シンがそっぽを向いて渡してきたそれを、アスランはずっと眺めていた。
戦艦内の食堂。
時間外もあって誰も居ない。ただアスランだけが座っている。
テーブルの上に置いたままの「それ」。シンプルなパッケージを見つめている。

(まいったな…)

シンは何も言わずにこれだけを渡しすと、まるで逃げるように去ってしまったから、この突然渡されたプレゼントが何を意味しているのかが判らない。
自分の誕生日でもないし、何か記念日でもないと思う。もしかしたらバレンタインやクリスマスのように、人に何かをプレゼントする特別な日が今日なのかもしれない。
しかし、シンから渡されたのは、チョコレートなどという可愛らしいものではなかった。
それはカミソリなのだ。刃物。一般にいうヒゲソリを突然渡されたのだ。
これは何を意味しているのだろう…とアスランが考え込んで、早一時間以上が経過している。

「なにやってるの、アスラン」
そこへやってきたのが、親友:キラヤマトだ。
「…キラ、いや…」
「きみ、ずっとそこで黙って座ってるから、みんな不思議がってるよ。また何か考え事?」
ひょいと後ろからのぞいたキラが、アスランの隣に腰掛ける。手にはコーヒーがふたつ握られていた。ひとつを手渡されて受け取る。
キラは、ずっと気になっていたらしいテーブルに置かれていたそれをマジマジと見て驚いた。
「なんでここにヒゲソリがあるの?」
当然のような質問に、アスランはさらに眉をしかめた。
「…シンから渡されたんだが」
「シンが?どうしてアスランに?」
「それが判らないから悩んでいるんじゃないか…」
眉間に皺を寄せたままでコーヒーをすする。苦いが暖かなそれを喉に流しながら、アスランはまた首をひねっていた。
どうやらなぜプレゼントされたのだろうと真剣に考え込んでいるらしい。
隣でキラも頬づえをつきながら、一緒に悩む事にした。

「バレンタイン、誕生日、ホワイトデー、クリスマス…うーん、全部違うね?」
「ああ。…もしかしたら、ヒゲソリを送る記念日でもあるのかと」
「あるわけないよ!」
「じゃあ…なぜ…」
そこまで考えてやはり答えは出なかったらしい。ぐるぐると思考の渦に巻き込まれたアスランは、手に持ったコーヒーもそのままに、また深く考えこんでしまった。
一方のキラも、アスランがシンに贈られたというそのヒゲソリの意味は判らないでいた。…が、キラは楽観的だった。だって面白そうじゃないか。どうしてシンがアスランにいきなりこんなものを渡したのか。
キラの好奇心がむくりと起きあがる。

「見たところ、新品だよね。君へのプレゼントじゃない?」
「…プレゼント?なんのために?」
「なんのって…君たち一応付き合ってるんでしょ?だったらプレゼントぐらいサプライズで日常的にあるんじゃないかな」
「…つ、つきあってるといっても…」
言われて、途端にアスランは顔を赤らめた。いざ他人からそう断言して言われてしまうと照れくさい。思わず顔を抑えた。
「…なに?そんなに照れること?だって付き合ってるんでしょう?」
「…そうだが!…いや、…ああ…」
「もしかしてプレゼントを貰うっていうことが恥ずかしいの?」
まさかと思い、言ってみれば、その「まさか」だった。恥ずかしがっているのだアスランは。頬がぽうっと赤くなる。
「…そりゃあ…恥ずかしいというか…。シンからこんな風に物を貰うなんて滅多にないんだ。…しかもヒゲソリだぞ…?」
「いいじゃない。きっとシンなりの心のこもったプレゼントだよ」
楽しそうに笑うキラだが、アスランは怪訝な顔だ。うーん、と唸ってみせて、件のヒゲソリを取り上げた。
そこで、はっ!と思いついたらしい。
「…まさか、俺に無精ひげでも生えていたとか…!」
「………は?」
「いや、そういったものをシンが見つけてしまって、こまめに剃れというメッセージ性が…!」
アスランが深刻な顔でキラに向き直る。けれど、その顎はつやつやだ。それはいっそ、ヒゲなど生えた事がないのかと思うほどに。
なのに何を言っているんだ、この天然の親友は。

