伸ばされた手を拒む事なんて出来やしない。 大きな手が黒髪に触れ、長い指先が絡められる。 さらさらと流れる黒髪を目を細めて見送った直後、あたたかな感触がシンの身体を包んでいた。 抱き締められて、胸が痛くなるほどに。 触れる体温。 身体の芯まで抱き締めるようだ。 背中を抱き締め、足がふれあい、高ぶりさえこすり付けあう。 髪と髪が絡まって、顔を間近で見つめれば、迷うことなく唇が降ってきた。 キス。それは唇同士ではなく、首筋に。深くねっとりと絡みつく舌が皮膚に吸い付いていく。 「シン…」 囁いたアスランの言葉が、シンの腰の奥深くに、重くこぞんだ。たまらない。…ああ、どうしてこんなに欲しい。 手を伸ばして触れたアスランの背中は、あの頃よりずっと広く逞しくなっている。手を回して引き寄せてみて思う。 自分も大きくなっているはずなのに、それでもこの安堵感を覚える程の体温と大きさ。 嬉しいはずなのに、それが僅かな不安を呼び起こし、シンは目を閉じる。 変わってしまっているのか、この人は。 変わっているのは自分だけ。あの頃の面影さえなくなったこの自分を、変わらぬアスランザラが抱き締めてくれる。 …だから、ほら。見えなくなってしまえば。目を閉じれば何も見えない。 あぁ、ほら、同じにおいだ。少しばかり低くなった声で呼ばれる名も、抵抗なく受け入れられる。 「シン」 名を呼ばれたのが、セックスの始まり。 ドアを閉め、抱き合い、むさぼる。 つい数時間前に、シャトルの中で消えかけた命は、今こうして抱き合う事で、生きていると知り、お互いの体温を感じて自分の体がある事を理解する。 性急に抱き合うのは、7年ぶりに再会を果たしたあの日で終わっていたと思っていたのに、今このセックスはなんだ。 まるで獣同士のようだ。触れられるだけ触れて、挿入さえ強引に、呼吸さえ整わぬ内に腰を動かす。 シンの細い腰を掴み、強引に先端をめり込ませ、ぐいぐいと最奥を突くように腰が深くへと沈むのは、つい先日までのセックスとはまるで違っていた。 ぐぐぐ、とめり込ませ、たまらず喘ぐシンに構わずに、悲鳴を吐き出した瞬間にずぶりと埋め込む。 乱暴で、強引過ぎる。それなのに、気持ちよくてたまらない。 嘘みたいだ。 シンは思った。嘘なものか。これは本当のセックスだ。本物のアスランザラだ。判ってる。…判っているのに。 久しぶりに交わった、あのプラントの夜でさえ、あんなにも気持ちよかったのに、今強すぎるセックスが、こんなにも心地よく、快感が湧き出て止まらないなんて。 いったい、今夜は何度イくだろうか。この身体が、セックスを望まなくなるのはどのぐらい後になるのか、シンには想像もつかなかった。それほどまでに望んでしまうのは、シャトルが撃墜寸前にまで追いやられた所為で、種の本能が反応している所為なんだろうと、シンはまだ冷静さを残した頭の片隅で思う。 見れば、アスランこそ目を閉じ、ずぶずぶと埋没する快楽に浸りきった顔を晒していた。 …軍人の顔だ。 数日前の表情とはまるで違う。休暇を終え、職務へと戻る最中だった彼の顔は、休みを満喫した表情から、いっぺんして軍人のそれへと変わっている。 (俺はもう、こんな表情も緊張も出来ないだろうな…) 軍人を辞めてしまった。もう、かなり前の話だ。 軍人特有の緊張感も、神経の張りも、MSのカンでさえ鈍ってしまっている。シャトルをMSのビームの軸線上から回避させる、勘のようなタイミングがまだ掴めていた事がまぐれのようだ。 『もしもあのシャトルのパイロットがシンでなければ、落とされていたと思う』 それは、フリーダムに護衛されながら着いたこのプラントの軍基地で、キラが言った言葉だ。 被弾したシャトルを、プラントまで護衛したフリーダムから現れたキラ。 『…まさかこんな風にまた会うなんて思わなかったよ、シン。…機長服、似合うね』 戦闘を終えたキラが、フリーダムのコックピットから伝い降りるのを見つめていた。 シンの背後では、疲れきった乗客たちが、ザフト兵の手引きによって、シャトルからホテルへと移動する列が連なっている。 『キラ、さん』 『お久しぶり、シン。…アスランはこないだ会ったね』 メットを取り、シンを見つめるその顔が酷く優しい。まるで、つい今まで戦闘に出ていたなど想像もつかないような穏やかな笑みだ。 