深夜。
ようやく眠れると、仕事を片付けていた俺の部屋に、シンが飛び込んできた。…いや正確には、飛び込もうとしてドアに阻まれて飛び込めず、「ひぎゃ!」とドアに顔がぶつかる音の後、それでもめげなかったシンが、どんどんとドアを連打している…という状態だ。しかも大声つきで。

「アスランさん、どうしよう、どうしよう!」
どんどんどんどん。きいてますか!ねぇあすらんさんあすらんさぁん!
それが何十回も繰り返された。すぐに応対してやればいいのだが、しかしあまりにあまりの事に呆然とドアを見つめたまま立ち尽す。
いやまて、これは放っていい問題じゃない。
ようやく回り始めた頭で、急いでドアを開けた。途端、ツンと匂う酒のかおり。目の前には顔を真っ赤にしたシン。
「お、まえっ…」
こいつ今の今ままで飲んでたな!?
シンはいつも以上に激しく酔っ払っていた。
「アスランさんアスランさん!」
怒鳴るように人の名前を連呼するシンを、とりあえず部屋に入れる。腕を引っ張ると、そのまま全体重をかけられて、まるで大型犬よろしく抱きついてくるシン。
「アスランさぁああん!」
「あー、もう判ったから」
「うーん、あすらんさ…どぉーしよーっ?」
「何がだ!」
酷い酔っ払いだな。
ここまでつぶれてしまっていると、密着した身体を剥がすにも剥がせない。今はどうみてもマトモじゃない。しかもシンのコレは泥酔だ。

シンはしきりに、どうしようどうしようと言ってる。
言う度に酒の匂いがシンの口から匂ってたまらない。こっちまで酔ってしまいそうだ。
抱きついてきたシンは、肩口に鼻を埋めて、背中に回してきた手で、俺の軍服をめちゃくちゃに掴んだ。
「あすらんさぁああん!どーすればいいっ----!?」
「判った、判ったから!」

シンと付き合い始めて、早半年。
怒ったり怒鳴りあったりはしょっちゅうだが、シンがここまで酔っ払った姿を見るのは始めてだ。
普段なら、絶対に自分から抱きついてこないのに、今は背中に回された腕が、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。身体が密着し、シンは甘い声で(酔っ払っているものの)、名前を連呼する。
甘えるように抱きついてくるシンはあまりに新鮮だった。
けれど、新鮮さに浸れるような状況でもなかった。シンはどんどん体重を預けてくるし、しかも酒くさい。どうしようもない。今はシンの身体を受け止めるしかない。
力を入れて体を抱き起こそうとするとシンが完全に全体重を完全に預けてきた。おい、こら。
あぁ、こういう場合はどうしたらいいんだ?
そういえば、深夜じゃないか。あ、ドアが開けっ放しだ。
無理矢理手を伸ばしてドアの開閉スイッチを押す。常時ついている通路の明りが遮断されて、暗闇の部屋になる。シンの顔はかろうじて見える程度だが、さてどうしたものか。

「シン、おい、重いぞ…!」
完全にぐったりと体重を預けてくるから、幾らなんでも泥酔者をマトモに支える気にはならなくて、仕方なくシンを抱えたまま床に座りこんだ。シンも合わせて身体を落とし、胸に顔を埋めてくる。背中に回した手は緩まないままだが。あぁ…重いって。
「うー…」
「うーじゃない」
ずるずるとシンの身体が、重力に沿って床へと崩れこむ。
俺の胡坐の上に、シンの顔。
「…あ……なんかぁ、ふぇらするときの体勢…」
「うるさい」
後頭部をべしっ、と叩けばそれ以上の下ネタはなんとか阻止出来た。…落ち着け、この馬鹿。

それから、この酔っ払いをどうしたもんかと考えた。
ベッドに載せてやってもいいが、顔色がよくないから吐きそうだ。トイレにおいてきた方がいいかもしれない。けれどその前にあまりに酒臭いからシャワーを浴びさせたい。といってもシン一人では風呂場に行くのも無理だ。
シンがしばらく大人しく胡坐の中で顔を伏せていたが、やがてまた「どうしようどうしよう」とぶつぶつと言い出した。

