ごめんなさい、ごめんなさい、アスラン。
僕の所為なんです。
本当は全部知っていた。知っていたけれど、止められもしなかった。
ごめんなさい、アスラン。







まるで雲の上に居るようだ。ふわふわとした安定しない意識の中で目を開けると、キラが泣いているのが見えた。
なんで泣いてるんだと手を伸ばそうとして、その指先がぴりぴりと痛む事に気付く。
なんだこれは。

「…ガスにやられてるんだ、アスラン、身体が動くまでまだ少し時間がかかる」

キラが丁寧に説明しながら手を持ち上げようとしたアスランの指先に触れてそっと戻す。
見ればキラの泣き顔はそこには無い。ザフトの白服を身につけた、優しさの中に険しい表情を湛えたキラヤマトの姿があるだけだ。

「…ガス…」
「そう、だから動かないで」

ガスか。あぁ、あの時立ち込めた白煙は神経性のガスだったのだろうか。
アスランは目を閉じた。
このまま眠りにつく事など出来るわけがないのに、瞼は酷く重くて、眠りを誘発する。
それでも、泣いていたキラの顔が目に焼きついている。目の前に居るキラは泣いてなどいないのに。
けれど、あの表情があまりに切なかったから、アスランは閉じる瞼に抵抗して再び目を開いた。多分、あれは夢だろう。めそめそと泣くキラはまるで幼年時代のようだった。

「おまえが、ない、てるのを…思い出した…よ、…」
「アスラン、動かないで。喋らなくていい。今、軍の病院に搬送してるから」

ガタガタと揺れる狭い場所は、どうやら救急車の車内だったらしい。狭い壁に幾つも備え付けらている機具は医療機器だ。運転席では、しきりに搬送手続きを回線で行っている声が響いている。


シンは行ってしまった。
白い煙の中で腕を伸ばしたけれど、その手に掴めたものはなく、どれだけ声を張り上げても、お前の行く場所はそこじゃないんだと喉を嗄らしてもシンには届かなかった。
アスランに目を合わせる事もなくシンの背中は小さくなって消えていく。
止められなかった、また。

もう迷わないと決めた。
もうシンの手を離すことはしないと。
…決めた、のに。

腕を持ち上げて、自分の手を見れば、真っ白な程に変色した指先が、己の意に反してひくひくと痙攣していた。
ガスにやられているといったキラの言うとおりなのだろう。

「…僕がもう少し早く駆けつけていられればよかった。ごめん、ごめんアスラン」

お前の所為じゃないだろ?
言いたい言葉があるのに、喉から声は出ない。ただ瞼を閉じれば、シンの赤い眼が蘇った。
浅い息をつき、ガスにやられた事を身体全体で知る。指先一つ満足に動かせない。
「アスラン…」
苦しげに眉を寄せるアスランを見つめながら、キラは唇を噛み締めた。
湧き上がるのは後悔ばかりだ。
どうしてもっとうまくやれなかったのだろう。
アスランの傍に寄り添いながら唇を噛み締めた。
もっと上手くやっていれば。
もっと早く駆けつけていれば。
いいや、あの6年前にもっともっとシンを引きとめる事が出来ていれば。

こぶしを握りしめ、ぎゅっと目を閉じた。苦しい。ごめんなさい。どうして。…ねぇ、どうしよう。

「キ、ラ…」

声にはっと顔を上げればそこにあったのはアスランの緑の目だ。
「アスラン、眠っていていい、いいから」
「…まえが、…泣いて…、」
「えっ」
ガスにやられた細く長い指先が震えている。しかしそれは担架から浮き上がり、確かにキラに向かって伸ばされていた。
「…すらんッ…、」
震える手を両手で取って、キラは泣いていないよと、頬に指先を擦り付けた。
なんでそんなに君はやさしいの。


****


シンとの電話が切れた後のキラの動きは素早かった。
緊急回線を開いて、非常体制をとるように指示をし、キラ自身も待機させた車へと急いだ。
白服であり、艦隊指揮さえ取ることの出来るその権限を利用して、即座に軍を動かし、数台の軍用車輌と精鋭兵を連れ、ハッキングで成功したシンが回線を繋げた場所へと車を急がせた。
シンの行動に、テロ組織が絡んでいる事は間違いないと思っている。
このプラントに駐在している全てのザフト兵に指令を出して、厳戒態勢を敷き、プラントへの入港や出港も一時的に規制した。テロリストを外に出すわけにはいかない。そして内でテロリストを留め置けたとしても、一般市民に被害を出す事も出来ない。
穏便に速やかに、この事態を収めなければ。

