ロックオンと刹那が、MSごと海に墜ちて、もう数カ月が過ぎようとしていた。
それは長いようなあっという間の時間。



(はやいもんだよな…)
カーペンタリアの基地内に備え付けられた宿舎の中をぺたぺたと歩く。
軍人らしく姿勢正しく、なんてよく言われれたなぁなんて思いだすけれど、基地内の自室に戻るのに背筋伸ばせってそんなかたっくるしいこと、出来るわけがない。
まあ、それを実際に実践してた人はあまりにも近くに居たけれど、あのひとみたいにいつ誰にみられても100点満点で居る事なんて、俺には無理だ。
しかも、肝心のお手本のあの人は、ついいまさっき俺が海に落として沈めちゃったから、もう浮かんでこないし、いのちが戻ってくるわけじゃない。
ルナと抱き合って、涙からっぽになるまで泣いた。泣いて泣いて感情がどっかに落ちちゃったころ、ふと思い出したのはロックオンと刹那のこと。

あの二人だって海に落ちたのに、俺は嘘だろ、きっとどっかに居るんだって信じてしまっているから泣いてもやれなかった。
せっかく一緒に過ごしたのに。
…きっと死んでしまったんだろうなって、今、通路を歩きながら思ってる。
からっぽの感情じゃ涙も浮かんでこなくて、あぁ死んだ、死んだんだってそんな妙な気持ちだけがぽっかり上がってきては、ほろほろと零れ落ちていくみたいだった。
ロックオンと刹那も、もう戻ってこないんだって、事実を叩きつけられたような気分になって、しんどくなった。

不意打ちの連合の奇襲にあって、ミネルバが沈みそうになった時、ザクに乗り込んで戦闘を助けてくれたのは、刹那とロックオンで。
その正確な射撃と近距離戦に救われた。俺達は一機も欠かさず帰還出来たけれど、ふたりのザクは沈んでしまった。
機体を引き上げた時、なぜかコックピットハッチは開いていて、2人の姿はなかった。
だから、もしかしたら生き延びた可能性もあった。…この大海原であの二人を拾ってくれる人がいたら、…の、奇跡的な可能性だったけれど。
そんなの信じるほうがどうかしてる。MIA認定だ。生きてるわけない。

ずるずると身体を引きずりながら部屋に戻る道。
両脇に同じような扉が並んでいて、あぁ、どこの部屋だっけって部屋番号ばっかり呆然と眺めてる。
ドアひとつひとつが思い出だったらいいのにって思った。
ドア開けると、思い出蘇る。アスランさんと初めて会った時、初めて殴られた時、俺がザフトに入隊した時、あぁそうだ、刹那たちと初めて会った時、とか。
思えば、突然コックピットに裸でやってきた二人が、ミネルバに乗り込んで、一緒の時間を過ごすようになって。
最初はなんたよこいつら!って思ってたのに、気付けば、食事も一緒にとってたし、MSの整備だってやった。正規の軍艦なのに、不審侵入者を迎え入れるなんておかしい、ってみんな言っていたけど、気がついたら、いつのまにかみんなそれが「当然」になってた。このままザフト軍に入隊しちゃえばいいのに、って誰かが言ってた。俺も悪くないなって思ったのを覚えている。
刹那は無口だけどイイヤツで、「あんたたち兄弟みたいね」なんてルナからからかわれたぐらいだ。

なのに、突然あっけなくいってしまった。

海にぼちゃんと沈んで爆発。見つかったのは機体だけ。
ああ、なんだ、つい今だっておんなじようにアスランさんを墜としたじゃんって気付いて、おれは、はははと笑っていた。笑うしかなかった。だってもう涙も無いし、何をどうしたらいいかも判らない。頭の中真っ白って本当にこういうことを言うんだな。
信じられない。笑ってるなんて。
人、死んだっていうのに。

