うぎゃあああ、とまるで尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が聞こえた瞬間、MSハンガーに居た誰もがセイバーを見上げた。 そう、悲鳴はまさにセイバーの開け放たれたコックピット前から聞こえてきたのだ。 「今の声、アスランさん?」 「らしいな」 すさまじい悲鳴にもかかわらず、顔色を変えなかったのは、整備ログ閲覧中だったルナマリアとレイだ。 アスランの悲鳴など、確かに珍しい事だが、あの人が取り乱すのはこれが始めてではない。 アスランは、シンが絡んだ事に関しては大抵取り乱したり馬鹿みたいに真っ赤になったりするのだ。 それを間近でよく見ていたルナマリアとシンは、今回もそんな事だろうと予想していた。 「…何があったのかしらね、シンが裸でコックピットで寝てたとかそんなかしら」 「俺がそんな事すると思ってるのかよ」 「あらやだ、アンタじゃないの?」 「何が?」 「アスランさんの悲鳴、聞いてなかったの?」 「悲鳴?」 首を傾げるシンは、確かに何も知らないらしい。 アスランさんが悲鳴なんて出すのか?と疑っている。 しかし、確かにあれは、かつての英雄アスランザラの悲鳴だ。ルナマリアの好奇心が一気に膨らむ。セイバーを見上げれば、アスランが、コックピットの前で尻餅をついているのが判った。目線はコックピットシートの固定されている。 持っていたPCも資料もショックで手放してしまったらしく、周囲に浮いている。 好奇心にそそのかされるまま、ルナマリアは床を蹴った。ふわりと身体がまっすぐに上へと浮かび上がる。 「アスランさーん、どうかされたんですかー?」 ルナマリアの声に、MSハンガーの皆の注目が集まった。未だ尻餅をついたままのザフトのトップガンは、ルナマリアの声にはじかれたように顔をあげ、そして慌てて立ち上がった。 「る、ルナマリア!こっちに来るな、くるんじゃない!」 「えー?だって酷い声出してたじゃないですかー」 アスランの静止も聞かず、ルナマリアが興味深々でコックピットへ近づく。 ルナマリアの好奇心を収めきれないと判ったアスランは、あわててコックピット内へと姿を消した。何故か、赤服の上着を脱ぎながら。 「アスランさん?」 「る、ルナマリア、ちょっと待ってくれ!」 「どうしたんですー?」 焦るアスランの声。 コックピットの中から発せられるくぐもった声。上半身をコックピットに突っ込んでいるアスランの姿は後ろから見るとかなりマヌケだ。 ルナマリアの好奇心は最大に跳ね上がった。何かある。絶対になにかある。そのコックピットに。 「わ、だから、ちょっ、まっ…」 「だから、なんなんですか…、---ッ!?…う、えええええええ!?」 アスランの身体を押しのけ、コックピットの中を覗き込んだ途端だった。今日2回目の悲鳴はルナマリアの声だった。 「う、うそっ、や、やだっ!なんで全裸!?」 全裸?ルナマリアの言葉に、皆が首をかしげる。 当のルナマリアといえば、口を押さえ、セイバーのコックピットを見つめながら、わなわなと震え床を蹴って後退する。その背をレイが支えた。 「ルナマリア…大丈夫か?」 言いながら、レイもセイバーのコックピットを見る。そして固まった。 あぁ確かに全裸だ。 「アスランザラ……」 レイから出た声は、地を這うような低い声だった。 「なにー?なんだよ、ルナもレイもー」 2人の態度に不審がったシンが、俺も、と床を蹴った。そのシンをレイが鋭い声で止める。 「来るな、シン」 「なんで、」 「なんでもだ。来ない方がいい」 そう言われても、もう床は蹴ってしまって、ふよふよと浮き上がるのに任せるただけだ。レイとルナマリアの豹変具合に首をかしげながらも、シンはセイバーの機体に手をつき、上着を脱いだアスランの肩に手を置いて覗き込んだ。 「なんだっていうんだよ、ねえアスランさ……」 軽い気持ちで覗き込んだ。…一瞬で後悔する。 「…んだ、これッ…」 「シン、誤解するな、違うんだ、説明させてくれ、…というより、俺に説明してくれ…」 言葉を失ったシンにアスランのしなびた声が響くが、耳には届かない。 今、シンの思考は目の前にある事態を飲み込むので手一杯だ。 「……レイぃー」 数秒か、数十秒か。 固まった空気をかき回したのはシンの声だった。 「何だ」 未だ放心状態のルナマリアを支えながら、レイが答える。 「フツーさ、MSのコックピットって、簡単には開かないよなー?」 「そうだな。開けられるのは、権限を持っている人間じゃないと」 「…セイバーってさ、クルーとアスランさん以外に開けられる人っていたっけぇ?」 「開発責任者ぐらいじゃないのか…?