「……そんなわけないよ」
「いや、判らないぞ、朝、目覚めた時は、少しはヒゲが出る」
「…それ、誰でもそうだよ。僕もそうだもん」
言われて、アスランは目を見開いた。驚いている。
「キラお前も、ヒゲが生えるのか」
「馬鹿にしてるの?アスラン」
笑顔で返すけれど、キラの表情が怖い。…いやそれはそうだろう。男ならばだれでも生えるものだ。なのに今更キラには生えないと?18にもなって?ありえない。
思わず自分の言ったことが馬鹿げていると気付いて、アスランはすぐさま「すまない」と謝った。
「ええと。…結局これは俺にヒゲを剃れということなのだろうか」
「まぁそれはそうだと思うけど」
でも、他意はないんじゃないかなぁ、とキラは思う。そういえば、昨日の買い出しはシンが当番だったはずだ。確か同行したのはロックオンと刹那だった。それでもってアスランは昨日一日、シンの始末書の報告に時間を費やしていた。
(…あー…なるほど、想像つくかも)
素直じゃないシンは、それでもシンなりに気をつかったのだと思う。ロックオンがいたのなら、こういったヒゲソリの事も詳しそうだ。
ひとりで結論を出して納得してみたキラだけれど、アスランは依然悩み中だ。
ぐるぐると悩み続けているアスランが、次にどんな答えが出すのかが楽しみで、キラはもう少し親友を見てみることにした。

「…やはり、俺に、しっかりひげを剃れということだろうか…」
あまりにもアスランがぶつぶつと自分のヒゲのことを言うから、キラはついと手を伸ばした。アスランの顎にだ。けれどそこはつるりとしていて、ヒゲのヒの字もない。
「キラ、いきなりさわるな!」
「あ、そこ性感帯?」
「…キラ」
「ごめんごめん。でもさぁ、シン本当にアスランのヒゲが邪魔なのかなぁ」
少なくとも、シンがそんな遠まわしに「ヒゲ剃って」という意思を示すとは思えない。シンならば確実に本人を目の前にして直接言うだろう。たとえそれがキスの合間だったとしても。けれどアスランの考え方は違うらしい。
「これからはシンとのキスを控えるとか…」
なんでそういう結論になってしまうんだろう。
…聞いているこっちは楽しいけれど。
アスランは、ぶつぶつと独り言のように、いまだ独白を続ける。
「シンと顎があたるような事も避けて…ああ、あいつと俺は触れ合い過ぎなのかもしれない…」
顎があたるような事ってなに?身体を舐めるとかそういうこと?…てか君たちだたでさえプラトニックに近いような恋愛しているのに、今以上に距離を置いたらシンが泣くよ?いいの??
「…ひとまず、少し頭を冷やしてくる」
「え?アスラン?」
「ありがとう、キラ。少し答えが出た気がする」
苦く笑うと、アスランはすくっと立ち上がった。目の前に置かれたヒゲソリを丁寧に持ち上げる。それはまるで宝もののように。

「アスラン、大丈夫?」
「…大丈夫さ」
ふらふらと歩くアスランに、キラはどうしたものかと悩んだ。

…君が出した答えはあさっての方向だよ?

言おうと思ったけれど、アスランが自分で答えを出してくれることを望んで、キラはひとまず黙っていた。

…が。その数日後。
シンは、ひどく思いつめた顔で過ごす事になり、解決するにはもう少しの時間が掛かった。
本当に、このふたりは不器用すぎて見ていて楽しい。(アスランごめんね)


***



数日後


(…なんでこんなことになったんだ…?)
ロックオンは首を傾げた。
就寝時間迫っているにも関わらず突然やってきたシンを、受け入れないわけにはいかず部屋に通しけれど、シンは酷くうつむいていてしょげている。顔を上げることもない。こぶしをぎゅっと膝の上で握って、まるで説教でも受けているのかと思った。
シンを連れてきたのは刹那だ。
今、壁に寄りかかって見てるだけで、ここに連れてきた理由も、「シンが落ち込んでいたから連れてきた」の一言だけ。相変らず言葉足らずな刹那の説明では何も判らない。おかげで、今、こうしてシンからの言葉を待っているが、未だに口を割らない。
尋問じゃないんだけどな…、と思いつつ、ロックオンが言葉を選んでいたところへ、もうひとり、この部屋に居た弟が口を開いた。
「だから、お前は一体何しにきたんだって」
「…こら、ライル」
眉をしかめて言われた言葉は、どうやらこの無言の空白時間に堪えられなかったから、らしい。
「別に、俺は!」
「俺は、なんだよ」
とっさにシンも口を開いたが、そこからの言葉を悩んでいる。
「俺は…ただ…考えごとがあっただけなんだよ!そうしたら刹那が!」
言ってようやく顔を上げたシンは、酷い顔だった。「悩み事をしてます」と顔に書いてある。ここまで判りやすいやつもなかなかいないな…とロックオンは腹の中で笑ってみたものの、こうなってしまうとどうしたらいいのか判らない。
「刹那、お前判る範囲でいいから説明しろよ」
「…説明」
ぽそりと呟いて、押し黙る。また刹那は考えている。それを待った。やがて一言。
「…ヒゲソリが原因らしい」
「はっ…?」
…ヒゲソリ?
言われて、何のことが判らずに、ただ目をしばたく。
ヒゲソリ。ヒゲソリ。なんだそれは。
しばらく考えて頭の中の記憶を探り出したロックオンは、ふと思い当たる節に、「あぁ!」と手を叩いた。
「そういやぁ、買出しでお前ヒゲソリ買ってたな!アスランにさ。…それで?あの使い心地はどうだって言ってたんだ?」
「………」
聞いても答えが無い。それどころか、また下を向いて黙ってしまった。
「おい?シン?」
「………駄目だった…」
…駄目?
何が?
ロックオンはまた首を捻った。シンが、ヒゲソリを買ってアスランに渡したことは知っている。けれどそれは純粋なるプレゼントだったはずだ。…それが駄目だった、というのは?
「……何が駄目だったんだって?…まさかあれ不良品だったのか?」
「そんなわけないだろ!」
言うと、シンがまた顔をがばっと上げた。泣き出しそうに見えるほどの顔だった。
「じゃあ何が駄目だったんだよ」
「……そんなの俺にだって判んないよ!」
「は?」
だから、何が。…余計にワケが判らない。
「…ちょっと待てよ、お前落ち着け。にいさんも」
静かに聞いていたライルが、間合いに入る。
「…なに?結局プレゼント渡して、それが駄目だって事なんだろ?失敗だったのか?」
ライルが状況を整理して、イチから言えば、シンはこくりと頷いた。唇を噛んでいる。
ヒゲソリを渡したことが失敗?