そう考えついた時、ちょうど自分の部屋の前まで歩きついていて、悲しく笑いながらドア開けて、真っ暗な部屋の中、電気もつけずにぽてぽて歩いた。

ああ体が重い。でも寝たくはない。眠れない。ベッドになんか入りたくない。
だってあの人は今頃冷たい海の中で流されているのに、俺だけあったかいベッド?ありえないよ。だったらたいちょー、あんたと一緒に寝たいよ。今なら言える。言うよ、抱いてくれっていうから出てきて。…出てくるわけないじゃん。ばーか。

きっと、あの人の身体は爆発で散り散りになって、海に墜ちて流されてる。いまどこにいるんだろう?
寒いですか。寂しいですか。暗いですか。
ねぇ、俺、なんて酷い殺し方したんだろう。だいすきだったのに。

部屋の真ん中で立ちつくしてるのも馬鹿みたいで、デスクに備え付けられた椅子に座って、上半身に力が入らなくて身体ぺったりデスクにつけた。

いまどこにいるのかな。
いまなにしてるのかな。
ねえ、アスランさん。

ふと、視界の端っこに、赤いランプの点滅が目に入った。通信ランプだ。誰かが俺にコンタクトを求めてる。
だけど今は出られません。無理だ。もうやめてくれ。俺は馬鹿だから、もしかしたら、今落としたはずのあのひとからの連絡じゃないか、なんて馬鹿みたいな期待するんだ。そんなわけないのに!
それが悔しくて、もう辛くて、目を反らす。でもランプは消えなかった。しつこい。

仕方なく手をのばした。音声オンリーの通話だ。…まあ…音声だけならいいか。だってもう何にも考える事はない。だから人の声ぐらい聞いてた方がいいや。罵倒でいいよ。怒鳴り声でもいいよ。なんで殺したんだって聞いたっていい。俺は答えるから。

ボタンを押した。俺は名乗らなかった。
「…はい」
ただそれだけ言って、相手の言葉を待つ。けれど、相手も何も言わない。…なんなんだ。
しばらく待った。数秒。
俺は短気だからそれ以上待つ気がなくて、悪戯通信だろうとタカをくくって、こんな通話切ってやるつもりでボタンに手をかけた時、小さな声がスピーカーから雑音混じりに届いて驚く。

「…シン・アスカ…」

名を呼ぶ声。
その声に聞き覚えがある。胸がドクッと跳ねた。そうだ、聞いたことがある。低くて、でも幼い声。そうだ、この声は!

「刹那!?刹那なのか!?」

顔を上げた。けどそこにあるのは通信機器だけで、刹那の顔は映らない。それでも、刹那の顔が見れる気がした。なんでこの通話が繋がってるんだろう。どうして番号が判ったんだろう。でもそんなのどうでもよくて、だってこの声は刹那だ。間違いない。
あの日、海に落ちた、もう助からないと思っていた。死んだとばかり。でもこの声は刹那なんだ。

「お前生きて…!いま何処に!」
ぽっかり空いた感情に、何かの火がともったみたいに、興奮して喋っていた。きらないで欲しかった。刹那、話をさせてほしい。
まるでタイムラグみたいに、数秒置いてから、ゆっくりと刹那の声が帰ってきた。
今どこに。その答えを。
『…宇宙』
「宇宙?」
なんでそんなところに。問いかけようとして、やけに雑音が酷い事に気付く。距離が遠すぎるからなのか、正規の回線でないからなのか。そういえばなぜこの回線に繋がっているのだろう。判らない。判らないけれど、今刹那は生きていて会話が出来ているのはたしかだ。
問いかけると、刹那の静かな声が続けて響いた。

『…ラグランジュワンの資源衛生の中に居る。…もうすぐジンクスの総攻撃が始まる…』
「ジンクス…?何だよ、それ…」
聞いた事がない。MSなのか、組織なのか。そもそもラグランジュワンに資源衛生なんてあっただろうか。
『…俺は、俺の世界に戻って……いま…ソレスタルビーイング…に…』
「刹那?…なんだ、何を言ってるのか判らない」
『……俺は、ガンダムマイスター…だ…』

途切れ途切れに聞こえる音声。
自分の事をガンダムマイスターと告げる刹那の声。
あぁその言葉は何度も聞いた事がある。口癖のように刹那は言うんだ、ガンダムマイスターだって。冗談だと思っていたけれど、今そんな冗談を言っていられる時でないと声の緊迫感で判った。

