21の刹那が帰る話。
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「は…?」
ロックオンは顔を上げた。
目の前には21歳の刹那が居る。が、無表情だ。…いや、僅かに微笑んでいるかもしれない。
刹那の表情の変化はあまりにも微妙で判別がつきにくい。…ちがう、今はそこを問題視してるわけじゃない。それよりも、つい今しがた刹那が言った言葉にロックオンは思わず目をしばたく。
手には食後のコーヒーカップ。置くことも口につけることも忘れて、呆然とまばたきを1度、2度。…ええと?
「…なんだって?」
聞き返す。刹那はまるで冷静に、啜っていたコーヒーから唇を離した。

「帰る、と言ったんだが」
「どこへ」
「俺がいるべき場所へ」
いるべき場所?ロックオンは首を捻る。
「…お前この戦艦に配属になったって言ってなかったか…?」
「いや、00がここに配備されたから来ただけだ。俺は俺の所属に戻る」
「…なんだよ、そりゃあ…」
つまり、ここは仮の宿みたいなもんだったって事なのか。
力が抜けた。
コーヒーを飲む気になれなくて、トレイに戻す。
背もたれに体重を預けて項垂れた。
「…いきなり来て、いきなりお別れかよ…」
「すまない」
「……いや、…ずっと居るわけじゃないだろうなって、思ってたけど…さ」
なんとなく。
この刹那が、このまま居続けることは無いだろうと、どこか漠然と思っていた。そりゃあそうだ。
−−−刹那が2人居る。
それ自体、おかしな事じゃないか。
そう思えば、刹那が帰ってしまうんだという諦めもついた。
ロックオンはコーヒーカップにもう一度手をかけた。とりあえず落ち着こう。まずそれだ。
ずず、と啜る。
今日のコーヒーは濃い。
食事を取るのが遅かった所為で、コーヒーが煮詰まってしまったらしい。
眉を顰めた。
コーヒーも不味く、刹那も居なくなる。
(…踏んだり蹴ったりだな…)
なんだか気分がのらない。

「いつ帰るんだ」
憮然とした声になってしまった。自覚がある。
刹那が居なくなるのは寂しい。仕方ないだろう。
なんだかんだと、刹那が2人居るという状況はロックオンにとっては悪いものではなかった。16の刹那の初々しい姿も見られたし、刹那は成長するとこんな風になるんだなと楽しむことが出来た。
いつ帰るんだと問われた刹那は、飲み干したコーヒーをトレイに置き、食器一式を持って立ち上がりながら、一言で答えた。
「今からだ」
「……今!?」
思わずロックオンも立ち上がった。刹那に向けて、自分の顔をぐいっと寄せる。
「今ってなんだよ…」
「今は今だ。…もうすぐ、この艦に定期便が来る。それに合わせて帰る」
「…マジか…」
「ああ」
腕に嵌めた時計をちらりと見る。確かにまもなく定期便がやってくる時間だ。
定期便には、資材から食料、この艦のクルーがネットで頼んだ様々な物がやってくる。
安全な領域を航行中だからこそ、定期便がやってこれるのだから、刹那はそれに合わせて帰るのという理由は判る。
判るが、しかし。

「…あー…名残惜しむ暇もねぇな…」
頭をかいて、思わずため息をつく。
刹那のことだ、きっと今すぐ帰るということは、艦長以外、誰にも言ってないだろう。

突然やってきて、突然居なくなる。
…21の刹那に懐いていたシンあたりは何て言うだろうか。
「…でもまあ、お前が決めた事なら仕方ないか…」
刹那がそうするというのなら。
16の刹那とてそうだが、刹那は自分が決めた事を、変更することなど滅多にない。
帰るというなら帰るのだろう。
「なら、デッキまで別れ惜しませてくれよ」
ふっきるために気持ちを切り替えて笑う。
「すまない」
短く謝罪を口にした刹那は、今度こそ、せつなげに微笑んでいた。


***


パイロットスーツに着替えた刹那が、デッキへと降りてくるのを待っている。
ふと見れば、インパルスの格納デッキから、シンがふよふよとやってきた。
「あれ?ロックオン、今日非番だって言ってなかった?」
「ああ、非番だけどな。ちょっと見送りに」
「…見送り?」
首を傾げるシンが、ロックオンの目の前に着地した。低い身長だ。刹那と同じぐらいの。
無意識に頭を撫でたくなって、けれどその気持ちは笑って誤魔化す。

「美人さんがな、帰るんだと」
「……え?」
シンの赤く大きな目が、くりくりっと動く。
一瞬の間をおいて理解したのか、今度は噛み付く勢いで顔を近づけてきた。
「帰るの!?刹那がっ?」
「大声だすなよ」
「だって、…なんでっ?こないだ来たばっかりじゃん、あのひと!なんで帰るんだよ、どこに?…てかアンタが帰すのか?!」
動揺してまくし立てるシンを落ち着かせるように、どうどうとなだめる。
「俺が帰すわけないだろ」
「ああ、そうだよな…あんた一番楽しんでたもんな」
「楽しんでたって…」
なんて人聞きの悪い。
思わず、耳でも摘んでやろうかと思ったその時、デッキに刹那がやってきた。
青いパイロットスーツに着替えた21の刹那だ。
相変らず足が長い。パイロットスーツに着替えれば、身体のラインがよく判る。鍛え上げられているものの、薄い上質な筋肉を纏った身体だ。
「刹那!」
刹那がこちらに着くよりも早く、シンが床を蹴った。
「帰るのか!?アンタ…」
「ああ、すまない」
「すまないって…、だって、じゃあ00は!?」
「持って帰る」
当たり前だ。そうじゃなければ刹那が帰る足がない。