アスランは肩の力を抜き、微笑み返した。 『まさかお前が救援に来るとは』 『運が良かったんだよ。ちょうど僕、管制室に居たんだ。そうしたら、シャトルの便数がアスランが乗るっていってた便じゃない。しかも機長はシンで』 『それで飛び出したってわけか』 『助かってよかった』 微笑むキラに応えるアスランの表情も穏やかだ。シンは静かにゆっくりと息を吐き出した。小さな震えが続いている。悟られぬよう、息を潜め、こぶしを握り続けているが、キラはシンのこぶしをちらりと見ていたから、判っているだろう。 『とにかく、詳しい事を聞くのは明日にしよう。シン、ゆっくり休んで。軍の施設だけど、部屋を取ってあるから。アスラン、オーブ軍に連絡を。帰るのは遅くなるって』 『あぁ、判ってる』 乗客だったとは言え、アスランは当事者の一人だ。シャトルが狙われた理由が、本当にアスランを狙ったものなのかどうか定かではないが、今、アスランに警護が必要となることは、キラもシンとて判っていた。 軍の士官に促されて、回線室に向かうアスランの背中を見送りながら、あぁ、あの人は軍人なんだな、とシンは検討違いな事を思った。 あの人は軍人で、今も戦いを続けている。 キラとて同じだ。ラクスクライン最高評議会議長の元、軍事の大元を取り仕切るキラは多忙を極めている。たかがシャトル1機の救援にフリーダムが来た事自体が奇跡だった。 そのシャトルの機長が、元ザフトのトップガンであったシンだったのも、乗客にオーブのアスランザラが乗っていた事さえも。 奇跡のような偶然が重なった。…そう思っていたのは、当事者である彼ら以外の皆だ。 ---そんなわけ、ない。 シンは震えるこぶしを必死で握りしめる。 起こるべくして起こったんだ、この事故は。狙われた。…確かに。 けれどそれでも、危機はひとまず脱したのだ、今ザフトの基地にいる今ならば、命の心配はない。 息を吸うのがようやく楽になりかけていた。…そうして、なんて苦しかったんだろうと、当たり前のように呼吸をしてようやく気付いた。 『大丈夫?』 キラが掛けた声音は優しい。パイロットスーツ越しのキラの手がシンの肩に触れた。 『キラさん』 『うん』 震えているのを気付かれてしまうだろうが、構わなかった。キラは全てを知っている。 カタカタと震える手を持ち上げる。こぶしを握りしめた。 『…ブランク、ですよ。もう俺は軍人に戻れない』 冷や汗が吹き出るのを感じながら、シンは笑った。笑顔が苦い。 『…戻らなくていいよ。シンは戻ったら駄目だ』 『キラさんは戦ってるのに』 自分だけのうのうと、…言おうとした言葉をキラが笑顔で遮った。 『シンは戦ってる。本当は僕なんかよりもずっと。…今も、これからだって』 *** 「大丈夫か?」 身体の上に乗り上げているアスランの姿が目に入って、シンは数度まばたきを繰り返した。 アスランの青紫の髪が、上から降り注ぐようだ。変わらない髪形、7年前も同じような光景を見上げた。 「だいじょうぶ、ですよ。なんで。いきなり、」 「大丈夫じゃない顔をしてるからだ」 まさか。そんなわけ。 「ついこないだだって、散々したじゃないですか」 「…いや。今はもう、俺が違う気持ちで抱いているから」 軍人として戻ってしまった。 穏やかな気持ちでも抱いていない。種の本能に任せた強引な抱き方をしている自覚がある。…だから、壊してしまいそうで怖い。 アスランの手がシンの頬に触れる。しっとりと汗でにじんだ肌をするすると辿り、耳朶に指を絡めてなぞると、今度は頬にキスを落とした。 …こんなに優しい事をするくせに。 「…アスランさん、気つかいすぎです。このぐらい平気」 だってまだ一度だってイってない。 まだイけるだろう?まだどれだけだって。 望むように手を伸ばし、首を引き寄せて、吐息を耳へと吹き込む。青紫色の髪がふわりと舞った。挿入しているそれが、ぐぐぐ、と硬度を増す。ほら、もっと大きくなる。 「今日は…やけに触れてくるんですね」 「そうか?」 言われて、アスランは自分の身体を見る。たしかにシンの身体にぴったりと寄り添っていることに気付いた。挿入させているからといってこの密着はないだろう。しかも、手はシンの心臓の上やら首筋やらに掛かって、離そうとしない。 