キーボードを叩いているその時に、声は脳の中に響いてきた。

------カミーユ。

名前を呼ばれている。
ああ、あの人の声だ。
手を止めて席を立つ。集中力が切れてしまえば、それ以上プログラミングをする気にもなれなかった。作業する手を止めた途端ぶるりと身体が震えたのは、この部屋の空調が僅かに低いからだ。
支給されている軍服だけでは寒くて、カミーユは自分用にあつらえられた白衣を手に取った。
席を立ち、造りかけのMSが眠る格納庫へと足を進めながら、白衣をまとう。

アムロさんが来た。
そう、感覚が告げている。
つい数刻前に、フィフスルナが地球に落ちたと報告を受けたばかりだ。それなのに、その最前線で活躍していたアムロがここ来ると。だからこそ、彼の用件が良く判る。
「…そんなに早く完成はしませんって…」
ぼそりと呟きながらも、カミーユは僅かな笑みを浮かべてMSデッキへと?がる扉を開けた。




「カミーユ!久しぶりだ」
「アムロさんこそ。すぐに飛んできたんですか?少しぐらい休んでくださいよ」
「ゲタの中で眠ったさ」
あっけらかんと言ってのけるアムロに、カミーユは肩を竦めた。
相変らずこの人は仕事馬鹿だ。
というより、MS馬鹿といったところだろうか。

このアムロレイという歴戦のパイロットが、実は誰よりMS弄りが好きだという事は知っている。
自分とて、機械を弄るのが趣味でもあったからその気持ちは判るのだが、今はロンドベルのパイロットを束ねる人間だ。そう簡単に開発部には加わることは許されないだろうに、こうしてちょくちょくやってきては自分専用にあしらわれた新型のチェックにやってくる。

「アムロさんのデザインどおりに仕上がってますよ」
「ああ、よくやってくれたね。いつ出来上がる?」
「もう二晩もあれば完成するんですけど」
「二晩、シャアが待ってくれると思うか?」
「……思いませんけどね。あー、判りました。今晩中にはなんとか」

アムロの意思を汲み取って、カミーユが頭をかく。
その周囲で話を聞いていた作業員が驚愕に手を止める。彼らが何を言いたいのかはカミーユが一番良く判っていた。代弁するように口を開く。

「ひとまず飛べるようにだけしておきます。武装は最小限になりますよ?後から送るようにしますけど。サイコフレームの調整も、ラーカイラムに着いてからです。それなら」
「構わないよ、カミーユ。サイコフレームの方は俺も手伝うから。頼む」
「無茶を言うなら、工員にお願いしますよ」

溜息紛いに吐き出すと、アムロは申し訳なさそうに、にこりと笑った。周囲に散らばる工員にも苦い微笑みまじりの表情を向けて、もう少し頑張ってくれと声をかければ、すぐに彼らも作業に映った。アムロがやりたいことなど工員でさえも判っている。そして今、どれだけ地球が危機的状況にあるのかも。だからこそ文句こそないが、それでも不眠不休で働いている彼らだ。
しかし、カミーユはそのアムロの表情を見つめ、ひっそりと眉を顰めた。その表情が危ないんだと、こっそり思ってみるものの、アムロにはその気持ちは届かなかった。



***


アムロレイと知り合ったのは、もう随分と前の話だ。
今では、ひどく懐かしい。
あの頃は、まだ”あの人”も傍にいたっけ、と思い出して、カミーユは懐かしさに頬を緩めた。
今、どこにいるのかは判らない。
フィフスを落とした直後、ネオジオンの艦隊はすぐに退いたと聞く。ならばもうどこかのコロニーに紛れ込んでしまっているだろう。
どこに居るのかも判らないあのひとが地球を潰そうとしているなんて、本当に後味の悪い話だ。
そんな事をする人ではなかった。
…そう、思っていたのに。
(…俺は、あの人のこと…ろくに知らなかったってことなのかもしれないな…)
自分を戒めて、カミーユは前方を向いた。
強引にロールアウトしたばかりのMSの中、全天視界のモニターが目の前に広がるその先の方。まるで花火のように光の光線が見えていた。