「ジンクスの総攻撃って…刹那、大丈夫なのか」
『………』
音声は届かない。言いたくないのか。
あぁ、なら。
「刹那、今まだ通話は繋がってる?話をする時間は?」
『………少しなら』
「そっか」

きっと刹那も、俺と話をしたくて回線をつなげてきたんだろう。
…総攻撃って刹那は言った。総攻撃。刹那が今おかれている状態がおぼろげに伝わってくる。刹那もガンダムに乗るというのなら、きっとMSで戦う。総攻撃というのなら、総力戦になるのは間違いない。
刹那はきっと「ガンダムマイスター」として戦うんだろう。事情は知らない。聞いても刹那は答えないって知っている。
切羽詰まってるんだ。
だから、会話を切り替えた。気になったんだ。総力戦ならきっともう一人のあの人も出るんだろうと思った。

「…ロックオンも戻れたのか?」
『ああ』
「そっか、ならよかったな」

そっちの世界に、二人で戻れたんならよかった。信じてなかったけど、本当だったらしい。
俺も頭の中、真っ白の所為かな。刹那の言う事を素直に受け取る事が出来るみたいだ。俺、周りの人からもお墨付きのアマノジャクだから。

『…そっちは』
「そっち?ああ、あの戦いの事?刹那とロックオンのお陰で無事に包囲網は突破出来た。今基地だよ。ザフトの基地。お前にも見せてやりた…」
『…シンアスカ、あの男とは』
「えっ?…あぁ…」

そうか、アスランさんのことか。…刹那も心配してくれてたのか。
なのにごめんな。俺さ、あのひとのことを。

「……殺したよ」
『………何?』

それは、俺がはじめて聞く、感情を乗せた刹那の声だった。殺した、って言ったら、動揺した声が帰ってきて、あぁお前でもそんな風に驚いたりするんだなって何故か笑った。…笑ったんだ、俺は。
だから続きの言葉だってすらすら言えた。

「殺したんだ。アスランザラを俺が殺した。…だって、あのひと裏切ったんだ。ザフトを。…ついさっきの事だ。スパイだって言われて追いかけた。そしたらアスランさんだった。だから撃墜してきたんだ。海に落とした。爆発してきっと巻き込まれて、今頃海に」

言いながら、アスランさんの事を考えてた。
なんであの人脱走したんだろう。
沈む直前に、通信越しに色々な事をぶつけるように告げてきた。あの人の声を思い出して、一生懸命再生するけど、俺は馬鹿だからあの人の言っている意味を理解する事が出来なかった。
”議長の言っている事は全てを殺す。”
”お前は踊らされている。”

…ねぇ、そんな意味の判らない言葉だけを残して、あんたは俺に討たれたの。

「なんで、…だったんだろうなぁ…」

ぽつりと。溢れた言葉は俺の本心だった。多分、ぐちゃぐちゃのこころの中で唯一確かに浮かぶ感情。

「なんで、脱走なんかしたんだろう。なんで、俺を裏切ったんだろう。…なんで俺、あの人殺さなきゃいけなかったんだろう…」

すきだったのに。
どうしてもどうしても適わなかった相手だったけど、好きで好きでたまらなかったのに!

「刹那、刹那、俺、どうしたらいいかなぁ…?」

音声だけの暗い画面に向かって、泣き声みたいに響く俺の声。
ごめん。ごめんな刹那。俺こんなでごめん。
だって、もうぐちゃぐちゃなんだ。何が正しいのか正しくないのかさっぱり判らない。たいせつなもの、どんどん失っていく。でもこの先に戦争の無い世界があるなら、俺はそのために戦わなくちゃいけない。
それだけが判ってることで、確かなことだった。
譲れない願いはそれだけ。

刹那は黙っていた。何も口を挟まなかった。でも聞いてくれているんだろうって事だけは、モニタが無くたって声も届かなくたって判ってる。
涙がぼたぼたデスクに落ちて、水溜りでも作れそうになった頃、今度は刹那が小さな声で囁いた。
突然の、一言だけだった。

『ロックオンが死んだ』

告げられた言葉はそれだけ。
俺は、えっ?て聞き返して、でもそれ以上、刹那は何も言わなかった。

ロックオンが、死んだ…?