今、テロリストを指揮しているのは、おそらくシンだ。
有能で優秀な指揮官が戻ったテロリストは、水を得た魚のように動いているだろう。ならばキラはどんな小さな手がかりも見逃してはいけない。
おそらく、出来うる限りの知略でもってこのシン奪還を考えていただろうテロ組織に、どれだけ立ち向かえるか。厳戒態勢を敷いたとはいえ、どこまでテロリストの流出を防げるだろうか。
元々密閉されたプラント内で、テロリストが動ける範囲など限られている。しかし、裏の道はどれだけでもあるものだ。ザフトといえ一枚岩ではない。金や地位でこころ揺らぐ兵さえいるだろう。

だからこそ、こうならないようにシンを守らなければならなかったのに。


「…僕が、シンを守ってやれなかったんだ」
人払いをした病室で、キラはゆっくりと窓の外を見つめた。
ガスの解毒措置が施されたアスランは少しの間眠っていたが、持ち前の体力で見る見る回復している。
その間にキラが出来たのは、テロ組織の情報の収集と引き続きシンの詮索に当たるよう指示を出す事だけだった。
アスランを病院に搬送してから数時間が経過しているが、いまだ手がかりはない。

一晩で、上半身を起こせるまでに回復したアスランは、静かに紡がれるキラの言葉を待った。
軍の病院に運び込まれたアスランは、朝まで昏倒していたが、ようやく目覚めた翌日、同じように疲れきったキラを見た。
おそらく、昨晩のテロリストの襲撃から眠っていないのだろう。
あんなに早くあの場所に駆けつける事が出来たのは、キラとてシンを警戒してからだ。
アスランがあの公園に着く直前、キラからのSOSが鳴り響いていた。深夜まで仕事をしていただろうキラは、そのまま事件に巻き込まれた上にテロリストの警戒の任についていたのだとアスランにも判った。
だいじょうぶなのかと問えば、それは僕がアスランに掛ける言葉でしょうと微笑んで返されてしまう。
この幼馴染は、普段は手を抜いたりサボったりする癖があるのに、こういった時には、人よりもずっとずっと頑張って踏ん張ってしまう。
アスランこそいつも貧乏役だとからかわれているが、本当に辛い役目ばかり引き受けるのは、このキラヤマトだ。

個室の窓を半分開き、外を流れるプラントの空調の風を個室に入れる。
白いカーテンが静かに舞っていた。今日の風は穏やかであたたかい。

キラは、ひとしきり風を身に感じた後、手近にあった椅子を引き寄せた。
静かに目を閉じて少しばかり呼吸を整えると、全て話すよと言い置いて、再び窓の外を眺める。
街並と、大通り、その脇に植えられた木々の緑と遠くの公園と湖。広がる風景を見つめながら、キラはゆっくりと話始めた。

「7年前、あのデュランダル前議長との戦いが終わった後の事を覚えている?」
「…忘れるわけないだろ」
「うん、そうだね」

穏やかに微笑むキラが、アスランの透明な翠の目を見つめて目を伏せた。

「僕はラクスの傍に居たくて、ザフトに行った。デュランダル議長がいなくなったことで、圧倒的な指導者をなくしたザフトは酷い有様だった。まず、戦火に巻き込まれた難民や被災した人々の生活を確保するのが第一だったけど、それと同時に世界各地でテロが頻発していた。…デュランダル議長の力はとても強かったから」

それはアスランも良く知るところだ。
デュランダルが唱えたディステニープランは確かに未来を封じ、人の可能性さえ封じた管理社会だったけれど、戦争に巻き込まれ、家も家族も何もかも無くした人々にとっては一筋の光でもあった。
「僕達オーブは、ディステニープランに反対して、戦いになってしまった。その戦いに勝利したのは僕達だ。ザフトはデュランダル議長を失って、弱体化した。けど、あのデュランダル議長の意思を押す人たちだっていた。それもとてもたくさんの」
「…戦災にあった人たちだな…」

