眠っている間でも、周囲で物音でもすれば、目覚めるとまではいかなくとも、なんとなく反応出来てしまう。
それは軍人の性なのかもしれない。

眠る前にセックスをして、深夜。眠りに入って間もなく、ほんの少しの音が耳に届く。それはガムテープを破る音だった。
(…ん?)
引き金を引く音とは違う、身の危険を現す音ではない。アスランの意識は中途半端に覚醒したままだ。第一ここはミネルバという戦艦の中であり、アスランの部屋にはロックが掛かっている。
ロック忘れはない。そして今この部屋には自分以外にも、同じベッドで眠る人間が居る。彼が起きているのならば、物音がするのは当たり前だ。
ビリビリとガムテープを破る音が聞こえ、そう時間をおかずに、今度は自分の腹の上に質量のあるものが乗りあがった。重い。
「…ン……っ?」
さすがに目が覚める。
衝撃をくらってもしっかりとは覚醒しなかった目で、腹の上を見れば、そこにはシンが馬乗りになっていた。道理で起きるはずだ。
「…な……」
聞いてもシンは何も言わない。まるで幽霊のようだ。
怪談にありがちな、起きたら生首が腹の上にあったという状態ならば、まだ恐怖に叫んでもいいが、しかしアスランに馬乗りになっているのはシンだ。幽霊ならば重みもないだろうが、これは確実に人一人の重さである。シンとて170近い身長がある。軽い部類に入るといっても50キロはあるだろうし、重いと感じるのは当たり前だ。眠っている隙に乗り上げられたのならば尚更。
照明を落とした暗闇の中、かろうじてシンの顔は見えるが、見えるだけだ。薄ぼんやりと、シンが見下ろしている姿がわかる。よく見るとシンは笑っていた。口元には嘲笑のような笑みさえある。やはり幽霊か。いや違う。

乗り上げられたシンの手に握られていたのはガムテープだった。
何をしているんだ、と言おうとして口を開けた瞬間、アスランの口元は、そのガムテープによって塞がれた。よりにもよって布製のガムテープだ。簡単にはがれるようなものではない。
「!?!」
あまりの事に、引き剥がそうと手を上げたところで、シンがアスランの手を握りこんだ。アカデミーの授業で習う拘束技術。掴み揚げられて捻じ曲げられる。強く力を込めれば関節を折るが、手加減をしてくれているらしい。関節が痛いが、折れる程ではない。
なんなんだ。
アスランの寝起きの頭にはクエッションマークばかりが広がる。
つい数時間前まで、セックスをして愛し合ってキスもしてベッドに入ったはずだ。いつもからだを丸めて眠るシンが愛しくて抱きしめるようにして眠った。…それなのに、今この変わりようは一体なんなのだろう。
シンは薄く笑みをつくりながら、拘束したアスランを見下ろし微笑む。
「ねぇ、アスランさん」
普段ならば見せないような、笑み。
だが、決して純粋な笑顔ではない。何を考えているのか判らない。その笑顔は、こわい、と思える程、表情が無かった。

「ねぇ、アスランさん。なんでアンタの口って、俺が欲しい言葉をくれないんでしょうかね」
言われて、アスランは目を瞬く。
シンは、微笑みを崩さないまま、そっとガムテープで覆われたアスランの唇あたりに指を乗せた。
そっと、触れるか触れないかの指先。

「…この口は、俺を叱るためにあるんですか?」
言われて、違う、と声に出そうとして出せず、慌てて首を振る。
何をいきなり言っているんだ。
シンがおかしい。それは間違いない。
「…じゃあ、俺に説教するため?なんで戦うんだって俺に謎かけするため?もしかしてご飯食べるため?キスするためじゃないですよね。きっと。あんたのキスはいつも優しいけど」
言いながら、シンの表情が少しずつ崩れていく。
唇の上、ガムテープ越しに触れた手がそっとアスランの唇の形を辿る。むずがゆいような感覚が広がる。鳥肌が立ちそうだ。
何を言われているのか判らない。
いきなり寝込みを襲われて、口を塞がれて手も拘束された。まるで尋問だ。口を塞いでしまっていれば、何も答える事など出来ないが。
(…俺が何かしたのか…?)
確かにシンとは良く言い合いもしたし喧嘩もしたが、それだけではないはずだ。大体、ベッドを共にするほどの仲になっているというのに、これは一体なんだ。
シンが壊れてしまったのではないか。疑うように目線を向けても、シンはアスランの唇だけを見つめて目を離さない。
その表情がどんどん崩れていく。
嘲笑さえ浮かべていた笑顔は色を無くしてゆき、今では泣きそうな顔だ。…まるで先ほどとは違う。
それでもアスランの手を拘束する力は緩められない。
いざとなったら、シンを蹴り倒すなり、強引に腕を引き剥がす事も出来るが、相手は敵ではなく、シンだ。なるべくならば手荒な事はしたくないし、シンの独白はまるで懺悔のようだった。
ぽつぽつと、抑揚もない台詞がシンの小さな口から零れ落ちていくようで、聞いていてつらい。