「その、お前の恋人とやらのアスランは、それを使ってくれたわけか?」
「わかんない」
またシンが首を振る。
「何が判んないんだよ。使ってもいないのに、プレゼントしたこと自体が駄目だってことか?」
「そうっぽい。たいちょー、なんか凄く悩んでたし」
「悩んでた?」
「……あと…喋ってもくれなくなった…」
「そりゃあ…」
またどうして。
たかだかプレゼントしたぐらいでどうしてこうなるんだろう。しかもヒゲソリなら不必要なものでもない。男子は誰でも使うはずなのに。
「アスランは使わないとか?コーディネーターって髭は生えないのか?」
「…そんなわけないだろ!いや、遺伝子いじくったらそうなるかもしれないけど。…でもあのひとだってヒゲはえるよ。朝ちょっとザラザラしてるときあるもん」
「あー…まぁそりゃあお前が一番詳しいか」
言えば、その言葉の意味していた事が判ったらしいシンが、ぼっと顔を赤らめた。

「でぇ?アスランはなんでお前と口聞いてくれなくなるんだよ」
「だからそれが判んないって言ってるだろ!なんかたいちょー悩んでるんだよ!ぶつぶつ言うんだよ!俺が問題あったのか…、とか!」
「なんで?ヒゲソリで問題が出るんだよ…」
「……アスランの考えてることなんて判んねぇからなぁ…」
そこまで聞いて、ロックオンはぼりぼりと頭をかいた。
「いっそ聞いてみろよお前。プレゼントはいらなかった?って」
「もう聞いたよ!そしたら思いっきり否定した。嬉しいさって言った!けどまだ悩んでた!」
「……意味わかんねぇな…アスランはヒゲを伸ばしたかったとかか?」
「んな馬鹿な」
鼻で笑ったのはライルだ。
「この艦に居る連中でヒゲはやしてるやつなんて殆ど居ないだろ。マードックとアストナージがよく無精ひげ生やしてるぐらいで。…整備のやつらはそういうやつ多いんだな」
「まぁアスランなら腐ってもそういう人間になりそうにないが……。おい刹那、お前も突っ立ってないでなんとか言えよ」
「…何を言えばいい」
「何をって…あー、なんか打開策だとか」
「…打開策…」
「そうそう、アスランとシンが仲良くヒゲ剃れる方法をさ。恋人だからこその、なんかそういうの…あるだろ?」
「ライル!」
冗談めかして言ったライルが肩を竦めてみせたが、刹那はそれで何かを思いついたらしい。

「…ふたりで、ヒゲを剃り合ったらいい」
「…は?」
「俺とロックオンはよくやる」
そこまで言って、皆が刹那を見た。ひとり、ドキッとしたのはロックオンだ。
「セックスが終ったら、風呂場でお互いのヒゲを剃る。そうすればヒゲソリも自然と使う事になる。俺はロックオンにそうすることを教えてもらっ…んが」
ロックオンが刹那の口を抑える前に、刹那は言いたい事を全て言ってしまった。遅かった。
ただ、脱力するかのように項垂れるシンとライルを、刹那は交互に見下ろした。
何か問題があることでも言ったのか、と目が言っているが、知らぬは本人ばかりだ。


結局、アスランの誤解が解けるには、もう少しの時間と、キラの仲介と、ロックオンとライルの口ぞえが必要だった。