「アスランさん、どうしよう…まずいよ、俺…」
「だからなんだっていうんだ」
「まずいんだってばー!」
「判ったから怒鳴るな!」
この部屋だって、防音が完全なわけじゃない。思い切り怒鳴られたら幾らなんでも外へ響く。いい加減にしろ、とまた頭を叩いた。
「うー…」
「どうしようどうしようって、何をしでかしたんだお前は」
さっきから人の名前を連呼して、どうしようと叫んで。何が言いたいのか判らない。

「まさかお前、どこかでまた何かをやらかしたのか?」
どうしようというのは、もしかして、何か失敗をしでかして、俺にそのフォローを頼むつもりなんじゃないだろうな?
もしくは酔っ払って、誰かを殴りでもしたのか?…いや、こいつが誰かを殴ったぐらいでこんなに取り乱す事はないだろう。
じゃあ何をしたんだ。

「俺はなにも、してませぇえん」
「は?」
「俺はないもしてないってばー!」
「あー判った!判ったから!」
だから、俺の胸で顔を揺らしていやいやするな!あー…この服は替えなきゃならないな…ぐちゃぐちゃだ…。酒くさい。
「落ち着けシン。まず水を飲め。な?だから俺を離せ」
「いやれす」
「いやじゃなくて。…おい、シン」
「いやらっていったらイヤー!」
「あー判ったッ!」

駄目だ。
もう駄目だ。
元々子供っぽいとは思ってたけれど、泥酔したシンは子供というより赤ん坊だ。
離れないぞとばかりに、ぎゅっと掴んでいる手は、解けない。まさに赤ん坊だ。
仕方なく、シンを抱えてずるずると尻で移動して、ベッドサイドに置いたままのミネラルウォーターに手を伸ばした。
キャップを外すのにシンの頭が邪魔だ。

「シン、ほら飲むんだ」
「やー」
「やー…ってお前」
舌ったらずな声。…お前、こんな声も出せたんだな。
けどな、どうしようばっかりを言って、腕は離されなくて、水も飲まないんじゃ、何をしろっていうんだ。あいにくと俺は泥酔者の介護などしたことがない。
皆と酒を飲んでいたとしても、大抵最後まで飲んでいる方だが、(キラに「アスランは、ザルっていうよりワクだね」と言われた事がある)他に泥酔していても、こんな風によたよたになって離れない聞き分けのないやつなんか居なかったし、大抵一緒に飲む面子は決まっていて、キラもハイネもイザークやディアッカ、カガリでさえも酒癖は悪くなかった。キラが絡み酒になるぐらいで、他の奴らは、普段の性格に拍車が掛かる程度だから楽なものだ。
だから。シン。お前、まさか吐いたりしないよな?
未だ軍服の胸に顔をくっつけて、丸まっているシン。
幾らなんでも、もう少しこいつの酒の酔いを醒まさないと。…頭から水をかけるか?…いや、後の掃除が面倒だ。ここは部屋だし。

仕方なく、シンの頭をなで、警戒心を少しばかり和らげてから、シンの頬へ手を伸ばし、そのままくいっと上に上げた。酔っ払った真っ赤な顔が、暗闇の中でも判る。
とろんとした目。
目があうと、その目の周辺が一気にかぁっと紅くなった。…なんなんだ。今更そんな表情を。
「あすら、さ…!」
「うん、判ったから。な。飲め」
「んぐーっ」
ペットボトルの口を、シンの口に押し当てた。がちっと歯と当たる音がするが、構わずに中身を傾ける。
「んっぐっ!」
「ちゃんと飲めよ。零すな」
「ん、ん!」
強引に飲ませられる事に嫌がって逃げようとするから、シンの顎を捕まえて、強引に流し込む。

…なんだか卑猥なことをしている気分になってきた。
これは…言葉だけなら確実にセックス中だ。しかも強制精飲の。
そう理解した途端、ドキッとしたが、しかしシンの酒のにおいで一気に萎える。こんな泥酔者とヤるつもりはない。
酔っ払いは水を飲む事もままならず、ごくごくと飲むものの、溢れた水が、顎を伝ってぽたぽたと落ちる。それが俺の胸を濡らして、…あぁ…ホントにどっちにしろ、びちゃびちゃだ。これはシャワー室に投げ込んだほうが早かっただろうか。
ペットボトルの水を半分程シンの口に流し込んで、引き抜く。
きゅぽんと音と立てて離れたシンの唇の奥に、白い歯と赤い舌が見えて、一瞬ドキリとする。…いや、そういう気にならないとさっき思ったばかりなのに。

