軍本部の正面玄関を出た途端に、吹きすさんだ風は酷く冷たかった。
「さむ…」
つぶやいて、キラはコートの襟を立てた。
どうやら、今日は一段と気温が低く設定されているようだ。
プラントの温度管理は全てコンピューター任せであるが、四季を体感してもらおうと、定期的に気温の変化をつけている。地球の住環境に近づけるためのものだとは知っているが、キラは冬が苦手だ。だって寒いでしょ外に出るのがイヤになっちゃう…、とは本人の能天気な意見だが、風はびゅうびゅうと吹いて、寒いことこの上ない。
今日は、久しぶりに軍基地から自宅へと戻る事が出来そうだけれど、これだけ寒いなら、いちいち街の中を歩いて寒い思いをして帰るより、ある程度設備の整っている軍基地で寝たほうがいいかもしれないと踵を返そうか迷ったその時、緊急を知らせるアラームがキラの腰のポケットから鳴り響いた。
「はいはい」
それを、いつものことだと取り上げて、液晶画面を見つめた。
そこには予想通りの緊急事態を知らせる文字が数行、羅列されている。
どうやら、これはまた家になるのが遅くなりそうだ。
キラは穏やかに笑うと、軍司令部へと回線を繋いだ。
「キラヤマトです。今から戻ります。…ええ、今回も指揮は僕が取ります。比較的大きな拠点だからMSも配備されてるかもしれない。僕のフリーダムの準備をお願いします」
告げて、通話を切った。
「やれやれ、これでまた軍泊だね…」
いったい家に帰れるのはいつのことやら。
最近は随分、テロリストの垂れ込みが多くなった。
それも、1つの事件の区切りがついたと思った途端に、また次の摘発だ。
まるでこっちの動きを全部把握しているかのように。
「…もー、派手なんだから、シンは」
ぶつぶつと文句を言いながら、やっぱり家には戻れそうにないなと、小さく息を吐きだして、回れ右、をした。
空を見上げれば、うっすらと星が浮かんでいるのが見えて目を細めた。

シンが、アスランとキラの元を去り、テロリストに潜入してから、もう1年が経過しようとしていた。


***


つい先ほど退室したばかりの部屋に戻り、コートをハンガーにかけて、端末を立ち上げる。Z.A.F.Tの文字が浮かび上がる画面に指紋とパスワードを入力して開き、立ち上がる時間を待つ間、コーヒーを淹れた。

緊急事態を知らせるアラームが鳴ってから、約5分。
回線はオープンにしてある。
そろそろアスランは動いているだろう。お気に入りのコーヒー豆をごりごりとやりながら、キラは呑気に待った。
『キラ』
ふいに聞こえた声に、振り返る。さすがアスランだ。
「おはようアスラン。はやいね」
『…起こされたよ』
「うん、僕も帰りそこねた」
ごりごりごり。豆をゆっくりと挽きながら、キラは首をぱきぱきと鳴らした。
「そっちはいま…朝の…」
『…5時だ』
「わぁ」
そりゃまた早い時間だ。アスランでなければ起きられなかっただろう。
仮眠でも取っていたのか、軍服も脱いでいる。
同情の目線を向けたけれど、アスランは目を細めて小さく笑う。
『…まぁ仕方ないさ、シンのお呼びとあれば』
朝の5時に起こされたってのに、アスランはどうにも嬉しげだ。声こそ寝起きの腑抜けた声ではない。これがアスランの愛なのかと思うと、ご馳走様!と言いたくもなる。

「…生存確認。今度は随分大きな組織みたいだね」
『ああ、これが摘発できれば、これからかなり楽になる』
「オーブが動く?」
『そのつもりだ』
「そうだね、よろしく。もしシンが居たらちゃんと引きずり戻してきてよ」
『…当たり前だろ』
言うと、アスランの眉がきゅっ、と寄った。
どうやらアスランもそれを気にしているらしい。
いずれ、テロ摘発の折に、シンが見つかれば問答無用で引き戻すつもりではいた。
けれど、シンは一向に姿を見せない。
もう充分なのに。
これ以上頑張らなくてもいい。
もう、テロの芽は随分摘むことが出来ている。
だからこそ、もう。

