だって、アスランさんが振り向いてくれるなら、何しても良かったんだ、俺は。



遠く、稲光が雲と雲の隙間に見えた。
夕刻が近づいている時間帯のはずが、今日に限っては空は真っ暗だ。
きっともうすぐ雨が降る。

「また、嵐が、くるよ…」




この小さな部屋には、時計がない。
窓は、高い位置に天窓がひとつある限り。
手を伸ばしても届かない、どうしたって届かない高い高い位置から見えるのは、いつだって空だけだった。けれど、太陽の動きと室内を照らす格子状の影を見ていれば、天気は読めるし、時計はなくとも時間も判る。季節の移り変わりも太陽が教えてくれる。
急激に空が真っ黒になったその日、あっという間に太陽は消えた。
空が、今にも落ちてきそう。
狭い狭い、小さな部屋。

この部屋に備え付けられた窓は、牢獄にしては大きい。目の細かい格子状の鉄が埋め込まれているから、空だけが見える枠の中には鉄も映るけれど、それでも窓の外の景色を見られるのは、この牢獄に突き落とされているシンにとって唯一の救いだった。

高い天井付近にぺったりとくっ付いた窓に映るは、雲の白、灰色、雨の透明、太陽の赤と朱と輝き。そして澄み渡る空の青。見つめる、赤い眼。
それが、今の、シンアスカの全てだった。


(まっくら…になる…雨もふる…)

空を見ていると思い出す事がある。
今日のような雷雨の日には、海に落としたかの人のことを。
天気の良い日は、2年前のオーブの軍港で見上げた天空を翔けるフリーダムが見える気がした。

床にぺたりと座り込んで、黒い雲が早いスピードで動くのを、ただ見ていた。
かすかに、海の音が聞こえたような気がした。気のせいかもしれない。この牢獄の壁は厚い。ここが何処なのかも知らない。窓に映る空だけでは、何も判らない何も。
赤い眼をゆっくりと閉じた。
海の音は、本当に聞こえるだろうか。かすかな物音に耳を済ませる。漆黒の瞼の裏に映るのは、青い青い、故郷の海。

海音は聞こえるか?
いいえ、聞こえはしません。
聞こえるのは、窓を叩く雨の音。
ほら、これは嵐の音。
お前が良く知る、嵐の音だよ。

目を開ければ、そこに映るのは、闇の色を吸い込んだかのような黒色の雲。
あぁ、あの日の海と同じ色。
空も、海も、あの時、真っ暗だった。
沈んだら、きっと浮かんでこれないと思った。深い深い闇の色。

(でもあの人は浮かんできちゃったんだよなぁ…)

空は真っ黒。窓を打つ雨。
だから思い出す。忘れない、あの豪雨の日。稲光がそこかしこで光っていた。覚えている。全て何もかも。あの刃を突き刺した時の衝撃でさえ、まだこの手に。
窓から目線を離し、自分の手のひらを持ち上げて、見つめた。
どこも、人と変わらない、大して大きくもない手。それがMSのコックピットで操縦桿を握り、引き金を引き、刃を突き刺した。

(…グフのエンジン部、爆破したのに)

それでも生きていた。
コックピットの僅か数十センチの場所に刃先をめり込ませた。海に叩き落ちた途端に酷い爆発があった。あんなの普通絶対に死んでる。
キラヤマトだってそうだ。フリーダムのコックピットを貫いた。しかも核エンジンだって破壊したのに。あんな至近距離ではいくら防核シャッター下ろしたって無事なわけない。
なのに生きてる。
生きて、生きて、いま、こうしてシンを背中から抱きしめている。

「今日は来るの遅くなっちゃった。ごめん。空、暗くなっちゃったね。…こんなところに座ってたら、君、風邪ひくよ」
「ひかない」
「断言しないで。コーディネーターでも風邪はひくよ。僕も時々ひくもの」

そんなの嘘だ。この男がそんなヤワな病気にかかったりするものか。
あらかた疲労からくる発熱だろう。史上最強のコーディネーター。きっと老いだって知らない。
レイがあんなに悩んだもの。けれど、この男は時間さえ支配する。きっと。

「風邪ぐらい…ひくってば」
「ひくわけない」

弱さを見せたいのか。そうして信じさせたいのか、自分を。
逆効果だ。お前の言う事など信じない。信じられるわけがない。

「ね、シン。外を見たいならあっちのベッドで見て。せめてこんなコンクリートの床はやめて」
「うるさい」

部屋に備え付けられていたブランケットを、小さな背中にかけ、うしろから抱きしめておきながらそんな事を言う。
牢獄という名のこの部屋にシンを押し込めたのは他でもないこのキラヤマトだ。