シンがどれだけ言い寄っても、刹那の顔色には変化がない。
ふと見れば、エクシアの傍に居る刹那が、こちらを見ているのが判った。どうやら気付いたらしい。

「…帰るのか…」
シンが、しゅん、と肩を落す。まるで叱られた犬のようだ。
「安心しろ」
刹那が、ヘルメットを小脇にかかえ、空いた手でシンの頭を撫でた。
「俺は居なくなる…が、まもなく新しい出会いもある」
「えっ?」
出会い…?
シンが、首を傾げながら赤い眼をまばたく。
「世話になった」
シンの頭から手を離し、ロックオンにも目をやる。
まもなく定期便の時間だ。ここでお別れだろう。
改めて刹那に向き直り、その顔を見つめた。
美人さん。
そんなあだ名がまさにぴったりと合う。綺麗になったと思う。たくましくも。
別れがたいな、と改めてロックオンは肩を竦めた。

「聞き分けのいい刹那で助かったよ。短い間だったが、色々世話してくれてありがとうな」
肩をすくめて笑うと、刹那も僅かに微笑んだ。
しばらく目線が絡んだ。刹那が離さなかったからだ。
やがて刹那が、つい、と首の角度をずらして、エクシアの前にいる刹那にも目をやった。
遠い距離から、まだ幼い刹那の姿を見つめ、言葉を交わすでもなく、床を蹴った。これで別れだ。

「刹那ッ!」
叫んだのはシンだ。00に乗り込む刹那に声を張る。
「…また、会えるだろ!?」
シンの言葉は、ロックオンとて同じ気持ちだ。
また会いたい。
大きくなった刹那に、また。
コックピットへと身体を流しつつ、刹那が振り返った。
「ああ、また」
それだけの短い言葉。
ヘルメットを被り、コックピットに乗り込んでハッチを閉めてしまえば、刹那の姿は完全に見えなくなってしまった。
初期起動を始めた00ガンダムの低い駆動音が響く。

「…お別れ…かあ…」
シンが呟く。
眉尻が下がり、肩も力を失くす。
まるでその姿が犬のようだとロックオンは背中を見て思う。
あからさまに背中も肩も丸い。
こりゃ、しばらく落ち込むかな、と思った矢先、MSデッキに定期便の到着を知らせるアラームが鳴り響いた。
エアロックが動く駆動音と警告音と共に、刹那を乗せた00ガンダムがハッチの向こうへ消える。
あっという間に刹那は居なくなってしまった。
代わりに入ってきたのは定期便の小さな貨物シャトルだ。
「…居なくなった…」
「ああそうだな」
「なんでアンタ、刹那を止められなかったんだ…」
「俺にそんな権利ないだろ」
「使えないなあ、マスターのくせに」
「なんだと!」
生意気だ。こめかみに思い切りデコピンをしてやった。
けれど、いて、と呟いただけでシンは大してダメージも受けない。コーディネーターだからなのか、痛みも気にならないほど落ち込んでいるのか。
呆然と立ち尽くすシンとロックオンの前に、小型の定期便が着艦する。
民間企業の定期便だ。ありたけの荷物を積んで、この戦艦にやってきた。
貨物シャトルの到着と共に、MSデッキにわらわらと人が集まりはじめた。
久しぶりの定期便を楽しみにするクルーがあれよあれよとシャトルを囲む。

「…お前も取りに行ったらどうだ。雑誌とか頼んだんだろ?」
「…いい」
「居なくなったモンはしょうがないだろ」
「判ってる」
「16の刹那だって大きくなったらああなるんだぞ」
「それも判ってる。なんだよアンタだって少しぐらい悲しめばいいだろ」
言われてロックオンは口を閉じた。
悲しめ、って。…なんて事をいうのか、この子供は。
それに対抗する言葉が思い浮かばない。
やがて、背を丸めたシンがデッキを後にしようとしたその時、シャトルを取り囲んでいたクルーたちが、一斉にざわつき始めた。
「なんだ?」
なんだか、空気が変わっている。
到着を心待ちにしていたウキウキ感から、一斉にどよめきが起こっている。シャトルのハッチからだ。
「…何かあったのか?」
定期便に何が。
ロックオンとシンの目線も、自然とシャトルにうつった。
…が、そのシャトルを囲っていたクルーが、今度は一斉にロックオンを見つめてきたからさらに驚いた。
「え?」
なんで、俺?
数十人の目線を一身に受け、ロックオンは思わずたじろいだ。
…なんだ。
何があった?

「あ」
ふと、シャトルを見つめていたシンが呟いた。
「なんだよ」
「…ロックオンがいる」
「だから、俺が何を…」
「違うって。…あそこにもロックオンが居る」
「は…?」
シンは何を言ってるのか。
刹那との別れが寂しくて、おかしくなったのか。
大丈夫か、と肩に手をかけようとすると、エクシアの傍にいた刹那の目も、一点を凝視していた。シャトルのハッチだ。
「…おいおい何が…」
なんなんだ一体。
何か嫌な予感がする。それにしてもこの目線が痛い。
「大変だ」
シンがまるで棒読みのように呟いた。
「だから何が」
「だってさ…」
右腕をすっと伸ばし、指先をシャトルに向けた。

「ほら。今度はロックオンが2人になった」

「…は…?」
何のことだ、とロックオンが顔を上げたその時、人垣の向こうに巨大な郵便物の袋を抱えた人物が見えた。
無重力で袋はふよふよと浮いているが、それを持ってる男。
薄茶色の髪、20代頃の、…あの姿は。

「あれ、ロックオンだよな?」

シンが確認するように言うから、つい、ああ、と頷いてしまった。
今度はロックオンが固まる番だった。