「シン、明日、俺と出かけないか?」
「は…?」
「だから、明日…俺も時間取れるから」

シャトル襲撃の調書をようやく取り終えた、その瞬間を見計らったかのように言うアスランに、思わず動作を止めて口をぽかりと開いたのは、面と向かって言われたシンだ。
まるでまだ幼い恋愛をしている学生のように、恥じらいながら発せられた言葉に、同席していたキラは思わず噴き出して笑った。
あはははは、と笑った拍子に、キラの手から調書の用紙がばさばさと落ちるが、それも構わずに笑い転げているキラの態度にアスランは困ったようにはにかんでいるが、シンとしてはどう反応していいのか判らない。
だって、出掛けようって、

「アンタ…狙われてるんですよ?」
「あぁ、そうだが」
「命狙われるから、護衛をつけるって、つい今決まったばっかりですよ?」
「あぁ、判ってる」
「判ってて言ってんですか!?馬鹿なんじゃないの!?」

思わず地が出た。
本音を思い切り言ってしまった後に、つい昔の癖が出てしまったと慌てて口を噤んだが、遅い。キラなど腹を抱えてひくひくと震えながら大爆笑している。
なんなんだ、このやりとりは。
アスランは前言撤回しないし、キラは笑っているし、何故か言われたほうのシン一人が居た堪れない。なんでこんなに恥ずかしい思いをしなくちゃならないんだ。

「行ってきたら?」

目に浮かぶ涙を指先で拭いながら、キラが言った言葉を、アスランが嬉しそうに受け取り、その表情はいかにも初心そうで可愛いとは思ったが。
…が、しかし。

「けど、キラさん、この人狙われてるんですよ?」
「アスランの危険察知はすごいから。ちょっと抜けてる時もあるけど、呆けてなければ、まずやられる心配はないよ。それにザフトから護衛もつくし。あ、もちろん2人の邪魔はさせないようにする」
「キラさん!!」

なんだよ、邪魔って!それじゃデートみたいじゃないか!
叫びたい。けど叫んだら終わりだ。きっとキラは、さらに1時間は笑い転げるだろう。
おかしい。どうしてこんな事になるんだ。
狙われてるって、命を狙われてるんだぞ?下手をすれば死ぬんだぞ?相手は正体不明のテロリストだ。

「キラさん…、」
「うん」

元上司であるキラを眉を顰めて見つめるけれど、当人のキラは楽しんでいるようで、行っておいでよと言わんばかりに笑顔を向けられてシンは困る。
こんな展開になってしまっては、もう出掛けようという提案を受けるしかない。肝心のアスランとキラはやる気満々だ。誘ったアスランはどうみても楽しげで、それ以上の罵詈雑言が言えない。
襲われる危険性があるはずなのに、それ以上に出掛けることを楽しみだというアスラン。…その笑顔に何を言えるというのだろう。身体中の力が抜けるばかりだ。

ひとしきり笑い転げたキラは、でも、とアスランに目線を合わせた。

「いつだったか、僕とアスランの立場がまったく逆の時、あったね。…あの時はラクスが狙われてた」
「…あぁ、…なつかしいな」
「でも、みんなで買い物して。…あの時楽しかった。あんな風に買い物して遊んでって、凄く久しぶりだったから」

あんな事が起きる前までは。
言葉にしないキラの表情にあの日の記憶が鮮明に蘇り、アスランも思い出して目を細める。
あの時は守れなかった。手をすり抜けた桃色の髪。最後まで綺麗な顔をしていた。とても綺麗な。
鮮やかに思い出す7年前の光景に、アスランが静かに目を閉じる。…守れなかったあの日、こぶしを叩いて泣いた。
けれど、今は違う。

「今は、…大丈夫でしょう?アスラン」
「ああ」

キラの問いかけに、アスランは頷く。
シンだけが、状況が読めずに、二人の行動に首を傾げていた。


***



「でもなんで、スーツで来るんだろう…このひと…」
「問題か?」
「問題でしょう?!」

軍ホテルのロビーで待ち合わせたアスランが着こなしたスーツは、カジュアルなものだったけれど、ネクタイを締めることはないだろうし、シャツだってそんなきっちり着込む事も無いだろう。
それじゃあ、はたから見たら、いかにも軍の高官か何かで、凛々しい顔立ちは、アスランザラですとはっきり言っているようなものだ。