…アスランの口は、叱るためにあるのか。キスをするためじゃないですよね。

叱ってばかりだっただろうか。セックスをするようになってからは、叱る以外にも色々な事を言ったはずだ。
好きだとか、欲しいだとか。そんな言葉は陳腐すぎてアスランにはいえなかったけれど、それでも口で語る以上の身体の関係があるのだから、そんな言葉を言わずともいいだろう。
シンが何を望んでいるのが判らない。

「アンタは、俺が今なんでこんな事をしてるのか判ってるのかな。…ね、俺が狂ってるみたいに見えてるんですか?」
言われて、その通りだと頷きたくなったが、シンの表情は悲しみだ。頷いてはいけない気がした。
何が足りないのか。

「アスランさん、アンタね。俺が欲しい言葉、なんにも言わないんだもん。…なんでくれないかなぁ。ねえ?」
口に張られたガムテープに触れるだけだったシンの指が、そっと唇を撫でるように、端から端まで往復する。唇の形がガムテープに浮かび上がっている。それを丹念になぞる。
ガムテープ越しといっても、アスランの唇にはシンの指の体温が僅かに伝わっていた。
そっと羽根で触られるような感触。

「…ね。俺の好きな言葉知ってますか。アンタになんて言ってもらいたいか知ってますか。俺が本当は何が欲しいか知ってますか。ねぇアスランさん」
シンの表情は読めない。
シンが何を考えてこんな事をしているのか。アスランには判らない。
…判るわけないだろうとシンも悟っていた。どうせアスランザラという人は、誰でも好きになるのだ。博愛主義者で、守りたいものも1つではない。好きなもの、好きな人、好きな環境。それら全てを守るために全力を尽くし、命さえもいとわない。だから、シンを抱いた事さえも、この人にとっては好きなものの中の1つを手に入れる為だけだろう。
残酷な博愛だ。

(…ね。俺、アンタの事だけすきなのに)
皆と同じ感情。ただ身体を合わせているだけの関係。
この人にとっては、きっとキラヤマトも、ラクスクラインも、カガリユラアスハも、シンアスカも。
同じ博愛の上にある。
誰も失いたくない、誰も手放したくない。…シンに与えられたのは、アスランの身体の欲求を発散させる相手と、庇護愛を満たすだけの存在だった。

(アンタ、残酷だよ…)
このままずっとガムテープを張っていたら。アスランは窒息するだろうか。
シンは考える。
--- 俺がこのまま、アスランさんの鼻も口も塞げば、きっとこの人は、数分で息絶える。
--- でも、そうすれば、事切れる直前まで、俺を見つめてくれるはず。
死ぬ直前まで見てくれるだろう。
そしてきっとアスランは思うのだ。なんでこんな事をするんだって。…きっとアスランは判らない。判ってなんてもらえない。
(あぁ…ガムテープあるんだから何も言えないのか)
じゃあここで殺したら、二度とアナタの声が聞けませんね。
でも、事切れるまで、目だけは俺を見てくれるでしょう。俺だけが映るでしょう。
声はなくても、目だけは。

…なら、いいかもしれない。せめてどこか1部だけでも、アスランがシンアスカという人間を記憶していてくれたらいい。
どうせこの声は、誰かのためにあるんだ。
カガリユラアスハですか。
キラヤマトですか。
ラクスクラインですか。
それともアナタらしく、全世界の人間へと向けられる平和の言葉ですか。

俺はそんなもの、何もいらないけれど。

知らず、アスランを見つめる表情が、冷たいものになっていく。
笑顔は消え、憎らしいものを見つめる憎悪の目線へと変わる。

--- いけない。

判っているのに。どうせこの人は誰のものでもない。
殺したところで、この人の魂はきっと別の人のところへ行くんだろう。
シンアスカには帰ってこない。何1つ帰ってこない。
言葉も、肉体も、心も、魂も。

「こんなに…こんなに、好きなんですけどね…」
ぼそりとつぶやくと、涙が1粒だけぽたりと落ちた。
頬に流れずに目から零れ落ちた涙は、アスランの口を覆うガムテープに落ちて、顎へと流れて消えた。

その、シンの一瞬の隙をついて、アスランが拘束を逃れて、自分でガムテープをはがしたのは直ぐ。
薄くなめらかな唇が現れて、許可された唇で、大きく息を吸う。
シンを腹の上に乗り上げたまま、腹筋で上半身だけ起き上がる。
落ちそうになるシンの背中を抱きしめ、腿の上にシンを乗せ、至近距離で見つめながら言うのだ。

「…なんなんだお前はいきなりこんな事。…酔ってるのか?」
言われながら、優しく頬を撫でられ、今零したばかりの涙が残る左目に触れる。
酷い事を言われている。
シンの言いたい事は何1つ伝わらない。
…こんなに優しく触れる手でさえ、シンのものではない。
目を閉じた。
残るのは、触れられた場所から伝わるアスランの体温と耳に残る声だけ。

残酷なひと。残酷なくち。
ほら。やっぱりアナタは俺の欲しい言葉をくれない。

小さく笑ったシンに、アスランの優しいだけの唇が落ちてきた。