「カミーユ?どうかしたのか?」
「いいえ。どうもしませんよ。…戦闘の光が見えましたね。後ろに下がりますか?」
「ああ、頼む」

遠くに見える光。
ネオジオンの牽制部隊との戦闘がはじまっているのだろう。MS同士の交戦の光が見える。
大規模な戦闘ではない。すぐに終るだろうと察しがついた。このニューガンダムが到着する頃には終っているはずだ。
「…アムロさん、本当にシャアと戦うんですか」
「カミーユまでそんな事を言うのか?」
シートを背後へと回しながら、狭いコックピットの中で身を躍らす。
アムロと顔を近づけてその目を見つめた。
「判っている事だろ?カミーユ。だから君もロンドベルに来た」
「…そうですけど。ああ、もう!」
「カミーユ?」

狭いコックピット。
顔と顔が近い。
どうしたって、意識してしまう。
そして、あの人のことも。
どれだけ仕事をしていたって、どれだけ忘れようとしたって、どうしてもあの人の事を覚えているんだ。
随分を 長い間会っていない。生きていると知ったのさえ最近だった。
二度と会えないと思っていたのに。
だからこそ、ロンドベルに入隊を希望したのに。
それなのにあの人は敵になって、アムロさんはこんなにも無防備で、ああ、俺は!

強引に、アムロのヘルメットを脱がせた。
「カミーユ?」
「ちょっと黙っててください」
「何、を…、ん、む!」
自分もヘルメットを脱ぎ去り、露になった顔にぶつかるように、キスをした。
驚いたまま、開いた口。
そこに自分の唇を重ねる。

「ん!」
驚いているのか、それとも当然のように受け入れているのか。
アムロは動かない。身体も、口の中さえも。
唇を合わせた。けれど、舌を入れる気にはなれない。身体を密着させる気にさえ。

アムロの両手は、操縦幹を握ったままだった。
カミーユの身体はふわりと舞ったままで。

しばらく。お互いの呼吸も心拍数も穏やかなものになってから、ようやく唇を離した。
先に口をきいたのはアムロだった。

「君はジュドーという恋人が居るんじゃなかったのか…?」
今更何を。カミーユを笑った。
「知りませんよ。あいつだって今は何処に居るのか。連絡もしてこないんです。同じロンドベルですから、どこかには居るでしょうけど」
「だからといって俺を…」
「俺はアムロさんのこと、好きですよ?」
「…君はクワトロ大尉のことも…」
「アムロさん、人の事ばっかり言わないでくださいよ。俺、浮気性みたいじゃないですか」

浮気性、などと。
自分で言っておいておかしい。確かにそうだと思ってしまえば、いたたまれなくなって、もう一度アムロの唇にキスをしようとし、失敗をした。アムロが拒んだからだ。
「…カミーユ。後ろに回れ」
それは、低い声で。
これ以上は駄目だと言い聞かすように。

漂っていたヘルメットを取り、唇を僅かに拭いてから、被りなおす。
その目は、もう先方に見える戦闘の光線しか見えていなかった。

「君の鬱憤は、また後で聞く」
「はいはい」
「だから、僕を利用するのはやめてくれ。君が僕のことを好きじゃないことぐらい、判っている」

それだけを言うと、もう終わりだというように、アムロは神経を集中させた。
ああ、もう、MSパイロットとしてのスイッチが入ってしまった。

(好きじゃないって…)
言われて、驚く。
この人は、本当に自分の事に関しては疎い。
なんでニュータイプなのに判らないんだろう。
色恋沙汰はさっぱりなエースパイロットに、カミーユは今日何度目かのため息を吐き出した。