「そもそも、自分が有名人ってわかってるのかな…」
「誰が?」

アンタだよ、言いたい言葉をこぶしを握りしめる事で堪える。
変装してまで出かけるのはさすがに嫌なのだろうとは思うが、あのシャトルの件でアスランが狙われていると判っている以上は、外出は控えるべきだろうに、それさえ破り、堂々を顔をさらして街中を歩くなど言語道断だ。狙ってくださいといっているようなものだろう。
キラさんは本気か。これでこの人、本当に自分の身を守れるのか。…いざとなったらシンとて自分が盾になるぐらいの覚悟はあるが、防弾チョッキでは完全に弾は防げないだろう。
ふと周囲に目を配らせれば確かにザフト精鋭の特殊部隊なのだろうガードマンが10人は周りを囲っているのが判る。
テロリストが、この緊張感に気付いた上で攻撃を仕掛けるのならば、たいした度胸だ。
軍人を離れたシンとて気付く程の、ガードマンの緊張を察知出来ないようなら、アスランがやられる心配はないだろう。この人の銃も危機回避能力も、キラに言われるまでもなく、シンが知っている。ミネルバで共にMS隊に居たし、射撃訓練で彼の的を射抜く正確さを見ている。
わざわざスーツで来たのは、もしかしたらジャケットの内側に拳銃を隠すためでもあるのか。
…いや、しかし、この人は有名人だ。顔を晒して歩く事がどれだけ危ないことか判っているのか。
一般に顔は知れ渡っていないであろうが、戦いに身をおくものなら、顔と名前ぐらい一致するだろう。

ザフトの特務隊フェイスのトップガン、アスランザラ。
オーブ軍の重役を担う、アスランザラ。
パトリックの息子、アスランザラ。
ラクスクラインの元婚約者。

幾つもの肩書きを持つアスランの姿を見つめる目線を感じる。
この軍施設のホテルに居る軍関係者からでさえ、痛い程に受けている。
悪意のあるものではないだろうが、それでも昔からスキャンダルには事欠かない男だ。
こんな状態で、街中に出たらどんなことになるのか。シンはため息をついた。

「あの」

ふと、躊躇いがちに掛けられた声に消沈していた顔を上げると、若い女性が二人、こちらを見つめていた。
ほら、言わんこっちゃない。おそらくはアスランに一言でも声をかけようというファンか。
見れば、オペレーターの軍服を身にまとった可愛らしい女性が、顔を真っ赤にしている。
アスランを凝視できないのか、シンと目が頻繁に合う。仕方なく微笑んだ。丁重にあしらうか。


「あの、シンアスカさん、ですよね?」
「え?…ええ、はい、まあ」

名を言われて、驚く。
シンアスカは自分の名だ。
不意に呼ばれた名に驚いていると、あぁ、やっぱり、と声を上げて喜ぶから、どうしたことかと首を捻った。
歳の頃から、20代だろうとは判るが、まるで憧れのアイドルにでも出会ったかのような喜び方だ。
喜ぶ女性の隣には、同じように頬染めた女性が居る。まるでルナマリアとメイリンみたいだとシンは思った。

「あの、この子、貴方のファンなんです。…あの、7年前のヘブンスベース戦で、ミネルバの後方支援艦のオペレーターしてたんですけど、その時から、シンアスカさんが好きって言ってて」
「…え?」

シンは目を丸くした。
こんな風に、告白まがいの事を言われたのはおそらく初めてだ。
しかも軍人だった自分を知っていて、尊敬していたなどという。

「私もヘブンスベース戦では先発隊としてMSで出てたんですけど、ディステニーの動き、ずっと見てました。どんどん敵をなぎ倒していく姿に圧倒されちゃって震えたの覚えてます。…私、貴方に助けられたんですよ。もし貴方が敵機を落としてくれなかったら、落とされてました、確実に」

だからお礼を言いたくて、と改まって敬礼をし、ありがとうございました!、と澄んだ綺麗な声で笑顔を向けられて、シンは声もなく驚いた。
ひとしきり握手を交わした後で、彼女達は去っていく。
その背中を呆然と見つめながら、シンは握手した手を仕舞えずにいた。あっという間の出来事だった。

…一体何が起きた。

「…誰が、有名人だって?」
「はは、…ははは」

握った手をぐーぱーぐーぱーと広げてみせて、シンは苦く笑ってアスランを見上げた。
驚いた。まさかこんな事になるとは。

「…偶然、でしょう」
「いや」

シンの肩に手を置き、笑顔を向けるアスランは緩く首を振る。

「お前だってザフトのフェイスでトップガンだ。ネビュラ勲章も2つ、最新鋭のMSも渡されて、議長も一目置いていた」
「昔の話です、俺もう一般人だから。…それより!」

話を逸らされた。天然なんだか何だかわからないが、アスランさんのペースに乗ったら終わりだ、ついそのまま流してしまいそうになる。…いや、今の問題は、自分の事より、この人だ。
きっちりと着込んだスーツを、睨むように見つめた。