管理社会がどうした。それで戦いが無くなるのなら。大切な人を失わない世界なら受け入れよう。
将来がなくなろうが、未来を決められようが、そんな事はどうでもいい。
この、悲しみ、討ち合い、全てを失うだけの戦いを、二度と起こさぬことが出来るなら。
決められた社会の中で、ただ平穏に生きて死んでいく事が出来るのなら。
…それほど、望む未来は無いのではないだろうか、と。

「大切なものを無くした人たちの思いは強かった。戦災に巻き込まれた人たちにとって、あのプランは唯一の希望だったから。そうして、それを打ち砕いてしまった僕達は、彼らにとって憎むべき敵となった。オーブは金を持っているから、被災が少なかったからそんな事が言えるんだって。そうした怒りの火種は世界中にあった。連合だってザフトだってあのプランを望んでいた人たちは多い」
「…それで、テロが頻発した」

行き場を失った人々の憎しみは、オーブに向けられ、またはデュランダルさえも落としたラクスクラインへと向けられることとなる。
元々、ラクスはオーブに近い場所に居た所為で、一部のテロリストからは恰好の目標となり、その火種はザフト全体へと向けられる。
ザフト基地への奇襲、要人の暗殺、一般市民との衝突まで、含めればキリが無い。
圧倒的なテロリストの力に、ラクスの言葉はうわべを語るだけの偽善だと罵られた事さえあった。

「…シンはそれを許せないと言った。『俺はあのプランの中心に居てデスティニーも与えられたけど、でもテロリストのやっている事は一方的な逆恨みと虐殺だ』って。これじゃあ何のために俺たちが戦ったのか、判らなくなるって」

シンはその時、確かに、テロを憎んでいた。
…ならば、なぜいま、テロリストに加担している?
アスランは喉から出かかった言葉を飲み込んだ。話はまだ続いてゆくからだ。
アスランの目を見つめたキラは、判っているよと、小さく微笑んだ。

「シンはあの戦争の後、ザフトのフェイスとして、テロの根絶の任についていた。志願したんだ。俺がやるって、シンが僕に嘆願をした。…でも僕は、彼がその任務につくのは危険だと思ったから、最初は了解しなかった。だってシンはデスティニープランの中心人物だった。議長の絶対的な信頼を貰って、プランの名のついたMSまで与えられた。名実共にシンはザフトのスーパーエースだっ。…たとえそれがデュランダル議長の思惑だったとしても」
「あのプランの象徴だからこそ、シンの名を欲しがるテロリストも居る、と?」

握りしめていたこぶしを開いた。外からは穏やかな風が吹き込んでくる。病院の窓ぶちで羽根を休めていた小さな鳥が、数羽、音を立てて飛び去っていった。

「シンアスカという強い力。それを利用する方法を、テロリストは2つ思いついた。1つはシンを殺してしまおうという考え。シンほどの力のあるものをザフトで野放しには出来ないと」

議長も認めた、エースのシンアスカ。
あれを落とせば、どれだけの武勇となるだろうか。ザフトに利用される前に、殺してしまえ。…そう考えるテロリストが現れる。それは判る。アスランは頷いた。

「それからもう1つは、シンアスカの名を利用しようという考えだった」
「シンをテロリストに引き入れようとしたのか」
「そう。それだけ、シンの名前は利用することが出来たんだ。あれだけの力、あれだけの腕。シンはデスティニープランの象徴、デュランダルの意思を継ぐもの、と。…けど、もちろんシンはそんなテロリストに利用されるわけない。あれだけ純粋な子なんだ。人の痛みを自分の痛みみたいに感じて、怒って、泣いて…。そんな子が、テロに加担なんて、どうしたら出来ると思う?」

ねえ、アスラン。
キラの目が、アスランの瞳を覗き込む。その顔には苦笑が宿っていて、アスランも口を噤む。
あぁ、そうだ。どうしてもそれだけは信じたくなかった。
シンは、誰より優しい。誰より贖罪さえ望んでいる。
なのに、テロリストに手を貸すなど、信じたくはなかった。だからこそ、一番低い可能性だとアスランの中で消化していた事だったのに。
事実、彼は今テロリストと共に居る。

