エクシアのメインカメラが壊れたのを覚えている。 何も映らない目の前のモニタ。 コンソールパネルの光だけが溢れたコックピットは外部圧力によって変形している。衝撃で強く打ち付けられた身体は、間もなく意識を失うだろう。 負けたのか。 漠然と、理解する。 あぁ、負けたんだ。負けた。 けれど、どうしてか、刹那の心は穏やかで、怒りは沸いてこなかった。絶望感もない。敗北感さえ。 外部音声だけが届くコックピットに、あの男の笑い声だけが響いていた。 --------------- いばらの城 靴を与えられていない刹那の足音が、古城の石畳の通路に響く事は無い。 靴どころか、服さえも与えられないから、代わりに白く薄い布を1枚を身体に巻きつけている。それもベッドのシーツを引き剥がして身に纏っているだけで、服とは言えない。 ただ、古城の最奥の一室と、備え付けられたバスルームだけが刹那に与えられていた。 部屋に窓はなく、代わりに高価な装飾品と、部屋中に張り巡らされたシルクの布地が、石で組まれた部屋に僅かな温かみを持たせている。広いベッドに置かれた無数のクッションと、毎日といわず、行為が行われればその度に返られる新しいシーツ。 バスルームは広く、大きな浴槽にはオイルが垂らされているが、趣味が合わない。意味も無く風呂に入りたいとも思えないが、どうしても行為の後には入らざるを得ないから、刹那の身体からはいつもほのかなにおいが漂っていた。 身体を濡らしても、タオルは無数にあるが、服を与えられる事はない。その理由をまだ知らされてはいないが、おそらくは脱走の防止か、もしくは辱めのためだろう。 この古城の主は、刹那から服を取り上げた程度で、脱走を阻止できるとは思って居ない筈だ。 …ならば、服を与えないのはヤツの趣味か。 服を脱がす手間が煩わしいだとか、長い布に包まった刹那を剥ぐのが楽しいのか。 そういえば、刹那が布を脱ぎ捨てるのを、いつも目を細めて見つめている。 細い体躯から布を剥ぎ取って晒された裸体。それを見つめては酒を煽って口先だけで笑う。 …あぁ、間違いなく、ヤツの趣味だ。 ならば、その趣味に飽きた頃には服を与えれるのかもしれない。…もっともその時には自分が生きているかどうかは判らないが。 古城の廊下は長く、延々と続く石畳。 その上に、飾り気の無いカーペット地の布が引かれている。靴の無い刹那が素足で通路を歩けば、身に着けた長く白い布だけが音もなくふわりふわりと舞う。成長しきっていない少年の四肢が晒され、白い布の隙間から垣間見られる。それはまるで古代ギリシアの女神のようにも見えた。 「部屋に戻れ。そろそろ主が帰ってくる」 広く長い通路を当てもなく歩いていた刹那の背後から、若い男の声が響いた。抑揚の篭らない声で呼び止め、刹那は振り返る。声と同じように感情の篭らない瞳が、見下ろしていた。 刹那につけたガードだと、あの男は言っていたが、本当は監視役だと判っている。いつも小脇に抱えているライフルと、胸元に忍ばせている拳銃。傭兵だと言わんばかりの暗色に包まれた戦闘服。まるで戦時中のようないでたちだが、あの男の部下ならばそれも頷ける。常に戦場を駆ける事を望む傭兵ならば、それも当然だろう。 傭兵の集団。戦争を望み、命で金を買う。命知らずな集団の拠点でもあるこの場所に刹那が幽閉されてから、どれだけの日々が過ぎているのか。あの光も入らない部屋に居れば、日付の感覚も無くなる。1日中セックスをしている時もあれば、数日何もない事もある。何もかもを忘れたこの状態で、刹那が出来る事はただそこに居るという事だけだ。 この古城が辺鄙な場所にあるのは知っている。回りは岩山に囲まれたうち捨てられた中世の城だ。22世紀までは宿泊施設か何かに使われていたらしいが、それからは人の出入りもない。ただ、広大な土地と城だけが残されていた。 あの男が、この古城を買い取ったのも、地下にある莫大なスペースにMSを格納しておくためだと言っていた。