水を飲み終えたシンは、先ほどよりも幾分か大人しくなった。
ひっついていた腕がだらりと床に落ちる。顔は、また胸に埋めてくるから逆戻りだが。

「で?お前何をしでかしたんだ。何が「どうしよう」なんだ」
「う…ん…」
「シン」

聞いても、ふにゃーっとした答えしか返ってこない。
…どうしてくれようか。
まだ水が足りないのか。

それから時間を置いて、何度かシンに問いかけてみるものの、返答がない。
辛抱強く待ってみたが、もうどうしようもない。ここは一旦寝かせて、明日朝にでももう一度聞こう。
「シン、シン。ベッドにいくぞ。おい、寝たわけじゃないな?」
「…う…ん…」
ゆさゆさと動かせば、ぎゅっと服を握ってきた。よし、寝てないな。
「お前、酒くさいからシャワー浴びろ。そのまま俺のベッドに入るなよ。ほらシン」
こんな泥酔者に、シャワーを一人で浴びろというのも無理な話なのはわかっている。けれどこのまま寝かせる事は出来ない。
「シン、つかまれ。ほら、手はこっちだ」
「ん…」
シンの腕を持ち上げれば、薄く目があき、顔をちらりと見る。安心したのか、また腕をぱたりと落とす。こら!
「おまえ、な!」
シンの腕を持ち上げて、首筋にまわそうとして出来ず、ええい仕方ないと、そのまま強引に横抱きにして持ち上げた。
気分は童話の王子だ。姫を抱き上げているかのような。
シンの体重は軽い方だが、それでもいい年した青年だ。30キロやそこらじゃない。しかも眠りかけの泥酔者だ。軽いわけがない。
「う〜…」
「シン、まだ寝るなよ?」
自分の身体が宙に浮いたのが判ったのか、ふにゃりと顔を持ち上げたシンに声をかける。が、人の服に鼻を埋めてすんすんと鳴らすと、また力を抜いた。…シン…。
「一苦労だな…」
身体を持ち上げてシャワー室へ連れて行く。足でドアを開けて、行儀の悪い事この上ない。
「…あすら、さ…」
「あぁ、俺がアスランザラだ」
酔っ払いに適当に答えれば、シンはふにゃふにゃとまた何かを口にした。
「どうしよ…」
またそれか。
「何がどうしようなんだ」
答えなど返ってこないと判っていて、とりあえず返答する。こんなにもどうしようどうしようと叫んでいるところを見ると、多分それが原因でこれだけ酔っ払ったんだろう。
シンをここまで考えこませるなんて、何があると言うのだろう。
先ほどから、どうしても「理由」を言わないシン。
「俺にも話せない事なのか、おい」
「……ん…」
教えられないシンの「悩み」に、嫉妬心を抱く。
こんなに、ぎゅっとしがみついてくるのにな。…ここまで無意識なのに、それでも力いっぱい抱きしめてくるのに、シンは肝心の部分を言わない。…お前はいつだって自分で闇をかかえて、自分で苦しくなって泣くんだ。…それを助けてやれないのは確かに俺の責任ではある。強くなるには自分で困難を乗り越えなくてはならないとは判ってはいるものの、出来る事ならばお前はもっと笑っていて欲しいと思うよ。
「……っていう俺の気持ちは伝わっているのかな、お前に」
「……すら、…さ」
「ああ、俺だ。だから寝るんじゃないぞ」
お前を助けてやるから。
ちゃんと面倒みてやるから。
間違っていたら、殴ってでも正すから。
だから。
「…とりあえず、今は寝るな」
寝った人間にシャワーを浴びせる事程、大変な事はない。ふにゃふにゃでも目覚めていてくれないと困る。

シンを抱えたまま、シャワールームのスイッチを指先で入れる。
途端、シャワー室が暖かいシャワーで溢れる。ザァザァ流れる音を聞きながら、さてシンをどうやって脱がせようかと考える。
とりあえず下ろすか。
一旦シンを赤ちゃんのように抱きかかえて、ゆっくり下ろそうとすれば、だらりと落ちていた腕が、首筋に回された。
まるで、子供が眠る前のむずがゆい行動のようだ。
「…こら離れろ、シン」
「どうし、よ…」
流れるシャワーの音の中、またシンが小さく呟いた。
ぎゅう、と握りしめられた手。くっついて離れないシン。