「シンは、テロ根絶の任について、彼らを追い詰めながらも投降を促した。こんな無駄な事はやめろと言い続けていた。けれど、テロリストの言葉だってシンは聞いていたんだ」
おそらくそれは、今のザフトを批難する声だ。何故ラクスクラインに手を貸すんだと、何故デュランダルは間違っていたんだと。
お前もこっちに来い、お前はあの戦いで議長に賛同し、あのプランに未来を見ただろう、と。

あぁ、そんな言葉を自分も昔、痛い程に告げられたことがある。
アスランの閉じた瞼の裏で過去の戦いが蘇る。
あのユニウスセブンの落下時に、犯人達は言ったじゃないか。…何故、偽りの世界で笑うんだ、と。
パトリックザラを信憑し、彼の唱える世界に本当の幸福があると信じた。あれほどの殺戮を続けながら、軍備増強に全てを費やし、ナチュラルを全て滅ぼすと、虐殺とも取れるあの計画が、「本当の平和」になるのだと信じた人々がいるように。
デュランダルが目指した世界は、パトリックザラが取ったものよりも、ずっと平和的で戦いのない世界だ。

「それで…シンは」
「ん?」
「シンは、テロリストの声を聞いて、こころが傾いだのだろうか」

問うアスランの声は、酷く弱弱しいものだった。
そうでないと信じたい。…信じたいけれど、今彼がテロリストの中心に居る以上、どう説明したらいいのか。

「…アスラン」

不安げに頭を垂れるアスランを慰めるように、キラはその手に手を重ねた。
キラの高い体温が、アスランの手を通して伝わる。顔を上げれば、キラの微笑みと目があった。

「…シンはね、それでもザフトに居たんだ。僕達と戦っていた」
「……っ…」
「でも、そんな戦いがしばらく続いたある日、シンは僕に言った。『テロリストが俺を利用しようとしているなら、こっちだってテロリストを利用してやろうと思うんだ』って」
「…どういう、事だ?」

利用したいのなら利用させてやる…と?
アスランの言葉に、キラは頷く。

「あの頃、各地で頻発していたテロは沢山あったけれど、中でもオーブに対してのテロは酷いものだった。覚えている?」
「あぁ、覚えている」

デュランダルが最後に敵対していた国であり、プランを拒んだ戦勝国だ。必然的にテロの標的はオーブになった。
テロは過激になる一方で、市街で兵器を使い、無差別に人を殺す。自爆テロを繰り返したりと、それは酷い有様だった。戦時中より酷いと、カガリもアスランもその対応に心身ともに疲れ果てた。それが、急にぴたりと止んだのは、ザフトからの圧力があったからだと聞いている。優れた諜報部によって、テロを事前に察知することが出来たからだと。

「…まさ、か…」

アスランの指先がひくりと動き、そして硬直した。
…まさか。

「シンが、テロ組織の中心に潜入したんだだから」
だから、彼からの情報によってテロは未然に防ぐ事が出来ていた。
「テロリストは、シンを喜んで受け入れた。まるで神のように崇めたらしい」
「…馬鹿な、…!」

ドク、と胸が鳴った。何てことを。
…シン、お前はなんて事を!

「シンは組織のトップに立つフリをして、僕達に情報を流していた。シンが潜入したのはテロの母体でもあった組織なんだ。デュランダル議長を敬い、デスティニープランを望んでいた人たちだったから、シンがザフトから寝返ったのは、彼らにとって凄まじいメリットだった」

あっという間に組織の中心に潜り込み、情報を仕入れてテロの予測地域を暗号で流す。
それは危険極まりない行為だった。スパイだと察知される可能性とて高い。それでも、シンはそれをやってのけた。確実に情報はザフトへと流れていた。

「シンのお陰でテロは未然に防ぐ事に成功した。…それでもテロの母体そのものを叩くことは出来なかった。テロは各地に散らばっていたから、母体のみを叩いても次のリーダーがあわられてしまう。だからシンが流す情報によって、少しずつテロリスト達を捕まえていく。弱体化すれば一気に叩ける。…けどそれは内部に居るシンにとって酷く危険な行為だった」
「…シンは戻ってこなかったのか」
「俺がやるんだって、言ってた。俺が全てを叩くって。…僕は戻ってきてって何度も打診したけれど、シンはなかなかテロリストの傍から離れようとしなかった」