そんな理由は嘘だろうと目で訴えたが、それでもあの男は楽しげに笑って、刹那の足を触っていた手を内股に絡ませて刺激を強めるから、そこから先を誤魔化された。MSを簡単に隠しておける程、AEUのセキュリティは甘くはない。…銃器や旧式の火器ならば、それもあるかもしれないが。 さすがに中世に立てられた城だけあって、部屋数と敷地はとてつもなく広い。 城壁はないが、周りは岩山だ。守備は堅い。はるか昔には、戦場としても使われたかもしれないが、今となっては傭兵の巣窟と化している。 それでも、城の中心には小さいながらも中庭が広がっていた。禿げた岩山ばかりが目立つ周囲の風景とは対照的な、緑のある中庭。井戸からくみ上げた水が、中庭の植物にのみ水を与えているらしい。枯れなかったその木を、ふと見たくなった。何故かは自分でも判らなかった。ただ緑を見つめてみたいと、思いついただけだ。 あと少しで、中庭に。 「部屋に戻れ」 呼び止められ、足が止まった。 あと少しだった。中庭に続くドアが見えている。 「戻れといっている」 「…まだ時間じゃない」 「戻れ」 低い、低い、声。 刹那が一言でも抵抗を示せば、すぐに胸元の拳銃やライフルの引き金に手をかける。問題があるようなら、いつでも殺せとあの男に言われているのだろう。 この男の口数は少ない。 それは刹那にとっては、楽な相手に他ならないのだが、少ない口数以上に、あからさまな敵意と殺意を剥き出しにしてくる。傭兵の癖なのだろうか。殺気じみた感覚を向けられるのは、神経が高ぶるから、あまり好きではない。 仕方が無いなと息を吐き出した。あのドアの向こうへは行けない。 刹那は身体に巻いた布を引きずりながら、中庭へと進もうとしていた足を、今来た道へと戻した。 見れば、石畳に囲まれた長い長い通路が、果てしなく続いていた。 *** また困らせてくれたな? 言われて、そんな事はしていないと目で訴えた。 「お前は本当に問題ばかり起こす姫だな」 顎をついと取られ、この男にしては珍しく飲んでいた赤ワインが、口移しで刹那の喉へと移される。 真っ赤な、血の色のワインだった。 「…ん…」 喉を降りる、熱のようなアルコール。 飲みきれなかった赤い液体が唇で光る。それを手で拭おうとして反対に手を取られ、代わりに男の指先で濡れた唇を拭われて、濡れた指を口の中へ押し込まれる。舌を出して舐めれば、まるで猫でもからかうかのように、指先を動かして刹那の舌で遊んだ。 もう一方の腕は、刹那の背中と尻を行ったり来たりしている。滑らかな背中と腰のラインと、程よくついた筋肉を繰り返し触れて楽しんでいるが、この古城で囲われる生活になってから確実に筋肉は落ちたと刹那は思う。城の中を歩いた事さえ、今日は久しぶりだったのに、それさえ見つかって止められてしまった。 今もこの部屋の前には、あの男が見張っているのだろう。ライフルに手をかけて。 「おまえは、何処に行こうとしてたんだ」 問われたから、中庭だと答えようとし、それよりも動かされる指を追う方に快楽を感じて、答える事を辞めた。口の中を遊ぶ指。背筋の性感帯をなぞる指。…どうせ答えたところでこの男はいつものように鼻で笑うだけだ。中庭の緑が見たいのなら、部屋に緑を置くと言われるのだろう。 以前、何気なく、城を守る警備兵を見ていた。刹那にとってはただの暇つぶしのようなものだったのに、あの男に見られたのがいけなかった。それからしばらく、セックスには観客がついた。参加された事もある。 この男は、人が望むものを、いつも過剰な形で返してくる。…それを望んでいないと知っていてやるのだ。 口の中をゆるゆると動く指を、舌で追う。まるで猫のようにじゃれつく。 質問に答える気は無かった。 サーシェスも、答えを望んでいる風でも無く、口の中の指で、歯を辿ってみたり、壁をつついてみたりと、遊ぶことをやめない。 刹那の舌が、指を追う。けれどその指は逃げるから、焦れて、唇を窄めて指を甘く噛み、唾液を混ぜながら舌先を動かして指先に絡む。気がつけば、サーシェスの手を両手で掴んで、一心不乱に指を舐めていた。 ---- まるで赤ん坊の母乳のようだ。