「…こないだ、久しぶりに会ってヤった時もそう思いましたけど。…今日は一段と、ッ…」 額やら頬に汗を掻きながら、ほんの少しの揺れにも敏感に反応してみせる。途端、ぶしゅっ、と音がしたのは、シンが達してしまったからだ。 ほんのわずかな快感、それにさえ本当は耐え切れなかった。 「ぁ、ア、…あ、ア----、」 断続的な声の後、細長い悲鳴のような声を出して、精を吐き出す。その間もアスランの手はシンの身体に触れていたから、イくその瞬間の身体の変化まで敏感に感じとって、シンの身体の状態を楽しみ、呼吸を合わせて、波が引きそうになるところへ腰を打ち込めば、さらに精液が溢れ出た。 「ぃ、い、ぁ…っ…あ、」 首をぱさぱさと振り、アスランの手に絡みつく。 もうやめてと言わんばかりに縋り付くその姿に、アスランは倒錯的な快楽を覚えた。このシンアスカを大切にしたいと思うのに、酷くする事を喜んでいる。…なんて混乱した不条理な愛だろう。 「…お前が…」 「…う、…えっ?」 首筋の手を摩りよせ肌の感触を手のひらにしっかりと覚えこませながら、ゆっくりと自分の身体を倒し、シンの頬に唇を落とす。汗を吸い舌を出して、紅潮した肌に吸い付けば、快楽の中のシンがうっすらと目を醒ました。 「お前がどこかへ行ってしまう夢を、あのシャトルの中で見た」 「…お、れ?」 そうだ。頷くアスランがシンを見つめる。今は確かにここに居るのに、こんなに近くに、こんなに交わっているのに、なんて不安なのだろう。 「…16のお前だった。赤服を着て立っていた。暗闇の中で。俺が手を伸ばしても届かない。お前はどこかへ行ってしまう。…最後に声が聞こえた。お前の声」 すっと細められたアスランの表情を見上げる。…なんて綺麗なんだと思う。 緑色の透き通った迷いのない目を見つめるのも好きだけれど、こうして揺らぐ表情も本当は好きだ。 あの頃は、どうしてあんなにもこの表情を見るのが嫌いだったんだろう。 悩む顔、苦しむ顔、それを見つめるのがいやだった。 このアスランザラという人が抱える闇はあまりにも深く、世界全ての業を背負おうとも思える程の態度が嫌だったのか。 献身的な態度が向けられたのは、世界であり、オーブであり、彼が好きだと思う人々へ向けてのもので、自分だけに向けられる感情が少ないのが嫌だったのかもしれない。 なんて子供じみた感情だったのだろう。 けれど、今、彼が見ているのは自分だ。このシンアスカだ。 …この身がどれだけ汚れていようと、卑怯であろうと、アスランザラはここに居る。今、抱いている。 細められた目を見つめ、手を伸ばして頬に触れ、目があって微笑んだ。言葉を促す。 「なんて?俺はアンタに何て言った?」 緑色の瞳。…あぁ、今はこんなにまっすぐ見つめてくれるんですね、アスランザラ。 だから、その唇から、どんな言葉を聞いても、いい。 …言われる言葉なんて、判りきっている。 本当はこうして身体を合わせてはいけなかった。…判っている。…判って、抱かれている。 だから、夢の中の俺がアンタに何を言いたかったのか、手に取るように判るよ。 ね?そんな顔しないで。 俺は、全部知っています。 アンタの想いも、キラさんの重圧も、本当の俺も、全部。 重く、躊躇いがちに開いたアスランの口が、シンへと言葉を告げる。 夢の中、逃げるシンアスカが、アスランザラに伝えたその言葉を。 「……俺達が出会わなければよかった、と」 *** 軍港内に建てられたホテルといえど、一流ホテルとまるで変わらない。オーブの重鎮であるアスランに用意された部屋はスイートルームに近い部屋だったらしいが、シンに与えられたのは、グレードの高いシングルルームだった。充分すぎる接待だ。 軍関係者でもないのに、軍人専用のホテルを使わせてもらえる事事態、異例だ。 シャトルを襲った、あの海賊のような集団が使っていたMSはグフだった。ザフト製のMSを使用しているという事は、おそらくザフト軍と何かしら関係のある組織なのだろう。 口止め料、というわけではないだろうが、シンへの対応は手厚い。夕食も随分と豪華なものだったが、シンは丁重に辞退した。すでに軍は退役しているし、ここまでの手厚いもてなしは帰って苦痛だ。もともとミネルバの小さな部屋でも充分だった。