これが俺の役目なんです。
デスティニーを使っていた俺の。

何度も戻ってきてと伝えるキラの元に、秘匿回線で送られてきたのは、そんな短いメッセージだった。
「シン…」
「…僕は判ってた。テロの母体にシンを送り込むことがどれだけ危険か判っていた。…シン自身だって嫌ってほど判っていたはずなんだ。テロに、戦争に、自分が利用される。シンと同じような境遇の、同じような痛みを抱える人達が、武力を手にしてテロという暴力を振るっている。それはどれだけシンにとってこころ痛む事だったんだろう。ねえ、アスラン」
「キラ、」
「シンは苦しんでいたんだ。平和を誰よりも望んでいるのに、テロリストに同調したフリをして、それでもお前たちのしている事は間違っているって彼らを諭すことも出来ない歯痒さに!」

あぁそうだ。どれだけ苦しんだだろう。
報復を叫ぶ行為を無駄だと知らしめられたその身体で、テロリストの情報を手に入れるために彼らの言葉を聞く。
どれだけの憎しみを怒りをその身に受けただろうか。
嫌だと叫ぶ事も出来ない。逃げる事さえ出来ない。
許されない。
想像して、背筋が寒くなる想いがした。
過去シンが囚われた感情を思い起こさせた上に、傷口をナイフで抉るような苦しみだっただろうと、アスランも想像がついて唇を噛み締める。

「僕は、卑怯だった」
「キラ」
「…シンがテロに潜り込んで沈静化することが出来れば、テロの標的になっていたラクスやカガリの身も安全になるだろうって考えた!執拗に狙われているオーブ、カガリやアスランや僕のかあさんだってオーブに居る。…守りたいって思った。けどザフトに居る僕に、出来る事は少なくてっ…そんな打算がシンを余計に苦しめてたんだ、だってあの子にはもう守るものなんて…!」
「キラ、キラ、…!」

アスランの手を握りしめたまま、背を丸め、断罪するように叫ぶキラの背を抱き寄せた。震えている。
あぁ、お前だって苦しいんじゃないか。
キラ。…お前は。

「…それでも、あいつがテロ組織に居るのは自分の意思だった」
「…でも、」
「そういう道を選んだんだ。人に諭されたからじゃない」
「でも僕は彼にその道しか示せなかった!」
「だとしても、だ。キラお前は自分を責めるんじゃない。判ってたことだろ?」

もう一度背中を抱き寄せて、キラを胸に収める。
アスランの温かな胸の中で、キラは静かに息を吐いた。

「…アスラン、なんで君は…」

そんなに優しくて愚かなの。


「けど、ならばどうして今更になってシンは彼らの元に戻ったんだろうか」
静かに問うアスランに、キラは大きく何度も呼吸し、高ぶった精神を抑えようとわなないた。

「…シンがテロ組織から抜け出したのは、ザフトとオーブの平和調印の直前だった。…僕宛に辞令が届いたよ。もうザフトには居られないって。テロに関与してしまった以上、もうザフトには居れないって言うんだ。僕はシンの除隊に反対した。それじゃあ何の意味もない。シンはただの人身御供になっちゃうって。でも」

『キラさん、俺、ちょっとでも人を守れたから満足してるんです。…俺今までずっと戦い続けて壊すことしか出来なかった。…けど、今は、人を戦いから守ることが出来たでしょう?』

「それだけ。…シンは最後にそれだけ言って、姿を隠した。テロリストに再度利用されないために。名前も変えて、どこかへ行ってしまった」
ずっと音沙汰無かったんだ。ホントに僕にも、ザフトの誰にも。捜索もしたけど足取りは掴めなかった。なのに、アスランが久しぶりにプラントに上がってきたら、シンに会ったっていうじゃない。…その時、僕がどれだけ驚いたか、判る?

