放った銃弾が1発、シンの足元の地面にめり込んだ。
一斉に男達が構えた拳銃がアスランの頭へと合わされる、トリガーに手をかけたのを見て、シンはやめろと叫んだ。

「シン…!」
「アスランさん、勝ち目は無いですよ。逃げたほうがいいです。死にたくないでしょう、貴方だってこんなところで」
「…っ…!」
「いくらあんたが元フェイスっていっても、射撃が得意っていっても、身を隠す場所もない、圧倒的に数も違う。あの路地裏の銃撃戦とは違うんです。…今はアンタ一人だ。助けてくれる人も居ない」

シンが強い言葉を吐き出す。まるで他人のように見えた。
つい数時間前まで、同じベッドで眠っていた。睦みあって眠っていた。水を買いにいくとそうして出て行っただけだ。なのにどうしてこんな事になるんだ。

怯む事のないアスラン向け、テロリストは照準を絞った。確実に狙い撃てる距離だ。
まだ諦めないのか。呆れながらため息を吐き出し、ふと目線をずらせば、隣に立つ男の腰のホルスターに予備の拳銃があるのが判った。
すばやくそれを抜き取ると、シンはあっという間に引き金を絞り、照準を合わせ、アスランへと銃口を向けた。

「俺だってこんなところでまたドンパチやりたくないんです。ここ、ザフトの領土のプラントし、近くには軍基地あるし。俺もキラさんを殺したいわけじゃないから。こんなところで、テロリストとオーブ軍の准将と一般人が撃ち合えば、政治的影響も及ぼすでしょ?それはアンタにとっても悪い事なんじゃないんですか」
「シン!」
「往生際が悪いですって、アスランさん」

拳銃を持つ腕と共に、シンの赤い眼がアスランを正面から見据えた。
その手に持たれたのは拳銃。
そう、その照準は確かにアスランの胸に定められている。

あぁ、これは夢か。まぼろしか。
嘘だといってくれ、だれか。
向けられる銃口、こんな生身で何故お前が。
あの嵐の日の落雷音が響いた気がした。あの嵐の日、そうして照準を向けて銃を放ち、剣を突き立ててアスランを海に沈めたシンを思い出す。
落ちる瞬間に聞こえた、シンの悲鳴と嗚咽を覚えている。
あの時、あんなに苦しがっていたのに。あんなに泣いていたのに。
どうしてお前が。

「…シン、戻ってくるんだ、…シン」

アスランが腕を伸ばす。
そこにいちゃいけない。お前はそんなところに居てはいけないんだ!

アスランの目が、シンに語りかける。
シンはそれを正確に理解し、そして静かに目を伏せた。アスランのところへ足が向くことは無かった。

「アスランさん、どうして来たんです」
「シン、おまえ、」

思わず、片足を踏み出したアスランの額のすぐ横に、シンは1発の弾を撃ち込んだ。アスランの髪を揺らして弾が通り抜けていく。

「シン…!」
「俺は、ひとりで行くからって、…言ったのに。…水を買いにいくだけって俺は言ったじゃないですか。ねぇなのにどうして来ちゃったんです」
「お前の様子がおかしかった、冷蔵庫にも水はあった、なのにお前は…!」

あのホテルから出て行こうとしていたシンの、振り返った顔がひっかかっていた。
アスランから触れるキスに、何も答えなかったシンの唇も。…それは、わずかな違和感だった。

「…そっか、まいったな…アンタそーゆーのは本当に聡い人だった。普段はあんなにヌけてるのにさ」
「シン!」
「…俺は戻れませんよ。だって迎えが来たから」
「…シン!」

叫ぶアスランの声が悲痛を帯びていた。
それはシンの脳にも確かに届き、胸は動揺したけれど。

「アスランさんだって感付いていたでしょ?キラさんもだ」

俺がテロリストだって。
紡がれる言葉に、アスランの頭のてっぺんに血が上ったのを感じていた。
それは怒りか、失望か、それとも嘘だとまだ信じたいこころが見せたまぼろしの色か。
アスランの動揺はそのまま拳銃に伝わっていた。カタカタと銃口が僅かに震える。

お前がテロ組織の人間だというのなら、撃たなければいけないのか?
このシンを?
…俺、が…?

「どうして…、シン…ッ…」
「どうしてって、そんな今更」

悲痛に叫ぶ声に、シンは笑った。
笑うたびに髪が揺れている。…そんなシンを知らない。そんな風に笑うシンを、俺は。

「…信じたかった?俺が7年、何もせずに生きていたって信じたかった?…アンタ純粋だから。…考えられなかっただろ?俺がテロ組織に所属していたなんて」
「…シンッ…!」
「変わるんです。人間って。ホント、7年経って、俺は、本当は凄く変わったんだ。…でもアンタは変わってなかった。何にも、なーんにも変わってない。…だからさ、俺言ったじゃないですか」

アンタに会うべきじゃなかったって。

あんなにも、あんなにも告げたのに。
けど、アンタはそれを判らずに、こうしてここに来るから、来てしまったから。…だから、こうして拳銃を向けあってる。
ほんの数ミリ、指を動かしただけで、命を消すことが出来る程に、敵対している。
ついさっきまであんなに抱き合ったのが嘘のように。
ほおらね、また俺とアンタは討ちあうんですよ。…もう、これが運命なのかも。

「シン、戻れ」

それでもアスランは穏やかに伝える。まるでその言葉しか言えないおもちゃのように。
戻れ。戻れ、って。
いつだって、7年前だって。

ねえ、変わってない。変わってないね、アスランさん。
だから俺、アンタの事、きっと好きだったんだろうな。
でも、でもね?

「戻れるわけないんだ…!」

アスランの声、アスランの目。
それをじっと見つめた後、シンはゆっくりと引き金を引いた。

「シン!」

叫び渡るアスランの声。
大きな爆発音がアスランの直ぐ傍で響いた。
「…っう、わぁッ…!」
閃光が周囲を包み、直後に白い濛々とした煙が辺りに立ち込める。
息を吸えば、喉奥にヒリヒリとした痛みが走った。
「ガスッ…!?」
慌てて口を押さえるが遅い。
目の前に居たはずのシンの姿は煙の向こうに消えている。

「…シン…、いくな、シンッ…」

薄い煙はアスランの目や鼻から容赦なく入り込み、目や鼻を傷めるような鋭い刺激臭が襲った。アスランはその場に膝をつく。吸い込んでしまった気体はすぐに身体に異変を起こした。立っていられなくなり、目も開けることが出来ない。拳銃さえ落としてしまった。声をあげようにも喉の奥を酷くやけどしたかのように痛んで声さえ出ない。息さえ吸えない苦しみの中で、必死で開いた目が捕らえたのは、無情にもアスランを見下ろすシンの赤い眼だった。
呼吸もままならない白靄の中で、アスランはシンが消えた方向へ腕を伸ばして果てた。