 --- アスランさんが救われるなら何をしてもよかった。

罪を犯した後でそう言ったシンに、キラは独房入りを命じたけれど、それはあまりにも軽い罪状だ。

 --- 普通なら銃殺刑でしょ。何ためらってんですか

言ったのに。それでもキラはシンを殺さない。…殺せない。
このキラヤマトという男は偽善者だ。何がしたいんだ。
いつだってそうして、自分は高い位置でのうのうと見下す。どれだけこっちが冷たい地べたをはいずり廻ってるか知っているか。
泥水を飲んで、人に蹴られ、手を引かれて立ち上がれたと思ったらまた突き放されて、こうして独房の中だ。
…それがどれだけ惨めな人生か、お前に判るのか。
生きていて欲しいひとは、たったひとりだった。
生きていてくれているなら、何をしてもよかった。
こんな汚れたたましいなんか、すぐに差し出せるぐらい。

「アンタが俺を殺していたら一番手っ取り早く済んだのに」
「君が死んだから悲しむ人がいるんだよ」
「居やしない」
「…アスランは」
「あの人が泣くわけないだろ。俺の存在なんか忘れてる」
「アスランはそんな薄情な人間じゃない」

判ってる。判ってるさ、そのぐらい、アンタに言われなくても。俺がアスランさんの事すきですきでしょうがないって判っていてそんな事ばっかり言う。そんなの判ってるんだから。なのに、アンタは俺を揺さ振ろうとする。どうせここから出る事なんて出来ない。あとは朽ち果てるだけだと知っているのに。

優しくするな。
近づくな。
キスもセックスもするな。
お前の同情なんかいらない。
欲しいのは1つだけ。
1つだけだけど、二度と手に入れられない。判ってる。

「アンタなんかいらない」
「うん。でも僕には君が必要。どうしても必要。だから」

脇の下を掬うように持ち上げられて運ばれる。
どうせ、そうされるのが判っていたから、驚きも抵抗もしない。

なにひとつ自分の好きになんてならない。
だから、空からは目を離さない。真っ黒な、どうせ何も映さない闇の空を。
あれは俺だ。

「…シン、駄目だ。あんなの見ちゃだめ」

シンの視線が空に固定されていると判ると、右目の上にキスを落としてやんわりととどめる。それでもシンの目は空から動かない。やがてキラが両目を覆い、まるで空を隠すようにシンの唇に絡みついても、シンはいつまでも空だけを見つめていた。

「ねえ、僕の言う事をきいて。1つでいいから聞いて」
「きかない」
「どうして」
「聞いたって、どうせアンタは俺をアスランさんには会わせてくれない」
「…シン」

上着を捲り上げられ、下着の中に手を入れられてもシンは表情を変えなかった。
この男の愛撫などで勃ったりするものか。気持ち悪い。
こんな男のどこがいいんだ。何が最高のコーディネーターなんだ。

「空、みないで」

耳朶を甘く噛みながら、柔らかな声が響いた。
空。…どうせ暗い暗い空なのに。

「なんで見るの。あんなのただの黒だ。闇だよ、シン。君が見なきゃいけないものはまだ沢山ある」
「…ない。あの黒で、いい」

目を閉じれば広がる闇と同じ色。
嵐の海と同じ黒。
あの海に沈んだあの人をずっとずっと思ってる。
だって、

(あの海から這い上がってきちゃったあの人は、もう俺のものじゃないから)

きっと、今はキラキラ輝いてる。もう黒色なんて微塵もない。
新たに与えられた命のように、まっすぐに前だけを向いて走っている。そこに黒はなにひとつ、残っていない。
だから、あの黒を見つめてる。いつも。
あの黒だけが、教えてくれる。あの人を、思い出させてくれる。

「シン、駄目だよ、駄目なんだよ。だって、あの空は」

ゆっくりと腕を上げたキラの手の中で、何かのスイッチが、ぱちりと音を立てた。
途端、窓の闇は一瞬で消えた。
代わりに映ったのは、まばゆいばかりの空と虹。
雲をかける七色の色彩に、シンは赤い眼を大きく大きく見開いた。
窓にかかる鉄格子さえ、ない。

「あぁ…」

小さく、囁いた声と共に、シンの体中から、力が抜け落ちた。
何もかも、この男の手の中に。

汚れもしらないような、すらりとした手が、シンの垂れた肉棒を扱く。数度扱いても、中心は項垂れたままだった。兆しさえない。
それももう何度目かの事。どれだけ、こうして行為を望んでも、一切反応しなかった。体も、心も。

「シン…」

ほぐれもしない後孔に指を差し入れて、強引に入り口だけを広げさせて挿入させても、かすかに痛みに震えるほどで、何の反応も無い。
ただ、時々引き攣った声が、愛しのかの人の名を呟いだ。

「アスランさん、」

と。