キラは苦く微笑む。
あの後、アスランが乗ってきたシャトルの便を調べてみれば、機長がシンアスカなのだと知って驚いた。力が抜ける思いだった。
シンが生きてる。
「ちゃんと生きて、仕事をして、…あぁ、アスランに会えたんだね、よかった。って…。でもきっとシンはアスランに声をかけた地点で、こうなるって判ってたんだね」
見つかるのも時間の問題だって。
「航空会社に問い合わせてみて判ったんだけど、シンがザフトのパイロットだって、結構知られてる話だったみたいだ。同じ航空会社に元ザフト軍人が居たみたいでね。だからシンの顔を見たことがある人には判っちゃったみたい」
「そんなに情報が洩れてるのか…」
そういえば、軍ホテルでシンは顔も隠さずにその場に居た。
こんな状況になっているのなら、シャトルが襲撃された地点で遠くへ逃亡するべきなのだろうが、キラと会い、再びアスランと出会い、そうした行動はまるで、シンアスカはここにいると自分から広げているようなものではないか。
「…わざと、自分の身をさらしていたのか、シンは」
「うん、多分。もう逃げられないって、思ったんじゃないのかな…。だから航空会社にも辞表を出してる」
「…辞表…?」
「あのシャトルが狙撃された翌日、届いたって」
「お前、それを知っていながら、」

アスランがキラを鋭い眼光で睨む。何故知っていながらシンをそのままにしていた!?何故俺にも伝えなかった!?
シンはまたパイロットを続けるものだと思っていた。だからこそアスランと別れてもきっと再び会えると。けれどあの時、もうシンには戻る場所も無かったのだ。

「…ごめん。でも話すわけにはいかなかった。アスランには。…アスランだけには」


「キラ…」
事情が判れば、今までのシンの行動は全てつじつまが合った。
市街地での銃撃戦は、確実にアスランの命を狙っていたが、シンへの攻撃はなかった。あれはシンを捕らえたかったためだ。
シャトルの件とてそうだ。あれは全て遠距離からの威嚇射撃ばかりだった。…それはそういう事だったのか。
「僕は君だって利用してる」
「キラ」
「シンとアスランが共に居れば、君はシンを守ってくれるだろうと」
アスランは、自分が狙われているのかもしれないと思っていたから都合が良かった。
それならば尚の事共に居るシンを守ろうとしてくれるはずだったから。

こぶしを握りしめたアスランの手の中で、白いシーツが皺になって丸まる。
悔しい。
憎い。
キラにではない。シンにでもない。
こんな状況になってしまった今という状態に悔やんでいる。悔やんでも悔やみきれない程に。

「…あいつは、シンは、最初から知ってたのか…」
「…うん、知ってた」
どうしようもない。…そんな事態になっておきながら、何故何も言ってくれなかった?何故あんなに黙って笑っていたのだろう。
セックスの時でさえ、飄々とした顔を装って、また今度会いましょうって、会えないと判っていて言っていたんだ、アイツは。

「…僕のエゴの所為だ。僕が止めていればね、最初に僕が駄目だって。テロリストに潜入するなんて無理だって。引っ張ってでも止めれば良かった。シンは優しい子だから、でも自分に残酷な子だから、どこまでだって必死で精一杯で…」
「キラ」

悲痛な声がアスランの鼓膜を震わせる。
やるせないのはキラとて同じだ。
シンを利用してしまった。アスランさえも。

「けどな、キラ、俺はあいつがこのままでいるとは思えない」
「アスラン…」

ベッドから足を出し、床につく。感覚はまだ充分に戻ってきては居ないが、立つ事は出来る。
キラが差し出そうとした腕を断って背筋を伸ばして立ち上がった。
窓の外を見つめれば、飛び立つ鳥と、車道を走る車の群れが見えた。おそらくシンはこのプラントのどこかにまだ居るだろう。
テロ組織と共に。
そうだ、あいつはシンアスカだ。
強情で、気が強いくせに人の事を気にして、なのに自由気ままな事ばっかりする。

「7年経っていようが、どれだけ状況と性格が変わろうが、あいつはシンアスカだぞ?…はねっ返りで、間違った事には問答無用で突っ込んでいくし、すぐに怒るし怒鳴るし。…そのシンアスカが今テロリストの懐にもう一度入っていったんだぞ。…俺はこのまま終わるなんて到底思えない」

アスランの眼光は、病院の窓から見える、プラント景色をしっかりと見据えていた。