「ネクタイはいらないです」
「え?」

言うやいなや、シンの手が伸びてアスランの首筋の結び目に触れ、するりと引くと、難なくネクタイは外れた。

「お、おいっ」
「ボタンもきっちり留めすぎ」

薄水色のシャツはいかにも清潔そうで似合っているけれど、第一ボタンまできっかり止める必要がどこにある。
ボタンをぷちぷちと外し、第2ボタンまで外して鎖骨まで見せ、ジャケットのボタンも外した。

「こんなもんかな」
「シン、」
「なんでこんな格好したんです。俺と初めて会った時の服装ぐらいでよかったんじゃないんですか」
「…いや…お前と食事とか…」
「どこの高級レストラン行く気だったんですか、アンタは」

はっきりきっぱりと物を言い、あんたはおかしいと断言するシンは、アスランとは対照的な、随分とラフな格好だ。歳は23になったはずだが、17,18にさえ見える。大きめのパーカーに、細身のジーンズ。どこにでもいるカレッジの学生のようだ。

「あ、あと、これ」
「これは?」

渡されたのは、1本の髪留めのゴムだった。

「後ろで1つにして縛ってみたら、印象変わりますよ。俺のメガネもあげます」

メガネをアスランに差し出し、髪を結ぶゴムも取って、てきぱきと髪を結う。黒縁のめがねをかければ、まるでどこかのサラリーマンのように見えた。

「こんなもんですかね」
「このメガネは」
「伊達です。あぁやっぱりこーゆーの、似合いますね」

慣れぬメガネの縁を上げて、こんなもんなのかとアスランは首を捻るが、シンとしては上出来だ。
これでテロリストを騙せたとは思わないが、気分的にいい。少なくとも、ネクタイをきっちりしめたアスランが隣に居るよりは。
自分の手で飾り立てられた事に満足して、シンは踵を返した。

「さ、どこにいきますか」


***



何処行くんですかと聞けば、どこへでも、と答えるから、じゃあ一体何がしたかったんです、と言い寄りたくなるのを耐えた。
まったく、この人と居るとどうにもペースが狂う。まるで7年前のように、言い争いをしてしまいそうになる。
気が合うのか合わないのか。思わず愚痴を言いたくなりながら、宛ても無く街中を二人で歩いていた。
これじゃあまるで散歩だ。

アスランの隣を歩きながら、シンは、彼の青紫色の髪を見上げた。
自分もかなり身長が伸びたとは思うが、それでもやはり差はある。あの頃ほどの差はないが、それでも追いつくことはない。

それなりに7年間を過ごし、今居る航空会社にパイロットとして入った頃も、女性からは人気があった方だと自分では思う。
ずっと軍に居た所為で真っ当な生活の感覚が鈍っていたが、これが一般の穏やかな生活というやつなのかと思った。
航空会社に入社した頃も、シンが軍のパイロット所属だったという情報は、あっという間に社の女性陣に知れ渡ってしまった。なるべくなら元軍関係者だとバレずに過ごしていたかったシンの希望はあっけなく潰えた。
それからというもの、女性からは声を掛けられる事も多く、恋人にするにも事欠かなかったシンだが、特定の人間と長く付き合った事はない。
初めて女性を抱き、セックスというものはこういうものだと知った。女性のあたたかさ、胸のふくらみ、手を繋いで歩く道、高い笑い声、守りたくなる愛しさ。
それらを知って優しさに包まれはしたものの、その思いが愛に繋がる事は無かった。
女性を見つめれば、どうしても過去、湖に沈めたステラや、オーブで散った妹や親が目に浮かぶ。女性に対するシンの記憶は凄惨なもので、それが簡単に晴れる事は無い。

…だからといって、男を相手にしていた、というわけでもない。
誰でもよかったつもりもないし、男に抱かれたかったわけでも。それでも、過去、経験がある以上、あのセックスの快感を知っている。
男同士の行為が、唾を吐きつけられるような行為だと判ってもいたが、誘われ気が向けば男に抱かれもした。そうして思い出すのはいつもたった一人の人物だけで、そのたびに打ちのめされる事になったけれど。
どちらにしろ、本気の恋愛など出来ない事を知った。
(…そんなの、出来る立場でもないし)
民間の航空会社に勤めたのも、一種のカモフラージュだ。
一つの会社に長く居るつもりはない。とどまる気はないのだ。
次はどこへ行こうか。
昨晩、アスランの胸の中で考えたこと。
コーディネーターとはいえ、シンには身寄りがなく、保証人もない。
それでも個人の能力が抜き出ていれば、幾らでも採用してくれる企業はあるだろうが、それももう終いにするつもりだった。
次は、…どうせなら、ジャンク屋にしようか。
戦争で散ったMSの残骸集めて、使えるようにもう一度焼きなおして。少ない資金で開業できるジャンク屋だ、知識ならある。