士官学校時も狭い部屋と古い宿舎で長いこと暮らしていた。豪華すぎる部屋は似合わない。 暗闇の中、うっすらと浮かび上がる部屋内の調度品。 ベッドさえ、二人の重みを受け止めても軋むこともない上質なものだった。 アスランが、シンの部屋を訪れたのは、夕食を食べ終えてすぐだった。 アスランが確かに眠りに着いたことを確認して、シンはゆっくりと起き上がった。身体の節々が異様に痛むが仕方ない。このアスランザラに全力をかけて抱かれて、持ちこたえただけでも、自分の身体としては上出来だろう。 クイーンサイズのベッドの上をそろりそろりと移動し、片足を床へ下ろせば、とろりと体液が腿を伝った。 「…っ、」 顔を顰めて上半身をかがめ、落ちていたバスタオルを1枚とって、腰に巻く。床を汚すわけには行かなかった。 「…ん、…」 「シン…?」 「起きちゃいましたか」 シンの僅かな物音にアスランが身動き、はたと目を醒ます。 さすがだ。つい数日前は、眠りについたら起きることもなかったのに。もう休み呆けは消え失せて、完全な軍人へと戻ったという事だ。 「…シャワー、浴びたいんで」 「あぁ…すまない、処理もしてないな」 「冗談。貴方に後処理させるのなんかゴメンです」 笑って、流れる精液にも構わずにシャワールームへとすたすたと歩き、デスク上にあった小型の通信装置を取り上げた。ぱっと開いてテレビ画面を映せば、深夜のニュースが流れる。確認して閉じた。深夜3時だ。 「寝ててくださいよ。朝から昨日のヤツ、調べるんでしょ」 「それはお前も同じだろ?」 「俺は…どっちかっていうと、第三者だし」 「まぁ…そうだな」 「ああいうのに慣れてる俺が機長でよかったと思いましたけど」 肩を落とし、項垂れてみせるアスランを励ますわけではないが、適当に言い置いて、シンはシャワールームへと消えた。 自分の評価を過大しているわけではない。あんなものは運だ。すでに軍人の勘さえ鈍った自分がどれだけ出来るのか。 シャトルが狙われたのは自分の所為だと肩を落とすアスランに、冷たいことを言ってしまっただろうか。…いや、しかし今はあのぐらい言っておいた方がいいだろう。 シンは振り返らずにシャワールームの鍵をかけた。 腰に巻かれたバスタオルを取り、シャワーのコックを捻って、あたたかい湯が出るのを確認すると、先ほどの通信端末を開いた。画面から流れるのは深夜のニュースだ。 浴室でニュースを見るつもりなのだろうとアスランに思わせる事が出来ただろうか。 小さく息を吐きながら、殺気立たせないように、心を落ち着ける。 テレビ画面を開いたまま、メールを立ち上げた。シンがプライベートで使っているアドレスには、宛先が特定されないメールが1件届いていた。 やっぱりか。 メールを開き、短い文章を読む。表情を変えず読み終えて、データを消去し、ため息を吐き出した。 これ以上感情を高ぶらせるわけにはいかない。壁1枚越しに、ベッドで眠るアスランに殺気を読まれてしまう。 細く長く息を吐き出しながら、メールの内容を頭で反芻する。到底納得出来るような内容ではなかったが、そのメールが来た事さえ、シンにとっては予想できる範囲だった。 呼吸を整え、ゆっくりと手を動かして、今来たメールが完全に削除されたのを確認した。 メールを送ってきた相手も、早々バレるような内容を送ってきてはいない。暗号文だ。万が一、ザフトの軍で傍受されていたとしても、暗号は解けないだろう。 メールを閉じ、テレビのみの画面にして、シンはシャワー室へと入った。あたためておいたシャワーを真上から浴びながら、目を開く。 ざぁざぁと降り注ぐ雨の中、あたたかな湯。 「…く、そッ…!」 耐え切れず、シンは細く呻いて、こぶしを握りしめ俯いた。八つ当たりする事も許されない。今、この場では何一つ、晒せない。 殴りつけたいこぶしで、シャワーのコックを思い切り捻り上げた。 湯量が増し、あたたかな湯があっという間に冷水に代わる。 それでも、シンの心は、熱く鈍く、高ぶっていた。 しばらく、部屋には戻る事は出来なかった。こんな顔を彼に見せるわけにはいかない。…まだ、今は。 身体をしんしんと冷やしながら、真水の流れるタイルを見つめる。 唇を噛めば、血のにおいが混じった。 アスランさん、やっぱり俺達、出会うべきじゃなかったんです。 |