コーヒーの穏やかなにおいが立ち上って、カップを取り上げる。ミルクとシュガーをたっぷり入れて、そっと口をつけた。甘くておいしい。

シンが、テロリストに再び潜入してから、早1年。
連絡らしい連絡など取れるはずもなく、無事かどうかもわからないけれど、シンは行動で現してきた。
当初、キラもアスランも闇雲にシンを探していたのだが、テロリストの潜伏は巧妙でシンのかけらも見つからない。それどころか、テロリストは水面下での動きを活発化させていた。それはシンを仲間として引き入れたからだとはキラもアスランも判っていたのだが、活発化したのが、シンが無事でいる何よりの証拠だった。
『あいつも不器用なやつだから』
「それ、アスランが言う?」
『………』
通信の向こうでアスランが押し黙る。オーブの軍服を羽織る姿を、キラはため息混じりに見つめた。
「コーヒーでも入れてあげたくなっちゃうね」
『…淹れてくれ』
「じゃあ、早く正常国交出来るようにしようよ。今のままなら、すぐによくなるよ」
『…ああ、テロも沈静化すればシャトルも定期的に飛ばせる』
「僕が飲めるコーヒー、オーブのだけなんだから」
オーブから送られてくるものは何時だってキラのこころを和ませる。
薄茶色の水面を見つめながら、いいにおいだなぁと鼻を鳴らした。
「プラントとオーブって離れてるけどね、それを繋げてくれるのがシンがシャトルなんだよ。シン、またシャトルのパイロットしてくれないかなぁ…」
シンが戻ってきてくれれば、いつでも彼の席を用意できる。
もう一度ZAFTに戻りたいというのなら、いつだって席を用意するし、オーブとてそれは同じだろう。
アスランの傍に居たいならば、きっとアスランはどんな事をしてでもシンのスペースを用意する。
思えば、シンアスカという人間は幸せなのだと思う。
ほら、こんなにも愛されている。

「…シン、元気かな」
寂しくなった。
シンに、どうしても会いたくなった。
少しばかり眉を下げると、今度はアスランが慰めるように穏やかに告げる。

『これだけテロリストの破壊工作が出来ていれば元気だろう』
「そうだね」
そうしていある間にも、軍情報が逐一入って来るモニタには、テロリスト首謀者の確保の情報が次々と踊る。
「おかげで、また僕徹夜かなぁ…」
『…俺だってロクに寝てないぞ…』
「アスランのは恋わずらいでしょ」
きっぱりとアスランを切って捨てる。
アスランからの訂正の言葉は無かった。当たっているようなものだ。
「あ。オーブでも首謀者確保が上がったね。アスラン今から出るの?」
『ああ、出る』
モニタの向こうでアスランが忙しなく動いている。
午前5時から、大きな仕事が入ってしまった。
『シンが踏ん張っているんだ。俺がサボるわけにはいかないさ。…じゃあ、キラ』
「うん、気をつけて。シンに会えることを願っている」
『ありがとう』
微笑んだアスランの笑顔を最後に、通信は途絶えた。

ああ、本当に会えるといい。
今、彼は一体どこにいるのだろうか。
「もう…戻ってきていいんだよ…シン」
君のおかげで、随分と世界の風通しがよくなった。
テロのしっぽさえ掴まえられなかったあの頃とは比べ物にならないほど、今ではテロの芽を押さえられている。
プラントも、オーブも、おかげで随分と安全な住み易い場所になったと思う。
「ねえ、シン。…だからそろそろ帰っておいでよー…」
みんな寂しがってるから。ね?
それに…。
「僕の仕事、これ以上増やされると本当に大変なんだけど…」
あはは、と苦く笑ったけれど、
キラの端末には、次々とテロリストの情報が羅列されていった。