セイバーのパスコードは初期値から変えてしまっているだろうし」 「だよなー…。あとさ、もう1つ。このMSハンガーにクルー以外が入り込める可能性っていうのはー?」 「ミネルバは今航行中だからな、ありえない。…と言いたいが、もしかしたら、誰かがこっそり荷物か何かに紛れて部外者を連れ込めば、出来るかもしれない。俺達や資材搬入係は無理だろうが、フェイスぐらいの権限があれば荷物の1つや2つは簡単に偽造できる…」 「レイ!シンも!いい加減にしろ!」 これ以上の質疑応答は、自分の立場を悪くする一方だ。気づいたアスランが、ようやく2人を咎める声を出す。しかしそれは言い訳にしか聞こえなかった。今、アスランは完全に容疑者だ。 「…じゃあ、これはどう説明するんだ」 「どうって…」 「このクルーじゃない人間が、セイバーのコックピットに寝てるってこの状態は」 「だから俺も何がなんだかっ…!大体、俺だって驚いたから叫んだんだ!いい加減にしろ、シン!」 「いい加減にするのはあんただろ!!」 叫ぶアスランに、叫び返すシン。 真っ赤な目が、アスランを睨んでいた。まるで涙に濡れたように深紅の真っ赤な目だった。 「…じゃあ説明しろよ。どうしたら機密事項の塊のセイバーに、ミネルバクルーじゃない男が、寝てるんだよ…!しかも、全裸で!!」 コックピットの中で、眉1つ動かさず眠っている少年。 シンと同じ黒髪の、シンと同じぐらいの年頃。同じような細い体躯。 アスランが上着をかけてやらなければいけなかったのは全裸だからだ。何も身に着けずコックピットの中で眠りについている、少年。 刹那Fセイエイ。 「……連れ込んだんだ」 ルナマリアの声が静かに響いた。それはこのMSデッキにいた全員の想いだった。 「ち、違うぞ、ルナマリア!俺だって何がなんだか…!セイバーのコックピットハッチをあけたら、居たんだ!」 「そんな言い訳が通用すると思っているんですか」 レイの声は抑揚もなかった。怒りに満ちている証拠だ。 「貴方は、シンにも手を出しただけでは飽き足らず、どこの誰かも判らない少年を連れ込んだんですか。しかも裸で自分のMSの中に連れ込むという変態行為を…」 「だから、違うと…!誤解だレイ!!」 「最低だ!アスランさん!!」 シンが叫んだ言葉と勢いに任せて飛んでいた拳を、アスランは避けられなかった。 バキッ、と乾いた音が、MSハンガーに響く。 その音に、刹那はゆっくりと目を開けた。 *** 「さいってーアスランさん、最低だよ…」 華奢で、随分と整った顔の少年だった。外ハネの髪がぴよぴよ跳ねてて。あぁ、ああいうのが好きだったのかアスランさんは。 内緒でミネルバに連れ込むぐらいに、入れ込んでるんだ。あーそういう事。 「…あんな可愛いわけじゃないもんなぁ…俺…」 ぼそっとつぶやいた何気ない言葉だったけれど、自覚するとその通りで、…ああ本当に俺、かわいくない。 「ちっくしょう…っ…」 シンは肩を落とした。セイバーとアスランから離れたくて、広いMSデッキを走り、気がつけば、コアスプレンダーの前。…仕方ない。こういう時は頭を切り替えて、機体チェックでもするか。 集中すれば、他の事は考えれなくなる。それはシンの癖だ。そこまで集中する事はなかなかないが、今はそうなりたい。 とぼとぼとコアスプレンダーに近づいて、コックピットを見つめる。なぜかハッチが閉じていた。…おかしいな、あれはいつも開きっぱなしになっているはずなのに。 ひょいと発進システムの上に上って、キャノピーを覗き込み、そして、シンは一瞬にして固まった。 アスランのように、叫び出さなかっただけマシかもしれない。けれど、受けた衝撃はアスランと同じだ。 「……なんっ……」 唇がわなわなと震える。なんだこれ、なんでなんでなんで! よろりとよろめいたシンが、1歩2歩と後退し、ぺたりと尻餅をついた。 「シン!」 そこに駆けつけたのは、改めてシンに弁明をしようとしたアスランだった。シンがぺたりと倒れたのを見て、全速力で駆け寄る。 「どうしたんだ!?」 手を伸ばし肩をつかめば、小刻みに震えていた。 シンはわなわなと震える唇が、ぼつりとつぶやく。 「……男…」 「おとこ?」 「…俺の、…俺の、インパルスの中にも男が居る----------ッ!!!」 指差したシンの先、コアスプレンダーの中で眠っていたロックオンストラトスは、うるさいなとつぶやいて伸びをした。 途端、ゴン!という音。 シン用に設定されていたコアスプレンダーのシートの高さの所為で、伸ばしたロックオンの腕が、強化ガラスに強打する。 小さなコアスプレンダーの中で蹲る大きな男を、アスランが複雑な顔で見つめていた。 |