「シンはどうしたいんだ?」
「え?」

ふいに言われた言葉に、シンは慌てて顔を上げた。

「いきたい場所はあるか?」
「あ、…ええと」

アスランからの問いに、これからの未来の事を聞かれたのかと思って言葉が途切れる。

何をしたいんだ。

遠い昔にも、同じ事を言われた事がある。
この人は、どうしてそうして人に問うてばかりなのだろう。

オーブとザフトの最終戦線で、再び出会ったこの人と、MS越しに問われた言葉を、あの時、返せなかった。
そして今も、これからの未来を見出せないでいる。
ジャンク屋を開くだなんてそんな事、出来るわけがない。…所詮、夢に描いた未来のようなものだ。ただの夢想だ。

「シン?」

顔を覗き込むように問われて、言葉を捜す。
いきたい場所、…そうだ、いきたい場所は。

「特にないです」
「…シンもないのか」
「てか、これ、アスランさんが誘ったんですけど」

だったら、アンタが答えを出してくださいよ。
そう言わんばかりに責任を押し付けてみるものの、アスランは苦く笑うばかりで答えもない。

「…どこか…。普段なら普通、こういう時に何処に行くんだろうな。あんまり、友人と出かけた事はなかった」
「キラさんとは幼馴染…じゃなかったでしたっけ?」
「幼年学校で別れたような仲だぞ?どこか行くって言ったって、お互いの家とか近所の公園とか、そんな程度だった」
「じゃあ、いいじゃないですか。今だって、公園とかで。どうせ休みを満喫したいだけなんだから」
「…それは…そうだが…」
「それとも歳相応の事しますか?カフェ?ボーリング?カラオケ?遊園地?あぁそれじゃあ恋人同士みたいだ」
「シンがそれでいいなら」
「いやですよ。男二人で遊園地なんて。だったらホテルに行きます」

真面目な答えばかりを返すアスランの言動に、昔と変わらないなとシンは思う。
冗談めかしてホテルならと言った途端に、アスランがひくりと震えるから、なんでこんな事で照れているんだろう、と笑った。昨晩だって、ついこの間だって、あれだけねちっこいセックスをしてきたくせに、ホテルに行こうなんて言葉だけでこんなに照れてみせなくてもいいのに。

「アスランさんて、面白いですね」
「茶化すな」

シンまで、人を手玉にとって楽しそうに笑う。
まるでキラといるようだ。

「じゃあ、アスランさん、店に入りましょうよ、コーヒー飲みたいです、おれ」

シンが指差した先、ショッピングモールが立ち並ぶ中に、街灯に紛れて丸い看板が見えた。
朝メシをおごってくださいと笑いながらドアをくぐり、パニーニとコーヒーを注文して席を取るのかと思えば、シンはそのまま持ち歩いて街を歩くと言う。

「せっかく天気がいいから、街を歩きたいじゃないですか」

アイスのブラックコーヒーを手に抱え、細いストローからコーヒーを飲みながらシンは歩き出す。止まらないシンの足に促されるまま、アスランはその隣を歩く。
シンが何故、こうも何処かへ歩きたがるのか。ふと考えて、理由が判った。
1つのところにとどまらないようにしてるのだ。それは、狙われているであろうアスランへの警戒を含めたシンなりの行動なのだろうとアスランは察する。
(結局、気を使わせてるな…)
自分とて神経を研ぎ澄ませてはいるが、いまのところ目立った殺気はない。自分たちの後をつけるガードマンの張り詰めた緊張の方が良く判る程だ。

「シン」
「アスランさんは、考えすぎなんです」
「…え?」
「こんなの、適当に楽しんだらいいです。俺をどうしたいとか、俺のためにとか、そういうのは考えない方がいいですよ」

まるで何もかも判ったような口ぶりでシンは言う。表情さえ変えないその姿に、アスランは肩の力を抜いた。

「すまない」
「何あやまってるんです」

人が流れる街並みを、二人で肩を並べて歩く。
狙撃さえ容易ではない程の人の群れ。ここでアスランを狙うにはあまりにも危険だ。
人の流れに逆らわないように、流れにそって歩くシン。
その姿も、背も、声も、16の頃とはだいぶ違うと思うのに、何故か赤服を着た彼が見えた気がした。

「散歩、でいいじゃないですか。ぶらぶらして、気が向いたら帰りましょうよ」
「…あぁ、そうだな」
「歩きながら話をするってのも、悪くないでしょ?」
「なら、シン。聞いてもいいか?」
「何をです?」
「なんで、ザフト軍を退役したんだ」