サーシェスは思う。 「どこへ逃げようとしたんだ?ん?」 逃げようとなんて、していない。 そんな事をしようとも思わなかった。する意味を見出せない。 ここからどうやって逃げるというんだ。こんな僻地に建てられたからどうやって。この古城には、百人近い傭兵が居る事を知っている。 戯れに問いかけられる言葉。 刹那が逃げる事はないと判っている上での問い。 ただ触れる為に伸ばされた指。口の中を辿る指と、背中を辿っていた指。 やがて、触れるだけだった指が、後孔にゆっくりと、ずぷずぷ埋められていく。 受け入れ方を知っている孔は抵抗などない。水気のないその場所に入り込む方法を、この指も身体も知り尽くしている。 難なく埋め込まれた1本の指の次に、もう1本の指も添えられる。それも抵抗なく飲み込まれた。内壁をぐちゅぐちゅとかき回す。 …ああ、ワインを使われたのかもしれない。 ちらりと目線を動かせば、床に零れたワインが点々と散っていた。 「お前さんがその気になれば、ここから逃げるのなんて簡単だろう。…そういう逃げ方も俺が教えたんだ、覚えているだろう?」 あぁ、覚えているとも。 このままこの男を組み敷いて、首を絞める方法も、一瞬の隙をついて逃げ出してMSを奪い、この古城を壊滅させる事も出来る。 そういう方法を、教えられた。 あのクルジスで、敵兵に捕まったら、そうして逃げろと教えられた。それが無理だったらこうやれば自分で死ねるんだと、簡単に息を止める方法も教えられた。 生きる事と死ぬ事は同じ事だった。 自分は偶然あの世界を生き延びただけだ。だからまたこの男に出会っている。 逃げようと思えば。きっと逃げられる。あのソレスタルビーイングに戻れる。 「…けどお前はそれをしない」 あぁ。しない。 代わりにするのは、この指を追いかけて、その身体に身を密着させて、腰を揺らし、煽る事だけ。 そういうセックスを教えたのも、この男だった。 「今日はやけに腰を振ってくるな。もうしたいのか」 聞いてくるその声が笑っている。…いつだってそうして笑われて、セックスをする。 幼い頃に感じていたこの男のカリスマは、今となっては支配欲に満ち溢れた本能の行動だと思えた。 それに魅せられたのなら仕方ない事かと、刹那は目を閉じて腕を伸ばす。 あの頃の自分とは少し変わった。 けれどそれでもこの男に未だ陶酔しきっている自分が居る。…裏切られたはずなのに、尚。 この男が、好きだ。 その髪も、立ち居振る舞いも、声も。 それが幼い頃からの刷り込みだとしても、もう神経に刻まれてしまった。どうしようもない。反応してしまう。 声をつむがれている。 肌に触れられている。 「もう、おっ勃ててんのかお前は」 勃ちあがりきったソレを、指先で弾かれる。精液がじわりと滲み出た。 「本当にセックスが好きだなお前は」 あぁそうだと、答える代わりに、肩に噛み付く。身体に刻まれた模様の上へ、傷を作ろうと歯を立てる。血液の味は広がらない。 サーシェスは笑った。痛くもねぇ。 「ほら、もっと噛んでみろよ。まだいばらの方が痛ぇぞ、おい」 「…ァ…!」 肩を突き出して、刹那を煽る。力をこめようとした刹那は、下肢が揺れる刺激に小さく声を上げた。身体に触れて擦り上げられたソレがたまらない。 「可愛いモンだな、お前は」 くくくと笑うと、肩も揺れた。手を伸ばされて、先端を捏ね回し、大きくは無い刹那の中心をずくずくと扱いた。 「…っ、あ、」 他愛無い、慣れた刺激のはずなのに、なぜこんなにも深い快楽になるんだ。背中にしがみついた。噛み付いてなどいられなかった。 「なんでこんなに」 感じているのかと笑っているのか。…だって、今目の前にあるのは、お前の声だろう。お前の身体だろう。お前の手が煽ってるんだ。 どうしようもない。そういうものだと身体に刻み込まれている。 すきだ。 どうしようもなく。敬愛している。 「…まったく、純粋に育ちやがって」 そうさせたくせに、そう言って笑う男の唇に、快感に震える唇で、噛み付くようなキスを送った。 *** 戯れるような遊びが好きなくせに、本気でセックスをすると、まるで野獣のような抱き方になる。 オンナじゃ、こうは抱けねぇからな、 言っていたのを思い出す。下手に抱けば、オンナは逃げていく。それでも圧倒的な快楽を与えてやればまた戻ってくるが、いちいちそんな事を考えるのも面倒くさい。 お前はいいな、どれだけヤろうが…いやヤればヤる程、俺に惚れるんだろう?ええ? 頬を掴まれて目を合わせられると、強引に動かした上半身の所為で、下半身の結合部分に予期せぬ衝撃が掛かった。 「っは、う…」 声が漏れ、眉間に皺が寄る。 抱いても滅多に表情を変えやがらねぇなお前は。 罵るように言われたけれど、それを直せとは言われていない。…サーシェスが自分自身で、刹那の表情を変えさせる事が楽しいのだといわんばかりに、刹那にとって予期せぬことばかりをしてきては、変わる表情を楽しんでいる。 酷い抱き方、驚く程優しい抱き方、人を使ってさせてみたり、玩具を入れて放っておかれたり、嫌だというのに汚い事をさせてみたり。…それは日によって変わり、サーシェスの性癖を疑いたくなるようなプレイの数々で、幼い頃に、戦争の精神的高揚をそのまま勢いで受け止めていたようなセックスとはまるで違っていて、刹那の精神をかき回していく。 「また一段といい顔を出来るようになった」 すでにナカに放たれていた精液が、ぼたぼたと結合部から落ちて、高級なペルシャ絨毯の上に小さな水溜りを作っていく。 刹那が纏っていた布地は、いつの間にか部屋の隅に飛ばされて、手を伸ばしても届かない。全裸の細い腰に絡みつく太い男の腕が、遠慮もなくがくがくと揺さぶった。 「…っ、ぁ、あ、あ、…」 前立腺に直に当たるように。わざとそうして限界まで追い詰めさせる。 刹那が出した精液は、男の腹にかかり、下腹を伝って茂みの中で白く固まっている。 「……っ、ぁあ!」 一瞬の甲高い声の後、再び白い精液が飛び散った。喉が仰け反り、呼吸が止まる。 けれど、腰の動きは止められないから、ひくひくと震える下半身と、ぱさぱさと揺れされる髪が、限界を超えた快楽を身体に満たしていく。 ひくひくと震える身体が止まない。もうやめろと叫びたくなるような快楽を止むことなく与え続けられている。 意識を失わない事が精一杯で、それ以上に刹那が出来る事は無い。サーシェスの笑い声だけが響いていた。 「今日はお前にもう1つ、伝える事がある」 ようやくベッドに移された刹那の身体が、白いシーツの上に横たえられる。その仕草があまりにも優しすぎたから、不審を煽られて、男に目線を向けた。顔を動かす気にはなれず、目だけを動かして見つめれば、やはり楽しそうに刹那を覗き込む顔があって、次に言われる言葉が、どうやらよほど刹那にとって驚くべき事なのだろうと予測が出来た。 何を言われるというんだ、今更。 この、世界からも隔離され、ただ男の愛人のように身体を差し出しているだけの刹那に、何を驚かせる事がある。 男の硬い手が、刹那の髪を隙き、瞳の傍を撫でて、頬に添えられた。 唇と髪と身体が上から降ってきて、吐息が刹那の耳朶を掠める。 「お前の乗っていたガンダム。…今日、ようやくセキュリティが解除された」 囁かれる声。サーシェスの舌が、刹那の耳の中をくすぐった。 ガンダムと。…言葉を聞いたのは、酷く久しぶりだった。 刹那の表情は変わらない。 「…次のパイロットは俺だ」 囁かれる声。耳から吹き込まれた言葉が、ゆっくりと脳に浸透し、言葉を理解する。 刹那はゆっくりと瞬きをした。 ああ。なんだ。 …そんな程度の、こと。 身体を動かす気になって、正面を向き、広い背中に腕を回した。何時つけられたのか、背中の傷を指で辿り、刻まれた模様に手を這わせる。 顔を逸らした刹那の頬を持ち上げて、その表情を間近で見つめると、ほぅ、と楽しげに口端を吊り上げられた。 「お前、ついに笑ったな」 刹那に浮かべられた笑みを壊すように、サーシェスはかぶりつくように、その唇に噛み付いた。 唇と、身体でつながれた、ここは茨の城。 |