なにがどうしようなんだ。本当にお前は。

「…どうし、よ…俺…あすらんさ、…すき…」
「は…?」

囁かれた言葉は、思いもかけない言葉で、シンを抱く手を止めて、もう一度聞き返す。
シンはやはり中途半端な意識らしく、ふにゃふにゃ声しか出ない。
「…どぉしようっ…」
「シン?」
「どぉしよ、おれ、あすらんさんがすき、…どおしようぉっ」
首筋に回された手が、一層強く抱きしめてくる。首が苦しい。いや、でもその前に。
シン、お前。
どうしようって、そんな事だったの…か?

「シン…」
だから俺の部屋に来たのか?酔っ払ってどうしようもなくなって?普段、好きだなんて滅多に言わないくせに。幾ら酷く抱いても、ギリギリにならないといわないような言葉なのに。

…シン…お前…。

馬鹿、だろう。

抱きしめた。ぎゅっと力を込める。
愛しい。
「あぁ判ったよ。…お前は俺が好きなんだな」
「うん…うんっ…」
ぱさぱさと髪を揺らしながらシンが答える。
「あぁ、判った。判ったから」
「ホントにぃ…?」
「本当だ」
「ホント?」
「だから…」
可愛い酔っ払いの戯言だ。
見上げてくるシンの目が潤んでいて、思わず涙を拭おうかと手を差し出した瞬間。
「ねえ、ねえ、じゃあ、アスランさんは!?アスランさんはぁー!?」
「はっ?」
いきなりシンは豹変した。
おい。さっきまでのしんみりモードは何処にいった。
あぁ、所詮泥酔者の告白なのか。
シンは、思い切り身体を揺する。いや、これはぶつけてくるといった方が正しいのか。

「は、じゃないよ!!アスランさんは俺の事すきですか!好き!?好きなら好きっていって!」
「はっ!?いや、シン、おまえ…」
「はい、5秒以内に言わなきゃ破局です。5,4、2.」
「あー!すきだ!」
「俺も!!」

がばっ、と首筋にタックルのように飛び込んでくる。
あまりに勢いが良いから、顎にシンの頭がゴツッと当たった。中々痛い。これがシン流の愛の洗礼なのだろうか。
ともかく、シンを受け止めるしかなく、酒臭い身体を受け止めて、よしよしとあやす。幾らなんでも酔い過ぎた。言っている事は可愛くてたまらないが。しかしだからこそ酒臭い。
「シン、お前…」
「アスランさん、アスランさん、しよう?しよう!」
「シン、」
「せっくす、しよう!」
今度はガバッと勢いよく伏せていた顔を挙げ、じゃあとキス、と顔を近づける。
おいおいおい。
「…こんな酔ってる状態で…」
近づいてくる顔を避け、眼を覚ませといってみるが、シンは完全に酔っ払って、セックスモードに入っていた。腰を擦り付けてくる。…こら、そんな動きを何処で覚えた。

「仕方ないな…」
あまりに積極的なシンに、折れるしかない。
こういう酔っ払いは、言うとおりにするか、寝かしてしまうのが得策だ。
シンの言う事を聞いた上で、寝る。あぁ、つまりはセックスか。

嬉しいような複雑なため息を1つついて、シンの胸に手を伸ばした。
が、ノリノリだったシンがそこで突然、ハタ、と止まった。
見れば顔が真顔だ。酔っ払いだが。

「あ…どうしようアスランさん…」
「おまえのどうしようはもう聞かんぞ」
何かを言う前に、もうやってしまう方がいい。
どうせなら、酒に泥酔したシンの素直な気持ちというのを聞いてみるのも悪くないかもしれない。…そう開き直ることにした。
けれど、シンは、どうしようとまた口の中で呟いて、顔を覗き込んでくる。苦笑い。…お前の「どうしよう」はつい今解決したんじゃなかったのか。おい。どうしたというんだ。嫌な予感がする。

「…アスランさん、俺、酔いすぎたみたい」
今更、そんな事を自覚か。で、なんなんだ。
先に進むべく、シンの首筋に跡を付けていると、笑い声が響いてきた。

「酔いすぎて、勃たないや、ごめん」