頭の中に、あの背の高い、いつも刹那の隣に居たロックオン・ストラトスを思い出す。背高くて、何故か黒服支給されてて、足長くて射撃がすさまじく上手くて、アスランさんと同じぐらいミネルバクルーの女の人の目線を独占していた。
人なつこい人で、でも刹那の事を大事にしてるんだなっていうのは俺が見たってよく判ってた。頭よくグリグリ撫でられてた。それは俺もだったけど。
刹那だって、ロックオンの事は信頼してたはずだ。俺、恋とかそういうの得意じゃないけど、それでもあの二人はそういう仲なんだろうなって思ってこそばゆくなったのを覚えている。

その、ロックオンが、死んだ?

「…せつな、…」

問いかける声が震えた。涙がひたりと止んだ。
あぁ、なんだ。

次に溢れたのは、どうしようもない、笑い声で。
ごめん。刹那ごめん。だって俺たち。

「…なんでこんなに似てるんだろうなぁ……」

くくくって腹の奥から笑いが洩れて、身体折り曲げて笑った。
笑うたんびに涙がぼろぼろ落ちるけど、それを拭う事も止める事もせずに泣いた。

そっくりだよ。なぁ俺たちそっくりだよ。

どうしよう。いちばん大切なもの失って、でも生きていかなきゃならないよ。どうしよう刹那。
苦しい。
苦しいな、刹那。
苦しくて苦しくてもう感覚さえ麻痺しそうなのに、涙と怒りと絶望ばっかりが心の中を埋めるんだ。
こんな酷い事ってない。

でももし、

『この先に、紛争根絶があるのなら』
「あぁ」
『……今は戦うしかない』
「そうだな」

引き戻せない。もう戻る事は出来ない。
この道を選んでしまった。選んでたどり着いた先はとてつもない修羅の道だ。判ってる。だって人を殺してるんだから。

「ここで止まれば全てが無駄になる。刹那、俺はそんなのは嫌だ」
『…俺もだ』

返ってくる言葉は力強い。
刹那は迷う事なく告げた。
そうだな。もう行くしかないよな。苦しいよ。苦しいけどもうしょうがないじゃないか。

「…生き延びろよ、刹那」
『……』
「嘘でもいいから、生き延びるって言えよ」
その言葉が聞きたい。
けれど、刹那は何も言わなかった。事態は切迫してるんだろう。生き延びる確率はきっと低い絶望的な戦い。
だから、何も刹那は言わない。死ぬ覚悟、出来てるんだって無言の時間が伝える。
言えないか。…言わないんだ。
俺も言えないよ。いのち、簡単に無くなっちゃうもんな。あっという間に散っていくんだ。俺だって、誰かに討たれて死ぬんだきっと。
生きるとは言えないなら、なぁ、かわりに、

「…今度また通信、繋げて」
『……シンアスカ』
「そう。俺のコード。繋げて、それで話しよう。刹那の声をもう一度聞きたい」

言葉は素直に口から出た。
俺、あの人には本当天邪鬼で何も伝えられなかったけど、刹那、お前は生き抜いて欲しいって思うんだ。それがどんな無理な願いだっていい。

『……わかった』

帰ってきた言葉に、今度こそ微笑んだ。
表情は見えないけれど、きっと思いは伝わってるって、感じていた。

それからしばらくして、通信のランプは切れた。
刹那とのつながりはなくなって、俺はまた一人になった。
真っ暗な部屋、外は嵐。

ほんの少し前までは、ミネルバには沢山のクルーがいて、アスランさんだっていて、刹那たちだって居た。
軍艦じゃないみたいに楽しくて、…あぁ、楽しかったから、だから今はその罰のようにこんなに重くて苦しい。

また会えたら。
…そうしたら、刹那、お前に伝えたい事はたくさんある。
だから、それまでどうか、無事でいて欲しいよ、刹那。