眠っているという事は、生ぬるい浴槽につかっているのと同じかもしれない。
ふわふわとした柔らかな感触から、アスランはふと目を開けた。
が、目を開けた途端、突然鋭い痛みが走って驚いて飛び起きる。
「なっ…!??」
額が痛い。
幸せなまどろみは、一気に覚醒してしまった。不快な目覚めだったが、薄暗い室内の中、ぼんやりと浮かび上がるシンの姿が見えて、幸せが簡単に戻ってくる。あぁそうか、一緒に寝ていたんだ。

あどけない表情で、アスランをじっと見つめるシン。
「…なんだ?」
まだ額に痛みが走るが、せっかくシンが可愛い表情をしているのだから、見ておきたい気持ちの方が強い。しかしこの痛みは何だ。どこかにぶつけたのか、もしくはシンが何かをしたのか。
あどけないシンの表情は、徐々に何やら楽しい事でも思いついたのか笑顔になった。
普段、直情的にすぐに怒る顔は、想像もつかないような楽しそうな笑みだ。
彼が、ベッドの中だけは穏やかで可愛い姿になるのを知っている。それは寝顔であったり喘ぎ顔であったりするわけだが、それはアスランだけが知っているし、当分人には見せたくはない。
笑う顔が皆のものであるならば、ベッドの中の姿ぐらい、自分のものだとうぬぼれてもいいだろう。


「アスランさん、そんなにあぶなくないですよ」
「……は?」
にこにこと笑顔で、それだけを言われても意味が判らない。
俺はまだ意識がしっかりしてないのか?まだ眠っているのか?いや、思考は動いている。

「…何が危なくないって?」
「だから、デコ」
「……は!?」
「心配して損した。なんだ大したことないじゃん。みんなあぶないあぶないって言ってるから俺もうすぐ駄目になるんじゃないかと本気で心配しちゃったけど、意外と大丈夫だ」

そこまで言われれば言わずも判る。
人の事をデコだとかズラだとか馬鹿にする、あの冗談の事だ。
「おまえな…」
シンはマトモにそれを受けて考えていたのか。
人の噂に惑わされる程、信用されてないのかと思うと切なくもなるが、誤解が解けたなら問題はない。この額の痛みは気になるが。これはもしかしてデコピンか。いや、髪を思い切りひっぱったな。シン。

「…アスランさんが、20歳とかでハゲたらどうしようとか、デコがどんどん広がって、サイドしか髪が無くなったらどうしようとか…あ、ヤベ、リアルに想像しちゃって笑える……」
「おい」
落ち武者のようになったアスランを想像しているのか、ベッドの上で腹を抱えて、くくく、と笑うシン。
情事の後で、何も身につけていないシンの肌は白く、背中を丸めた所為でうなじが綺麗に見える。
シンが笑っていてくれるなら嬉しい。…笑う原因が自分の情けない姿の妄想だと思うと切なくなるが。

「だいたいコーディネーターなんだから、そう簡単に毛髪が無くなったりしないだろ」
「わかんないですよー?そういう風に遺伝子操作してないのかも」
「お前な…」
まだ笑い続けているシンの後頭部をべしっと叩き、そのままシンの髪の中に手を埋めた。
シンの髪は猫ッ毛だ。柔らかい髪がそこらじゅうに撥ねる。それが愛嬌があるといえばあるのだが、ベッドで眠っていても、風呂に入った後でも、髪型が変わる事が殆ど無いのは奇跡に近い。
「俺の髪はだいじょーぶですよ」
「判るものか」
「だいじょーぶです。アスランさんよりは後にハゲます」
「そうか。じゃあ当分長生きしなくちゃならなくなるな」
「俺、アスランさんより長く生きる自信ありますからね。棺に収まったアスランさんの髪があるかどうか確認ぐらい出来ますよ」
「…そんな事を言っておきながら、俺よりも早くお前のこの髪が無くなるかもしれない」
「それはないです。ハゲるとしたらアスランさん」
「ハゲるという言葉を使うな」
「気にしてるんじゃん」
「うるさい!」
両手を髪に突っ込んで、ぐしゃぐしゃとかき回した。あっという間に酷く撥ねた髪は今以上に重力に逆らって飛び跳ねて、収拾がつかない。

棺に収まった死体を見て、確認するだと?してもらうじゃないか。棺に収まるような死に方をして、年老いるまで生き残る事が出来たなら。
精一杯、シンの髪をかきまわした。
可愛い顔をしておきながら、なんて可愛くない事を、可愛い言葉で言うんだ。ネタは気にくわないが。

「あーもうぐしゃぐしゃじゃん」
「お前はいつもそうだろ」
「いい。もうシャワー浴びてきます」
撥ねまくった髪を無理矢理撫でて落ち着かせようとして出来ず、シャワールームへ向かおうとベッドから降りるシンを、後ろから抱きしめた。
「そのままでいい」
「俺は嫌です」
「お前がベッドから出て行く方がいやだ」
「なにそれワケわかんね」

駄々をこねれば、シンがくすぐったそうに笑った。
アスランがわがままを言う時、シンは酷く嬉しそうに笑う。そしてアスランのわがままを聞くのだ。
下ろしかけた足をベッドへ戻し、擦り寄ってきたアスランを受け止める。腰に巻きついたアスランの腕。シンの太ももにアスランの顔を乗せる。さらりと青い髪が散ってくすぐったくて小さく震えた。
「アスランさんの髪、俺すきだから。なくならないでくださいね」
「…もうちょっと、色気のある言い方できないか?」
「俺にとっては史上最強の愛の言葉です」
「……それでか?」
アスランが笑うと、シンの腿に吐息がかかる。それが性感帯の一部に触れて、もう終わったというのに身体の中で熱が燻ってしまう。多分、それも判ってシンとの言葉遊びを楽しんでいるのだ。このアスランザラという、自然体な策士は。

シンの腰に廻された腕が、するすると移動して、背中を撫で始める。背骨を辿られ、脇腹を指先で掠められて、ついに声が洩れた。シンの負けだ。
「……あーくそ」
降参を認めれば、笑ったアスランがむくりと起き出し、シンの肩を押さえてベッドへと押し倒した。またベッドに戻ってきた。しかも、アスランはやる気の顔になっている。主導権を完全に握られたのが悔しいが、仕方ない。この篭ってきた熱をなんとかしてもらわねば。…しかし良い様に扱われるのは癪だ。

「…アスランさんを下から見るのも悪くない」
「何故」
「髪が降ってくるみたい」
「…俺の髪から話題をそらせ、シン」
「えーでも、」
「俺は、…ほら、こうやって、シーツに散らばるお前の髪が好きだ」
「…ふふ。じゃあ髪伸ばそうかな」
「伸ばしたらお前、今より髪型が収拾つかなくなるぞ…絶対ブラシでとかさないだろう」
「あー……」
否定出来ない。面倒くさくて鏡の前に長くは居ない。

「じゃあ、アスランさんが梳いてください」
「あぁいいよ」
シーツに散った黒い髪を撫でてくれるから、ゆっくりと目を閉じてその感触に身を委ねた。
アスランの髪に指を絡めれば、ひんやりとした夜の気配が指に絡まって、背筋がぞくりとざわめく。